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十六話
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見当識を撹乱し、走馬灯が巡るが如く時が飛ぶ。
夏の盛りを迎えた空の下、猛々しい緑が囲む境内が視界に広がり、うるさい位の蝉の鳴き声が鼓膜を炙る。
十五年前、稚児の戯が執り行われた成願寺。
あの年はとても暑かった。
『話だけでも聞いてくれ』
息せき切って縁側から飛び下りたのは当時十三歳の玄。上は学校の夏服の開襟シャツ、下は同スラックスとスニーカー。視線の先には少し年上の少年たちが集まっている。
顔に見覚えがある。玄と練を目の敵にし、何かと絡んできた連中だ。
リーダー格は京都に本家を構える陰陽道の名家出身らしく、取り巻きと徒党を組んで行動している。
『うぜえ、あっちいけ』
『苗床が毎晩うなされるからなんだってんだ、ンなこた知らねーよ。いい気味じゃん』
『ばあちゃんが恋しくて泣いてんだろどうせ』
迷惑そうな少年たちの行く手に回り込み、切羽詰まって捲し立てる。
『お前らが俺と練を嫌ってんのは知ってる。でもさ、腐っても仲間だろ』
『は?本気で言ってんの』
『オツム沸いてんなあ』
陰陽師の少年が大袈裟に顔を顰め、子分どもが癇に障る声で笑い転げる。
めげずに一歩踏み出す。
『稚児の戯に出れたって事はそんだけで実力の証明になるってうちのじいちゃんが言ってた。練は、さ。確かにクソ生意気で可愛げねェけど、アレで俺たち馬鹿にしてるわけじゃねえんだよ。あーゆー言い方しかできねーから誤解されっけど根は優しいイイ奴で』
『で?』
震える拳を握りこみ、念を押す。
『他の奴に言いふらさねえって約束してくれ』
玄は大きく深呼吸し、言った。
『練、夜になると……化け物に色々されてるみてーなんだ』
『色々?』
『色々……その、やらしいこと。暗くてよく見えねーけど声とか気配でわかる。すっげえ苦しそうで……』
『マジかよ!』
赤面し言い淀む玄を、色めきだった少年たちが取り囲む。
『どんなことヤッてたか具体的に教えろ』
『きゅうせん様見たのかよ、どんな姿だった?』
『うわ~~苗床って本当の本当にそーゆー意味かよ、ドン引き』
『でも男だぜ?』
『やめろ!!』
あからさまな詮索に自制心が蒸発し、叫んでから唇を噛む。
『きゅうせん様追っ払うの手伝ってくれ』
リーダーが鼻白む。
『なんで?やだよ』
『俺一人じゃ無理だけどみんなで策練って待ち伏せすりゃ』
『苗床助ける義理ねえし』
『可哀想じゃんか!!』
怒りに任せリーダーの胸ぐら締め上げ、至近距離で唾を飛ばす。
『あんな小せえのにウチの都合でわけわかんねえもんおぶわされて、誰にも助けてもらえずじっとガマンして、そんなのってあんまりじゃねえか。毎晩オモチャにされてろくに寝させてもらえねーんだぞ、アレじゃ潰れちまうのも時間の問題だ。お前らはいいのかよそれで、後輩だろ!』
『ライバル消えりゃ助かるし』
『正々堂々戦ってぶっ倒す自信ねーのか』
『あ?』
『俺は嫌だ。ンなかっこ悪ィ勝ち方願い下げだ』
玄の顔が悲痛に歪む。
