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第一章:アルフレアの女神編
4.悪い夢
しおりを挟むその日の夜。
エックハルトは夢を見た。
早い段階で夢だと断言できるのは、数年前に見たきりの景色だったから。
騎士見習いとして切磋琢磨した庭が見下ろせるその場所は、二階以上である事だけが窺える。
庭を見下ろすのを止め、正面を見やれば、目の前には扉がある。
武骨な錠がついたその扉は鉄製で、こんなモノが城内にあっただろうかと首を傾げる。
良く見れば錠は開きっぱなしだった。
止めれば良いのに、手が勝手に扉を開ける。
自分の意思で動かない身体はするりと中へ入り込み、重そうな扉を閉めた。
中は奥行きがなく、高さだけがあった。
恐らく、塔の中。灰色がどこまでも続く螺旋の階段と、積み重ねられた石の壁。窓はなく、登り続けても階層が分からない。
時折視界を掠める身体には、見覚えのある鎧が身につけられている。騎士隊の物だった。何処の所属だろうと頭を捻っていると、今度は手が見えた。
――大鷲じゃない。
篭手のエンブレムは大鷲ではなかった。その時点で自分が所属していた五番隊の物ではないと分かる。ぼんやりとしか見えないエンブレムでは、何処の隊のものかは判別できなかった。
途中立ち止まり、壁面に手をついた。
すると石が一つだけくぼみ、すぐ横の石壁が動き出す。
歯車のように規則正しく、パズルのように難解に。そして足元の石が沈むと、人が一人通れるほどの通路になった。
そこでエックハルトは自身が高揚している事を感じた。
正確に言えば自分ではなく、この仮の身体の身の内がひどく高ぶっているのだ。
嫌な予感がした。
自分の感情と、仮の身体が受ける感情の差異で吐き気がする。
ままならぬ感情と、自由に動かない身体。
どちらも自分の意思に反した状況なのに、それでも目に入って来る景色は現実に程近く、夢だと分かっていても錯覚を起こす。
(――誰か)
声は音にならない。
いつだってそうだ。
夢は勝手に進み、状況を組み立ててゆく。
それを自分が組み替える事など出来ない。
新たに出来た通路を進み、また仮の身体が足を止めた。
暗く、日の光も届かない場所に、すっと手を伸ばす。
鎧のたてる音が聞こえた気がして、次の瞬間にはボウとオレンジ色の明かりが灯る。
そうして仄かに明るくなった壁に在るのは――……
「!!!!」
カッと目を見開き、飛び起きる。
目の前には見覚えのある部屋の扉と、エントランスの物より一回り小さいオオワシの石像。
頬に触れる髪を掻き上げようとすれば、思った通りに手が動いた。
「夢……か」
最初から、分かっていたはずなのに。
心に残る不快な思いはエックハルトの中に留まり、脳裏に焼きついた。
懐かしさの残る庭と、何処の隊か分からぬ篭手。そして、隠し扉の先に在る――……
「……やめよう」
頭を振って脳裏の記憶を振り払う。
夢は夢。取るに足らない些細な事。現実ではない。
サイドテーブルにあるグラスへと水を注ぎ、一気に飲み干す。
すでに喉を抜ける冷たさはなかったが、乾いた口腔内を潤わすには十分だった。
翌日。
領地に帰る事を告げると、アルバティスは笑いながらダメだと言い出した。
「何故ですか、ちゃんと昨日アルフレアには行きましたよ?」
「おう、分かってる。女神に会えたんだろう?」
「女神かどうかは分かりませんが……」
「いや、間違いなく本人だろう。ハルトのシワが減っているんだから」
たしかに彼女には色々話をして、気分がすっきりした感覚はあった。
それが眉間のシワ減少に影響があったとしても、良く見ているなと感心する。
「じゃあ、何故?」
「また増えてるからだ」
マジかと、思わず眉間を押さえる。
折角減ったらしいのに、なんて頑固なシワなのだろう。
それでもエックハルトはある意味諦めていた。
「……仕方ないじゃないですか。このシワ、随分前からですし」
「仕方なくない。減らす事が出来るって分かったんだから、もっと減らせ」
