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第三章

73、お忍びデート

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(変装して街に出てきたけど…ラウラ達はちゃんとついてきているかしら)

 サラが後ろを気にして振り向くと、ラウラと若い男性が並んで歩いている姿が見える。サラの護衛役である彼らは、上官のキースから「遠くから護衛しろ」という命令を出されたせいで、距離を置いて二人の後を追って来てくれている訳で―――

(キースの背中を見つめるラウラの目が怖い…。でも護衛役なのに近づくなと言われたら誰だって苛立つわよね。こうして街に出てこられたのは嬉しいけれど、ちょっとだけラウラに申し訳ないな)

 サラの視線に気付いたラウラが笑顔を見せてくれたので微笑み返すと、ラウラの隣にいる若い青年の騎士もぎこちなく微笑み返している。優しい騎士達に見守られてほっとしていると、キースに手を引っ張られた。

「前を見て歩かないと危ないぞ」

「あっ、はい!そう言えば…、今日のご予定はもう大丈夫なのですか?今朝一度は騎士館に出勤されてましたよね?」

「…休みを取る事はちゃんと伝えてある。今は君と過ごす時間の方が大切だ」

 その言葉にはこれから何かが起こりそうな、先行きの不安を匂わせている。手をぎゅっと握りしめられたサラは、キースの横顔を眺めながら感傷的に陥ってしまった。現に今も街中を歩き回りながら、非常事態になった場合に王都を脱出する方法など、観光案内とは関係のない話題も多い。

「もっと早く王都の中を案内しておくべきだったな。父上の命令に従って君の行動を厳しく制限してきたが、心のどこかでずっと俺の庇護下にいてくれる事を望んでいたんだ」

 何気なく聞いてしまったキースの本音に、サラの鼓動が高鳴る。

「…いつからそのように思っていたのですか?」

「さぁ、いつからだろう…。グローリアで再会したあの日、君がオリビアに成りすまして俺を騙していた事を知った時は怒りをぶつけそうになった。だがあの時はそれどころではなかったし、いつか君も役目を終えればいなくなるのだから、あくまで監視役として割り切るつもりでいたんだ。それなのに君と過ごす時間が増えていくにつれて、ただ見守っているだけでは物足りなくなっていったんだ」

(……自分で聞いといてなんだけど、すごく恥ずかしいわ…!彼の言葉はいつも真っすぐで不安を消し去ってくれるけど、物足りないって言われると…今朝の事を思い出しちゃう…!)

「えっと…、キース様が黙っていて下さったおかげで、旦那様に余計に叱られずにすみました。ありがとうございました」

「たしかあの日、君は目元を隠すような変な前髪をしていたな。そのおかげで最後まで偽者だとばれずに済んだのかもしれないが、それにしても、父上は一年に一度はオリビアと会っていたはずなのに、あの人も意外なところで見落とす事があるんだな」

「……ふ、ふふ。ごめんなさい。お嬢様の命令だったとはいえ、自分でもよくあの状況を乗り越えられたなと思います。あの時は偽者だとばれてしまうのがずっと不安でしたから…。怖いほど完璧に見える旦那様にも人らしい所があるのですね」

 サラが苦い過去を思い出しながら苦笑気味に話すと、

「……君はあの人を人として認めてくれるのか?」

キースがぼそっと何かを呟いた。

「え?ごめんなさい。何と仰ったのですか」

「……そろそろ昼時だな。昼食を済ませて西地区に移動しよう」

 平民に変装している二人は街中の食堂で昼食を済ませた後、馬を貸出している厩舎に立ち寄った。キースは料金を支払って一頭の馬を選ぶと、先に乗り心地を確認してからサラに向かって手を差し伸べた。

「歩き疲れただろう。ほら、そこに足をかけて登るんだ」

 キースの手を掴んで言われた通り前に乗ってみると、その高さと乗り慣れない感覚に加えて、背中からはキースの存在感がダイレクトに伝わってくる。緊張して体を強張らせていると、命令を無視して近くまで来ているラウラの声が聞こえてきた。

「どちらに行くつもりですか?」

「ラウラ、今から―――」

 サラが西地区に向かうと言おうとした時、キースがその言葉を遮った。

「夕刻の鐘が鳴る時刻、ベルモンテ噴水広場で会おう。これは二人に差し入れだ」

 キースはさっきの食堂でテイクアウトした二人分のケバブ・サンドが入った袋をラウラに放り投げると、サラを抱えて馬を走らせた。

「ちょ、ちょっと…!ふっ、二人を、置いて行けません!」

「下手すると舌を噛むぞ。鞍を掴んで体を支えるんだ」

 二人を乗せた馬は加速して、そのまま西地区の街中へと消えていった。
 



 ※   ※   ※




 静かな湖畔にやって来た二人は、ここまで走らせてきた馬を木に繋いで木陰に腰を下ろした。サラは震える脚をさすりながら無謀な行動に出たキースを叱り始めるが、キースは何故か苦笑してばかりで真面目に話を聞く気配がない。

「生まれたての小鹿のような脚とは、まさにこのことか」

「馬に乗るのは初めてなんですから、そんなに笑わないで下さい!それよりも、護衛を撒くなんて危険です。ロシエル殿下と間違われて襲われたらどうするんですか!?」

「君に叱られるのも悪くないな」

「キース様!」

「わかっているよ。ただ鬱陶しい視線から逃れたかっただけだ。それに髪色を変えて変装していればロシエル殿下と間違われる事もないはずだ。君のおかげで対処法に気付けた訳だが、昼間からを頭に着けて歩くと、熱くて仕方がないな」

