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15.乙女心はお団子と
しおりを挟む道が幅の広い階段から、緩い傾斜に変わった。
同時にウッドチップも疎らになり、茶色の土がむき出しになる。何人もの人が踏みしめた土は硬く、それでいて安心感がある。遠くから見れば山は三角で斜めなのに、この安定感は平地と同じなのが不思議だった。
「そこ、歩きづらいから気をつけて」
進むにつれて道が少しずつ悪くなり、滝川さんが声をかけてくれる回数が増えた。
自然のままの階段は岩。時折、傾斜もキツイところが出てきている。これは軽い登山だ。『自然堪能! お散歩コース』は名前を改めた方がいいと思う。
「帰りは別のコースにしましょうね!」
「ああ。OK」
「って、何笑ってるんですか! 敗北宣言だからですか!?」
「いやいや、素直だなーって」
歩きながら器用に肩を揺らす滝川さん。
疲れ知らずの背中は頼もしく憎らしい。そんな彼はひょいと身軽に岩を登り、こちらを振り返った。
「多分ここが最後の難関」
そう言って、服が汚れるのも厭わず、膝をつき下にいる佐奈に向かって手を伸ばしてきた。
ドキリと心臓が跳ねた。
屈託のない笑顔を浮かべたまま、惜しげもなく差し出される親切に佐奈は不慣れだった。
仲の良い異性はいた。だが、それはあくまで仲間という括りであって、そこに「女の子」として用意される気遣いは皆無。おそらくこういう状況でも、応援だけできっと手は貸してくれない。
誰もが佐奈を女の子であると理解していながらも、ふとした事で扱いに違いがあった。
たとえば女の子に親切にしたら黄色い声が上がり、男の子からはハイタッチの代わりか、背中をバンと叩かれたりなど。決して不快に思っている話ではなくて、ただ事実として。
だからこんな風に手を差し伸べられると、心は騒ぐ。
滝川さんにはちゃんとわたしが女の子に見えているのだと、くすぐったくなる。
佐奈はニッコリ笑って、その手を取った。
繋がれた手にぐっと力が込められ、自分を助けてくれる。
時折沈み込むコンプレックスの沼から引き上げるかのように、優しく力強く。
登り切れば、すぐに手は離される。名残惜しいけれど、それは気付かないフリをした。
たとえこれが皆に与えられる親切だったとしても、差し出された手は本物だから。それだけで十分。
山頂に着くと、噂のお団子屋さんはすぐに見つかった。
『おつかれさまでした。山頂です』のアーチを超えて、正面に長い列。みな、顔辺りを手で扇ぎながら又はお茶を飲みながら待っている。これはしばらくかかりそうだ。
滝川さんの提案で、佐奈だけ日陰で休む事になった。
一人、列に並んでもらうのは悪いと思いつつ、素直に甘えさせてもらう。すでに体力が限界に近く、まだ帰りもあるので少しでも回復しておきたかったのが本音。
佐奈はぼんやりと列を眺めた。
日曜日ともなれば、友達同士や家族連れも多い。
高校生と思しき男の子のグループは山を登ってきたはずなのに、まだまだ元気で。山なのにワンピースとパンプスの女の子はデートでロープウェー。本格的なリュックを背負っているあの人はたぶん『登山』コースだろう。
異なる道で来た人たちが同じ場所に来て、同じ物を目指す様は何か会社に似ている。
高峰文具も高山文具も今はそんな感じだから。
不意に、今取り組んでいるコラボ企画を思い出し、佐奈は何かヒントがないか周囲をよく観察した。お団子屋さんの客層、買った物、数。列は減った分、増えてゆき、長さはあまり変わっていない。ただロープウェーが到着したようで、カップルが多くなってきたような気がする――。
しかし、よくよく考えれば。皆、お団子屋さんに並んでいるだけ。
佐奈は一人クスクス笑う。
ちょっと哲学風味な事を感じたくせに、なんだかおかしくて。
元気も出たので、すぐに立ち上がって滝川さんの側へと向かった。
「あれ? 座っててよかったのに」
「いえいえ。もう元気になったので大丈夫です」
「ん? なんかご機嫌?」
「人間ウォッチしてました」
「あー。それ俺もたまにやる」と言った滝川さんは「あとで、何を見たか教えて」と続ける。佐奈は頷いて、「今回は哲学風味ですよ」とニヤリと笑って見せた。
