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第三章
69、二人の距離感
しおりを挟む中庭には暖かい日差しを浴びた優しい風が吹いている。護衛騎士達に人払いを命じたキースは、東屋にある三人掛けのベンチの端に腰掛け、他のベンチに座ろうとしていたサラに向かって隣に座るようにと促してきた。
「人払いをしても大声で話す訳にはいかない。だから隣に座ってくれないか」
サラは恥ずかしい気持ちを抑えて、キースの隣にそっと腰を下ろす。
(気が滅入る話になるから外で話そうって、キースと一緒に中庭に出て来たけど……まさか隣に座ることになるなんて!)
「俺も後先考えず、行動するようになってしまったな…」
「え?ごめんなさい、今何て仰ったのですか?」
自分の事で精一杯だったサラは、キースの独り言が自分にかけられた言葉と勘違いしている。
「いいや、何でもない。ゆっくりでいいから、君の話を聞かせてくれないか」
キースは優しい表情と声でサラにそう答えた。彼は正午までに騎士団に出勤して、総司令官である父親のマティアス侯爵と会う約束をしている。それまで時間に余裕があるとしても悠長に構えている場合ではないと、サラは気を引き締め、ロシエル皇子から聞いた話をキースにそのまま語り出した。
「―――ですから、キース様がこれまでに何度も危険な目に遭ってきた原因は、ロシエル皇子と間違われて襲われていた可能性が高いのです」
予想もしていなかった真実を教えられたキースは悩まし気に、今聞いたばかりの内容を確認するかのように、一つ一つ口に出していく。
「ロシエル殿下は皇帝の後継者争いから身を守る為にずっと病弱だと偽って生きてきた。そして俺はこの髪の色のせいで殿下と間違われ、敵から命を狙われていたと言うのか……。信じ難い話ではあるが、どうして君が皇族の秘密まで知っているんだ?君の役目はロシエル殿下に治療の提案をするだけでは済まなかったのか?」
「私が聖女の力で治療をすると申し出た所、ロシエル殿下は嘘や誤魔化しで不信感を与えるよりも、真実を打ち明けることで私達の信頼を得る事にしたそうです。そしてこれからも帝国の繁栄の為に力を貸してほしいと頼まれました。その会話の中で偶然あなたの身に危険がつきまとっている事を知った私は黙ってはいられず、殿下からあなたにこの秘密を打ち明ける許可を頂きました」
「……そうやってまた他人を心配している場合か?君は父上に利用される過程で、皇族の重大な秘密まで知ってしまったんだぞ。オリビアを助けたい気持ちはわかる。だが父上の言う通りに動けば動くほど君の利用価値が上がっていくだけで、逃げ道を失っていく事に気付いていないのか?」
「そんな…」
キースがサラを心配する眼差しでじっと見つめている。サラはこの時、ようやく自分が以前よりもマティアス侯爵から逃げられない状況に追い込まれている事を悟った。
(そうだわ…、この世界は前世とは違う。権力者に逆らってはいけない時代にいるのよ。私は身をもってその事を知ったはずだったのに、そんな事さえ忘れてキースの事ばかり考えていたなんて…)
「そうですね。あなたの言う通りだわ」
サラは徹底して悲観的になれない自分を自嘲するかのように、切ない感情を交えた微笑みを浮かべている。キースは罪悪感を覚えながら、こう続ける。
「…父上から話を聞いた。エバニエル殿下に背中の傷の事で脅されたそうだな」
キースの言葉はサラの体を震わせた。何も答えられなくなったサラに対し、キースは苦し気に話し続ける。
「辛い事を思い出させて申し訳ない。だが父上によれば、この件に関してはエバニエル皇子と話がついているそうだから、君はこれ以上、エバニエル皇子を恐れる必要はないとの事だ」
「……エバニエル殿下は、私がオリビア様の偽物だと気付いてはいないのですね?」
