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十七口目
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ロケ開始まで十分を切り、プロデューサーとの立ち話を切り上げた操は茶倉を捜していた。
「全く、世話焼かせないでよね」
暑い。髪の生え際から汗がたれる。化粧崩れを心配し、スーツのポケットからコンパクトを取り出す。
「やだ」
目の下にうっすら隈が浮いていた。手早くメイク直しを済ます。これでよし。再び鏡と向き合い、顔色の悪さをごまかせたことに安堵する。
口紅、もっと明るい色にしてくればよかった。いかにもお喋りが好きそうなサナギのあひる口を思い出す。三十を過ぎてからビタミンカラーの口紅は使わなくなった。
本日のコンディションはいまいち。仕事が立て込んでいたせい?それもある、けどそれだけじゃない。
コンパクトの鏡面を虚ろに見詰め、益体もない思考をもてあそぶ。
行きのバスの中で仮眠をとったが、殆ど疲れが抜けていない。夢見も悪かった。理一が気を利かせて起こしてくれなければ、みっともない悲鳴を上げて飛び起きてたかもしれない。
操の顔色を読み取ったのか、好奇心旺盛な理一が詮索を控えてくれたのは幸いだった。腐れ縁の茶倉はデリカシーがないだの鈍感だの辛辣に腐しているものの、理一は他人を気遣える人間だ。
もしも夢の内容を聞かれたら……。
「!っ、」
コンパクトの端、操の肩越しに何かが映り込む。人の形をした小さい影がフェンスから顔だけ出し、こちらを凝視している。振り返りざま背後に迫り出す南棟四階に視線を飛ばす。誰もいない。見間違い?震える手でコンパクトを畳みポケットに戻す。
慎重な足取りで南棟の下へ行き、無言で立ち止まる。操が影を見た階の下だけ地面の色が違っていた。濃い液体が染み込んで乾いた色……黒ずんだシミに沿い、折れ曲がった手足の幻まで浮かび上がる。
碇まどかは頭から真っ逆さまに落ちた。アスファルトなら即死は免れまい。
「ここで……」
胸が痛む。その場に膝を揃えて屈み、瞠目して手を合わせる。
『 ちゃん』
あどけない声が黙祷のひとときを破り、薄目で辺りを見回す。シミの傍らにボンタンアメが落ちていた。
さっきまでなかった、絶対。
向こうでサザンアイスが口論している。否、喜屋武が一方的に食ってかかってると言うべきか。手には泥まみれのスマホが握られている。
「本当だって、さっき筒井さんに掛けたら気持ち悪いメール来たんだよ」
「熱中症で幻覚見たんじゃねえの」
「違えって!!」
「そのメールはどこよ、物的証拠なきゃ信じらんねえって」
「地面に落ちたショックで消えちまったんだよ!」
「全部?苦しいな」
力石の隣の成瀬が丸めた台本で肩を叩く。
「今さら日を改めて仕切り直しってわけにもね~。下請けの編プロに皺寄せ行くし」
「今からでも中止にできませんか。絶対やばいっすよここ、中入ったらどうなるか」
「呪われるとか正気か」
「お前はアレ見てねえから余裕かましてられんだよ、ミミズみてーにうじゃ付いてめちゃくちゃ気持ち悪かったんだぞ。残ってんだろ鳥肌」
相方に腕を突き付ける喜屋武の顔は真っ青だった。
「アイツがぶん投げてなきゃ今頃……」
迫真の声色で語る喜屋武をよそに、力石と成瀬は面白がっている。
「けねけね、おっこねぇ悪霊襲ってきても茶倉センセがパパッと祓ってくれるって」
「しっかし喜屋武ちゃんの話がマジなら少しは空気読んでくれないもんかね、カメラ回ってないとこで脅かしたって意味ないじゃん。しかもメール文字化けさせるとか画像大量送信で容量圧迫するとか映えと無縁の地味~な嫌がらせさア、きょうびフラッシュモブのがマシな仕事するよ」
「電子機器に干渉キメる発想からしてありきたりなコケおどしっすよね、着信アリや貞子は平成レトロの産物なのに。むしろ遺物?」
「電波系は生きてる人間だけで沢山だってば」
