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20.高谷と佐奈
しおりを挟む捻りなく、ストレートに。
佐奈は直球で尋ねた。滝川さんがハッとしたような顔をする。
「今日の滝川さん少しヘンです。それに元気がない気がしました。気になるので差支えなければ、教えてください」
遠まわしに聞くなんて、出来なかった。
自分が悪いなら、キチンと教えて欲しい。そして謝りたい。
そうでないなら、話を聞きたい。力になりたい。
それは彼を想っているからとは別の話で、同僚としてなにかしたいと思ったから。
滝川さんがこちらの手の上をぼんやりと見つめている。
何故クッキーを眺めるか分からない。……いや、もしかしたら、何も見ていないのかも。
彼の一挙一動に注目した。
するとゆっくりと手が伸びてきて。その手はある場所をそっと撫でた。
それは何故か、ピヨ太のシールの上だった。
「――好き、だったな」
ぽつりとこぼれた言葉に、佐奈は目を瞬く。
好き。
もちろんわたしはピヨ太が大好きだ。
何故今その話なんだろうと思ったけれど、佐奈は満面の笑みを浮かべて、「好きですよ」と言った。
滝川さんが目を伏せる。
「……そんなに、好き?」
「え? もちろん、大好きですよ!!」
「いつ、から?」
「ええっと、もうかれこれ五年は」
ピヨ太が発売して五年。初めて会った時の衝撃は今でも覚えている。
「そんなに長いのか」
達観したような、諦めたような、そんな声色。
佐奈の頭にハテナマークが踊る。
わたしがずっとぴよ太を好きだと、滝川さんの元気がなくなる……?
……なんで??
考えても、ハテナマークが増えるだけだった。
しかし彼は自分の中で結論を出したのか、口の端に寂しげな笑みを乗せて言う。
「横恋慕、する気はないから」
「よ、横恋慕……?」
キャラものに対して、真摯すぎやしないか。
ピヨ太の事は大好きだけど、他の誰かがぴよ太を好きだってかまわない。
むしろもっと好きになってくれる人が増えた方がうれしいと思っている。……けど。
――これは、本当にそういう話?
おかしい。
ちゃんと会話をしているのに、何かが空回っている気がする――。
このずれを感じ取ったのと、ほぼ同時だった。
気落ちした様な表情のまま滝川さんが袋をつまみ、「サンキュ」と、踵を返してしまったのは。
心なしか、早足で。
振り返る事もなく、佐奈を残して。
「滝川さん!」
思わず呼びとめた。
まだ何も解決していないのに、こんな状態で別れるつもりはなかった。
滝川さんは振り返らない。
そんな、と佐奈は息を呑む。
「ねえ、滝川さん!!」
距離を埋めようと駆けだしながら呼んでも、彼は振り返らない。
「待って、待ってたら!!」
立ち止まらない彼。じれて、佐奈は叫んだ。
「帝司さん!!」
滝川さんが振り返る。
息を止めたような表情。だけど、追いついた佐奈には自嘲めいた笑みを浮かべる。
「名前を呼べば止まるって?」
「そうです。だって、滝川さんちっとも聞いてくれない」
「『滝川さん』か」
深く溜息をつく。
どうして。なんで、『滝川さん』と呼んだらがっかりするの?