列が進み、佐奈達の番が回ってきた。
美味しいと聞いていたお茶とお団子を両手に、日陰を探す。
ベンチは先客で一杯。当然、空いているところは日なたばかりだったけれど、運よく一人分だけ日陰になっている席が空いた。滝川さんは当然のように佐奈にその席をすすめてくれる。
佐奈はほんわかと幸せな気持ちで腰かけた。すぐ隣にお茶を置き、お団子の皿を膝の上におく。滝川さんは佐奈の正面に立ったまま。その方が楽だというので、お茶だけ受け取って、隣に置いた。
緑が生い茂る山の頂上でお団子をいただく。
贅沢な一服。聞いていた通りの美味に山を登った達成感も相まって、とてもおいしく感じた。そしてそのおいしさにはきっと、一緒にいる人も影響しているのだろうと佐奈は思った。
立ったままの滝川さんを見上げて、「おいしいですね」と笑う。彼も「そうだな」とご機嫌で串から団子を外す。その仕草はどことなく男らしい。
佐奈は初めて彼を見かけた時、性別を勘違いしていた。
いや、正確に言えば男性と気付かなかっただけなのだけど、今思えば一体どこをどう見たら勘違い出来るのだろうと思う。
滝川さんは間違いなく男性だった。
小柄でも中性的な顔つきでも。佐奈にとっては今一番気になる――……。
「――大丈夫? ぼーっとしてるけど」
滝川さんがこちらを心配そうに見下ろす。
その姿が瞳にしっかり映って。佐奈は無粋にも彼を見続けていた事に気がついた。ひゅっと息が止まる。わたし、なんてことを。
「……ひょっとして、気持ち悪いとか?」
気遣うような声に、慌てて首を振った。
佐奈は「無理してない?」という言葉に、「はい、大丈夫です」と、ニッコリ笑って見せる。彼のホッとした表情が嬉しかった。
――やっぱり優しいなあ。滝川さん。
皆に与えられる親切。
それで十分と思ったのは、ついさっき。
だけどもし、この優しさを独占出来たらどんなに良いだろうと想像する。
自分だけに寄せられる想いはとても幸せな気持ちになるだろう。ふわふわな雲の上でお昼寝するように、包み込まれる幸せ。そして自分も、彼を同じ気持ちに出来たら。
『これはそういうのとは違う。勘違いは彼に迷惑だ』
そう頭の片隅で思う一方、不確かな幸せは甘く佐奈の心に囁く。全てを、都合の良いように書き換えてゆく。
「――佐奈?」
ビックリして、思わず立ち上がった。
落ちる、空っぽになったお団子のトレー。驚く滝川さん。
その瞳を見れば何の意図もないと分かるのに、初めて受けた衝撃は甘く揺れる思考をかき乱す。
佐奈。
響く、その音は優しくて。
まるで自分が大切に思われているように錯覚する。
わたしを心配している……?
ひょっとして、体調不良を?
心配なんてさせたくない。
その解として浮かんだのは、今食べた――。
「お、お団子食べてふっかーつ!!」
片手を空に突き上げて叫べば、周囲は一斉にこちらを見た。
クスクス笑うカップルに、目をパチクリさせるおじさん。子供達は何故か同じポーズを取って「ふっかーつ!」と声を上げてケラケラ笑いだす始末。しまったと思った時には全てが遅かった。
佐奈は顔が熱くなるのを感じながら、おそるおそる彼を見た。
「ご、ごめんなさ……」
「俺もふっかーつ!!」
情けない謝罪に被せて、滝川さんが拳で空を撃つ。
ニッと笑った笑顔に引きも嘲りもなく。ただ楽しそうに笑ってくれている。
ドクンとまた心臓が大きく鳴った。
それはしばらく収まらなくて。「さあ、行こう」と手を引いて歩いてくれる彼の背中をずっとずっと見つめてしまう。いけないと思いながらも、大きくなる気持ちを止められない。
いつまでも心を巡る、彼の笑顔と優しさ。
それは甘くて、切なくて。もしもそれが得られるならと再び夢を見る。
違うと言い聞かせながらも、淡い期待を捨てられない。
佐奈は少し視線を落とした。
これ以上見つめていたら、もう。
「佐奈?」
呼ばれて、顔を上げる。
視線の先にある笑顔の滝川さん。それは先程までと同じはずなのに、全く違うものに変わって見えて。佐奈はもう、この気持ちを無視できそうにない。
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