回々団地

まさみ

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十一口目

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目的地到着数分前。茶倉は窓際席にて、サナギや力石とだべる理一を眺めていた。
コミュ力の権化の理一はあっというまに芸能人と親しくなり、お得意のボケをかまして笑いをとっている。
好むと好まざるとにかかわらず集団からはみ出しがちな茶倉と違い、理一は人の輪の中心にいるのがしっくり馴染む。誰にでも分け隔てなく接し、誰とでも仲良くなれるのがコイツの強みだ。調子に乗らせるのが癪なので本人には絶対言わないが、閉鎖的な田舎の人間と難なく打ち解け、年寄りや子供に好かれる理一の社交性には大いに助けられていた。演技や打算とかけ離れた素の魅力。茶倉ではこうはいかない。
理一に備わる天真爛漫さは鈍感さを補って余りある美点だ。胸の内でこっそりため息を吐き、嫌な記憶を蒸し返す。

タワマンで同棲を始め数か月、茶倉は理一に秘密を持っていた。それが気鬱の原因だ。

『あっ、そこいい、すげえっ』
壊れそうに軋むベッドの上、素っ裸の理一が知らない男がベッドの上で絡み合い、正視に堪えぬ痴態を演じている。
『奥ッ、ゴリゴリ当たってるッ、んあッ、ふぁあ』
『またか?何回目だよ』
『太くて固くて気持ちいい、もっと擦って』
切羽詰まった声を張り上げて喘ぎ、滅茶苦茶に腰を振り、逞しい背中に爪を立て絶頂へ上り詰めていく。甘えるような鼻声。いやらしく絡まる脚。伝い落ちる汗。引き締まった尻肉を感極まって震わせ、リズミカルに腰を叩き付け、蕩け切った顔で快楽を求める。
覗きの趣味はない。出歯亀なんてお断りだ。なのに無理矢理見せられる、見たくもない記憶を強制的に流し込まれる。
それもこれも全部底意地悪い憑神の仕業だ、理一の濡れ場を追体験させ茶倉の本気を試している。
慣らしには思いがけぬ副作用が伴った。理一と体を繋げるたび、深く突いて精を注ぐたび、堰を切ったように記憶が逆流する。
瞼の裏に閃光が爆ぜ、五感への刺激を伴い、理一が過去に体験した記憶の断片が瞬く。
茶倉は行為中の理一と隅々に至るまで思考や感覚を共有し、理一の視覚を通して相手と向き合い、聴覚を通して相手の声を聞き、触覚を通して睦み合い、嗅覚を通して蒸れた体臭を嗅ぎ、理一の味覚を通してまずい精液を味わうはめになる。
嫌がらせなら効果覿面、茶倉を不快にさせる目論見は成功したと言っていい。

なにが哀しゅうてヤッとる最中に間男のツラ見なあかんねん、こんなん寝取られVRやん。

茶倉は無駄にプライドが高い。そして独占欲が強い。3Pに興奮する趣味は当然ないからして、脳内にしゃしゃる間男には早急にお引き取り願いたいのが本音だ。
しかし消えろと念じれば念じるほど映像は鮮明になり、感覚は鋭敏になっていく。
茶倉が寝取られVRと名付けたこの現象は日に日に酷くなる一方で沈静化の兆しは皆無、仕方ないので理一に当たり散らして悋気を宥めているが焼石に水で閉口している。
もとより激しいセックスじゃなければ満足できず、強姦まがいの行為すらプレイの一環として楽しむ理一は知る由もないが、茶倉だってたまに、ごくたまにうっかり魔が差して、優しくしてやりたくなる時もあるのだ。
なのにそれが許されない、きゅうせんが脳裏に差し挟む浮気の証拠が心をかき乱し嗜虐的な行為に駆り立てる。

