8 / 23
8.君へと至る道はまだまだと
しおりを挟む「まだまだ続く、階段よ♪」
久方ぶりに聞いた階段の君の声。
今日は何を言い出すのだろうと、笑いが込み上げる。
帝司は階段を静かに登りつつ、その微妙な音程の歌に耳を傾ける。
「踊り場越えて、はーちかい。まだ、まだ、まだ~♪ ……はぁ、歌ってると余計疲れるわ」
そりゃそうだ。
くつくつ笑いながら、上を見る。ホント誰なんだ、この子。
今度は話しかけようと意気込んだ先週。
それが空振りに終わって、なんだかんだと一週間が経って。今は、正体よりもこの愉快なひとり言を一日でも多く聞いていたいと思っている。
高峰さんのところは面白いメンツがそろっているな。
この階段の君にしかり、見た目を裏切る高田歩美しかり。いつもハイテンションな高杉浩太に、それを振りまわしているように見えて、実は振り回されている高花理衣沙。
まだ見ぬひんやりシートイケメン高谷に、そして、素でイケメンの――。
佐奈。
帝司はぴたりと足を止めた。
じわりと熱くなってくる顔を片手で覆った。
あれはいろいろ反則だと思う。
自己嫌悪に陥ったあの日。
彼女に悪気がない事は百も承知だったのに、笑ってファイルを取ってもらわなかった自分。情けない。
仕事を終えて、階段に出た。
いつもは朝しか聞けない愉快なひとり言を。出来たら、今日、今すぐに聞きたかったのだ。
だけど居たのは、彼女で。膝に顔を埋めて眠るその頬に一筋の涙を見た時、自分が傷つけたのだと、本能的に悟った。
ごめん、度量の狭い男でごめん。
声を掛けたくてもかけられなくて。それでも帝司は彼女に近寄った。すぐ隣では起きたらビックリするかもしれないなんて妙な気遣いで、一段上に腰かける。
今思えば、声をかけられない分、態度で謝罪しようと思ったのだろう。しばらく傍にいて、彼女の顔を眺めた。
そうしたら彼女が寝言を言い始めるから。
うん。うん。と短く答えて、そして、それで。
可愛い笑顔。可愛い、照れた顔。
『ありがとう、ごめんなさい――滝川さん』
『いいよ。――佐奈』
帝司は頭を抱えた。
いくら名前しか知らないと言えど、勝手に名前呼び。しかも、頭に触れたのはまずいだろう。
謝罪したらヘンタイだと思われるだろうか。それは正直いやだなあ……。
謝りたくても、謝れない事。
帝司は心の中にもやもやを抱えた。
そんな帝司の思いなど全く知らない社内では、徐々に十階と十ニ階の行き来が増えてきていた。
「帝司、これ十ニ階! ついでに先週渡した書類の返事もらって来て!」
「はい!」
新商品のサンプルと関連書類をもって階段を登る。
計、紙袋四つ分。少々重いが、まあいいか。
途中、連絡を受けたのか、上から降りてきた高杉浩太が「持ちます!」と両手を差し出してきた。帝司は頼まれた書類の件を話し、結局紙袋を半分ずつ持ちながら、十ニ階へと向かう。
「社長―! この間のサンプルの合否聞きたいそうですよ!」
デカイ声で高杉が叫ぶので、皆が一斉にこちらを向いた。
あ。
今、目が合った。
ちょうど高峰社長と話をしていた彼女がペコリと頭を下げる。そして、帝司も頭を下げる。
こういう場面は良くあった。だけど、あの日以来、まだ話は出来ていない。
帝司はなんとなくよそよそしい彼女にやきもきし始めた。
最初、近づいてきたのは君の方じゃないか。それなのに。
自分の態度に原因があった事は分かっている。
だったらそれを取り除くのも自分だ。
帝司は待つ事が苦手だと、自覚がある。それならもう、いくしかないだろう。
◇◆◇
「おつかれさま、今帰り?」
急に声をかけられて、佐奈はビックリした。
「おつかれさまです。――滝川さん」
帰り電車? と聞いてきた彼に頷けば、「俺も」と、自然に並んで歩き始めた。
え。ええ??
これって一緒に帰る感じ?
