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四話
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金持ちはとかく忘れがちですが、貧乏人にもプライドがある。
貴方の場合、大人に施されるのはまだ耐えられた。ですが子供は……自分と同じ年頃の少年に同情されるのは耐え難い。
言い過ぎました、座ってください。貴方は悪くない。最初に言ったでしょ、僕は裁かず罰しない。
神ならざるこの身にそんな大それた権限は与えられていません、貴方が抑圧してきた本音がどうあれ……。
時に鈍感は残酷だ。
いい加減人々は知るべきです、博愛精神に育まれた善意が他者を傷付けることもあると。
貴方にしてみれば、エドガー氏の善良さは毒だった。
何故無能な人間がちやほやされるのか、教授たちに特別扱いされ持ち上げられるのか、彼を見るたび腸が煮えくり返ったでしょうね。
恵まれた人間は恵まれただけで罪なのです。
貴方は復讐することにした。エドガー氏の嫌味に表立っては反論せず、謙遜してみせたのです。
「助言どうも。俺はまだまだ未熟だな」
「子供の頃から一流の美術品に囲まれ、目が肥えたお前がいうのなら間違いない」
「教授たちはさすがにわかってるな。お前が一位に選ばれたのは実力だ。誇れよエドガー氏、伯爵もきっと喜ぶ」
全く酷いお人だ。貴方はそうしてちくちくちくちく、善意にくるんだ言葉の棘でエドガー氏を嬲った。
彼の嫉妬に気付かぬふりを装い、わざと罪悪感を植え付け、エドガー氏を追い詰めて行ったのです。
可哀想なエドガー氏。
その頃から奇行が始まりました。夜更けの屋敷から、授業中の学校から、たびたび抜け出してどこかへ消えてしまうのです。
同時にエドガー氏の絵に変化が兆しました。扁平で魅力に乏しかった絵に生命の息吹が宿り始めたのです。
凄腕の師に弟子入りしたのだろうと級友たちは噂しました。童貞を捨て一皮剥けたのだと、ゲスな勘繰りを働かせる者もいます。
潔く認めておしまいなさい。
貴方はエドガー氏を憎み、嘲り、蔑んでいた。
自分より劣ると見なし、馬鹿にしていた人間に追い越されるほど屈辱的な体験はありません。
絵の才能は貴方がエドガー氏に対し持ち得た、唯一にして最大のアドバンテージでした。
それを失ってしまったら、貧民街上がりの卑しい孤児に何が残るというのです?
思い上がっていたのは貴方の方です。
狂おしい嫉妬と焦燥が責め苛みました。
ふと気付けば画帳をめくり、エドガー氏の顔をしるし、それを鉛筆で上から塗り潰していました。
何度も何度も何枚も何枚も、隅から隅まで真っ黒に塗り潰します。しまいには芯が折れ紙が破け、大笑いしていました。
ジョージィ・ポージィ・プティング・パイ、男の嫉妬は見苦しい。
貴方はエドガー氏を憎んだ。
その整えられた爪を、柔く白くすべらかな手を、綺麗に磨き上げられた靴を、一番好きなものを失った人間に好きなものを描かせる残酷さを、貴方の才能を発見したのは僕だと威張る横顔を、伯爵に相対し家を出ると言いきった無知なる傲慢さを、弱者に施す高潔な精神と敵を排す苛烈な魂を、エドガー・スタンホープの全存在を憎んだ。
かくも運命とは残酷で人間は愚かな生き物、天上天下あらゆるものに序列を付けずにいられません。
エドガー氏が貴方に劣る人間なら、天才に至らぬ秀才どまりなら、その報われない努力を憐れんでぬるく愛でていられたのに。
彼が足止めしなければ母の死に目に間に合ったのに。
「畜生」
乱暴に紙を破り取り、握り潰して壁や床に投げ付け、それが跳ね返って顔や体に当たっても、ベッドに独り腰掛けた貴方は破滅的な哄笑をやめませんでしたね。
伯爵は息子の素行を憂い、貴方にエドガー氏の監視を命じました。
ご子息が夜遊びにハマり身分違いの女を身ごもらせるか、性病を伝染されたら大変と思ったのでしょうね。
貴方は一般人に化け、夜な夜なイーストエンドに足を運ぶエドガー氏を尾行しました。
何故こんな場所へ?
