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十四口目
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「喜屋武さーん、どこっすかー」
理一が間延びした声で喜屋武を呼び、老朽化したコンクリ棟が囲む中庭を駆け回る。
飲み物を届けに行く相棒を見送り、磨き抜かれた革靴でステップを踏み締め、何食わぬ顔でバスに引き返す。操はプロデューサーと雑談している。成瀬は操が経営する高級スパの会員らしく、個人的にも付き合いがあるそうだ。とはいえ元カレの線は薄い、アレで彼女は面食いなのだ。その事は顔で選ばれた茶倉がよく知っている。
出演者及びスタッフ一同が出払い、エアコンを切った車内は不快に蒸していた。た。風が通るぶん外の方が幾らかマシだ。温度と湿度が上がった息苦しさに耐え、最前列のシートに腰掛け、電話帳の登録アドレス一覧を流し見る。お目当ての人物は……いた。登録名『早漏』を軽やかにタップし待機すること五秒、訝しげな声が響いた。
『練?』
開口一番名前を呼ばれ、スマホを持ったまま鼻白む。
「気安く呼ぶな」
『どうした急に』
電話の相手は昔馴染みの山寺の倅、煤祓玄。声を聞くのは久しぶりだ。前戯のような腹の探り合いを厭い、単刀直入に切り込む。
「最近変わったことあらへん?」
『ンだよいきなり』
「みどりは達者か?山寺の周りに変質者いてへんか」
『小学校のドリル全部マスターして今は中学の参考書解いてるとこ。因数分解は苦手みてえだな、俺も親父も数学さっぱりだから聞かれてもわかんねえけど』
「算数で止まっとるやん。家庭教師雇え」
『こんな山奥に通いで来てくれる物好きいねえって』
「月謝弾め」
『クマと会ったらどうすんだ』
「ご自慢のハーレーダビッドソンで送り迎えしたればええやん、ミーハー女は二ケツにはしゃぐ」
『バック許したのはお前だけ』
「紛らわしい言い方やめろや」
声のトーンを絞って詮索する。
「ちょっと前に記者が取材に来えへんかったか」
『なんで知って……読んだのか?』
「さっき」
あっさり肯定して足を組み、愉快げな含み笑いをもらす。
「盥の水ぶっかけたんやて?」
『親父は塩撒いた』
「目に浮かぶ。そん時みどりは」
『本堂に隠してた。指一本触れさせちゃねえ」
御仏に誓って声のトーンを落とす。
『お前の知り合い?とっとと帰れって言ってんのにテント持参で居座って、根掘り葉堀り蒸し返されてまいったぜ』
「境内に泊めたるとか太っ腹」
『森で寝てた』
「クマから逃げ切るとは悪運強い」
十江山にはクマより怖い守り神がいるが。玄の声に疑念が芽吹く。
『きゅうせん様のことも知ってるみてえだし何もんだ?』
「こっちが知りたいわ」
その後は玄から情報を聞き出すのに集中する。オカルトライター妹尾吟が成願寺周辺に現れ始めたのは数か月前。玄と正を待ち伏せして付き纏い、稚児の戯の段取りを探ってきたらしい。
「余計なことは」
『言ってねえよ』
心外極まる即答。玄は仁義を通す男だ。
『ただのマスコミにしちゃ事情通だって親父も怪しんでた』
「稚児の戯の内証はお前が漏らしたんちゃうか」
『何の為に?』
「負かされた仕返し」
『本気で言ってんの』
低めた声に怒気がこもる。茶倉は苦笑い。
「遊んだだけや」
コイツは器用な嘘が吐ける人間じゃない。どこまでも実直で不器用で、だからこそ嘗ての茶倉は心を許し、その生き様をもってしてみどりの信頼を勝ち取ったのだ。
「カッカしやすいんは相変わらずか」
『ほっとけ』
「件の妹尾はどんなやっちゃ」
『ボサ髪丸眼鏡の地味~なヤツだよ。年は三十手前かちょっと過ぎか、口から先に生まれたようなお調子者。ひょろりとした長身で……やることなすこと胡散臭くて……名刺にゃフリーライターって書いてあっけどろくなもんじゃねーぞ、誰かさんと同じペテン師の匂いがプンプンする』
余っ程腹を立てているのか、くしゃりと紙を握り潰す音がした。努めて冷静に先を促す。
「他に気付いたことは」
『あー……名刺のデザインがキャバ嬢みてえ、洒落た蝶のイラスト入ってて。実物見せた方が早いから送るぜ』
数秒後、玄から画像が送られてきた。一回握り潰してから均した名刺には無数の皺が寄っていたものの、「フリーライター 妹尾吟」の印字は読める。右の余白には黒い蝶々が羽ばたいていた。
「凝っとる」
『だろ?』
垢抜けた名刺と伝え聞く人物像が噛み合わず、靄がかった違和感が募りゆく。数呼吸の沈黙を経て、玄が小さく独白する。
『アイツ……なんか見覚えあるんだよな』