そんな無茶苦茶な。と、声を上げても、やはりアルバティスは聞いていない。
彼は「今日もアルフレアに行けよ」とだけ言い残して、屋敷の奥へと引っ込んでしまった。
――片手に、エックハルトの荷物を掴んだまま。
こうして、エックハルトのアルフレア通いが始まる。
相変わらず道が開ける事には傷つくが、いつものベンチに腰掛けると、気分は変わる。
アルフレアの花壇通りにありながら、一番人通りが少ない奥のベンチ。
目の前には青々とした緑と、こじんまりとした黄色い花が咲いている。
「こんにちは、ハル様」
振り返れば、彼女がニッコリ笑っている。
その笑顔を見るだけで心が躍った。
彼女はいつもふらりと現れては、自分の話を聞いてくれる。
「そういえば、出番はありましたか?」
「なんの?」
彼女に「おまじないです」と言われ、思わず顔をしかめた。
「……その顔は。さては悪い夢を見たのに、使いませんでしたね?」
「……すまない、忘れていた」
「すぐの方が効果あるって言ったのに」
小さな子供の様に口をとがらせる姿に目を奪われる。
人の話を辛抱強く聞くといった、大人でも難しい事を簡単にしてのけるのに、こうして見てみると彼女はとても若かった。
――ひょっとしたら、年下なのかもしれない。
年齢を聞こうにも、それが失礼である事はよく知っている。
エックハルトは年下女性に悩みを話すというちょっと情けない自分に心を無にした。
その間にも、彼女は話を続けてくれる。
「――悪い夢は心を雁字搦めにしちゃうんです。だから、バクに食べてもらって下さい」
「……夢をあげるって、そういう意味だったのか」
彼女は頷くと、ニコリと笑って口ずさむ。
『イライラは、とげとげしていて辛い味。
メソメソは冷たく酸っぱくて、ニコニコは柔らかくて甘い味。
世の中に広がる想いは、すべてあたしのご馳走。
――さあ。今日は何を食べようかな?』
「――夢喰いの歌です」
可愛らしい歌でしょ? と、彼女は微笑んだ。
イライラ、メソメソ、ニコニコ?
「……バクは夢を食べるんじゃなかったのか?」
「そうですよ。夢を食べ、その時の想いをお腹の中に収めているんです」
「なるほど。だから感情に対しての感想なのか」
たしかにイライラは辛そうだし、ニコニコは甘そうだ。
「夢喰いは基本甘党で、とりつかれると楽しい夢ばかり食べられてしまいますが、おまじないを使って呼び出すと、甘くなくても食べてくれるそうですよ」
「へぇ……?」
「満腹だったり、好みじゃなかったりしたら、残す事もあるらしいですけどね」
その辺は人間も夢喰いも一緒ってわけだ。
幼いころからおまじないに癒されていたエックハルトは、夢喰いの食事情には興味がわいた。
「そうなると、悪夢は何味なんだろうな」
「悪い夢? うーん……」
彼女が首を傾げ、唸り声を上げる。その仕草を見て、ハッと我に返った。
ああ、しまったと。
答えが出ない問題を、考えさせてしまった。と。
「――すまない、つまら……」
「苦い味。かな」
「え?」
「苦い味。なんとなく悪い夢って、後味がザラっとしていそうじゃないですか?」
雑談の、それも不毛な話なのに、彼女はしっかりと考えてくれた。
エックハルトは『要件は簡潔に、無駄なく』を常に意識している。雑談自体を無駄と考えている訳ではなく、考えても答えの出ない事を延々と考えさせるのは無意味だという思考だ。
明らかにこの話は答えが出ない。
それこそ、バクに自身の夢を食べてもらった後、感想を聞かない限りは。
「ハル様?」
「え、ああ……すまない。たしかに、そうかもしれないな」
今までは避けていた生産性のない会話。
だが、意外と……。
エックハルトは笑みを浮かべ、「確かに嫌な思いが残るという意味では、ザラザラしていそうだ」と賛同する。そして。
「……苦いと言えば、一般的に『悔しい』感情の様な気もするが」
「鋭い!! 多分、それも苦い味ですよ!!」
考えても答えの出ない一言に、彼女は楽しそうに解釈を広げるのだった。
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