賑やかなパブが軒を連ねた表通りならいざ知らず、エドガー氏が目指すのは閑散とした裏通り。
やがてエドガー氏が消えたのは教会の隣の建物……死体安置所でした。貴方は大いに戸惑いました。
娼館に出入りしてるんじゃないのか?
てっきりそうだと思って、伯爵に預かった手切れ金を持ってきたのに。
調子を狂わされたまま石階段を下り、突き当たりの部屋を覗き込み、驚愕に立ち竦みました。
エドガー氏は医者に賄賂を払い、一体一体死体を検め、狂気じみた形相でスケッチしていたのです。
ただスケッチするだけでは飽き足りません。
表返しまた裏返し、あちこち撫でて押して感触を確かめ、瞼を固定して濁った眼球を観察しています。
死体は物言わず微動だにせず、台に仰向けてモデルを務めていました。
吐き気がしました。
モルグには消毒液の刺激臭にまざり、腐敗臭が立ち込めています。エドガー氏はまるで意に介さず、腹から臓物を零した死体に歩み寄り、左右対称にご開帳された肋骨の奥の心臓を描いていました。
戦慄を禁じ得ない、おぞましい光景でした。
死体のスケッチを終えたのち、エドガー氏は医者に挨拶してモルグをでました。貴方は尾行を続けます。次にエドガー氏が向かったのは、煙管を咥えた廃人たちが屯する阿片窟でした。
エドガー氏はこの店の上客らしく、東洋人の主人に揉み手で奥へ通されました。
貴方は不機嫌に舌打ちし、伯爵に預かった手切れ金を払い、エドガー氏を追いかけました。
エドガー氏は……いました。店の最奥、突き当たりの部屋。天蓋付きの豪奢な寝台に横たわり、けだるげに煙管を喫っています。室内には甘く濃密な阿片の匂いがむせ返るように立ち込め、眩暈を誘いました。
貴方は従業員の目をかいくぐり、エドガー氏の部屋へ向かいました。エドガー氏は貴方を見ても顔色を変えず、しどけなくベッドに横たわり、時折思い出したように煙管を口に運んでいます。
「迎えにきてくれたのかい。お世話様だな」
「死体のスケッチのあとは阿片窟で豪遊か。伯爵が知ったら泣くぞ、一体何を考えてる」
エドガー氏が緩慢な動作で上体を起こし、片膝を立てます。
ばらけた前髪の奥から覗く眼差しは濁り、焦点が定まりません。
「レンブラントの出世作、『テュルプ博士の解剖学講義』を知ってるかい」
「解剖実習の現場を描いた悪趣味な絵だろ」
「スランプ脱却を掲げ、偉大なる天才のひそみにならってみようとしたのさ。死体はいいぞ、疲れただの飽きただの文句を言わない。関節を反対側にねじっても苦情を言ってこない」
「回りくどい。要点を述べろ」
「物事の本質を知らなきゃいい絵は描けないって事さ。どうせ明日には土の下に埋められるんだ、その前にデッサン位かまわないだろ、医者には許可をもらってる」
「買収したくせに」
「死者への冒涜だって言いたいのか?」
エドガー氏は唐突に仰け反り、涙がでるまで笑い転げました。以前の彼とは別人に思えます。
「人間なんて皆同じ、貴族だろうと平民だろうとしょせん血と臓物の積もった皮袋にすぎない。僕は人間の骨格や内臓の配置、血管の地図を知るために解剖に立ち会った。夜な夜なモルグに通い詰め、医者にこっそり賄賂をやり、惨たらしい死体を描きまくった。僕は凡人だから、そうまでしなきゃ釣り合わないんだよ」
誰に、とは聞けなかった。
「顔が真っ青だぞ。引いてるのか」
「おかしいぞ、お前」
「ぼけっと突っ立ってないでもっとこっちに来い。ああ、ドアは閉めてくれよ。スタンホープ伯爵の長男が阿片窟に入り浸ってるなんて、とんでもない醜聞だからな」
