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第三章

76、サラの誕生日(二)

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 キースは手を握り締め、他に言葉が見つからないのか苦しそうにしている。

(どうしてそんなに焦っているの?昨日まではもう少し気持ちにも余裕があったはずなのに、もしかして私が孤児だとはっきりわかって失望して遠ざけようとしてるの?……そんな人じゃないって頭では分かっていても、自分に自信が持てなくて卑屈な考えしか浮かんでこない…。そっか…そうだわ。私は彼に嫌われたくなくて、大事なことをまだ打ち明けていなかったんだ……)

「キース様…、私がオリビア様を救いたい理由は罪を償うためだけではありません。その理由は信じがたいものですが、まずは私の話を聞いてくれますか?」

 謎めいた言葉に不安を抱いたキースは、硬い表情を強張らたまま静かに頷く。サラは最初からすべてを話そうと試みるが、「私は…」と声に出したところで些細な迷いに囚われてしまった。

 自分が転生者であること、この世界が小説によって創られたものだと話し始めれば、根本的な事から議論することになりかねない。限られた時間の中で、今すぐに話し合うべきことを優先させるために、サラは思い切った決断をした。

「私はオリビア様にお仕えしている間、同じ夢を度々見ていました。お嬢様の聖女の力の影響を受けていたのだと考えられますが、その夢のおかげで、お嬢様が聖女に選ばれることを以前から知っていました」

 多少後ろめたい気持ちはあるが、前世で得た知識はすべて「夢で見た」ことにした。ベタすぎる手を使っても、キースはすぐに疑ったり怒ったりせずに、ちゃんとサラの話を聞いて驚いているのが表情から読み取れる。そしてこの後、キースの口から出てきた言葉は意味不明なものだった。

「夢!?君は…ミハエル大司教と同じ夢を見たのか!?」

「大司教様?」

 混乱を露わにするキースに対し、どう答えていいのかわからないまま見つめ返すと、キースはぐっと言葉を飲み込んで、改めて話の筋が通る質問に変えてきた。

「オリビアは……君の話を聞いて、自らが聖女だと言い出したのか?」

「いいえ、私は夢の内容を誰にも話していません。お嬢様はきっと教会の予言が公表される前からご自身に心当たりがあったのだと思います」

「………他にも何か見たのか?」

 キースからの鋭い質問にサラは生唾を飲み込んだ。ちゃんと答えたくても、目線をテーブルの上に落としてしまう。

「騎士団の皆さんが…、この世には存在しないはずの魔物たちと戦う夢も見ました。でもオリビア様の聖女の力さえあれば、騎士団は魔物にも打ち勝てるはずです……」

 ぎごちなく答えながら、サラは呵責の念に耐え切れなくなり、頭を深く下げて一気にすべてを打ち明けた。

「ずっと……ッ、ずっと黙っていてごめんなさい!こんな話をしても信じてくれるとは思わなかったし、お嬢様を怖がらせるような事を言ってお叱りを受けたくなかったのです…!いずれにせよ、オリビア様が聖女であることに変わりはなく、私は成人したらお屋敷を出て行くつもりでした。でもあの事件が起きてしまって………どうして…、どうしてこうなったのか……、本当であれば今頃オリビア様は聖女として崇められ、皇子様にも認められていたかもしれないのに、私はマティアス家だけじゃなく、帝国の人々の未来も危険に晒しているんです!」

「!?…なぜそこで皇子殿下が関わってくるんだ?まさか…、聖女が皇太子妃に選ばれるということなのか!?」
 
 キースが激しく動揺した声を上げて、サラは肩を震わせ目も合わせられず、重い沈黙が続いた。

「そう、なのか…?」

 再び苦し気な声で問いかけられ、サラは目はぎゅっと閉じたまま、小さく頷いた。

 オリビアの身に起きた不運な事故に責任を感じてはいるが、もし秘密を明かせば、お前のせいで周りが不幸になると責め立てられ、聖女の力をオリビアに戻す方法として根拠のない仮説をたてられ殺されていたかもしれない、そう思うと体が震え出し、背中の傷跡が疼き出す気さえしてくる。

 自身の命とオリビアを救う事、その両方を天秤にかけてギリギリの精神状態でやり過ごしてきたサラは、自分の身を守る為にも黙っていることが一番の最善策だと信じていた。

 だがこれから起こる事を知らず、父親の信頼を裏切ってまで、純粋にサラを「好きだ」と言ってくれたキースが、真実を知った時にどんな気持ちになるかを想像すれば、このまま騙し続けるような真似は出来ないと、サラは気付いてしまった。

(どうしよう…ッ。ここで私への気持ちはなくなったと言われても受け入れるしかないと覚悟していたはずだったのに、いざとなると怖くて顔を上げることさえできない!もしかして…、私はまた愚かな選択をしてしまったの!?)