ある程度予想はしていた。
夜毎慣らしを続けるうちに自他の境界があやふやになり、記憶が混ぜ合わされるかもしれない危惧はしていたが、理一を抱いてる最中に抱かれる理一に憑依し、倍する快感に何度も飛びかける意識をギリギリで引き戻す拷問が待ってるとは聞いていない。
たとえるなら犯しながら犯されるようなもので、体力の衰えよりも精神の消耗が凄まじい。
最近は鏡を見るたび顔の窶れを痛感する。腹上死まで秒読みとして、死因欄に腎虚と記されるのは何としても避けたい。打ち止めの赤玉出たらどうしてくれんねん?こっちの苦労も知らず笑ってる、能天気な理一が疎ましい。

以上の悩みを当事者の理一に黙っているのが茶倉の秘密だった。
理由はごく単純で言ってもどうしようもないし、理一がまたぞろお節介癖を出して、事態が悪化する可能性がある。
それに。
きゅうせんが植え付ける記憶の中には、理一の人生を切り取った光景もまざっていた。
「命名・理一」と張り出された紙の下、ぬいぐるみのうさぎの耳を引っ張って遊ぶ赤ん坊の理一。牛乳にドーナツを浸して食べる幼稚園児の理一。竹刀の素振りを続ける小学生の理一。金のトロフィーと賞状を抱え、白い歯を零す中学生の理一。

『理一はおじいちゃん似ね、おでこの広さと眉の太さがそっくり。隔世遺伝って本当にあるのね』
優しい女性の声が響く。

『お前の名前は道理を重んじると書く。道理っちゅうんは外れちゃならん人の道、譲ったらあかん物事の筋道や』
厳格な老人の声が説く。

理一を理一足らしめる記憶の積み石を垣間見て、肉親が与える愛情や注がれる善意を反芻する体験は、人生のごく早い段階でそれらを奪われた茶倉の喪失感を癒してくれた。

「はあ」
物思いを断ち切り顔を上げた瞬間、数十メートル先に現れた看板が目にとまる。菱沼団地までの案内図。目的地は近いらしい、降りる準備をしなくては。荷物を忘れないように……

「ん?」

路肩に掲げられた看板が近付くに連れ、みるみる違和感が膨らんでいく。
何の変哲もない二車線道路。中央に敷かれた白線。向かって右手は笹藪の密生する造成地、左手はだだっ広い割に殆ど埋まってない月極駐車場。埼玉県某市郊外に当たるこの辺は民家も疎ら、いかにもバブルが弾け開発が頓挫したニュータウンといった寂れた雰囲気が漂っている。
バスが走る車線の右岸、設置から数十年経た看板には新しい団地を見上げる両親と学生服の息子、小学生の娘のイラストが描かれていた。映画の絵看板のような、妙に劇画調なタッチが時代を感じさせる。

被害者遺族の家族構成と同じ……嫌な偶然。いや、加害者遺族が正しいか?

退屈な景色が残像と化して飛び去り、鬱蒼と茂る笹藪を背負った、巨大な看板が存在感を増す。

働き盛りの夫婦。賢そうな息子。可愛い娘。一億総中流家庭が追い求めた最大公約数の幸福のカタチ、両親と一男一女が揃った家族の肖像。
背広にネクタイの父親が力強く妻子を抱き寄せ、エプロン姿の母親は何の疑問も持たず夫に身を委ね、子供たちは反抗期と無縁に健全な笑顔を振りまく。

皆同じ方向を向いてる。
口角の上がり具合と目尻の下がり具合が寸分狂わず同じ、固く強張ったマネキンの笑顔はギスギスしたプレッシャーを孕み、他の誰とも目を合わせず高台に鎮座する団地を、団地だけを見続けている。

共産圏のプロパガンダさながら完璧すぎて嘘っぽい笑顔を張り付けた四人家族の頭上には、子供にも読めるひらがなで「ようこそ みんなの ひしぬま団地へ」と躍っていた。
さらに近付く。笑顔の圧が高まる。左手に巻いた数珠が熱を帯び、うなじがちりちり疼く。
気持ち悪い違和感を携えた看板が目と鼻の先に迫り、窓を占めた看板の表面にヒアリに食い荒らされるかのようなシミが広がっていく。
息子の手を汚す血は赤く、両親が流す涙も赤く、娘の顔はなお赤く渦を巻き、遂にはひらがなまでも侵蝕し、「の」が「ひ」が「ま」が不自然に欠けていく。