後ろ手に扉を閉め、注意深く室内を突っ切りました。エドガー氏は阿片に酩酊し、饒舌に話し続けています。
貴方には彼を無事に連れ帰る義務があります、胡乱な阿片窟に放置はできません。
「そうだ、もっと……僕の前に」
本音を言えば、即刻逃げ帰りたかった。エドガー氏の醜態は正視に堪えかねた。
貴方が憎んでいたのは清く正しく美しいエドガー・スタンホープで、目の前にいる阿片中毒の青年じゃない。
「実はスコットランドヤードにツテがあるんだ。君も知ってるだろ、最近世間を騒がしてる残虐非道な殺人鬼、切り裂きジャック。ヤツは娼婦の死体から子宮を持ち去るんだ」
描いたんだ。
見せてやろうか。
エドガー氏は狂ってしまった。貴方の方へ身を乗り出し、両肩を掴んで迫り、ぎらぎら輝く目で―
押し倒された。
服を剥がれた。
エドガー氏は貴方に跨り、四肢を組み敷きました。
逃げようと思えば逃げられた。
そうしなかったのは打算に絡めとられたから。
阿片で理性が蒸発したエドガー氏に逆らっても生傷が増えるだけ。反抗的な態度をとり、屋敷から叩き出されるのは願い下げだ。
軋むベッドの上で歯を食いしばり、ひたすら激痛と不快感に耐えてやり過ごすうち、快感が芽生え始めました。
「ぁッ、ぐ、エドガー、よせ」
「背筋。肩甲骨。くっきり浮かんでる。脊椎の突起までハッキリわかる」
エドガー氏が貴方を裏返し、しなやかな指先で骨や筋肉を辿っていきます。それはまるで貴方の全てを指に記憶させようとしているかのようで、凄まじい執念に圧倒されました。
「ここに心臓がある。握り潰せば一巻の終わりだ」
貴方が猜疑心のかたまりならエドガー氏は独占欲のかたまりでした。どこまでいっても平行線、すれ違い続けるふたり。
何が間違っていたのでしょうね。
本当に心当たりがない?そうですか……。
エドガー氏は底抜けに貪欲に、たゆまず実直に、被写体の全てを細部まで暴いて知り尽くそうとしました。
前立腺を突き上げればどう反応するか。
陰茎をしごき立てればどんな声を出すか。
裏筋をくすぐればどうなるか。
それを知るには一回じゃ足りません。エドガー氏は何度も何度も貴方の体を求め、貪り、もてあそびました。
貴方はエドガー氏の手と指と舌で何度も何度も追い上げられ、絶頂を味わいました。
情熱が技巧に先行する性戯。凌辱。
行為中、エドガー氏は繰り返し貴方の手の甲と平に接吻しました。乾いた絵具がこびり付いた爪を含み、吸い立て、「シアンの毒で死にたい」と呟きました。
「勝手に死ね」と貴方は吐き捨てました。
以来エドガー氏は阿片窟に迎えに来た貴方を部屋に引きずりこみ、毎度の如く強姦を繰り返します。
エドガー氏が病み衰えるほどに、彼の絵は崇高な魅力を放ちました。
人体の描写は解剖学の正確さを極め、肌はその下の筋肉や血管の脈動を透かす生々しい肉感を伴い、表情は苦悩と憂いを帯び、教師陣や級友たちの絶賛を集めました。
エドガー氏の名声の裏で、貴方が犠牲になってることには誰も気付きません。よしんば気付いた人間がいても助けは期待できなかったでしょうね。
片や名門伯爵家の長男、片や貧民窟上がりの孤児。
エドガー氏が主で貴方は従。
それを痛感したればこそ、貴方は日々与えられる屈辱を耐え忍んだ。
貴方の場合、大人に施されるのはまだ耐えられた。ですが子供は……自分と同じ年頃の少年に同情されるのは耐え難い。
言い過ぎました、座ってください。貴方は悪くない。最初に言ったでしょ、僕は裁かず罰しない。