「―――酔ったせいか…、なんだか笑えてくるな」

 呟かれた言葉を耳にして、何が可笑しいのだろうと心配になってそっと顔を上げると、キースが疲れた顔色で苦笑いを浮かべ、葡萄酒が入っているワイングラスを口元から離したところだった。

「君の夢が現実になるとして……、魔物は聖女の力を借りて排除するとしても、エバニエルが義理の弟になるのは想像するだけで胸やけがしてくる。しかし第一皇子ロシエルも命が惜しくて愚弟に継承権を譲ってしまうような軟弱な男だ。どちらも妹に相応しい男ではない……。君もそう思わないか?」

 この世界には二人の皇子が存在する。小説に照らし合わせれば、オリビアの運命の相手は皇太子に選ばれた第二皇子エバニエルである可能性が高いのだが、サラはエバニエルから屈辱的な扱いを受けた経験があるので、小説の登場人物の名前を忘れたことをいいことに、恨みがましく答えた。

「夢の中で顔までは見えなかったので、どちらがお嬢様の運命のお相手なのかわかりません。正直なところ、私も意地悪なエバニエル殿下とオリビア様が結ばれるとは考えたくありません」

「……相手がロシエルならあり得るのか?」

 キースは先ほどから皇子二人の名前を呼び捨てにして、棘のある言い方をしている。それが気になったサラは、少しでもいい情報を与えたくて、話し方にも熱を込めた。

「ロシエル殿下は病弱と偽って気弱な性格を印象付けていますが、実際にお会いしてみると想像とは真逆の方でした。帝国を陰で支えていく覚悟で、騎士団の総司令官でもある旦那様にも協力的な関係でいたいと仰っていましたし、オリビア様のお相手としてこれほど相応しい方は他にいないのではないでしょうか…!」
 
「――――そう思うのか?」

 キースの苛立ちを感じたサラは、直感を働かせ口を閉ざした。それでもただ黙っている訳にはいかず、この先の展開に不安を抱いていると、キースが不意に椅子から立ち上がり、緊張して縮こまっているサラのもとへやって来て、両肩をつかんで立ち上がらせながら強く抱きしめた。

「サラ、俺の話も聞いてくれ……。俺は君に出会うまで、一族の次期当主として、そして帝国民を守る一人の騎士として、この身を捧げる覚悟で生きてきた。他にすがるものがなかった俺にはそれだけで十分だったんだ。この出会いが運命ではなかったとしても、俺はもう…君を手放したない」

 サラの視界からキースの顔は見えていない。だがその声は微かに震えて、酷く傷ついていることが伝わってくる。

(どうしてあなたが震えているの?私のほうが見捨てられるかもしれないって怖い思いをしているのに…。私に言えない不安があるのなら、私は一体どうしたらいいの?)

「私はあなたに嫌われたくなくて、見捨てられるのが怖くて、この秘密を隠し通してきました。だけどこれ以上あなたの重荷になるくらいなら、期待なんか持たせないで、今ここで私を見限って下さい。もともと分不相応な恋だとわかっていましたから―――」

「サラ!違うッ…、違うんだ!俺が……俺が恐れているのは君が予言した未来なんかじゃない。君の身に危険が及ぶことだ!予知夢を見た事は誰にも言わなくていい。オリビアの事もなんとかする。だから俺がいない間、一人で決して無謀な事はしないと約束してくれ!」

 サラが臆病な性格であることはキースも知っているはずだ。キースのいう「無謀な事」が具体的に何を指しているのかよくわからないまま、とにかく本気で心配していることが伝わってきて、サラは深く頷いてみせた。

「キース様こそ、遠征先で無理をしないと約束して下さい。リックがスケジュールを調整してくれたおかげで、明日の出発式典に私も行けることになりました」

「…父上も来るはずだ。平気なのか?」

「ラウラもいるから大丈夫です。それとも、やっぱり行かない方がいいですか?」

「いや、君が見送ってくれるなら嬉しい。……それから、念のため伝えておくことがある。エレナの前では行動に気をつけてくれ」

「それは…使用人のエレナのことですよね。なぜ彼女に注意を払う必要があるのですか?」

「エレナを君の世話係に指名したのは父上だ。時々呼び出しているところを見ると、君の近況や屋敷内の出来事を報告させられているのだろう。だからエレナだけでなく、ギルバートにもまだ君の口から素性を明かしてはいけない。二人のことも俺に任せてくれ」