 不満を口にしたキースが茶髪のウィッグの髪をかきあげると、額に汗がにじんでいる。見目麗しいキースの何気ない仕草は、些細な動きでも男の色香が出てしまうので、つい見惚れてしまう。

(本当に何をしても様になってしまうのね。食堂でも女性達の注目の的だったし、変装していても目立ってしまうなんて、いつもどんなふうに騎士団の任務をこなしているのかしら)

「ここは静かだろう。君とこうして外で過ごしたかったんだ」

 キースの柔らかい声を聞くと、今度はちくちくと胸騒ぎがして落ち着かない。

(話なら屋敷でもできたはずなのに、どうして私をここに連れてきたの?)

「―――手を痛めた原因は、旦那様ですか?」

「……あぁ。そうだ、まだ君に礼を言ってなかったな。治療してくれてありがとう」

「いいえ。私がもっと上手く立ち回れていたら、こんな事にはならなかったはずなのに…」

 キースは落ち込むサラの後ろに座り込むと、背後から手を回して、小刻みに震えているサラの手を包み込んだ。

「君のせいじゃない。これは俺が招いた結果だ。それに父上は君の事を使い捨ての駒としか見ていない。そんな相手と交渉するのは無意味だ。しばらくの間、君は何も聞かなかった振りをしていればいい。準備が整い次第、王都から逃がして安全な所へ送り届ける。だからどうか、心配しないでくれ」

「……オリビア様はどうなるのですか?」

「もちろん君にはオリビアの治療を断る理由などないのだから、父上がその気になるまで待てばいいだけだ」

(…キースの言う通りかもしれない。だけどもしオリビア様が目覚める前に魔物が現れたら、この世界はどうなるの?せめて全てを彼に打ち明ける事ができれば……)

「…わかりました。でも旦那様と約束した一ヶ月間は聖女の務めを果たします。それでも何も進展がなければ、キース様の助言に従います」

 小説の中でこの世界の未来を先読みしているサラは、葛藤を抱えたまま時間稼ぎにしかならない返事をした。

「わかった…。だが決して無理はしないでくれ。君を逃がす為の準備は一カ月もあれば十分だ。信頼できる人の所に送り届けるから…、俺が迎えに行くまでそこで待っていてほしい」

 キースの懇願するような声を聞くと、同じ不安を抱えている事が伝わってくる。

「はい。貴方が来てくれるまで、そこで待ってます」

 サラは深く息を吸って、はっきりと聞こえるように返事をした。胸の苦しみの原因は強く抱きしめられているせいなのか、切ない気持ちのせいなのか、ごちゃ混ぜの感情の中でサラはキースの事だけを考えている。

「あの…」

「うん」

「……私、は、初めてのお相手は、貴方がいいです」

 サラの発言に動揺したキースは、サラから勢いよく離れた反動で木に頭と背中を打ち付けた。痛そうな鈍い音がして、驚いたサラは振り返った。

「大丈夫ですか!?」

「―――ど、どうして…どうして急にそんな事を言い出すんだ…」

 キースは手を額に当てて俯いている。サラは躊躇いがちにこう答えた。

「キース様は私が貴族に逆らえない身分である事を気にしていましたよね。だから私も言葉でちゃんと伝えるべきだと思ったのです。その、き…キスしてくれたのも嫌じゃなかったですし、相手が貴方だったから嬉しかったし、あの箱が落ちて来なければきっと―――」

「待ってくれ!―――あぁっ、まったく…!ここが外じゃなければ、君を押し倒していたところだ。俺を誘惑してくれるのは光栄だが、時と場所を考えてくれ」

「こ、こんな場所で、誘惑だんて…!私に触れていいのは貴方だけだと言いたかったんです!ただ貴方を信じて待ってるって事を伝えたくて…!も、もうッ、こんな事を言わせるなんて…!今日は貴方のせいで私もどうかしてるんだわ!」

「クッ、はは…!あぁ、そうか、俺のせいか。それなら仕方がないな。これ以上ここにいると、違う意味で危険だな。そろそろ移動しよう。立てるか?」

 サラが立ち上がって服についた葉っぱや土を落としていると、

「君の気持ちは理解した。だが俺は何の約束も果たせていないこの状況で、すぐに君の純潔を奪うつもりはない。それでも君の男として認めてくれるなら、時々触れる事を許してほしい」

「ふ、触れるって…?」

「例えば―――」

キースはサラの手を軽く持ち上げると、指先に唇を近づけて甘い言葉を囁いた。

「こんな風に手を握ったり、キスをしたり、それくらいは許容範囲じゃないのか?」

(きゃ、きゃあああ!な、なんでこの人、こんな事を自然にやってのけちゃうの!?あれ?待って、こっちの世界じゃ手にキスするのは普通の挨拶だっけ?キースが格好良すぎるせいで、私の目がおかしくなったの?ダメだわ、もうわかんなくなってきた!)

「そ、そうですね!それくらい大したことじゃないです!それよりも早く次へ行きましょう!せっかっく外出できたのに、もっと見て回りたいです!」

 パニック気味のサラを見つめながらキースは嬉しそうに頷いている。そして二人を乗せた馬は、西地区の中心地を目指してゆっくりと走り出した。


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