「どこで」
『わかんねえ。気のせいかも』
「優柔不断なやっちゃな」
裏取り終了。さっさと切ろうとするのを遮り、空気を読まないお節介が食い下がる。
『面倒事?』
「熱烈なファンがおんねん」
『アンチの間違いじゃねえの』
「どっちにせよ営業妨害で迷惑しとる」
簡単に要約した経緯を話す。
『―で、その団地に今いると。すげえ偶然』
「録画に正座でご尊顔を拝し奉れ。テレビないから無理かはは」
『は?あるけど』
「ローカル局しか映さんテレビなんぞ存在せんのと一緒や、平らに寝かせて風呂ふたにしとけ」
『記事に書かれてんのは全部嘘……じゃねえよな。仕入れ値激安の屑石だまして売り付けて人妻と不倫し放題ってのは』
「だますもなにも正真正銘お手製のパワーストーンや」
『養殖とか初耳』
「一個一個手に取って有難い氣をた~っぷり吹き込んどるよって神社の玉砂利ガメるよかご利益あんで」
噴飯ものの詭弁を弄す茶倉に対し、真剣味を帯びた鋭い声で玄が返す。
『すっぱぬかれちゃやりにくくなるぞ、長年苦労して築き上げたイメージが水の泡だ。仕事にも差し障りが』
「心配してくれはるん?優しいね玄くんは」
喉元に笑いがこみ上げる。玄は言葉に詰まっていた。実にわかりやすい、今頃きっと赤面してるはず……。
『お互い様だろ』
「は?」
『例の記事見て、俺たちの事が心配でわざわざ掛けてきたんだろ』
完全に意表を衝かれた。今度は茶倉が黙る番だ。
「勘違いすな、誰が」
『みどりなら元気でやってっから安心しろ。親父は滝に打たれてる』
「人の話聞けて、百歩譲ってみどりの身ィ案じてもお前とおっさん気にするんはありえへん」
『代わるか?先月誕プレ送って寄越したよな、ストロベリークォーツのブレスレット。フリマアプリで値段調べたらン万円って』
「二束三文の安モン処分しただけや」
『すっげえ喜んでたぜ、メールじゃ気が済まねえから改めてお礼言いたいんだと』
「いらん」
『まんざらでもねえくせに』
「あるわボケ」
『意地張らず素直になれよ、俺に乗っかってくる度胸がありゃ子供と話すなんて余裕だろ』
一夜の過ちを引き合いに出され、売り言葉に買い言葉で啖呵を切る。
「五分ともたん早漏の分際でエラそうに。次は秒でイかせたる」
言った。
言ってしまった。
「……電話の相手、誰?」
バスに踏み込んだ理一の目の前で。
理一が間延びした声で喜屋武を呼び、老朽化したコンクリ棟が囲む中庭を駆け回る。
飲み物を届けに行く相棒を見送り、磨き抜かれた革靴でステップを踏み締め、何食わぬ顔でバスに引き返す。操はプロデューサーと雑談している。成瀬は操が経営する高級スパの会員らしく、個人的にも付き合いがあるそうだ。とはいえ元カレの線は薄い、アレで彼女は面食いなのだ。その事は顔で選ばれた茶倉がよく知っている。
出演者及びスタッフ一同が出払い、エアコンを切った車内は不快に蒸していた。た。風が通るぶん外の方が幾らかマシだ。温度と湿度が上がった息苦しさに耐え、最前列のシートに腰掛け、電話帳の登録アドレス一覧を流し見る。お目当ての人物は……いた。登録名『早漏』を軽やかにタップし待機すること五秒、訝しげな声が響いた。
『練?』
開口一番名前を呼ばれ、スマホを持ったまま鼻白む。
「気安く呼ぶな」
『どうした急に』
電話の相手は昔馴染みの山寺の倅、煤祓玄。声を聞くのは久しぶりだ。前戯のような腹の探り合いを厭い、単刀直入に切り込む。
「最近変わったことあらへん?」
『ンだよいきなり』
「みどりは達者か?山寺の周りに変質者いてへんか」
『小学校のドリル全部マスターして今は中学の参考書解いてるとこ。因数分解は苦手みてえだな、俺も親父も数学さっぱりだから聞かれてもわかんねえけど』
「算数で止まっとるやん。家庭教師雇え」
『こんな山奥に通いで来てくれる物好きいねえって』
「月謝弾め」
『クマと会ったらどうすんだ』
「ご自慢のハーレーダビッドソンで送り迎えしたればええやん、ミーハー女は二ケツにはしゃぐ」
『バック許したのはお前だけ』
「紛らわしい言い方やめろや」
声のトーンを絞って詮索する。
「ちょっと前に記者が取材に来えへんかったか」
『なんで知って……読んだのか?』
「さっき」
あっさり肯定して足を組み、愉快げな含み笑いをもらす。
「盥の水ぶっかけたんやて?」
『親父は塩撒いた』
「目に浮かぶ。そん時みどりは」
『本堂に隠してた。指一本触れさせちゃねえ」
御仏に誓って声のトーンを落とす。
『お前の知り合い?とっとと帰れって言ってんのにテント持参で居座って、根掘り葉堀り蒸し返されてまいったぜ』