神ならざるこの身にそんな大それた権限は与えられていません、貴方が抑圧してきた本音がどうあれ……。
時に鈍感は残酷だ。
いい加減人々は知るべきです、博愛精神に育まれた善意が他者を傷付けることもあると。
貴方にしてみれば、エドガー氏の善良さは毒だった。
何故無能な人間がちやほやされるのか、教授たちに特別扱いされ持ち上げられるのか、彼を見るたび腸が煮えくり返ったでしょうね。
恵まれた人間は恵まれただけで罪なのです。
貴方は復讐することにした。エドガー氏の嫌味に表立っては反論せず、謙遜してみせたのです。
「助言どうも。俺はまだまだ未熟だな」
「子供の頃から一流の美術品に囲まれ、目が肥えたお前がいうのなら間違いない」
「教授たちはさすがにわかってるな。お前が一位に選ばれたのは実力だ。誇れよエドガー氏、伯爵もきっと喜ぶ」
全く酷いお人だ。貴方はそうしてちくちくちくちく、善意にくるんだ言葉の棘でエドガー氏を嬲った。
彼の嫉妬に気付かぬふりを装い、わざと罪悪感を植え付け、エドガー氏を追い詰めて行ったのです。
可哀想なエドガー氏。
その頃から奇行が始まりました。夜更けの屋敷から、授業中の学校から、たびたび抜け出してどこかへ消えてしまうのです。
同時にエドガー氏の絵に変化が兆しました。扁平で魅力に乏しかった絵に生命の息吹が宿り始めたのです。
凄腕の師に弟子入りしたのだろうと級友たちは噂しました。童貞を捨て一皮剥けたのだと、ゲスな勘繰りを働かせる者もいます。
潔く認めておしまいなさい。
貴方はエドガー氏を憎み、嘲り、蔑んでいた。
自分より劣ると見なし、馬鹿にしていた人間に追い越されるほど屈辱的な体験はありません。
絵の才能は貴方がエドガー氏に対し持ち得た、唯一にして最大のアドバンテージでした。
それを失ってしまったら、貧民街上がりの卑しい孤児に何が残るというのです?
思い上がっていたのは貴方の方です。
狂おしい嫉妬と焦燥が責め苛みました。
ふと気付けば画帳をめくり、エドガー氏の顔をしるし、それを鉛筆で上から塗り潰していました。
何度も何度も何枚も何枚も、隅から隅まで真っ黒に塗り潰します。しまいには芯が折れ紙が破け、大笑いしていました。
ジョージィ・ポージィ・プティング・パイ、男の嫉妬は見苦しい。
貴方はエドガー氏を憎んだ。
その整えられた爪を、柔く白くすべらかな手を、綺麗に磨き上げられた靴を、一番好きなものを失った人間に好きなものを描かせる残酷さを、貴方の才能を発見したのは僕だと威張る横顔を、伯爵に相対し家を出ると言いきった無知なる傲慢さを、弱者に施す高潔な精神と敵を排す苛烈な魂を、エドガー・スタンホープの全存在を憎んだ。
かくも運命とは残酷で人間は愚かな生き物、天上天下あらゆるものに序列を付けずにいられません。
エドガー氏が貴方に劣る人間なら、天才に至らぬ秀才どまりなら、その報われない努力を憐れんでぬるく愛でていられたのに。
彼が足止めしなければ母の死に目に間に合ったのに。
「畜生」
乱暴に紙を破り取り、握り潰して壁や床に投げ付け、それが跳ね返って顔や体に当たっても、ベッドに独り腰掛けた貴方は破滅的な哄笑をやめませんでしたね。
伯爵は息子の素行を憂い、貴方にエドガー氏の監視を命じました。
ご子息が夜遊びにハマり身分違いの女を身ごもらせるか、性病を伝染されたら大変と思ったのでしょうね。
貴方は一般人に化け、夜な夜なイーストエンドに足を運ぶエドガー氏を尾行しました。
何故こんな場所へ?