ようこそ みんな  しぬ 団地へ


赤い斑点の正体は急激に増殖した錆。
娘の顔中心に爆発的に広がった錆が長男の手と父母の目元に飛び散り、禍々しい幻覚を生む。

「…………」

警告。

娘の顔は潰れ、息子の手は真っ赤に腐食している。
人殺しを告発するように。
糾弾するように。
両親は虚ろに泣き笑いし、団地はただそこに在る。

邪悪な気配にきゅうせんが目を覚ます。

「着きました。下りてください」
排気音を上げドアがスライドし、機材を担いだスタッフが続々と下りていく。
「やっとか~長かった」
力石と喜屋武、サナギがステップを下りる。理一が腰を上げ操が続き、茶倉が最後に退出。

「っ!」

容赦なく照り付ける炙るような陽射し。反射的に手を挙げて顔を庇い、愕然と目を瞠る。

咄嗟に左手が出た。後天的に矯正された右手に非ず、魔除けの数珠を巻いた本来の利き手が。

此処はヤバい。

古来より魔除けの護符として崇められてきた黒瑪瑙の数珠が揺れ、指の隙間から格子状に濾された日が落ち、殷々と反響し増幅される蝉時雨に鼓膜が撓む。

翳った視界に押し被さるように団地があった。
みんなしぬ、と予言された団地が。

「……四面の部屋、改め四面の団地やな」

四面の部屋とは壁がポスター類で埋め尽くされ、浮遊霊が出て行けず閉じ込められてしまった部屋をさす。四面は死面に通じる忌み語。その死面の団地が、今まさに茶倉の眼前に立ち塞がっていた。
見た目は没個性な十階建てコンクリ棟。長年風雨にさらされた外壁はくすみ、所々ひびが入っている。中庭に面した共用廊下は塀で遮られ、壁際に金属のドアと郵便受け、室外機やガスメーターが並んでいた。ドア横の細長い小窓は台所の換気口を兼ねるらしい。

真っ先に連想したのは大規模な原発事故を起こした発電所、コンクリートで幾重にも固めて封じたのち汚染区域もろとも廃棄された禁呪の函――即ち、石棺。
地面の舗装を断ち割り逞しく伸びる夏草と、トタン屋根を冠す駐輪場の放置自転車が、老朽化の著しい団地に輪をかけ荒廃しきった観を呈す。
アスファルトから濛々と立ち昇る陽炎が風景を歪め、濃縮された放射能じみた圧がひしひし漏れ出す、怪物の棺の輪郭が寸刻みにブレる。邪気と邪気が共鳴し、身の内の異形が胎動する。