「境内に泊めたるとか太っ腹」
『森で寝てた』
「クマから逃げ切るとは悪運強い」
十江山にはクマより怖い守り神がいるが。玄の声に疑念が芽吹く。
『きゅうせん様のことも知ってるみてえだし何もんだ?』
「こっちが知りたいわ」
その後は玄から情報を聞き出すのに集中する。オカルトライター妹尾吟が成願寺周辺に現れ始めたのは数か月前。玄と正を待ち伏せして付き纏い、稚児の戯の段取りを探ってきたらしい。
「余計なことは」
『言ってねえよ』
心外極まる即答。玄は仁義を通す男だ。
『ただのマスコミにしちゃ事情通だって親父も怪しんでた』
「稚児の戯の内証はお前が漏らしたんちゃうか」
『何の為に?』
「負かされた仕返し」
『本気で言ってんの』
低めた声に怒気がこもる。茶倉は苦笑い。
「遊んだだけや」
コイツは器用な嘘が吐ける人間じゃない。どこまでも実直で不器用で、だからこそ嘗ての茶倉は心を許し、その生き様をもってしてみどりの信頼を勝ち取ったのだ。
「カッカしやすいんは相変わらずか」
『ほっとけ』
「件の妹尾はどんなやっちゃ」
『ボサ髪丸眼鏡の地味~なヤツだよ。年は三十手前かちょっと過ぎか、口から先に生まれたようなお調子者。ひょろりとした長身で……やることなすこと胡散臭くて……名刺にゃフリーライターって書いてあっけどろくなもんじゃねーぞ、誰かさんと同じペテン師の匂いがプンプンする』
余っ程腹を立てているのか、くしゃりと紙を握り潰す音がした。努めて冷静に先を促す。
「他に気付いたことは」
『あー……名刺のデザインがキャバ嬢みてえ、洒落た蝶のイラスト入ってて。実物見せた方が早いから送るぜ』
数秒後、玄から画像が送られてきた。一回握り潰してから均した名刺には無数の皺が寄っていたものの、「フリーライター 妹尾吟」の印字は読める。右の余白には黒い蝶々が羽ばたいていた。
「凝っとる」
『だろ?』
垢抜けた名刺と伝え聞く人物像が噛み合わず、靄がかった違和感が募りゆく。数呼吸の沈黙を経て、玄が小さく独白する。
『アイツ……なんか見覚えあるんだよな』
「どこで」
『わかんねえ。気のせいかも』
「優柔不断なやっちゃな」
裏取り終了。さっさと切ろうとするのを遮り、空気を読まないお節介が食い下がる。
『面倒事?』
「熱烈なファンがおんねん」
『アンチの間違いじゃねえの』
「どっちにせよ営業妨害で迷惑しとる」
簡単に要約した経緯を話す。
『―で、その団地に今いると。すげえ偶然』
「録画に正座でご尊顔を拝し奉れ。テレビないから無理かはは」
『は?あるけど』
「ローカル局しか映さんテレビなんぞ存在せんのと一緒や、平らに寝かせて風呂ふたにしとけ」
『記事に書かれてんのは全部嘘……じゃねえよな。仕入れ値激安の屑石だまして売り付けて人妻と不倫し放題ってのは』
「だますもなにも正真正銘お手製のパワーストーンや」
『養殖とか初耳』
「一個一個手に取って有難い氣をた~っぷり吹き込んどるよって神社の玉砂利ガメるよかご利益あんで」
噴飯ものの詭弁を弄す茶倉に対し、真剣味を帯びた鋭い声で玄が返す。
『すっぱぬかれちゃやりにくくなるぞ、長年苦労して築き上げたイメージが水の泡だ。仕事にも差し障りが』
「心配してくれはるん?優しいね玄くんは」
喉元に笑いがこみ上げる。玄は言葉に詰まっていた。実にわかりやすい、今頃きっと赤面してるはず……。
『お互い様だろ』
「は?」
『例の記事見て、俺たちの事が心配でわざわざ掛けてきたんだろ』
完全に意表を衝かれた。今度は茶倉が黙る番だ。
「勘違いすな、誰が」
『みどりなら元気でやってっから安心しろ。親父は滝に打たれてる』
「人の話聞けて、百歩譲ってみどりの身ィ案じてもお前とおっさん気にするんはありえへん」
『代わるか?先月誕プレ送って寄越したよな、ストロベリークォーツのブレスレット。フリマアプリで値段調べたらン万円って』
「二束三文の安モン処分しただけや」
『すっげえ喜んでたぜ、メールじゃ気が済まねえから改めてお礼言いたいんだと』
「いらん」
『まんざらでもねえくせに』
「あるわボケ」
『意地張らず素直になれよ、俺に乗っかってくる度胸がありゃ子供と話すなんて余裕だろ』
一夜の過ちを引き合いに出され、売り言葉に買い言葉で啖呵を切る。
「五分ともたん早漏の分際でエラそうに。次は秒でイかせたる」
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言ってしまった。
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