『稚児の戯で一番とったからなんだってんだ、今ここでしんどい思いしてるヤツ助けらんなきゃ意味ねーじゃん。術師の技と力は人助けに使うんだろ、その為に小せえ頃から血ヘド吐いて鍛えてきたんじゃねえか。認めんの悔しいけど俺だけじゃ無理なんだ、情けねえ話化けもんの気配だけで金縛りみてえになっちまって……きゅうせん様は茶倉んちが飼ってる怪しげな祟り神?妖怪?だよな確か。俺たちだけでひっぺがせたらお手柄じゃん、ガキを蠱毒に放り込んで高みの見物きめこむくそったれどもの鼻あかしてやろうぜ』
反骨精神旺盛に顎を引き、ここが正念場だと眉宇に気合をこめ、一人一人に凝視を注ぐ。
『いばりくさった親やムカツク師匠見返すチャンスだぞ』
虚栄心と名声欲をくすぐられ、子分たちの顔に迷いが生じる。
『上手くいきゃ練も感謝する、あと十年二十年して当主んなったら贔屓してもらえんだ、恩を売んなら今っきゃ』
『報酬は?』
リーダーが放った言葉に凍り付く。
『ンだよその間抜け面。拝み屋はボランティアじゃねえんだ』
『……貯金だす。全額』
『足りねえよ』
『何年かかっても必ず払うよ』
練の為ならバイク貯金も惜しくない、貯めてたお年玉も全部やる。だからどうかお願いだから―
『土下座しろ』
聞き間違いかと思った。
『早く』
リーダーが玄の手を振りほどき、苛立たしげに地面を蹴って急かす。
『手伝ってほしいんだろ?』
怒りと恥辱に息を荒げ、ギュッと目を瞑り、片膝を付く。反対側の膝も折り、両手を揃えて突っ伏す。
『お願いします。助けてください』
『うわっマジでやりやがった!』
『うける~プライドねえのかよ』
土下座で頼む玄を取り囲み、少年たちが囃し立てる。リーダー格が不意にしゃがみ、耳元で囁く。
『取引しようぜ。次、俺たちの番だろ』
『それがどうした』
『負けろ』
唐突な交換条件に固まる。
表情が失せた玄の顔を覗き込み、強請る。
『仕合で恥かくのがいやなら棄権も可。お気に入り、助けたいんだろ』
茹だった心臓が早鐘を打ち、蝉の声が鼓膜を撓ませ膨らむ。口を開けて閉め、また開けて閉め、それを数度繰り返す。
脳裏を駆け巡るのは自分を兄と慕い付いて回る練の顔、尊敬する祖父や優しく厳しい両親の顔。
成願寺の代表として恥ずかしくない振る舞いをしろと祖父は言った。父と母も応援してくれている。
正々堂々全力を出しきり負けるなら構わない、自分の実力として殊勝に受け止められる。
しかし―……
数百年に亘り法燈を絶やさず継ぎ足し、連綿と続いてきた一族の期待と誇りを背負い、その重圧に辛うじて持ちこたえ、切実な声を絞り出す。
『でき、ねえ』
玄もまた、血に雁字搦めにされている。
いかに可愛がっていようと練との付き合いはせいぜい数日。
天秤の片方に個人の感情、他方になお嵩張る家族の想いが乗れば、利己的な判断は下せまい。
何を悩む?後で裏切ればよい。
それはできない。
思い出すのは燃え上がる肩の痛み。
物心付いた頃から嘘を吐くなと言われて育った。特に祖父は厳しく、嘘や言い訳をするたび孫に坐禅を組ませ、警策で肩を叩いて罰した。
この場に不在の家族の教えを裏切れない。裏切りたくない。
嘘を吐けば祖父と父が怒り、優しい母が哀しむ。
玄を玄たらしめる人格の核部分、祖父譲りの頑固さと父譲りの愚直さが根差した自尊心が踏ん張り、濁流の如く汗を垂れ流す。
強張る手に砂を掴み、灼熱の陽射しが炙った地面に額を擦り付ける。
『俺は成願寺の惣領だ。正々堂々戦うって誓った手前、じいちゃん達の顔に泥は塗れねえ』
『回りくどい』
『わざと負けんのはナシ。手は抜かねえ。それ以外なら何でも』
『交渉決裂だな』
脳天に衝撃が走る。リーダーが頭を踏み付けたのだ。
『成願寺の跡取りは腰抜けの落ちこぼれで、化けもんにびびって逃げだしたんだよなあ?』