 突然の忠告と緊張感のある声に戸惑いながらも、サラはまた素直に頷く。

「出発式は早朝だ。ここはギルバートに任せて、部屋に戻って休むとしよう」

 もっと一緒にいたいと思うサラは、そんな我儘を言える状況ではないと自分に言い聞かせ、大人しくキースに連れられて部屋の前まで戻ってきてしまった。

 廊下の端には護衛騎士が警護に就いている為、ここで堂々としたスキンシップや会話をする事は出来ない。

 扉を支えるキースの前で一度立ち止まり、彼の端正な顔立ちをじっと見つめると、キースは優しく微笑んで「おやすみ」と言ってサラの額にキスをした。サラは頬を赤く染めて「おやすみなさい」と返し、部屋の中央へと歩き出す。

 後ろで扉が閉まる音がして振り向くと、そこにはもう誰も居らず、サラは孤独感と切ない気持ちの分だけ、贈られたばかりのジュエリーボックスを両手で握りしめた。






 自室に戻ったキースは扉を閉めた直後、滅多に感じることのない眩暈に襲われて、手で顔を覆い、扉を背にしてしゃがみこんだ。

「……サラッ、どうして、なぜ君なんだ……!どうして君が……ッ!!」

 それ以上は言葉にできず、キースはサラに見せられなかった感情を露わにし、一筋の涙を流しながらその声を押し殺し続けた。




 ※    ※    ※





 遠征団、出発の朝 ――― 騎士館の訓練場で行われている出発式典は、入館許可を得た騎士の家族らも見学することが許されている。キースの妹の振りをして見送りに来たサラだが、この訓練場で騎士達が見ている前で聖女の力を使ったことがある為、すぐ顔ばれしないようツバの広い帽子をかぶり、離れた別の場所から式典を見守ることになった。

 遠征団の指揮官として先頭に立つキースはとても凛々しくて、目を引く容姿につい見惚れてしまうが、しばらく会えない寂しさは絶えず付き纏っている。

 キースに騎士団旗が手渡されると、騎士達はそれぞれの馬に乗って隊列を整え直し、「出発」という号令を合図に遠征団は動き出した。

 訓練場の出口へと進みながら、キースはサラに向かって一瞬だけ微笑みを投げて、すぐ前に向き直りそのまま行ってしまった。

 寂しさから抜け出せないサラは、横に付き添うリックにすがるような眼差しを向けてお願いする。

「上の回廊に連れて行ってもらえませんか?あそこから遠征団を見送りたいんです」

「…構いません。ご案内します」

 サラとリック、そしてラウラの三人が向かう先は騎士館と皇城をつなぐ回廊で、城下を見下ろす高い位置に作られている。そこへ行くには階段を上がって行くしかないのだが、途中からだんだんと息を切らし、脚がもつれ出したサラを気遣ったリックが「失礼」と声を発すると、サラを横抱きで抱え上げた。

「ちょ、ちょっと待って、リック!まさか抱えて行くつもり!?」

「急がなければ間に合いません。しっかりつかまって下さい」

 リックはそれだけを言い終えると、すさまじい勢いで階段を駆け上がり始めた。サラはリックにしがみつきながら、申し訳ない気もするが、今日だけは許してほしいと心の中で何度もつぶやく。

 こうしてあっと言う間に回廊に辿り着き、地面に降ろしてもらったサラは、吹き抜ける風を吸い込みながら眼下に広がる街を見渡した。

 街中を行進する遠征団を見つけると、しばらくその動きを目で追っていたのだが、ついに最後尾が見えなくなったところで、サラはキースと、そして共に出発した三十人規模の遠征団の姿を思い浮かべ、乾いた眼を閉じて両手を組んで祈り始めた。

(どうか怪我一つなく、皆と無事に帰ってきて)

 自己満足な祈り方ではあるが、サラは寂しい気持ちをなだめて振り返ると、リックとラウラに微笑んだ。

「リック、ここまで連れてきてくれてありがとう。それにラウラも、私の我儘に付き合ってくれてありがとう。ここに長くいると体が冷えてしまうわね。午後の訪問活動の前に、屋敷に帰って温かい紅茶を淹れてもらいましょう」

「そうですね、そうしましょう、お嬢様」

 ラウラは笑顔で答えているが、リックは自分でも気付かぬうちに、サラの首元に光る小さなダイヤを見ながら複雑な表情で頷いていた。



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