操が預かり知らぬところでトラブルが起きたらしい。相方とプロデューサーに茶化され、怒りを押し殺す喜屋武に近付いていく。
「すいません、何かあったんですか」
「あんた茶倉センセのマネージャーの」
「倉橋操です」
「ドタキャンしたスタッフにメールしたら返信全部文字化けしてて……み、みんなしぬ団地とか気味悪ィこといっぱい書いてあって」
喜屋武の瞼がピクピク痙攣する。暗転した液晶に映る顔は強張っていた。
「嘘じゃねえ確かに見た、履歴ごと吹っ飛んだにしたって一枚も残ってねえのはおかしいだろ!?」
血走った目でスクロールしていた喜屋武が凄まじい勢いで振り返る。
「そうだアイツ、茶倉センセの連れ呼んで来い!」
「往生際悪いぜ。腹くくれ」
肩口に顎をのっけて囃す力石を振り払い、喜屋武ががむしゃらに走り出す。操も後を追っかける。足音に顔を上げればサナギが併走していた。
「さがすんでしょ、手伝うよ」
閃いた。
「ロケバスじゃないかしら」
「冴えてるねみさっち」
この子のあだ名のセンスどうにかなんないかしら。三人で方向転換しロケバスを目指す。喜屋武を先頭にステップを駆け上がり、中央のスライド式ドアから雪崩れ込む。
「さっき見たことプロデューサーに話」
喜屋武の声が途切れて宙に浮く。正面を塞いだ背中に衝突しかけ急ブレーキ、後続のサナギが目を白黒させる。
「えっやばっ、そーゆー関係?」
喜屋武の脇から顔を出すや赤裸々な光景に固まる。スーツを着崩した茶倉と理一が抱き合っていた。
信じらんない。心配して損した。
茶倉は艶めかしく赤らんだ顔でぐったりし、肩を支える理一は口パクで慌て、事後としか思えない情景だ。行為の余韻に酔った姿態の色香に当てられ、喜屋武とサナギが唾を飲む。
「これはその誤解っていうか行き違いで、売り言葉に買い言葉でコイツが煽り散らかすもんだから引っ込み付かなくなって、俺的にゃ最後までしてねえからセーフかなって思わねーでも」
「最低。不潔」
「ですよねー……」
「すまちーとちゃっきーがデキてたなんてショーゲキ。バズりそー」
「撮らないで!」
スマホのシャッターを切るサナギを叱り、恥ずかしさと申し訳なさで萎縮しきった理一と他人行儀に取り繕った茶倉に詰め寄る。
ちんまり正座に直った理一の横、茶倉は背広を羽織って押し黙っていた。互いにそっぽを向いてるのが実にわかりやすい。「あっ」と叫んで腰を浮かす理一を制し、床の数珠を手に取れば何故か濡れていた。
「二人とも大人でしょ。痴話喧嘩は時と場所考えてしなさい」
「操さん動じてないっすね」
「ロケバスの中でイチャイチャする見境なさにはドン引きだけど。炎上するわよ」
「俺たちの関係知ってたんすか」
「薄々。仲良すぎだもん」
同棲し始める前からそうじゃないかと疑っていた、二人に自覚があるかは知らないが十年来の腐れ縁で処すには熟年夫婦のような意思疎通のスムーズさが怪しすぎる。
「バレてたんだ」
「隠し方が杜撰なのよ。大体ねえ、人一倍インテリアにこだわる度し難い見栄っ張りがただの友達のお土産で棚埋め尽くすわけないでしょ?他は無難にセンスよくまとめてあるのにドア開けたら真っ先に目に付く場所で異彩放ちまくりよ、ご当地オールスターセレクション」
棚の上に仲良く並んださるぼぼ赤べこビリケンその他大勢を思い出して言えば、面目なさそうに俯いた理一がますます縮む。喜屋武はあっけにとられていた。微妙な距離を空けた理一と茶倉を交互に指し、「え?え?」とキョドっている。サナギは興味津々成り行きを窺っていた。
全員の視線を受け止めた茶倉は、巧妙に意図を伏せて髪を梳き、スーツの皺を几帳面に伸ばしていく。
「迎えに来てくれはっておおきに」
「待てよ!」
呼び止める理一を無視して立ち上がり、操たちの横を通ってドアへ赴く。
「話は終わってないわよ」
「時間ない。支度せな」
食い下がる操を避けて行こうとする。当てが外れた喜屋武が狼狽する。
「止めてくれんじゃないのか」
「騒ぐな木っ端芸人」