『っ……』
前歯が唇を噛み破り鉄錆びた味が広がる。
リーダーが玄の頭を執拗に踏みにじり、にやけ顔で揶揄する。
『夢精した?』
我慢の限界。
憤激に駆られ顔を上げた途端、子分どもに蹴飛ばされた。その後は袋叩きだ。頭といわず腕といわず拳が飛び、鳩尾や肩口、背中に爪先がめりこむ。
相手は三人でこちらは一人。多勢に無勢に加え、全員が高校生では勝ち目がない。
『手ェ貸すわけねえだろばーか。行こうぜ』
リーダーが子分を引き連れ立ち去る。玄は大の字に伸びたまま、青い空を仰いでいた。
数メートル先で立ち止まり、リーダーが振り向く。
『一個だけ教えてやるぜ甘ちゃん。稚児の戯は学校と違って友達さがしするトコじゃねえ、仲良しごっこなんてもってのほか。俺たちはそれぞれの家門しょって、誰が一番か決める為にここに来てんだ。ぬるいことほざいてると死ぬぜ?化けもんに好き勝手されんのはアイツが弱ェから、それが嫌なら強くなりゃいい』
返す言葉がない。
自己嫌悪が惨めさを上回り、体を抱き締め丸まる。縁側を通りかかった練が声を殺し嗚咽する玄を一瞥、怪訝そうに問い質す。
『何しとんねん』
『……土ん中にいる間に頭上の地面舗装されて干からびた蝉のまね』
『迫真』
葉桜の幹に止まった蝉がジジッと鳴き、玄に小便をひっかけ飛び去った。
十五年前の玄は無知で愚かだった。
人の悪意より善意を信じ、皆で力を合わせればどんな絶望にも打ち克てると前向きに考えていた。
故に友を見捨てた汚名を返上すべく、日が昇るのを待って他の稚児に助けを求めた。
稚児たちが示し合わせて部屋に押しかけたのは、きゅうせん様目当ての好奇心もさることながら、完膚なきまでに練と玄の心をへし折る為。
茶倉練と煤祓玄は端倪すべからざる強敵。
直接当たる前に棄権に追い込めたら、これほど都合良い仕儀はない。
海千山千の術者に育てられた子弟はいずれも奸智に長け、裏で丁々発止の駆け引きを繰り広げていた。
その為に。
その為だけにきゅうせん様に凌辱される練の痴態を暴き、布団の中で震えるしかない玄を嘲り、とことん貶めたのだ。
すまねえ練。
全部俺が悪い、俺のせいだ。他の奴なんか頼るんじゃなかった、ばらすんじゃなかった。
俺にもうちょっとだけ勇気があれば。
他の奴なんかあてにせず布団を剥いで飛び出す度胸があれば、いちかばちか助けられたかもしんねえのに。
野次馬への反応が遅れたのは致死量の悪意にあてられたせい。
連中の裏切りがショックで。
いま障子を開けたら化けもんより恐ろしい何かに出くわしちまいそうで、このさき一生誰も信じらんなくなる予感がして、布団から出れなかった。
でも、お前が泣くから。
死ぬほど切ねえ声で泣くから最後の最後に目ェ開けて、顔、見ちまったんだ。
見なきゃよかった。
「ッ、ぐ」
周囲の光景が渦に巻かれるようにかき消え、白い虚空に投げ出される。
「ここ……どこだ?」
時が止まった空間に浮かぶ玄を、たおやかな婦人が待ち受けていた。見慣れた顔に息を飲む。
「お袋」
数年前に他界した詩織が、当時と変わらぬ姿でそこにいた。着ている物さえ同じだ。
「大きくなってもやんちゃなままね」
「俺、死んだの?」
ぽかんとした玄の問いを笑って受け流し、真剣な顔になる。
「 を止めてちょうだい」
「よく聞こえねえ」
「早くしないと大変なことになる」
大きくなった息子の顔に手をさしのべ、慈しみ深く頬を包む。睫毛に沈んだ黒い瞳が潤み、玄の顔を冴え冴え映す。
