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第四章
81、血を継ぐ者
しおりを挟むサラ達が教会でユスティヌス帝国の皇子二人と衝撃的な再会をした翌日、第一皇子ロシエルは第二皇子エバニエルを自室に呼び出し、教会で目撃したエバニエルの一連の行動について説明を求めた。
「エバニエル、お前は聖女を明日の夜会に出席させるために、彼女の護衛を人質にして脅すような真似事までしたそうだな。他にも大量の贈り物を送りつけたり、マティアス家の内情も探っているようだが、彼女に近づく目的は一体何だ」
普段は廊下ですれ違っても挨拶さえしない二人が、ソファに腰を落ち着かせ、向かい合って話をする機会は滅多にない。数年振りに顔を突き合わせているというのに、いきなり本題に入ったロシエルに、エバニエルもわざとらしく挑発的な言葉を返す。
「兄上こそ、最近は護衛も付けずに外出するほど体の調子がいいようですね。僕の知らない間に聖女の治療を受けたのですか?教会にいた理由も実は彼女に会う為だったのでは?彼女の後を追い回しているのは僕じゃない、貴方ですよ、兄上」
「……私は体に触れて欲しくないという理由で治療を断っている。それでも彼女はいつでも協力すると言ってくれた、ただそれだけだ」
「ふッ……そんな下らない言い訳がいつまでも通用するとお思いですか。それともわざと治療を拒み続け、純粋な彼女の気を引いて親交を深めていこうというお考えですか。聖女を味方につけて、いずれ僕から次期皇帝の座を奪うつもりではないのですか?」
エバニエルの疑い深さに、ロシエルは呆れた様子で、言い飽きた答えをここでも繰り返す。
「私は皇帝にはならない。それに誰も初代皇帝の『血』を受け継いでいないのだから、陛下の直系であるお前が皇位を継ぐべきだ。私の考えは陛下も承知しているのに、まだ信じられないのか?」
「ですが最後にその『血』を受け継いだのは他の誰でもない、貴方の実の父親である前皇帝だ。異能の力を使って数多くの功績を遺し、若くしてこの世を去った先帝を慕う者達は貴方の復権を望んでいる。兄上があの力が受け継いでいなくても、聖女との密会を黙認することはできません。ただし、僕と聖女の結婚を認めるのであれば話は別ですけどね」
「…私利私欲で聖女に手を出せば天罰が下るぞ。それにロクサーヌ宰相の娘マデリーン嬢のことはどうするつもりだ。婚約を破棄すればロクサーヌ家の反感を買って、内政が荒れることは目に見えている」
「神に選ばれた聖女は神の子に等しい存在。父親の後ろ盾しかないマデリーンよりも、聖女に後継ぎを産ませて、その『血』を私達の血筋に取り込む方がよほど有益だとは思いませんか。それに聖女の治癒力を利用すれば、一族の没落と死を何よりも恐れる貴族たちを裏で操ることもできる。側室にもなれないマデリーンを気の毒に思うのなら、兄上が彼女と結婚して大公妃にしてやればいいじゃないですか」
「教会の予言通りなら、悪魔との戦いで聖女の助けが必要になる日は必ず来る。だがお前のせいで彼女の信用を失えば、帝国は滅亡するかもしれないんだぞ!聖女に対するお前のいき過ぎた行為は見逃すことはできない。昨日の一件は陛下に報告する。エバニエル、私の行動が気に入らないというのなら、これからは互いに聖女と距離を取ることにしよう」
話を終わらせようと立ち上がったロシエルに、エバニエルは座ったまま苦笑いを浮かべている。
「兄上は勘違いをしている。僕は陛下から聖女の魅力に惑わされるなと忠告は受けたけれど、聖女を利用することに反対はされていない。そもそも僕は教会の予言を聞いた後、密かに調査隊まで派遣して、誰よりも先に聖女を見つけ出し、愛妾にでもして手なずけておくつもりでいたんだ。マティアス家の娘が聖女に選ばれたことは誤算だったけれど、彼女は侯爵の娘とは思えないほど純粋で優しい性格の持ち主だ。僕の近くに置く事ができれば、躾けるのにそう時間はかからないよ」