まさかの展開に佐奈は驚いた。
ビルを出て最寄り駅へ歩き出す。
梅雨時期のじっとりとした空気。雨は降っていないけれど、湿度はやっぱり高くて。佐奈は早くも冷房完備の社内に戻りたくなる。もし会社に住んで良いと言われたら、喜んで住みつく勢いだ。
相変わらず、女子力低い自分の発想に苦笑する。
同僚の理衣沙は外見中身共々女子力高くて、歩美は周囲の意見曰く、外見詐欺と言われるけれど、それは少なくとも見た目は合格なわけで。その二人と比べると、自分は外見も中身も不合格だと思う。まあ無理をして変えようだなんて思っていないし、その必要もないと思っているのだけど――。
佐奈は目線を落とし彼を見る。
バランスの取れたスマートな横顔。
髪は細く猫っ毛のようだが、触るととても柔らかそう。
表情は角度のせいでよくわからない。それでも特に怒っているような気配はなさそうで、だけど、機嫌がいいのとも違う気がした。――そもそもどうして声をかけてくれたんだろう?
滝川さんが顔を上げた。
うっかり目が合ってしまって、佐奈は気まずくなって視線をうろうろさせる。
「あー。今日そっちに持っていた新商品のサンプル、見た?」
「え、あっ。さ、サンプルですか? うんと、ざっとですけど、見ましたよ」
「目ぇ引くもんあった?」
「うーん……そうですねぇ、ぱっと見は無かったというか、うーん」
「つまりインパクトはいまいちって事か」
隣で腕を組んで考え込む滝川さん。
佐奈は拍子抜けした。
いや、何かを期待していたわけではない。逆に何を言われるのだろうと思っていたから、ある意味王道である仕事の話で、肩の力が抜けたのだ。
「やっぱりもう少し詰めるか」
「あの、見た目も大事ですけど、やっぱり機能とか使用感とかも大事だと思うんです」
「もちろん、それらを大事にしつつ、わっと驚くような、思わず手に取りたくなるような、そういうのがほしいなって」
「そ、そうですよね! まずは手に取ってもらわないといけないですしね!」
「似たような商品は星の数ほどあるからな。その中で定番を目指す訳だから、簡単にはいかない」
真摯に向き合う滝川さんを素敵だと思った。
佐奈は元々文具好きで、それが高じて今の会社を選んだ。自分で自分の気に入る物を作りたくなったのだ。デザインも、機能も、使用感も、その他いろいろ。でもそれは、同時に誰かの好きを目指す事にもなって、商品開発の奥深さを僅かながらでも垣間見ているところだった。
まだまだひよっこの自分には見えていない事も沢山あるけれど、少なくとも滝川さんの姿勢は使い手をわくわくさせるものだと思う。
「今回の新商品は学生向けだから、見た目も少しぐらい冒険してみるのもいいかもしれないな」
「机に置いて、気分が上がるような物になるといいですね」
「ああ。そうだな」
そこで時間切れだった。
滝川さんとは乗る電車が逆方向で、彼は「じゃあ、また」と、すんなり駅のホームへ消えてしまった。
結局話したのは仕事の事だけ。高峰文具の様子を聞かれる事も、ましてや佐奈の事を聞かれるでもなく、ほんと、それだけ。
「……仲間として、声をかけてくれたのかな」
それ以外考えられない。でも嬉しい。
嫌われたかもって、思っていたから、本当に嬉しい。
だけど、たとえあの場にいたのが佐奈でなくても、滝川さんは声をかけたのだろうと気付くと、それは少し残念に思った。今日自分があの場にいた幸運に感謝する。
また、お話しできるといいな。
仕事の話でも、他の話でも。
佐奈はニコリと笑って、駅のホームを駆け降りた。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる
佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます
「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」
なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。
彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。
私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。
それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。
そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。
ただ。
婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。
切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。
彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。
「どうか、私と結婚してください」
「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」
私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。
彼のことはよく知っている。
彼もまた、私のことをよく知っている。
でも彼は『それ』が私だとは知らない。
まったくの別人に見えているはずなのだから。
なのに、何故私にプロポーズを?
しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。
どういうこと?
============
番外編は思いついたら追加していく予定です。
<レジーナ公式サイト番外編>
「番外編 相変わらずな日常」
レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。
いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。
※転載・複写はお断りいたします。
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる