身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第三章

70、分岐点

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 騎士館に到着したキースはマティアス侯爵がいる総司令官専用の執務室へ、ある決意を胸に秘めて突き進んで行く。

(父上は息子の俺にさえ本心を見せない人だ。だから俺も今まであの人と正面から向き合おうとしてこなかった。だがそれももう限界だ。大切な人の一生がかかっている。それにオリビアの事もこのままでいいはずがない)
 
 興奮気味の感情を呼吸で整えて執務室の扉をノックすると、丁寧な口調で「どうぞ」と、明らかにマティアス侯爵ではない違う人物の声が返ってきた。

 扉を開けて中に入ると、そこの侯爵の姿はなく、代わりに同じ時間に呼び出されていたリック・アイゼンが部屋の中に一人で立っている。

「ここは総司令官の執務室だぞ。どうしてアイゼン隊長が一人でここにいるんだ?」

「閣下は皇帝陛下の緊急要請を受けて先ほど外出されました。その前に騎士館内にいた私をお呼びになり、これから話す内容を私からキース副団長に伝えておくようにと言われましたので、ここでお待ちしておりました」

「この部屋で話せと言われて私を待っていたのか。それで、どんな話をしたんだ?」

「聖女様がこの一ヶ月で訪問する候補地のリストは、ミハエル大司教が準備しているそうです」

「……それだけか?それだけを言い残して出て行ったのか?」

 リックからの短い説明を受けたキースは苛立ちを隠せず、リックを責め立てるような言い方になってしまう。

「お戻りの時間は聞いておりませんが、他に言われた事があります…。閣下は我々が密かにオリビア様を探していた事を既にご存知でした。そしてこれ以上余計な詮索はするなと警告を出して行かれました」

「父上は君に対しても警告を出したのか?」

「はい。我々の行動はエバニエル殿下の好奇心を煽るだけで、サラ殿の立場を悪くするだけだと忠告されました」

 キースは自分が居ない状況でリックが一人責めを受けていた事を知って、バツが悪そうに謝罪した。

「そうか…。今日はその事も含めて全てを話そうと思っていたが、その前に君に迷惑をかけてしまったな。すまない」

「あなたが気にする事ではありません。閣下と何を話するつもりだったのですか?」

「……君も昨夜、皇城を出発する前に父上から話を聞いたように、サラはエバニエル殿下に秘密を握られ、心無い言葉を言われて酷く傷ついていた。だが彼女の身に起こった出来事はそれだけじゃなかったんだ。サラは皇族の重大な秘密も知ってしまった。それがどういう結果を招くのか、君ならわかるだろう」

「マティアス侯爵の秘密そのものである彼女が、今度は皇族の秘密までも知ってしまった…。その様子だと皇族の秘密はかなり深刻な内容のようですね。………それならいっその事、サラ殿が聖女として生きていく事が最善策なのかもしれません」

 リックの言葉を聞いたキースは、驚愕と混乱を露わにする。

「本気で言っているのか!?サラはオリビアへの罪悪感を抱えてずっと生きていく事になるんだぞ!」

「この状況でそんな事を気にしている場合ですか?サラ殿の身を守りたいなら、このまま聖女としての立場を確立させていくべきです。閣下は最初からサラ殿を聖女に仕立て上げるつもりだった、だからオリビア様の行方を教えては下さらないのです。もしかしたらオリビア様はとっくに目覚めていて、王都を脱出して外国で幸せに暮らしているかもしれません。とにかくサラ殿が聖女として生きて行く覚悟を決めた時、全てはっきりとわかるはずです」

 リックの迷いのない言い方から、今この場で思いついた事ではないと察したキースは、怒りよりも失望感が込み上げてきている。その思いを込めてキースはリックを見つめながら問い返す。

「彼女は何故か他の騎士よりも君の事を気にかけている。それは君が彼女にとっての一番のよき理解者であると、彼女がそう認めているからだと思っていたんだが、俺の考えは間違っていたのか?いつからそんな事を考えていたんだ?」

「…私も彼女の気持ちは理解しているつもりです。そして出来る事なら罪悪感などすぐに取り払って差し上げたい。だからオリビア様を探す事にも協力したのです。私は常に何がサラ殿にとって一番いい事なのかを考えています。ただそれだけです」

「それは俺も同じ考えだ。だが…、選んだ道は違うようだな」

 キースとリックはお互いに視線を逸らさず、数秒間の沈黙を貫いた。やがて気持ちに区切りをつけたキースは、第一騎士団の副団長として部下であるリックに指示を出す。

「私はこれからミハエル大司教の所へ行く。今日中に聖女の訪問リストを作成して明日リストを共有する。それをもとに経路の確認と、第三分隊の人員を割り当ててくれ」

「承知しました。人手が足りない場合は第二分隊に要請を出します」

「分隊長には私からも要請を出しておく。話は以上だ」

「はい。では先に失礼して、職務に戻ります」

 リックが執務室を出ていった後、キースはソファに座り背中を背もたれに預けて、額に手を当ててしばらく考え込んでいた。

(リックが言っている事は間違ってはいない。だが俺はどうしてもそれを受け入れる事が出来ない。サラを養子に出す案も彼女の為だと口で言いながら、結局は俺の我儘な言い分である事は百も承知している…。そうわかっていたつもりだったのに、こんなにも不安な思いにさせられるとは……)

 執務室を出たキースは隣の部屋に在中する副司令官のベンダルに声をかけ、無人となった執務室に鍵をかけるようにとお願いした。執務室を出る前、キースは机の上に一枚の伝言を残している。

「大事な話があります。キース」

 キースはその紙が侯爵の目にすぐ留まるような場所に置いた事を思い出しながら、部下を数名連れて聖ミハエル教会へと出発した。



 ※    ※    ※




 ユスティヌス皇帝に謁見の間に呼び出されたマティアス侯爵は、皇帝から冷めた眼差しで壇上から見下ろされ、側で様子を見守っている宰相のロクサーヌ公爵からも苛立ちと怒りの目を向けられている。

 直視せずとも、侯爵は皇帝の発言に意識を集中させた。

「マティアス侯爵、教会の予言に依れば、帝国は得体の知れない魔物達の襲撃を受けるという未来が待ち構えている。聖女が目覚める時期は予言から外れていたが、それだけで魔物が現れないという保証にはならない。帝国を救う切り札である聖女が、屈強な騎士団を率いる侯爵の娘であった事は非常に心強いと思っていたのだが―――」

 皇帝は危機感を露わに、緊張感のある声で言い放つ。

「昨日のデビュタントでも体調を崩してすぐに帰ってしまったそうだな。そなたの娘であるから任せておいても問題はないと思っていたが、人前に長時間出る事もままならないとは、少し甘やかし過ぎではないか?」

「陛下、御心配には及びません。娘は本物の聖女です。自覚が欠如している事は確かですが、これからは聖ミハエル教会だけでなく、重症患者がいる他の施設にも派遣し、聖女の力を使わせながら精神面も鍛え直す所存です。それは本人も望んでいる事です」

「そうか…。そなたは帝国の為ならどこまでも無情になれる男だが、娘に泣きつかれた時には国から逃がそうなどと考えてはいないだろうな」

「一族の名にかけて、そのような事は起きないと誓います」

「いいだろう。それでは今後も定期的に報告を受けるとしよう。期待しているぞ」

「はい」

 謁見の間からマティアス侯爵が出て行った後、扉が閉まると同時にロクサーヌ公爵は前へと進み出て皇帝に不安を訴え始めた。

「陛下、マティアス侯爵の言葉をそのまま鵜呑みにしていいのでしょうか。エバニエル殿下とロシエル殿下の仲違いを狙って、ロシエル殿下と聖女を結び付けようとしているのではないかと懸念しております」

「ロシエルの事なら心配はいらない。それよりも聖女が他の者の手に渡ってしまう事の方が面倒だ。そう思ってエバニエルと躍らせて、周辺にいた貴族の令息達を牽制したつもりだ」

「で、では…、エバニエル殿下と私の娘の結婚の約束が破られる事はないと、そう信じてよろしいのでしょうか」

「そなたが心配するような事にはならない。下がってよいぞ」

 その場から追い払われるように出て行ったロクサーヌ公爵と入れ代わりに、第二皇子のエバニエルが謁見の間に入室し、皇帝に挨拶を述べる。

「帝国の太陽に御挨拶を申し上げます。お呼びでしょうか、陛下」

「エバニエルよ、私の忠告を無視したな」

「……聖女に手を出すな、という忠告ですか?」

「そうだ。聞けば聖女に大量の贈り物を手配したそうだな。一体何を考えているのだ」

 エバニエルは皇帝からの問いかけに、悪意のない笑顔を見せて平然と答える。

「陛下は何代も続くユスティヌスの血筋に、聖女の血を加えたいとは思いませんか?初代皇帝は聖女を妻に迎えましたが、子孫を残す事は出来なかった。それを私の代で実現させたいのです」

「聖女が皇后になって喜ぶのはマティアス一族と平民だけだ。ロクサーヌ家との約束を破れば、貴族達からの支持が下がってしまう。その損失は大きいぞ」

「それなら聖女は側室として迎えましょう。血筋を残すことが目的ですから、誰も反対はしないはずです。マティアス侯爵は正妃として認められない事を不服に思うでしょうけどね」

「……それはお前の望みなのか?それともの御意向なのか?」

「両方ですよ、陛下。わかりました。陛下のお気持ちを煩わせないよう、しばらく大人しくしています。いずれ全ては私の物になるとわかっているのですから」

 不敵な笑みを浮かべたエバニエルは、そう言い残して颯爽と謁見の間から退室した。皇帝は亡き皇后の姿を思い浮かべ、軽い溜め息をこぼしていた。




 ※   ※   ※




 与えられた休日を一人静かに刺繍や読書をしながら過ごしていたサラの下へ、皇族の使者と名乗る者が大量のプレゼントを持って訪ねて来ている。

「これらは全てエバニエル殿下からオリビア様への贈り物でございます。そしてこちらは、殿下からお預かりした手紙です」

 手紙には「君の心の傷を癒す為なら何でもしてあげよう」と書かれた文言と、エバニエル・ユスティヌスと署名されている。

 手紙を見た瞬間にすっと気持ちが引いてしまったサラは、手紙を破り捨てる代わりにテーブルの上に置いて、使者に向かって優しく微笑む。

「贈り物は有り難く頂戴いたします。エバニエル殿下はデビュタントに出席したのにすぐ帰ってしまった私を心配して下さったようですね。でも私はもう大丈夫なのでご安心下さい、と殿下にお伝え下さい」

「は、はい!」

 赤面をしながら帰っていく使者を見送ったサラは、テーブルの上に置いた手紙と、部屋の隅に山積みになっている大小さまざまなプレゼント箱を憎らしそうに見つめる。

「こんな方法で許してもらえるなんて思ってないでしょうね。皇族だから何を言っても許されるなんて思わないでほしいわ。とにかくこんな不快な物、キースに見られないように隠しておかなくちゃ」

 使用人達に頼んでプレゼントをクローゼットの奥にしまわせたサラは、キースと次に会えるのは明日だとわかっていても、今すぐに会いたい気持ちで窓の外ばかりを眺めていた。


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