「練くんと仲直りしてね」
夏の盛りを迎えた空の下、猛々しい緑が囲む境内が視界に広がり、うるさい位の蝉の鳴き声が鼓膜を炙る。
十五年前、稚児の戯が執り行われた成願寺。
あの年はとても暑かった。
『話だけでも聞いてくれ』
息せき切って縁側から飛び下りたのは当時十三歳の玄。上は学校の夏服の開襟シャツ、下は同スラックスとスニーカー。視線の先には少し年上の少年たちが集まっている。
顔に見覚えがある。玄と練を目の敵にし、何かと絡んできた連中だ。
リーダー格は京都に本家を構える陰陽道の名家出身らしく、取り巻きと徒党を組んで行動している。
『うぜえ、あっちいけ』
『苗床が毎晩うなされるからなんだってんだ、ンなこた知らねーよ。いい気味じゃん』
『ばあちゃんが恋しくて泣いてんだろどうせ』
迷惑そうな少年たちの行く手に回り込み、切羽詰まって捲し立てる。
『お前らが俺と練を嫌ってんのは知ってる。でもさ、腐っても仲間だろ』
『は?本気で言ってんの』
『オツム沸いてんなあ』
陰陽師の少年が大袈裟に顔を顰め、子分どもが癇に障る声で笑い転げる。
めげずに一歩踏み出す。
『稚児の戯に出れたって事はそんだけで実力の証明になるってうちのじいちゃんが言ってた。練は、さ。確かにクソ生意気で可愛げねェけど、アレで俺たち馬鹿にしてるわけじゃねえんだよ。あーゆー言い方しかできねーから誤解されっけど根は優しいイイ奴で』
『で?』
震える拳を握りこみ、念を押す。
『他の奴に言いふらさねえって約束してくれ』
玄は大きく深呼吸し、言った。
『練、夜になると……化け物に色々されてるみてーなんだ』
『色々?』
『色々……その、やらしいこと。暗くてよく見えねーけど声とか気配でわかる。すっげえ苦しそうで……』
『マジかよ!』
赤面し言い淀む玄を、色めきだった少年たちが取り囲む。
『どんなことヤッてたか具体的に教えろ』
『きゅうせん様見たのかよ、どんな姿だった?』
『うわ~~苗床って本当の本当にそーゆー意味かよ、ドン引き』
『でも男だぜ?』
『やめろ!!』
あからさまな詮索に自制心が蒸発し、叫んでから唇を噛む。
『きゅうせん様追っ払うの手伝ってくれ』
リーダーが鼻白む。
『なんで?やだよ』
『俺一人じゃ無理だけどみんなで策練って待ち伏せすりゃ』
『苗床助ける義理ねえし』
『可哀想じゃんか!!』
怒りに任せリーダーの胸ぐら締め上げ、至近距離で唾を飛ばす。
『あんな小せえのにウチの都合でわけわかんねえもんおぶわされて、誰にも助けてもらえずじっとガマンして、そんなのってあんまりじゃねえか。毎晩オモチャにされてろくに寝させてもらえねーんだぞ、アレじゃ潰れちまうのも時間の問題だ。お前らはいいのかよそれで、後輩だろ!』
『ライバル消えりゃ助かるし』
『正々堂々戦ってぶっ倒す自信ねーのか』
『あ?』
『俺は嫌だ。ンなかっこ悪ィ勝ち方願い下げだ』
玄の顔が悲痛に歪む。
『稚児の戯で一番とったからなんだってんだ、今ここでしんどい思いしてるヤツ助けらんなきゃ意味ねーじゃん。術師の技と力は人助けに使うんだろ、その為に小せえ頃から血ヘド吐いて鍛えてきたんじゃねえか。認めんの悔しいけど俺だけじゃ無理なんだ、情けねえ話化けもんの気配だけで金縛りみてえになっちまって……きゅうせん様は茶倉んちが飼ってる怪しげな祟り神?妖怪?だよな確か。俺たちだけでひっぺがせたらお手柄じゃん、ガキを蠱毒に放り込んで高みの見物きめこむくそったれどもの鼻あかしてやろうぜ』
