天童遊戯

まさみ

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二十六話

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「詰みや」
余裕はすぐ消し飛ぶ。

『来たれ、我が眷属よ』
権現の咆哮に合わせ、十江山全体が鳴動する。

「ギャアギャアッ!」
「ッ!?」
騒々しい羽音を伴い濁った鳴き声が耳を劈く。木々から羽ばたいた鳥の群れが茶倉に襲いかかり、鋭いくちばしと爪で攻撃を仕掛ける。スーツを所々引き裂かれ素肌に血が滲む。
「邪魔や、どけ!」
視界を覆い隠す鳥の群れに難儀し、あとずさった足元で小枝がへし折れる。樹上から新たな敵が襲来した。
「キーッキキッ」
猿の群れだ。全部で数十匹はいる。真っ赤な顔に爛々と目を光らせ、獰猛に歯を剥いている。一際体格の良いボス猿が枝を撓らせ跳躍し、子分たちがそれに続く。
「おい縣、なんとかせえ!」
縣も呪を飛ばし支援に回るが、戦闘の場数を踏んでない故荷が重い。もとより日水村滞在中の茶倉が無意識に生み出した式、攻撃には特化してない。
凶暴化した山猿の群れが、茶倉の頭といわず肩といわず腕といわず群がって歯を立てる。
「ぐっ、」
権現は山神だ。従って山に棲む獣たちを意のままに操れる。念珠を巻いた左手で引き剥がし、投げ飛ばしたそばから新手が合流しきりがない。
枝をへし折る乾いた音が響き、空から来たる鳥、地を攻める猿に狐と狸と猪が加勢する。
十江山に棲む野生動物たちが、絶体絶命の窮地に陥った権現の招集に馳せ参じ、圧倒的な物量でもって押し寄せる。
「猿はケツかいとれ!」
もはや手段を選んでられないときゅうせん様を呼び出し、触手で猿を締め上げ投擲。
「ぼたん鍋にしたる!」
鼻息荒げ突進してくる猪を触手の一閃で跳ね飛ばす。
体力の限界は意外と早く訪れた。自分が軟弱な都会人である事をすっかり失念していた。
自慢のスーツをずたぼろにし、ギリギリの瀬戸際で獣の群れを食い止めていた茶倉の顔が、倒木を跨いで現れた影の正体を察し引き攣る。
「熊は反則やろ」
全身を漆黒の剛毛に覆われた熊が、周囲を凍えさせる殺気を放ち、低く唸りながら近付いてくる。
咄嗟に跪き、両手を地面にあて霊力を通す。大地に亀裂が奔り、熊の足元へ伸びていく。
しかし肝心の熊は大地に穿たれた断裂を跳び越え、猛スピードで茶倉に迫る。
「チャクラ王子VS野生動物……バズるかな」
権現にやられた腕が酷く疼く。最悪貧血を起こして倒れかねない。もうひと踏ん張りと気合を入れ、肩幅に踏み構える。
「頼む。きゅうせん様」
結局こうなるのか。殺したいほど憎んでいる化け物の力を借りなければ勝てないのか。
ミミズを模した触手を操作して動物たちを薙ぎ払い、権現に至る道を切り開く。
「っ、ぐ、はあ」
力なくたれた腕からぽたぽた赤い雫が滴り、脂汗が噴き出す。

できる限りきゅうせん様には頼りたくなかった。
自分ひとりの力で勝ちたかった。
茶倉練は化け物になど頼らずとも十分強いのだと、勝てるのだと証明したかった。

それこそまさに天童の本懐。

きゅうせん様の召喚はそれ即ち侵蝕が進むことを意味する。
この体がどこまで人でどこまで化け物の肉で出来ているのか、茶倉にはわからない。
出口のない迷路をさまよっているようで、考えることをやめてしまった。

