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壱話 執着
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「待ってくれ!頼む!!それを納めてくれ!!」
「私には貴方しかいないの。お願いよ、私を捨てないで。」
怯え、恐怖から立ち上がれず、尻もちをつきながら後退する男性の前には、包丁を持ち、ポロポロと涙を流しながら追いかける女性。
カーテンの閉まった室内は薄暗く、どこか淀んでいる。
「貴方が私を捨てるなら、貴方を殺して私も死ぬわ。」
「ひぃっ!」
女性の言葉に、男性の恐怖は深まる。
その表情を見て、女性は泣きながらニコリと笑った。
「ずっと一緒よ、あなた。」
ギィイイイイ─────。
扉の開く音に、黒髪の金瞳をした、桜の花があしらわれた着物を着た少女は、読んでいた本から顔を上げた。
扉の所に立っていたのは、いかにも専業主婦という出で立ちの女性だった。
しかし、少女は眉間に皺を寄せた。
扉前に立っている女性から生気を感じなかったからだ。
何より、その女性の周りだけ異様に淀んでいる気がした。
少女は本を置くと、女性に近づこうとした。
けれど、いつの間にか傍に来た黒髪で赤目の背の高い男性にポン、と肩に手を置かれ止められた。
「キミは行かないで。」
「これは私の仕事。」
「だとしても、あれはダメ。」
男性はゆっくりと女性に近づき、何かを話し始めた。
少女の方にチラリと一度視線を向けた女性は、ピシリッ!と固まった。
男性はそれを見て溜息をつき、少女を振り返る。
「何かした?」
男性の問いかけにユルリと首を振る少女。
けれど、少女の目が向いている先は、女性の纏う淀んだ空気。
そこにある何かに、少女は読み取れるほどゆっくり、口を動かした。
<人殺しは大罪だ>
ブルブル震え出した女性の身体に、少女は続ける。
<隠世に戻ろうとしても、閻魔が許さない>
<お前も彼女も、輪廻には戻れず、魂は消滅する>
言葉が終わると同時に、怯えに怯えた女性は、この場から逃げ出そうとした。
しかし今、少女と男性、そして、女性がいる空間は出入口のない洞窟の様な場所。
あるのは両開きの扉が二つと、その間に大きな鏡があるのみだった。
逃げようとして、入ってきた扉を開けようとしても開かず、
「出して!いや、いやよ!嫌!!あなた!あなた助けて!!」
ドンドンと扉を叩く女性に、男性が両肩にポン、
と手を置いた。
「ひっ!」
「しばらく洞窟にいてもらうよ。」
恐怖に染まりきった女性に、トドメだと言わんばかりに言った男性の顔は笑顔だった。
あれから数日が経っただろうか。
未だに、少女が少し動くだけでも女性はビクビクしている。
(そんなに怯えなくてもいいのに。)
男性は怯える姿が面白いのか、クスクスと控えめに笑う。
そんな男性を尻目に、少女は読んでいた本を閉じて置くと鏡に向かった。
「月華?」
「外に出てくる。」
鏡に手を伸ばし、紺のシャツワンピースと黒のブーツを取り出して身につけると、女性が入ってきた扉から出ていった。
月華が洞窟から出たあと、男性は女性に話しかけた。
「あんた、可哀想な魂だよね。」
「な、なんですか急に…。」
男性の言葉に、女性はビクリと体を強ばらせた。
フフっと綺麗に笑った男性は、鏡を指さしながら言った。
「あの鏡を覗いてみて。どうして月華が出掛けたのか解るから。」
女性は言われるまま、恐る恐るではあるが鏡を覗いた。
月華は、とある住宅街の立入禁止のテープがしてあるどこにでもある一軒家の前にいた。
警察官や刑事などが居るが見向きもせず、構わず家の中に入っていく。
綺麗に片付けられている家の中だが、カーテンが閉めてあるせいか薄暗く、血生臭い匂いが漂っていて、死体の形を象った白テープは一つ。
(おかしい。)
月華がそう思うのも無理はなく、洞窟に閉じ込めている女性は確かに死んでいる。
淀んだ空気も、この家のものと大差なかった。
では何故、女性の死体がここには無いのか。
一旦リビングから出て、二階に続く階段を上がっていく。