「そうだ忘れてたそれ伝えにきたんだ!ここやべーぞ茶倉、立ち入り厳禁回れ右推奨、現に喜屋武さんのスマホに変なメールが」
百面相で取り乱す喜屋武と理一を一顧だにせず、断固たる足取りでステップを下りていく。操は勇気を出す。
「私も見た。コンパクトに変な影が映り込んで、そのあと南棟に行ったらボンタンアメが落ちてた」
理一がぎょっとする。茶倉が冷静に問い返す。
「影ってどんな」
「背丈からして子供……小学生……女の子の声も聞いた。ねえ茶倉くん、本当に大丈夫なの」
「何が」
唇を湿らす。
「この団地に霊が取り憑いてるなら変に刺激しない方がいいんじゃないかってこと」
菱沼団地にはボンタンアメが降る。
誰かが団地でかくれんぼしながら、子供たちの死んだ場所にお供え物をして回っている。
「撮影取り止めろて?」
「一緒に説得する」
「嘘でしょ!?」
即座にスマホを引っ込めたサナギが抗議の声を上げ、喜屋武が盛大に呆れる。
「アシの束ね役の筒井さんと連絡とれねえんだぞ、撮影クルー全滅とか冗談じゃねえ」
「呪われたって根拠は?見たのきーやんとすまちーだけでしょ、文字化けなんてよくあることでビビりまくって超ださ」
「画像は」
「加工に決まってる、本気にしちゃってばっかみたい」
「なんで筒井さんがンなイミフな真似すんだ、筋通んねえだろ」
「恨まれるようなことしたんじゃないの、飲み会で絡んだとかふざけてお尻揉んだとか」
「ずーーっと付き纏ってた嫌な視線は?お前だって気付いてんだろ、この団地が何かおかしいって」
「わかってないのはきーやんの方でしょ、落ち目の芸人とアイドルがゴールデンに戻れる最後のチャンスふいにする気!?」
サナギと喜屋武が喧嘩を始める。意を決して前に出れば、ズボンの裾で数珠を拭い、手首に嵌め直した理一が口を開く。
「俺も詫び入れっから」
「必要ない」
「きゃっ!?」
ロケバスを急な縦揺れが襲い、茶倉を除いた全員が一斉に座席を掴んでしゃがむ。床が傾ぐ。窓が撓む。空気が振動する。固唾を呑む操の視線の先、茶倉が冷え切った声と眼差しで告げる。
「何がおっても関係ない。俺一人で十分や」
「全く、世話焼かせないでよね」
暑い。髪の生え際から汗がたれる。化粧崩れを心配し、スーツのポケットからコンパクトを取り出す。
「やだ」
目の下にうっすら隈が浮いていた。手早くメイク直しを済ます。これでよし。再び鏡と向き合い、顔色の悪さをごまかせたことに安堵する。
口紅、もっと明るい色にしてくればよかった。いかにもお喋りが好きそうなサナギのあひる口を思い出す。三十を過ぎてからビタミンカラーの口紅は使わなくなった。
本日のコンディションはいまいち。仕事が立て込んでいたせい?それもある、けどそれだけじゃない。
コンパクトの鏡面を虚ろに見詰め、益体もない思考をもてあそぶ。
行きのバスの中で仮眠をとったが、殆ど疲れが抜けていない。夢見も悪かった。理一が気を利かせて起こしてくれなければ、みっともない悲鳴を上げて飛び起きてたかもしれない。
操の顔色を読み取ったのか、好奇心旺盛な理一が詮索を控えてくれたのは幸いだった。腐れ縁の茶倉はデリカシーがないだの鈍感だの辛辣に腐しているものの、理一は他人を気遣える人間だ。
もしも夢の内容を聞かれたら……。
「!っ、」
コンパクトの端、操の肩越しに何かが映り込む。人の形をした小さい影がフェンスから顔だけ出し、こちらを凝視している。振り返りざま背後に迫り出す南棟四階に視線を飛ばす。誰もいない。見間違い?震える手でコンパクトを畳みポケットに戻す。
慎重な足取りで南棟の下へ行き、無言で立ち止まる。操が影を見た階の下だけ地面の色が違っていた。濃い液体が染み込んで乾いた色……黒ずんだシミに沿い、折れ曲がった手足の幻まで浮かび上がる。
碇まどかは頭から真っ逆さまに落ちた。アスファルトなら即死は免れまい。
「ここで……」
胸が痛む。その場に膝を揃えて屈み、瞠目して手を合わせる。
『 ちゃん』