『化け物でなきゃ物足りん体にされてもうたんか。可哀想に』
うるさい。
『ええか、よお聞け。きゅうせん様はお前の肉に根付いとる、下手に引っこ抜けば命を縮める。お前は一生死ぬまで、その体できゅうせん様を飼い続けるしかないんやで』
うるさい。
『まだわからんのかい。お前は茶倉一族の集大成、九泉呪牢なんや』
うるさい。

俺は一度も望んでへん、おどれらが勝手に体をいじくったんやないか。人の体に変なもん植え付けて耕して、その挙句がこのザマや。人でも化けもんでもない半端もんの出来上がり、九泉呪牢の成れの果て。

「やかまし。黙っとれ。まだイケる」
カチャンと音が鳴る。歩いてる途中にスマホを落としたらしいが、無視して先に行く。
背後では満を持して解き放たれた触手が暴れ狂っている。袈裟懸けに斬られた熊が野太い断末魔を上げ、礫の如く投げられた猿が木の幹に激突し、大量の葉を降らす。
『自分だけええ子ぶんな。楽しんどったくせに』
夢で邂逅した法師の言葉が、忌まわしい過去を呼び覚ます。

十五年前、他の稚児の見世物にされた翌日。
一人で廊下を歩いている茶倉を陰陽師の倅が物陰に引っ張り込み、体をまさぐり始めた。相手は年上、体格と腕力では太刀打ちできない。
『いいじゃねえか、毎晩きゅうせん様と楽しんでんだろ。お裾分けくれよ』
『稚児の戯は場外乱闘禁止やろ』
『これは喧嘩じゃねえ、スキンシップだ』
当然の如く身悶え、か細い声で抗議する茶倉を押さえ込み、大いにニヤケて奴は言った。
『笑ってたぜ、お前』
何を言われたかわらなかった。
空白の表情で固まる茶倉に失笑し、昨夜の出来事を蒸し返す。
『なんだ、自分じゃ気付いてなかったのか。きゅうせん様に犯されながらヘラヘラしてたじゃねえか』
嘘や。
でたらめや。
『本当は愉しんでたんだろ、ませガキ』
ちゃうねん。
『化け物に無茶苦茶されて気持ちよかったろ。赤ん坊の腕位あるぶっといもん出し入れされて、蕩けたメス顔で喘ぎまくって、ケツに種付けされて気持ちよかったろ』
やらしい子ちゃうもん、信じたって。
侮辱に泣いて抗うも開発済みの体は反応を示し、幼い陰茎がそそりたっていく。
『ほらな、やっぱり。お前の先祖は化けもんと交わって強い術者を作り上げた、お前も化けもんの子供を産むんだろ?』
射精に至る寸前、異変が起きる。
『うっ、ぐ!?』
尿道口から這い出したミミズの仔が陰陽師の手に絡み付き、その皮膚をほじくって体内に潜り込む。
『ざけんなやめろ、とっとと引っ込めろ!』
極大の嫌悪と憎悪に歪む顔。陰茎をもてあそぶ手から腕へ、腕から肩へ、そして口へと仔ミミズたちが逆流していく。
茶倉は壁にもたれたまま、ミミズ責めに苦しみ悶える陰陽師の倅を放心状態で眺めるのみ。
『ぎゃああああああああああああ!』
絶叫。悶絶。後は見ずに逃げ出す。
当時の茶倉は未熟さ故きゅうせん様を御しきれず、しばしば暴走を許していた。

邪念が思考を濁し雑念が集中を乱す。
おぞましい過去を断ち切り、地面に積もった葉を蹴散らし権現に迫る。片手には弓、片手には念珠。
「決着付けるで」
念珠の一粒一粒が淡い光を放ち、梵字を浮き上がらせる。