反骨精神旺盛に顎を引き、ここが正念場だと眉宇に気合をこめ、一人一人に凝視を注ぐ。
『いばりくさった親やムカツク師匠見返すチャンスだぞ』
虚栄心と名声欲をくすぐられ、子分たちの顔に迷いが生じる。
『上手くいきゃ練も感謝する、あと十年二十年して当主んなったら贔屓してもらえんだ、恩を売んなら今っきゃ』
『報酬は?』
リーダーが放った言葉に凍り付く。
『ンだよその間抜け面。拝み屋はボランティアじゃねえんだ』
『……貯金だす。全額』
『足りねえよ』
『何年かかっても必ず払うよ』
練の為ならバイク貯金も惜しくない、貯めてたお年玉も全部やる。だからどうかお願いだから―
『土下座しろ』
聞き間違いかと思った。
『早く』
リーダーが玄の手を振りほどき、苛立たしげに地面を蹴って急かす。
『手伝ってほしいんだろ?』
怒りと恥辱に息を荒げ、ギュッと目を瞑り、片膝を付く。反対側の膝も折り、両手を揃えて突っ伏す。
『お願いします。助けてください』
『うわっマジでやりやがった!』
『うける~プライドねえのかよ』
土下座で頼む玄を取り囲み、少年たちが囃し立てる。リーダー格が不意にしゃがみ、耳元で囁く。
『取引しようぜ。次、俺たちの番だろ』
『それがどうした』
『負けろ』
唐突な交換条件に固まる。
表情が失せた玄の顔を覗き込み、強請る。
『仕合で恥かくのがいやなら棄権も可。お気に入り、助けたいんだろ』
茹だった心臓が早鐘を打ち、蝉の声が鼓膜を撓ませ膨らむ。口を開けて閉め、また開けて閉め、それを数度繰り返す。
脳裏を駆け巡るのは自分を兄と慕い付いて回る練の顔、尊敬する祖父や優しく厳しい両親の顔。
成願寺の代表として恥ずかしくない振る舞いをしろと祖父は言った。父と母も応援してくれている。
正々堂々全力を出しきり負けるなら構わない、自分の実力として殊勝に受け止められる。
しかし―……
数百年に亘り法燈を絶やさず継ぎ足し、連綿と続いてきた一族の期待と誇りを背負い、その重圧に辛うじて持ちこたえ、切実な声を絞り出す。
『でき、ねえ』
玄もまた、血に雁字搦めにされている。
いかに可愛がっていようと練との付き合いはせいぜい数日。
天秤の片方に個人の感情、他方になお嵩張る家族の想いが乗れば、利己的な判断は下せまい。
何を悩む?後で裏切ればよい。
それはできない。
思い出すのは燃え上がる肩の痛み。
物心付いた頃から嘘を吐くなと言われて育った。特に祖父は厳しく、嘘や言い訳をするたび孫に坐禅を組ませ、警策で肩を叩いて罰した。
この場に不在の家族の教えを裏切れない。裏切りたくない。
嘘を吐けば祖父と父が怒り、優しい母が哀しむ。
玄を玄たらしめる人格の核部分、祖父譲りの頑固さと父譲りの愚直さが根差した自尊心が踏ん張り、濁流の如く汗を垂れ流す。
強張る手に砂を掴み、灼熱の陽射しが炙った地面に額を擦り付ける。
『俺は成願寺の惣領だ。正々堂々戦うって誓った手前、じいちゃん達の顔に泥は塗れねえ』
『回りくどい』
『わざと負けんのはナシ。手は抜かねえ。それ以外なら何でも』
『交渉決裂だな』
脳天に衝撃が走る。リーダーが頭を踏み付けたのだ。
『成願寺の跡取りは腰抜けの落ちこぼれで、化けもんにびびって逃げだしたんだよなあ?』
『っ……』
前歯が唇を噛み破り鉄錆びた味が広がる。
リーダーが玄の頭を執拗に踏みにじり、にやけ顔で揶揄する。
『夢精した?』
我慢の限界。