あどけない声が黙祷のひとときを破り、薄目で辺りを見回す。シミの傍らにボンタンアメが落ちていた。
さっきまでなかった、絶対。
向こうでサザンアイスが口論している。否、喜屋武が一方的に食ってかかってると言うべきか。手には泥まみれのスマホが握られている。
「本当だって、さっき筒井さんに掛けたら気持ち悪いメール来たんだよ」
「熱中症で幻覚見たんじゃねえの」
「違えって!!」
「そのメールはどこよ、物的証拠なきゃ信じらんねえって」
「地面に落ちたショックで消えちまったんだよ!」
「全部?苦しいな」
力石の隣の成瀬が丸めた台本で肩を叩く。
「今さら日を改めて仕切り直しってわけにもね~。下請けの編プロに皺寄せ行くし」
「今からでも中止にできませんか。絶対やばいっすよここ、中入ったらどうなるか」
「呪われるとか正気か」
「お前はアレ見てねえから余裕かましてられんだよ、ミミズみてーにうじゃ付いてめちゃくちゃ気持ち悪かったんだぞ。残ってんだろ鳥肌」
相方に腕を突き付ける喜屋武の顔は真っ青だった。
「アイツがぶん投げてなきゃ今頃……」
迫真の声色で語る喜屋武をよそに、力石と成瀬は面白がっている。
「けねけね、おっこねぇ悪霊襲ってきても茶倉センセがパパッと祓ってくれるって」
「しっかし喜屋武ちゃんの話がマジなら少しは空気読んでくれないもんかね、カメラ回ってないとこで脅かしたって意味ないじゃん。しかもメール文字化けさせるとか画像大量送信で容量圧迫するとか映えと無縁の地味~な嫌がらせさア、きょうびフラッシュモブのがマシな仕事するよ」
「電子機器に干渉キメる発想からしてありきたりなコケおどしっすよね、着信アリや貞子は平成レトロの産物なのに。むしろ遺物?」
「電波系は生きてる人間だけで沢山だってば」
操が預かり知らぬところでトラブルが起きたらしい。相方とプロデューサーに茶化され、怒りを押し殺す喜屋武に近付いていく。
「すいません、何かあったんですか」
「あんた茶倉センセのマネージャーの」
「倉橋操です」
「ドタキャンしたスタッフにメールしたら返信全部文字化けしてて……み、みんなしぬ団地とか気味悪ィこといっぱい書いてあって」
喜屋武の瞼がピクピク痙攣する。暗転した液晶に映る顔は強張っていた。
「嘘じゃねえ確かに見た、履歴ごと吹っ飛んだにしたって一枚も残ってねえのはおかしいだろ!?」
血走った目でスクロールしていた喜屋武が凄まじい勢いで振り返る。
「そうだアイツ、茶倉センセの連れ呼んで来い!」
「往生際悪いぜ。腹くくれ」
肩口に顎をのっけて囃す力石を振り払い、喜屋武ががむしゃらに走り出す。操も後を追っかける。足音に顔を上げればサナギが併走していた。
「さがすんでしょ、手伝うよ」
閃いた。
「ロケバスじゃないかしら」
「冴えてるねみさっち」
この子のあだ名のセンスどうにかなんないかしら。三人で方向転換しロケバスを目指す。喜屋武を先頭にステップを駆け上がり、中央のスライド式ドアから雪崩れ込む。
「さっき見たことプロデューサーに話」
喜屋武の声が途切れて宙に浮く。正面を塞いだ背中に衝突しかけ急ブレーキ、後続のサナギが目を白黒させる。
「えっやばっ、そーゆー関係?」
喜屋武の脇から顔を出すや赤裸々な光景に固まる。スーツを着崩した茶倉と理一が抱き合っていた。
信じらんない。心配して損した。
茶倉は艶めかしく赤らんだ顔でぐったりし、肩を支える理一は口パクで慌て、事後としか思えない情景だ。行為の余韻に酔った姿態の色香に当てられ、喜屋武とサナギが唾を飲む。
「これはその誤解っていうか行き違いで、売り言葉に買い言葉でコイツが煽り散らかすもんだから引っ込み付かなくなって、俺的にゃ最後までしてねえからセーフかなって思わねーでも」
「最低。不潔」
「ですよねー……」
「すまちーとちゃっきーがデキてたなんてショーゲキ。バズりそー」
「撮らないで!」
スマホのシャッターを切るサナギを叱り、恥ずかしさと申し訳なさで萎縮しきった理一と他人行儀に取り繕った茶倉に詰め寄る。