佐奈には彼の気持ちがちっともわからなかった。
「名字で呼ばれるの急に嫌になったんですか?」
ぴよ太の話も、今の態度も意味が分からなくて、佐奈は問うしかできない。
それでも彼を理解したくて、必死だった。
滝川さんが目を伏せ、「ごめん」と言った。
「……どうかしてた。感じ悪くて、ごめん」
「それはいいですけど、理由を教えて欲しいです」
「理由、か」
一度言葉を切った彼は、目を伏せたままゆっくりと続けた。
「……いつか、名前で呼んで欲しいって、思ってたけど。それが無理なことに気がついただけ」
思わぬ解答だった。
佐奈が名前で呼べないのは緊張するからだ。
誰だって好きな人の名前は特別で、いくら普段同僚を名前呼びしているからといって、易々とできることではない。――もし、そんな風に考えている事を知られてしまったのなら恥ずかしいと思う。
……だけど今の滝川さんの表情を見て。それは違う気がした。
佐奈は首を振って「多分、外れてると思います」と素直に伝えた。
だって正解なら、きっと前みたいにからかわれると思ったからだ。
「外れているって、思えないんだけど……」
「なら、答え合わせをしましょう」
駐車場へと向かう裏道。
人通りの少ないその場所で、滝川さんを引きとめる。
車の走る音。
街のざわめき。
その全てを遠くへ追いやり、佐奈はずっと彼を見る。
――きっとこの中に答えがある。
彼の笑顔を曇らせる憂いを晴らしたい一心だった。
しかし、しばらくすると彼の瞳が揺れて。そこで初めて、自分の姿も彼に見られているのだと気がついた。
佐奈はうっかりドキドキした。
――そういうつもりで、見たんじゃ!!
恥ずかしくなって視線をそらす。それでも間に合わなくて。顔が熱くなってくるのが分かった。
「……なんで俺にその反応?」
「ええっと、それは」
「期待、させるなよ」
「『期待』って、なんのですか?」
分からないだらけの『期待』。
佐奈はもう徹底的に聞くしかないと思った。
滝川さんが初めて見せる、不機嫌な顔。
それは踏み込んで来る無神経な他人をうっとおしがっているように見えて。心をギュっと引き絞られた気がした。
「ご、ごめんなさ……」
「謝らなくていい」
「……どうして? わたしが悪いのに」
「別に悪くないだろ、好きなヤツがいるってだけなんだし」
――好きなヤツ。
それがぴよ太を指していないとたった今気がついた佐奈は、「それ誰ですか」と逆に聞き返していた。好きな人に、別の誰かを好きだと思われている事が悲しかったのだ。しかも断定されている。
滝川さんがぐっと押し黙った。
珍しくこちらの元気がなくなった事を悟ったのだろう。少し困ったような、バツ悪そうな表情をしている。
もちろん心配させるのは見当違いだってわかっている。
自分の想いは、彼の知らないところで育っているのだから。
それでも片想いだと分かり切っているのに、その想いすら勘違いされているのは切なかった。せめて気がつかなくていいから、架空の人物を思い描かないでほしい。
考えれば考えるだけ、へこみそうな現状。
佐奈は次の言葉に集中する。もうこれ以上、恋心が出て来ぬようギュっと閉じ込めて。
だけど。
「……好きなんだろ。高谷が」
苦々しく発せられた言葉に、目が点になった。
「同じキャラクターものを大好きになるぐらい、すき、なんだろ……? そーゆう、邪魔をする訳にはいかないだろ」
続いたセリフに、今度は思考が止まった。
え。
ええ?
浮かぶ、たくさんのハテナマーク。
それが限界まで増えてパンッと弾け飛び。一気にビックリマークへと変換されてゆく。
佐奈はとりあえず挙手してみた。
滝川さんが怪訝な顔つきで、「どうしたの」と言う。
「あのー。つかぬ事をうかがいますけど」
「ああ」
既視感。
このやり取り、ついこの間した気がする。
「滝川さんは、わたしの名前知ってます?」
「……知ってるよ。『佐奈』」
首を振る。「そうじゃなくて、フルネーム」
固まった滝川さんに、佐奈は自分の勘が当たっていた事を、二週間遅れで確信した。
意識的にすぅっと目を細める。
そんな表情を見せた事が無かったせいか、滝川さんが少し慌てた。
「えっと、佐奈――」
「高谷」
「え?」
何で今その名前って顔をした彼に、佐奈はぶすっとした表情で続ける。
「私の名前は、高谷佐奈」
彼の驚いた顔はちょっと見物だった。
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