憤激に駆られ顔を上げた途端、子分どもに蹴飛ばされた。その後は袋叩きだ。頭といわず腕といわず拳が飛び、鳩尾や肩口、背中に爪先がめりこむ。
相手は三人でこちらは一人。多勢に無勢に加え、全員が高校生では勝ち目がない。
『手ェ貸すわけねえだろばーか。行こうぜ』
リーダーが子分を引き連れ立ち去る。玄は大の字に伸びたまま、青い空を仰いでいた。
数メートル先で立ち止まり、リーダーが振り向く。
『一個だけ教えてやるぜ甘ちゃん。稚児の戯は学校と違って友達さがしするトコじゃねえ、仲良しごっこなんてもってのほか。俺たちはそれぞれの家門しょって、誰が一番か決める為にここに来てんだ。ぬるいことほざいてると死ぬぜ?化けもんに好き勝手されんのはアイツが弱ェから、それが嫌なら強くなりゃいい』
返す言葉がない。
自己嫌悪が惨めさを上回り、体を抱き締め丸まる。縁側を通りかかった練が声を殺し嗚咽する玄を一瞥、怪訝そうに問い質す。
『何しとんねん』
『……土ん中にいる間に頭上の地面舗装されて干からびた蝉のまね』
『迫真』
葉桜の幹に止まった蝉がジジッと鳴き、玄に小便をひっかけ飛び去った。
十五年前の玄は無知で愚かだった。
人の悪意より善意を信じ、皆で力を合わせればどんな絶望にも打ち克てると前向きに考えていた。
故に友を見捨てた汚名を返上すべく、日が昇るのを待って他の稚児に助けを求めた。
稚児たちが示し合わせて部屋に押しかけたのは、きゅうせん様目当ての好奇心もさることながら、完膚なきまでに練と玄の心をへし折る為。
茶倉練と煤祓玄は端倪すべからざる強敵。
直接当たる前に棄権に追い込めたら、これほど都合良い仕儀はない。
海千山千の術者に育てられた子弟はいずれも奸智に長け、裏で丁々発止の駆け引きを繰り広げていた。
その為に。
その為だけにきゅうせん様に凌辱される練の痴態を暴き、布団の中で震えるしかない玄を嘲り、とことん貶めたのだ。
すまねえ練。
全部俺が悪い、俺のせいだ。他の奴なんか頼るんじゃなかった、ばらすんじゃなかった。
俺にもうちょっとだけ勇気があれば。
他の奴なんかあてにせず布団を剥いで飛び出す度胸があれば、いちかばちか助けられたかもしんねえのに。
野次馬への反応が遅れたのは致死量の悪意にあてられたせい。
連中の裏切りがショックで。
いま障子を開けたら化けもんより恐ろしい何かに出くわしちまいそうで、このさき一生誰も信じらんなくなる予感がして、布団から出れなかった。
でも、お前が泣くから。
死ぬほど切ねえ声で泣くから最後の最後に目ェ開けて、顔、見ちまったんだ。
見なきゃよかった。
「ッ、ぐ」
周囲の光景が渦に巻かれるようにかき消え、白い虚空に投げ出される。
「ここ……どこだ?」
時が止まった空間に浮かぶ玄を、たおやかな婦人が待ち受けていた。見慣れた顔に息を飲む。
「お袋」
数年前に他界した詩織が、当時と変わらぬ姿でそこにいた。着ている物さえ同じだ。
「大きくなってもやんちゃなままね」
「俺、死んだの?」
ぽかんとした玄の問いを笑って受け流し、真剣な顔になる。
「 を止めてちょうだい」
「よく聞こえねえ」
「早くしないと大変なことになる」
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言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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