だんだんと淀んだ空気は酷く、重くなり、気が遠のきそうになるも、耐えて二回に上がりきった、その時だった。
「妻は悪くない、全部俺のせいなんだ。」
泣きそうな顔をした男が、部屋の前に佇み、こちらを見ていた。
「頼む、気づいてくれ。」
切実に願う声だった。
月華は男がいる部屋の前で止まると、手を合わせて合掌したあと、扉を開けた。
ムワッとした異臭のする空気に、吐き気をもよおし、目から涙が零れ落ちる。
耐えながら部屋の中に入ると、ベッドが一つ。
そこに寝かされた朽ちていない死体を見た瞬間、月華は頭を抱えたくなった。
どこで知ったのか知らないが、禁じられた呪文に手を出していた。
(蘇りの儀式。)
代償は術者自身の魂。
しかも、死んだ本人から殺されること。
だが、死体は朽ちていないものの、起き上がらないし、男の魂はこの家に留まったまま。
ましてや、この体の持ち主は今、洞窟の中にいる。
月華は、予めシャツワンピースのポケットに入れていた御札を出すと、死体に縋り付いて泣いている男の魂を一時的に封印すると、その家から一瞬で姿を消した。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!」
洞窟内に女性の悲鳴が響く。
ボタボタと大粒の涙を零しながら、頭を抱えて鏡の前で蹲った。
男性はふぅ、と息を吐き出すと、ギィイイイイ──────と開いた扉から姿を現した月華を苦笑交じりに出迎えた。
泣き叫ぶ女性の傍に寄ると、月華はその場に膝をつき、女性の顔を上げさせた。
「橋本 由奈さん。残念だけど、貴女の魂と貴女の旦那様は、輪廻へ還れず、消滅することになる。それは何故か、もう解るでしょう?」
「うわああああああああぁぁぁ!!」
絶望に打ちひしがれ、ぶつける事の出来ない怒り。
愛していたが為に、犯してはいけない罪を犯し、犯させられ、生に縋り付き、執着した。
だからこそ、ヒトデナシが取り憑いたのだ。
橋本由奈の旦那が封じられた御札を、様子を見ていた男性に渡し、新しい御札を取り出して、
「せめて、悔いのなき消滅を。」
そう言葉を残して、橋本由奈を封印し、また男性に渡した。
「禁忌の儀式か。全く、人間というものは本当に恐ろしい生き物だ。」
渡された御札をむしゃむしゃと食べながらしみじみと言う蜘蛛。
そんな蜘蛛の頭を撫でながら、月華は真っ暗になった鏡を見つめていた。
「魁は、どうして私に手を差し伸べたの?」
「さぁ、どうしてだと思う?」
「・・・解らない。」
「いずれ解る日が来るよ。今日のようにね。」
魁の言葉に月華は目を閉じて、橋本夫婦の生前を思い出していた。
実は数日前、橋本由奈が洞窟に来た次の日に、月華は一日中鏡の前に座っていた。
鏡の前で何をしていたのかと言うと、月華は橋本由奈の死ぬまでの経歴を見ていたのだ。
幼なじみであった橋本夫婦は、すれ違いはあったものの、恋人同士になり、夫婦になった。
幸せ絶頂だった二人は、とある夫婦の嫉妬に狂った目に気づかなかった。
ある時、橋本由奈の旦那が、理由もなくリストラされ、由奈自身は根も葉もない噂を流され、精神的に追い詰められて自殺。
愛していた夫を残す事に罪悪感があったのか、死んでも死にきれなくて、成仏せずに、家に憑いていた。
けれどある時、由奈の旦那はどこから手に入れてきたのか、呪術の本を持ち帰ってきて、埋葬出来なかった妻の遺体を寝かせた部屋へ入ると、呪術を何度も試していた。
その内、部屋が淀み始め、家に憑いていた由奈の魂も日を増す事に淀みに侵されてしまい、自我を失って、本能の赴くままに、行動していたのだ。
人として死ねず、化け物にされ、挙句の果てには輪廻転生が出来ず、消滅する他、道がなくなってしまった。
由奈の旦那は、自分が犯してしまった罪を死ぬ前に後悔し、何度も何度も妻に謝っていた。
橋本由奈も、自我を失っていたとはいえ、生き返ることは望んでいなかった。
ただ愛した者と一緒にいたいと願っただけ。
その想いは、誰にも邪魔できるものでは無い。
「ともあれ、禁断の術が成功しなくて良かったよ。」