賑やかなパブが軒を連ねた表通りならいざ知らず、エドガー氏が目指すのは閑散とした裏通り。
やがてエドガー氏が消えたのは教会の隣の建物……死体安置所でした。貴方は大いに戸惑いました。
娼館に出入りしてるんじゃないのか?
てっきりそうだと思って、伯爵に預かった手切れ金を持ってきたのに。
調子を狂わされたまま石階段を下り、突き当たりの部屋を覗き込み、驚愕に立ち竦みました。
エドガー氏は医者に賄賂を払い、一体一体死体を検め、狂気じみた形相でスケッチしていたのです。
ただスケッチするだけでは飽き足りません。
表返しまた裏返し、あちこち撫でて押して感触を確かめ、瞼を固定して濁った眼球を観察しています。
死体は物言わず微動だにせず、台に仰向けてモデルを務めていました。
吐き気がしました。
モルグには消毒液の刺激臭にまざり、腐敗臭が立ち込めています。エドガー氏はまるで意に介さず、腹から臓物を零した死体に歩み寄り、左右対称にご開帳された肋骨の奥の心臓を描いていました。
戦慄を禁じ得ない、おぞましい光景でした。
死体のスケッチを終えたのち、エドガー氏は医者に挨拶してモルグをでました。貴方は尾行を続けます。次にエドガー氏が向かったのは、煙管を咥えた廃人たちが屯する阿片窟でした。
エドガー氏はこの店の上客らしく、東洋人の主人に揉み手で奥へ通されました。
貴方は不機嫌に舌打ちし、伯爵に預かった手切れ金を払い、エドガー氏を追いかけました。
エドガー氏は……いました。店の最奥、突き当たりの部屋。天蓋付きの豪奢な寝台に横たわり、けだるげに煙管を喫っています。室内には甘く濃密な阿片の匂いがむせ返るように立ち込め、眩暈を誘いました。
貴方は従業員の目をかいくぐり、エドガー氏の部屋へ向かいました。エドガー氏は貴方を見ても顔色を変えず、しどけなくベッドに横たわり、時折思い出したように煙管を口に運んでいます。
「迎えにきてくれたのかい。お世話様だな」
「死体のスケッチのあとは阿片窟で豪遊か。伯爵が知ったら泣くぞ、一体何を考えてる」
エドガー氏が緩慢な動作で上体を起こし、片膝を立てます。
ばらけた前髪の奥から覗く眼差しは濁り、焦点が定まりません。
「レンブラントの出世作、『テュルプ博士の解剖学講義』を知ってるかい」
「解剖実習の現場を描いた悪趣味な絵だろ」
「スランプ脱却を掲げ、偉大なる天才のひそみにならってみようとしたのさ。死体はいいぞ、疲れただの飽きただの文句を言わない。関節を反対側にねじっても苦情を言ってこない」
「回りくどい。要点を述べろ」
「物事の本質を知らなきゃいい絵は描けないって事さ。どうせ明日には土の下に埋められるんだ、その前にデッサン位かまわないだろ、医者には許可をもらってる」
「買収したくせに」
「死者への冒涜だって言いたいのか?」
エドガー氏は唐突に仰け反り、涙がでるまで笑い転げました。以前の彼とは別人に思えます。
「人間なんて皆同じ、貴族だろうと平民だろうとしょせん血と臓物の積もった皮袋にすぎない。僕は人間の骨格や内臓の配置、血管の地図を知るために解剖に立ち会った。夜な夜なモルグに通い詰め、医者にこっそり賄賂をやり、惨たらしい死体を描きまくった。僕は凡人だから、そうまでしなきゃ釣り合わないんだよ」
誰に、とは聞けなかった。
「顔が真っ青だぞ。引いてるのか」
「おかしいぞ、お前」
