身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第四章

80、密かな訪問者(四)

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 黒いマントを身に纏ったその人物は、エバニエルの背後で立ち止まると、フードをはずしてその正体を明かした。

 くすみがかった金の髪に金の瞳、血色は悪いが帝国一の美男子と名高いキースにも劣らない端麗な顔立ちをした青年は、ユスティヌス帝国の第一皇子、ロシエル本人で間違いない。

(どうしてロシエル殿下までここにいるの!?)

 弟のエバニエルに次期皇帝の座を譲る為、病弱と偽り目立たたず生きていくと話していたロシエルが、皇城から遠く離れた教会にいることも驚きだが、弟を見るその目はとても冷たく、長身で細身の体から漂う圧倒的な威圧感が、妙な違和感と緊張感を周囲に与えている。

 エバニエルもロシエルが教会に来ていたことは知らなかったようで、サラの手首を掴んだままロシエルを睨みつけている。

「どうして兄上が教会にいらっしゃるのですか?」

「帝国の安寧の為に祈祷をしに来ただけだ。お前の方こそ、ここで一体何をしているんだ。彼女を放せ、エバニエル」

 エバニエルが無言でサラを解放すると、サラは声を震わせながら必死に訴えた。

「二人を…私の護衛たちも解放して下さい…!お忘れかもしれませんが、私は誰かの許しを得なくても、自分の意志で聖女の力の使い道を決めることができるのです。私がどういう意味で申し上げているのか、もうお分かりのはずです…!」

 サラが強気な態度に出てみせても、声だけでなく小さな体がふるふると震えている様は捕食される前の小動物に等しく、それを小馬鹿にするようにエバニエルは苦笑している。

「……ふ、ふふ。そうだね。貴方は治す力があるのだから、そこにいる男を何度切り捨てても助けてあげられるけど、逆に僕が殺されても助ける保障はないと言いたいんだね」

「…いいえ。私はエバニエル殿下がご自分の大事な護衛たちを失う可能性の方が高いと申し上げているのです。それに、殿下の手の傷はもう治しました」

 サラの発言にエバニエルの護衛たちがピクリと反応し、剣先を向けられても微動だにしないリックに警戒心を強めている。一方、エバニエルは自分で作った手の傷がいつの間にか治っていることを確認すると、声を立てて笑い始めた。

「そうか、最後まで僕を殺すと言わなかった冷静さは褒めてあげてよう。期待以上に可愛い反応を見せてくれて嬉しいよ、オリビア嬢」

「いい加減にしろ!エバニエル!」

 見るに堪えかねロシエルが一喝すると、エバニエルは意味深な笑みを浮かべたまま顔を上げた。

「兄上、僕は客人を待たせているので失礼します。それじゃ、レディ、夜会で会えるのを楽しみにしているよ」

 エバニエルは余裕の表情でそう言い残し、護衛達と共に聖堂のある方角へと去って行く。そのままエバニエルの姿が見えなくなると、体力の限界を超えていたサラの体はよろめき、リックが素早くサラの体を後ろから支えた。ラウラが取り出したハンカチをサラの手首に巻き付けていると、リックが悔しさを滲ませた声を出す。

「申し訳ございません。もっと早く気づけていればこんな事には…」

「あなたのせいじゃないわ。私よりも二人の方が危険だったのに、早く対処できなくてごめんなさい。ラウラもそんな悲しい顔をしないで」

 サラの目に映るラウラは悲しい顔をしているが、ラウラの頭は全く別のことを考えていたようで、心の声が口からダダ漏れている。

「あのクズ男…私達を人質にしてお嬢様を脅すなんて、どうしてくれよう…」

「あ、あの…ッ、ロシエル殿下!先ほどはありがとうございました!殿下の御声掛けがなければ、あれだけでは済まなかったかもしれません。心からお礼を申し上げます」

 サラがロシエルに向かってそう言いながら、ラウラの毒を含んだ呟きを誤魔化していると、ロシエルは目線を逸らし、拳を口元に当てて表情を隠している。

「…礼は不要だ。それより、貴方を早く帰して休ませてやりたいところだが、行かせる前に教えてほしい。弟が夜会のことを口に滑らせていたが、具体的には何を言われたんだ?」