「言葉を慎め、エバニエル!」
ロシエルの怒りは頂点に達し、気がつけば一瞬のうちにエバニエルの胸ぐらを掴んで椅子から立ち上がらせていた。エバニエルはロシエルの力強さに怯みながら、眉間に皺を寄せ、ロシエルの虚弱体質を疑う目を向けている。
「…放して下さい、兄上。僕は次の予定があるので、そろそろ行かなくては」
我に返ったロシエルは手を放すと、エバニエルが部屋から出ていくのを見届けながら後悔のため息をついた。
(昔はここまで疑り深くはなかったんだが、俺が初代皇帝の継承者であることに勘づいたのかもしれない。そうなるとあいつも俺を敵とみなし、刺客を送りつけてくるようになるのだろうか…。父親は異なっても同じ腹から産まれた弟と争いたくはない。もういっそのこと、この国を出た方がいいのだろうか…)
ロシエルは最後まで冷静になれなかったことを反省しつつ、口論の原因となった聖女の姿を頭に思い浮かべた。今すぐ無事を確かめに行きたくても行けないジレンマに耐えきれず、その場で息を大きく吐き出す。
(昨日の一件でしばらく部屋に籠るつもりでいたが、リックと稽古をして体を動かしてくるか。あいつは昨日、マティアス家のもてなしを受けてストレスが溜まっているに違いない。少しくらい付き合ってくれるはずだ)
ロシエルが外出着に着替えていると、奥からロシエルと瓜二つの顔をした寝間着姿の男が、黒いマントを持って現れた。ロシエルは男の登場に驚きもせず、慣れた様子でマントを受け取った。
「しばらくは誰も来ないはずだが、いつものように頼んだぞ」
「承知いたしました」
「俺の身に何かあれば、お前にかけた魔法は解けるだろう。その時はどうすべきかわかっているな」
「はい。殿下、お気をつけていってらっしゃいませ」
皇城内で「ルアン」の姿を見られないようにしているロシエルは、黒いマントを身に纏い、一人静かに部屋を出て行った。
※ ※ ※
宰相の愛娘マデリーン・ロクサーヌは、婚約者である第二皇子エバニエルに会うため、一人皇城を訪れている。ところが皇族専用の出入り口で衛兵たちに道を塞がれ、茶会が延期になったことを一方的に告げられると、マデリーンは挨拶もせずにこのまま帰ることはできないと強情を張り始めた。
「私がここにいる事を殿下に伝えてきてちょうだい。行き違いがあったかもしれないけれど、エバニエル様が私を追い返すはずがないわ」
大広間に一人で待たされることになったマデリーンは、いつ来るかもわからないエバニエルを、端に置かれた腰かけに座って待ち続けた。
やがて専用口から護衛を引き連れて出てきたエバニエルが、人を探す素振りも見せずにどこかへ行こうとするので、慌てたマデリーンは小走りで駆け寄り声をかけた。
「エバニエル様!」
怒りを隠し完璧な笑顔を作るマデリーンに対し、エバニエルは冷たく言い放つ。
「まだいたのか」
「え…?」
「茶会は延期だと伝えたはずだけど、僕の伝言を無視したそうだね」
「そ、それは、帰る前に一目エバニエル様に御挨拶がしたいと頼んだだけです。それなのにあの者たちが私の言う事を聞かなくて―――」
「教えてくれ、マデリーン。何故彼らが僕の命令よりも君の言葉を優先させなければならないんだ」
返答に窮するマデリーンの答えを待つこともなく、エバニエルは護衛たちと共に大広間を抜けて出て行ってしまった。
エバニエルの冷たい態度に怒りが収まらず立ち尽くしていると、
「ロシエル殿下、護衛はつけなくてもよろしいのですか」
と話す衛兵の声を聞いたマデリーンは、思わず近くにあった柱に身を隠し、影からそっと覗き見る。