もし成功していたら、神が黙っていないからね。
そう言った魁は、ケタケタと声を出して笑った。
「私には貴方しかいないの。お願いよ、私を捨てないで。」
怯え、恐怖から立ち上がれず、尻もちをつきながら後退する男性の前には、包丁を持ち、ポロポロと涙を流しながら追いかける女性。
カーテンの閉まった室内は薄暗く、どこか淀んでいる。
「貴方が私を捨てるなら、貴方を殺して私も死ぬわ。」
「ひぃっ!」
女性の言葉に、男性の恐怖は深まる。
その表情を見て、女性は泣きながらニコリと笑った。
「ずっと一緒よ、あなた。」
ギィイイイイ─────。
扉の開く音に、黒髪の金瞳をした、桜の花があしらわれた着物を着た少女は、読んでいた本から顔を上げた。
扉の所に立っていたのは、いかにも専業主婦という出で立ちの女性だった。
しかし、少女は眉間に皺を寄せた。
扉前に立っている女性から生気を感じなかったからだ。
何より、その女性の周りだけ異様に淀んでいる気がした。
少女は本を置くと、女性に近づこうとした。
けれど、いつの間にか傍に来た黒髪で赤目の背の高い男性にポン、と肩に手を置かれ止められた。
「キミは行かないで。」
「これは私の仕事。」
「だとしても、あれはダメ。」
男性はゆっくりと女性に近づき、何かを話し始めた。
少女の方にチラリと一度視線を向けた女性は、ピシリッ!と固まった。
男性はそれを見て溜息をつき、少女を振り返る。
「何かした?」
男性の問いかけにユルリと首を振る少女。
けれど、少女の目が向いている先は、女性の纏う淀んだ空気。
そこにある何かに、少女は読み取れるほどゆっくり、口を動かした。
<人殺しは大罪だ>
ブルブル震え出した女性の身体に、少女は続ける。
<隠世に戻ろうとしても、閻魔が許さない>
<お前も彼女も、輪廻には戻れず、魂は消滅する>
言葉が終わると同時に、怯えに怯えた女性は、この場から逃げ出そうとした。
しかし今、少女と男性、そして、女性がいる空間は出入口のない洞窟の様な場所。
あるのは両開きの扉が二つと、その間に大きな鏡があるのみだった。
逃げようとして、入ってきた扉を開けようとしても開かず、
「出して!いや、いやよ!嫌!!あなた!あなた助けて!!」
ドンドンと扉を叩く女性に、男性が両肩にポン、
と手を置いた。
「ひっ!」
「しばらく洞窟にいてもらうよ。」
恐怖に染まりきった女性に、トドメだと言わんばかりに言った男性の顔は笑顔だった。
あれから数日が経っただろうか。
未だに、少女が少し動くだけでも女性はビクビクしている。
(そんなに怯えなくてもいいのに。)
男性は怯える姿が面白いのか、クスクスと控えめに笑う。
そんな男性を尻目に、少女は読んでいた本を閉じて置くと鏡に向かった。
「月華?」
「外に出てくる。」
鏡に手を伸ばし、紺のシャツワンピースと黒のブーツを取り出して身につけると、女性が入ってきた扉から出ていった。
月華が洞窟から出たあと、男性は女性に話しかけた。
「あんた、可哀想な魂だよね。」
「な、なんですか急に…。」
男性の言葉に、女性はビクリと体を強ばらせた。
フフっと綺麗に笑った男性は、鏡を指さしながら言った。
「あの鏡を覗いてみて。どうして月華が出掛けたのか解るから。」
女性は言われるまま、恐る恐るではあるが鏡を覗いた。
月華は、とある住宅街の立入禁止のテープがしてあるどこにでもある一軒家の前にいた。
警察官や刑事などが居るが見向きもせず、構わず家の中に入っていく。
綺麗に片付けられている家の中だが、カーテンが閉めてあるせいか薄暗く、血生臭い匂いが漂っていて、死体の形を象った白テープは一つ。
(おかしい。)
月華がそう思うのも無理はなく、洞窟に閉じ込めている女性は確かに死んでいる。
淀んだ空気も、この家のものと大差なかった。
では何故、女性の死体がここには無いのか。
一旦リビングから出て、二階に続く階段を上がっていく。
だんだんと淀んだ空気は酷く、重くなり、気が遠のきそうになるも、耐えて二回に上がりきった、その時だった。
「妻は悪くない、全部俺のせいなんだ。」