ちんまり正座に直った理一の横、茶倉は背広を羽織って押し黙っていた。互いにそっぽを向いてるのが実にわかりやすい。「あっ」と叫んで腰を浮かす理一を制し、床の数珠を手に取れば何故か濡れていた。
「二人とも大人でしょ。痴話喧嘩は時と場所考えてしなさい」
「操さん動じてないっすね」
「ロケバスの中でイチャイチャする見境なさにはドン引きだけど。炎上するわよ」
「俺たちの関係知ってたんすか」
「薄々。仲良すぎだもん」
同棲し始める前からそうじゃないかと疑っていた、二人に自覚があるかは知らないが十年来の腐れ縁で処すには熟年夫婦のような意思疎通のスムーズさが怪しすぎる。
「バレてたんだ」
「隠し方が杜撰なのよ。大体ねえ、人一倍インテリアにこだわる度し難い見栄っ張りがただの友達のお土産で棚埋め尽くすわけないでしょ?他は無難にセンスよくまとめてあるのにドア開けたら真っ先に目に付く場所で異彩放ちまくりよ、ご当地オールスターセレクション」
棚の上に仲良く並んださるぼぼ赤べこビリケンその他大勢を思い出して言えば、面目なさそうに俯いた理一がますます縮む。喜屋武はあっけにとられていた。微妙な距離を空けた理一と茶倉を交互に指し、「え?え?」とキョドっている。サナギは興味津々成り行きを窺っていた。
全員の視線を受け止めた茶倉は、巧妙に意図を伏せて髪を梳き、スーツの皺を几帳面に伸ばしていく。
「迎えに来てくれはっておおきに」
「待てよ!」
呼び止める理一を無視して立ち上がり、操たちの横を通ってドアへ赴く。
「話は終わってないわよ」
「時間ない。支度せな」
食い下がる操を避けて行こうとする。当てが外れた喜屋武が狼狽する。
「止めてくれんじゃないのか」
「騒ぐな木っ端芸人」
「そうだ忘れてたそれ伝えにきたんだ!ここやべーぞ茶倉、立ち入り厳禁回れ右推奨、現に喜屋武さんのスマホに変なメールが」
百面相で取り乱す喜屋武と理一を一顧だにせず、断固たる足取りでステップを下りていく。操は勇気を出す。
「私も見た。コンパクトに変な影が映り込んで、そのあと南棟に行ったらボンタンアメが落ちてた」
理一がぎょっとする。茶倉が冷静に問い返す。
「影ってどんな」
「背丈からして子供……小学生……女の子の声も聞いた。ねえ茶倉くん、本当に大丈夫なの」
「何が」
唇を湿らす。
「この団地に霊が取り憑いてるなら変に刺激しない方がいいんじゃないかってこと」
菱沼団地にはボンタンアメが降る。
誰かが団地でかくれんぼしながら、子供たちの死んだ場所にお供え物をして回っている。
「撮影取り止めろて?」
「一緒に説得する」
「嘘でしょ!?」
即座にスマホを引っ込めたサナギが抗議の声を上げ、喜屋武が盛大に呆れる。
「アシの束ね役の筒井さんと連絡とれねえんだぞ、撮影クルー全滅とか冗談じゃねえ」
「呪われたって根拠は?見たのきーやんとすまちーだけでしょ、文字化けなんてよくあることでビビりまくって超ださ」
「画像は」
「加工に決まってる、本気にしちゃってばっかみたい」
「なんで筒井さんがンなイミフな真似すんだ、筋通んねえだろ」
「恨まれるようなことしたんじゃないの、飲み会で絡んだとかふざけてお尻揉んだとか」
「ずーーっと付き纏ってた嫌な視線は?お前だって気付いてんだろ、この団地が何かおかしいって」
「わかってないのはきーやんの方でしょ、落ち目の芸人とアイドルがゴールデンに戻れる最後のチャンスふいにする気!?」
サナギと喜屋武が喧嘩を始める。意を決して前に出れば、ズボンの裾で数珠を拭い、手首に嵌め直した理一が口を開く。
「俺も詫び入れっから」
「必要ない」
「きゃっ!?」
ロケバスを急な縦揺れが襲い、茶倉を除いた全員が一斉に座席を掴んでしゃがむ。床が傾ぐ。窓が撓む。空気が振動する。固唾を呑む操の視線の先、茶倉が冷え切った声と眼差しで告げる。
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