「ぼけっと突っ立ってないでもっとこっちに来い。ああ、ドアは閉めてくれよ。スタンホープ伯爵の長男が阿片窟に入り浸ってるなんて、とんでもない醜聞だからな」
後ろ手に扉を閉め、注意深く室内を突っ切りました。エドガー氏は阿片に酩酊し、饒舌に話し続けています。
貴方には彼を無事に連れ帰る義務があります、胡乱な阿片窟に放置はできません。
「そうだ、もっと……僕の前に」
本音を言えば、即刻逃げ帰りたかった。エドガー氏の醜態は正視に堪えかねた。
貴方が憎んでいたのは清く正しく美しいエドガー・スタンホープで、目の前にいる阿片中毒の青年じゃない。
「実はスコットランドヤードにツテがあるんだ。君も知ってるだろ、最近世間を騒がしてる残虐非道な殺人鬼、切り裂きジャック。ヤツは娼婦の死体から子宮を持ち去るんだ」
描いたんだ。
見せてやろうか。
エドガー氏は狂ってしまった。貴方の方へ身を乗り出し、両肩を掴んで迫り、ぎらぎら輝く目で―
押し倒された。
服を剥がれた。
エドガー氏は貴方に跨り、四肢を組み敷きました。
逃げようと思えば逃げられた。
そうしなかったのは打算に絡めとられたから。
阿片で理性が蒸発したエドガー氏に逆らっても生傷が増えるだけ。反抗的な態度をとり、屋敷から叩き出されるのは願い下げだ。
軋むベッドの上で歯を食いしばり、ひたすら激痛と不快感に耐えてやり過ごすうち、快感が芽生え始めました。
「ぁッ、ぐ、エドガー、よせ」
「背筋。肩甲骨。くっきり浮かんでる。脊椎の突起までハッキリわかる」
エドガー氏が貴方を裏返し、しなやかな指先で骨や筋肉を辿っていきます。それはまるで貴方の全てを指に記憶させようとしているかのようで、凄まじい執念に圧倒されました。
「ここに心臓がある。握り潰せば一巻の終わりだ」
貴方が猜疑心のかたまりならエドガー氏は独占欲のかたまりでした。どこまでいっても平行線、すれ違い続けるふたり。
何が間違っていたのでしょうね。
本当に心当たりがない?そうですか……。
エドガー氏は底抜けに貪欲に、たゆまず実直に、被写体の全てを細部まで暴いて知り尽くそうとしました。
前立腺を突き上げればどう反応するか。
陰茎をしごき立てればどんな声を出すか。
裏筋をくすぐればどうなるか。
それを知るには一回じゃ足りません。エドガー氏は何度も何度も貴方の体を求め、貪り、もてあそびました。
貴方はエドガー氏の手と指と舌で何度も何度も追い上げられ、絶頂を味わいました。
情熱が技巧に先行する性戯。凌辱。
行為中、エドガー氏は繰り返し貴方の手の甲と平に接吻しました。乾いた絵具がこびり付いた爪を含み、吸い立て、「シアンの毒で死にたい」と呟きました。
「勝手に死ね」と貴方は吐き捨てました。
以来エドガー氏は阿片窟に迎えに来た貴方を部屋に引きずりこみ、毎度の如く強姦を繰り返します。
エドガー氏が病み衰えるほどに、彼の絵は崇高な魅力を放ちました。
人体の描写は解剖学の正確さを極め、肌はその下の筋肉や血管の脈動を透かす生々しい肉感を伴い、表情は苦悩と憂いを帯び、教師陣や級友たちの絶賛を集めました。
エドガー氏の名声の裏で、貴方が犠牲になってることには誰も気付きません。よしんば気付いた人間がいても助けは期待できなかったでしょうね。
片や名門伯爵家の長男、片や貧民窟上がりの孤児。
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