『権現さまをいじめないで』

誤算だった。
権現の眷属はまだいた。むしろこちらが本命といえる。
嘗て生贄に捧げられた稚児たちが両手を広げ、権現を庇うように取り囲む。
それぞれの顔に漲る懇願の色、決意の表情に圧倒され、ほんの一瞬歩みが止まる。
直後、稚児たちが襲いかかった。
「ッ!」
きらびやかな衣装を翻して跳躍し、樹上や岩の上から立て続けに襲撃。体に縋り付く手を振りほどき、弓を放って脅す。だが無駄だ、稚児たちは既にこの世のものではない。

『権現さまをいじめるな』
『悪い奴め』
『お山からでていけ』
『二度と来るな』

稚児たちが手に持った風車や笛が凶器に変わり、鋭く風を切って茶倉を打ち据える。
稚児の一人が投げた石が頬の薄皮を切って血が滲み、尖った目に苛立ちが浮かぶ。
足に組み付いた稚児を蹴飛ばす寸前、懐かしい顔が脳裏に浮かぶ。
こんな時、アイツならどうする?子供を蹴飛ばす茶倉を見てなんてほざく?
「クソが!!!!」
化け物には手加減せん。神さんでも同じ。せやけどコイツらは。
助手のお人好しが伝染ったことが歯痒く、ましてや日和った事実を認め難く、腹の底から怒号する。
雑魚を蹴散らすのは造作ない芸当、今の茶倉には児戯に等しい。しかしそれはできない。
「縣ア!」
茶倉に名を呼ばれた縣が結界を張り、土壇場で稚児たちを弾き返す。とはいえ時間稼ぎにすぎず、長くもたないのは目に見えていた。
脚を縛った触手がブチブチちぎれて霧散し、神々しい光を纏った権現がゆっくり身を起こす。
「はあっ、はあっ」
疲労困憊の態で息を荒げる茶倉の眼前、みどりを含む稚児たちを従えた権現が、脳裏に直接響く声で尋ねる。

『山の子になるか』
「は?」
『我の稚児になるかと聞いている』

意味不明な問いに束の間思考が停止し、まじまじと権現を見返す。獣の目は純粋な憐憫を湛えていた。母性と言いかえてもよい。

『お前の過去を視たぞ』

その一言で全てを悟り、戦意を喪失する。

『辛い思いをしたな。少し年は離れておるがこの際構わぬ、兄として我が子たちと遊んでくれ』

稚児の一人が脱力した茶倉の腕を引っ張り、別の一人が反対の腕をとって導く。

『お兄ちゃんも遊ぼ』
『かくれんぼしよ』
『仲良くお山で暮らそうよ』
『権現さまは優しいよ、おらたちを守ってくれるよ』
『もうだれもいじめないよ』

俺は。
僕は。
耳元で囁く声が遠のいてはまた近付き、一歩また一歩と自ら権現の方へ歩んでいく。

もっとはよこうしたらよかった。

『お兄ちゃんも仲間だよ』

十江村に来たのはアイツと離れたかったから。夢の法師の予言が当たり、きゅうせん様が理一を食い殺す未来を恐れたのだ。
少しでも早く少しでも遠くへ。修行なんて言い訳だ、本当はただ逃げたかったのだ。

もしまたきゅうせん様が暴走したら、稚児の戯の二の舞の惨劇が起きる。

『おいで愛し子よ』

亡き母や詩織に通じる慈愛に満ちた声音に招かれ、地面に頽れた茶倉の顔を、権現が優しくなめる。

もうええ。
これでええ。

温かい諦念に浸り、静かに瞠目した矢先に無粋な音が鳴る。
LINEの通知。
反射的に振り向けば、縣が地面に落ちたスマホを指さしていた。待ち受けには内緒で撮った理一の寝顔が表示されている。

『なまはげフィギュアときりたんぽ』
縣が淡々と呟いたのは、理一に頼まれた東北の名物みやげ。

「…………はっ」

乾いた笑い声が漏れる。それが次第に高まって夜空をどよもす爆笑に変わり、スマホが再び暗転した。

「せやった。忘れるとこやった」

理一が帰りを待ってる。

「悪いな権現。東京に大事なヤツ待たせとんねん」
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