 その質問に答えるべく、サラが事の経緯をかいつまんで説明すると、ロシエルは顔色を曇らせながら自身の考えを言葉にした。

「ロクサーヌ家か…。社交界に顔を出さない君でも、ロクサーヌ公爵はこの帝国の宰相であり、彼の娘はエバニエルの婚約者だという話は知っているだろう?エバニエルを支持する彼らが外国の大使を接待する夜会を開くことは珍しいことではない。しかし、宰相が敵視しているマティアス家の令嬢を、弟が直接脅してまで呼び出すとは…。正直危険だと言って止めたいところだが、出席を断ったところでそれがいい結果を招くとは限らない。この件はマティアス侯爵に報告すべきだ。それもなるべく、早く」

 ロシエルと目が合ったリックは、最後の言葉は自分に向けられた助言だと察すると、それを素直に受け止めた。

「ご助言に感謝します」

 リックの返事を聞いたロシエルはフードをかぶり直し、しっかりとした足取りで聖堂とは真逆の出口がある方へと歩いて行く。

 サラ達を心配してくれているようで、どこか素っ気ない態度を見せていたロシエルだが、その裏では煮えたぎるような怒りを抑えていることが、リックには何故かわかったような気がしていた。





 ※    ※     ※





 サラを屋敷に送り届けた後、騎士館に戻ってきたリックとラウラは、総司令官の執務室で終始冷ややかな態度で耳を傾けるマティアス侯爵に全てを報告した。報告が終わると、侯爵は迷いなくラウラに次のような指示を下した。

「ラウラ、すぐにキースの屋敷に戻って、エバニエル殿下が指定したドレスを私の屋敷に届けてくれ」

「い、今からですか?」

「ドレスの扱い方はお前の方がわかるはずだ。急いでくれ」

 執務室から追い出されるようにラウラが出ていった後、侯爵はリックに愚痴のようなものを漏らした。

「あの娘に届く招待状は全て断ってきたというのに、面倒なことに巻き込まれたものだ」

「…今日の件は、油断していた私の責任です。申し訳ございません」

「教会での騒ぎを最小限に抑えたことは褒めてやるが、部屋で休ませてやろうなどと気を回さずに、治療院からそのまま連れ出しておくべきだったな」

 リックが何も言い返せずに黙っていると、侯爵は紙とペンを取り、スラスラと手紙を書き始めた。

「とにかく、これからすぐにお前も私の屋敷に行って、この手紙を執事に届けるんだ。それから後のことは彼の言う通りにすればいい」

「…承知しました」

 手紙を預かったリックは、明確な理由や目的もわからぬまま、マティアス侯爵の屋敷へと馬を走らせた。

 屋敷に到着し、「手紙を届ける為だけに来た」と言わんばかりの顔をしたリックを玄関先で出迎えたのは、世間一般の執事のイメージとはかけ離れた、いかつい顔と体格をした執事だ。

 侯爵からの手紙を一読した執事は、リックを中へ招き入れると、自然な動作で客室へと誘導する。

「アイゼン卿、お食事はお済みですか?」

「…いえ、まだですが」

「それでは軽食をご用意します。それから湯浴みを済ませた後で、採寸を測らせていただきます」

「―――あの、まさかとは思いますが…、閣下のご命令は私の服を仕立てることですか?」

「はい。お疲れかとは存じますが、我々も二日で仕上げなくてはいけませんので、今夜はこちらの客室にお泊り下さい」

「いや、あの…」

 リックが宿泊を断ろうとすると、どこか遠くで鳴り響く鈴の音に反応した執事がその言葉を遮った。

「手本にするドレスが届いたようです。私は失礼してデザインを決めて参ります。代わりのメイドが来るまでかけてお待ちください。、この部屋から一歩も出ないように、お願いします」

 リックの返答も聞かず、いかつい顔の執事はさっさといなくなってしまった。これからの流れを知ったリックは、帰宅を断念し、安息とは程遠い夜になることを覚悟した。

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