市営団地の景観はどこも似たり寄ったりで大差ない。茶倉が幼少期を過ごした団地もここと似ていた。
が、菱沼団地はやや特殊な構造をしている。隣に立った理一が指フレームを作り、ぐるりを見渡す。
「完全に閉じてるわけじゃねえんだな」
ムック掲載の空撮写真ではロの字型に見えたが、実際のところ各棟一階の一画は素通しで、ガード下みたいに車両が進入可能になっていた。
外周には住民と来客専用の駐車場がもうけられていたものの、往路の短縮と動線の確保を優先し、中庭に停める判断を下したようだ。
ふと気配を感じて向き直れば、操が忘我の境地で団地を見詰めていた。白昼夢の中をさまよっているような、心をどこかに落っことした無表情。
「操さん?」
訝しげに名前を呼ぶと同時、スーッと瞳の焦点が戻っていく。
「え?やだ、またボーッとしてた?」
頬を挟んで照れる操の体調を案じ、理一がぱたぱた手で扇ぐ。
「熱中症じゃないすか?バスで休んでた方が」
「懐かしくなっただけ。団地育ちだから」
「意外っす、小さい頃からピアノやバイオリンやってる金持ちのお嬢様だとばっかり」
「バリバリ体育会系よ、中高陸上部だもん。ていうか団地の子だって習い事位するわよ、ねえ茶倉くん」
「ですね、僕も少しだけそろばん教室行ってましたし」
苦笑気味に同意を求められ頷く。理一が滑稽なリアクションをとる。
「意外性ねえ~~」
「なんでやねん」
顔を背けて吹き出す操。
「猫に小判、守銭奴にそろばんだもんね。茶倉くんのことよくわかってる」
「なんで今日に限ってくん付け?」
「マネージャーが呼び捨てしたら変でしょ、仕事とプライベートは分けたいの」
「なるほど」
筋の通った説明に納得したと見せかけ、今度はこっちをロックオン。
「お前さあ、相手によって標準語と関西弁使い分ける癖やめろ。落ち着かねえ」
「やかまし」
「しかも『僕』って。とっくにバレてんだから素でいいじゃん」
「うるさ」
「いい加減統一しねえと視聴者のオツムこんがらがるぞ。霊能者ってだけでじゅうぶんキャラ立ちオーケー、二重人格は属性の積載オーバー」
「関西弁も悪くないけど」
「間とって憑依設定にしとくか、王子の霊が降りてる時だけ丁寧語の『僕』になんの」
「誰やねん王子て」
「さすがに盛りすぎか~憑依合体でイケると思ったんだけど」
「イケると思たん?本気で?」
「欲張りはド滑りのもとよ理一くん、腐れ縁の悪友にだけ地がでる不器用さに女子はぐっとくるのよ」
口々に勝手なことをぬかす理一と操の背後、サナギがぴょんこと飛び跳ねる。
「案内板めっけ。地図のってるよん」
庇の付いた掲示板に雑多なチラシやポスターが張り出されている。どれも一様に色褪せてボロボロに傷んでいた。
比較的新しい張り紙の日付は平成十九年、内容は行政の通達を無視し居残る住民への退去勧告。
「えーと……真ん前が南棟、後ろが北棟。右っかわが東棟、左が西棟だって」
「色変えるとかわかりやすい目印ほしいよなあ、迷子になっちまうよ」
指さし確認するサナギの横を通り抜け、塀の内側を覗き込む力石。
「ガラクタばっか。住民が置いてったのか?」
「粗大ごみの山なんて珍しかねえだろ、廃墟なんだから」
「きーやんも来てみろ、カオスで面白いぜ」
「どこが」
「室外機の上の発泡スチロールの植木鉢に豆苗の残骸が」
「こっちはミニトマトのミイラ」
「夏休みの自由研究思い出すなあ」
「あっ見て、学研の付録でもらったカブトガニ飼育キット」
「うわ懐かしい~~結局なんも孵んなかったっけ」
力石・理一・サナギのトリオがきゃっきゃっとはしゃぎ、口を開きかけた喜屋武が愕然と立ち竦む。
視線の先にはドアの隣の小窓。
「……あれ、開いてたっけ」
たった今まで誰かが覗いていたように、半端に開かれた窓。
他は全部閉まっているにもかかわらず、喜屋武の延長線上の窓だけが何故か開かれ、矩形の暗闇に奥行きを湛えている。
喜屋武は視える。茶倉は確信する。
「何~社会の窓の話?」
「ドア横の小窓の話だよ、見てなかったのかよ!?」
声を荒げる相方を振り返りもせず、力石はごちゃごちゃ物が詰め込まれた通路の観察に励んでいた。
「引っ越してった奴が閉め忘れたんだよきっと、じゃなきゃ肝試しに来た悪ガキの仕業か」
「下りてすぐは絶対閉まってたって、間違いねえ」
「やだ~怖いこと言わないで~」
「神経質になりすぎじゃねーの、まだロケ始まってないんだぜ」
「お前が呑気すぎんだよ!ていうか視線感じねえ?」
「そういうのやめてってば」
諍いの兆しを感じ取りでもしたか、理一が駆け足で離脱する。
「いけね、助っ人の本分忘れてた。手伝ってくる」
「いってらっしゃい」
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