「いつものように中庭を散歩してくるだけだ。どうせ見張りがいるのだから護衛は必要はない」
他の令嬢たちよりも皇城に出入りする機会の多いマデリーンは、城内の噂話を耳にする機会も多い。体が弱いロシエルは、日中も日差しを避けるために黒いマントを着けて出歩くので、まさに亡霊のような存在だと囁かれている。
しかし今、マデリーンの目に映るロシエルは、硬い表情で緊張感をちらつかせ、しっかりとした足取りで歩いている。人気のない大広間に響く低い声も、護衛はいらないと言い切った口振りも、まるで騎士のような男らしさを滲ませていて、とても貧弱な皇子には見えない。
結局その雰囲気に惹かれたマデリーンは、ロシエルの後を追うように歩き出していた。
このまま中庭に向かうはずのロシエルが、急に方向を変えて通路沿いの一室に入ってしまった。目標を見失ったマデリーンは立ち止まり、部屋の扉が少し開いていることを確認すると、中の様子が気になって扉に近づく。すると次の瞬間、中にいた人物に腕を掴まれ、強引に部屋の中へと引き込まれていた。
体を壁に押し付けられ、首に小さなナイフが当てられていることに気がついたマデリーンは、恐怖で体を強張らせ声も出てこない。
自分につきまとう人物の正体を確認したロシエルはナイフを遠ざけ、壁に押しつけたマデリーンの体を解放した。
「……弟の婚約者が私に何の用だ?」
ほっとしたのも束の間、ロシエルの質問を受けたマデリーンは、目の前にいる男性が思った以上にハンサムで、婚約者のエバニエルよりも魅力的に見えてしまうことに戸惑いながらも、この状況を切り抜ける策を素早くひねり出した。
「……御無礼をお許し下さい、ロシエル殿下。内密にお話したいことがございます」
「話とは?」
マデリーンはロシエルを見上げ、苦しい胸の内を訴え出した。
「私は皇后になるために、帝国に身を捧げる覚悟で厳しく育てられてきました。ですがエバニエル様は私との結婚に前向きではないご様子。しかも考え直してみれば、第一皇子のロシエル様が正式な後継ぎであるはずなのに、病弱という理由だけで次期皇帝の座をエバニエル様に譲ってしまっていいのでしょうか。もし――」
マデリーンは誰にも聞かれてはいけないことのように、ロシエルの耳元に顔を近づけながら、わざとらしく豊かな胸を強調するように体をすり寄せていく。
「もしロシエル様が皇帝の座をお望みであれば、今からでも遅くはありません。宰相の娘であるこの私が力になります。帝国のこれからを支えるのは軍事力ではなく、我がロクサーヌ家が誇る政治力です。もしよろしければ、これから一緒に中庭を散歩しながらお話を――」
マデリーンがロシエルの顔に視線を移すと、冷たい眼光がマデリーンを見下ろしていた。背筋が凍り付いたマデリーンは、ロシエルからすぐに離れて後ずさりをする。
「マデリーン・ロクサーヌ公爵令嬢。今のは反逆とも受け取れる発言だったが、今回は令嬢の只の戯言として聞き流そう。だが貴女がどんなに魅力的であっても、私の体に触れていいと許した覚えはない。そなたも聖女の品行方正さを見習って、誤解を招く言動は慎むことだ」
ロシエルはそう言うと、黒いマントをひるがえし部屋を出て行ってしまった。再び置き去りにされたマデリーンは、恥ずかしさと悔しさで唇を噛みしめながら、怒りの矛先を別のところへと向け始めている。
(ロシエル様まであの女のことを口を出すなんて…!このままだとあの女に全てを奪われてしまうわ!だけど聖女を相手にどう戦えばいいの?せめて神の代理人には相応しくない悪い噂を広める事ができれば……!)
マデリーンはまだ会った事もない噂の聖女に対して、勝手な憎しみを抱き募らせていった。
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