泣きそうな顔をした男が、部屋の前に佇み、こちらを見ていた。
「頼む、気づいてくれ。」
切実に願う声だった。
月華は男がいる部屋の前で止まると、手を合わせて合掌したあと、扉を開けた。
ムワッとした異臭のする空気に、吐き気をもよおし、目から涙が零れ落ちる。
耐えながら部屋の中に入ると、ベッドが一つ。
そこに寝かされた朽ちていない死体を見た瞬間、月華は頭を抱えたくなった。
どこで知ったのか知らないが、禁じられた呪文に手を出していた。
(蘇りの儀式。)
代償は術者自身の魂。
しかも、死んだ本人から殺されること。
だが、死体は朽ちていないものの、起き上がらないし、男の魂はこの家に留まったまま。
ましてや、この体の持ち主は今、洞窟の中にいる。
月華は、予めシャツワンピースのポケットに入れていた御札を出すと、死体に縋り付いて泣いている男の魂を一時的に封印すると、その家から一瞬で姿を消した。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!」
洞窟内に女性の悲鳴が響く。
ボタボタと大粒の涙を零しながら、頭を抱えて鏡の前で蹲った。
男性はふぅ、と息を吐き出すと、ギィイイイイ──────と開いた扉から姿を現した月華を苦笑交じりに出迎えた。
泣き叫ぶ女性の傍に寄ると、月華はその場に膝をつき、女性の顔を上げさせた。
「橋本 由奈さん。残念だけど、貴女の魂と貴女の旦那様は、輪廻へ還れず、消滅することになる。それは何故か、もう解るでしょう?」
「うわああああああああぁぁぁ!!」
絶望に打ちひしがれ、ぶつける事の出来ない怒り。
愛していたが為に、犯してはいけない罪を犯し、犯させられ、生に縋り付き、執着した。
だからこそ、ヒトデナシが取り憑いたのだ。
橋本由奈の旦那が封じられた御札を、様子を見ていた男性に渡し、新しい御札を取り出して、
「せめて、悔いのなき消滅を。」
そう言葉を残して、橋本由奈を封印し、また男性に渡した。
「禁忌の儀式か。全く、人間というものは本当に恐ろしい生き物だ。」
渡された御札をむしゃむしゃと食べながらしみじみと言う蜘蛛。
そんな蜘蛛の頭を撫でながら、月華は真っ暗になった鏡を見つめていた。
「魁は、どうして私に手を差し伸べたの?」
「さぁ、どうしてだと思う?」
「・・・解らない。」
「いずれ解る日が来るよ。今日のようにね。」
魁の言葉に月華は目を閉じて、橋本夫婦の生前を思い出していた。
実は数日前、橋本由奈が洞窟に来た次の日に、月華は一日中鏡の前に座っていた。
鏡の前で何をしていたのかと言うと、月華は橋本由奈の死ぬまでの経歴を見ていたのだ。
幼なじみであった橋本夫婦は、すれ違いはあったものの、恋人同士になり、夫婦になった。
幸せ絶頂だった二人は、とある夫婦の嫉妬に狂った目に気づかなかった。
ある時、橋本由奈の旦那が、理由もなくリストラされ、由奈自身は根も葉もない噂を流され、精神的に追い詰められて自殺。
愛していた夫を残す事に罪悪感があったのか、死んでも死にきれなくて、成仏せずに、家に憑いていた。
けれどある時、由奈の旦那はどこから手に入れてきたのか、呪術の本を持ち帰ってきて、埋葬出来なかった妻の遺体を寝かせた部屋へ入ると、呪術を何度も試していた。
その内、部屋が淀み始め、家に憑いていた由奈の魂も日を増す事に淀みに侵されてしまい、自我を失って、本能の赴くままに、行動していたのだ。
人として死ねず、化け物にされ、挙句の果てには輪廻転生が出来ず、消滅する他、道がなくなってしまった。
由奈の旦那は、自分が犯してしまった罪を死ぬ前に後悔し、何度も何度も妻に謝っていた。
橋本由奈も、自我を失っていたとはいえ、生き返ることは望んでいなかった。
ただ愛した者と一緒にいたいと願っただけ。
その想いは、誰にも邪魔できるものでは無い。
「ともあれ、禁断の術が成功しなくて良かったよ。」
もし成功していたら、神が黙っていないからね。
そう言った魁は、ケタケタと声を出して笑った。
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