「そうだ。だがアイツは相手の弱みにつけ込み、甘い言葉を囁いて味方は自分だけだと思い込ませて、人を意のままに操ろうとする最低な男だ。あんな男でも今はとりあえずロクサーヌ公爵家の長女と婚約が決まっているのだから下手に手を出してくる事はないと思いたいが、君はやはり今後社交界に顔を出すべきではない」
(キースは以前からエバニエル皇子の事を悪く言う事はあったけど、ここまで感情を露わにして怒っている姿は初めて見るわ。もしかしたら、私が何を言われたのかすでに知っているのかもしれない。あまり知られたくなかった事ではあるけれど、私の為に怒ってくれているのなら、とても心強く思えるわ…)
キースがエバニエル皇子をけなしてくれたおかげで、サラは一度落ち込んでしまった気持ちを取り戻し、そして素朴な疑問をキースに打ち明けた。
「でも旦那様はどうやってエバニエル殿下の追求を止める事ができたのでしょうか。誰にもばらされたくなければ大人しくしていろと脅された気がして、すごく不安を感じたのですが…」
「…普通はそう思って当然だ。だが生憎、あの人に脅しなんてものは通用しない。一族の名誉を重んじる人ではあるが、父上は自身に向けられる他人からの評価は全く気にしていないんだ。だからこそ騎士団は最強の指揮官の下で最強の兵力を保っていられる訳だが、皇帝陛下が父上に騎士団の指揮を一任している最大の理由はそこにある」
「そう言えば…、ロシエル殿下との会話の中で、ずっと冷静でいらっしゃった旦那様の様子が一気に変わった瞬間がありました」
「父上が?その時どんな話をしていたか覚えているか?」
「えっと、あれは確か、ロシエル殿下が『帝国の平和の為に今後も協力してほしい。無駄な血を流したくないから』というような内容を言った時でした。騎士団の皆さんが戦場で命を落とさないように、軍事の才能に秀でたマティアス一族の協力が必要だと、そういう意味で殿下は仰っているのだと私は解釈したのですが、殿下のその御言葉に旦那様はすごくお怒りになっていたような気がします」
キースが深く考え始めたので、今度はサラが心配してキースを見つめていると、視線を感じて我に戻ったキースは、また優しい表情に戻っていった。
「君のおかげで大体の話が見えてきた。これから父上に会う予定だが、君の今後の処遇について俺の考えを話してくるつもりだ」
「私の今後について…、どういう内容かお聞きしてもよろしいですか?」
「まだ確約は出来ないが、君を信頼できる他の貴族の籍に入れるべきだと考えている」
「まさか…私をどこかの貴族の養子にするつもりですか…!?」
「以前君はここを出て行く時は家庭教師になりたいと言っていたが、秘密を知り過ぎてしまった君を父が無条件で解放するとは思えない。だからこそ先に君の身の安全を保証できる最善策を提案するつもりだ」
動揺しているサラとは対照的に、キースは真剣に、そして熱い眼差しをサラに向けている。サラは顔が熱くなる前に視線を下に流して冷静になろうと努めるが、膝の上で握りしめている両手が微かに震えてしまう。
「……ですが、両親が誰なのかさえ分からない私を受け入れてくれる貴族がいるとは思えません」
「全く当てが無いという訳じゃない。王都にいる貴族は血筋にこだわる気質だが、外に目を向ければ皆がそうとは限らない。それからマティアス一族の遠戚を頼るよりも、信頼できる人物に君を託したいと思っている」
「…でも、無理に貴族の養子にならなくても、使用人としてどこかに身を寄せられれば済む話ではないのですか?」
「平民でいるよりも貴族として身分を確立させた方が、君の安全を保障する最善の道だと考えている。それに…」
キースはサラに命令する訳でもなく、この提案を受け入れて欲しいと懇願するような姿勢を見せている。再びキースと視線が合ってしまったサラは、その熱い眼差しに捕らわれてしまった。
「俺はこの数カ月の間、君に何もしてやれず、己の無力さをずっと痛感していた。それでも君はずっと俺の事を信じていてくれた。だからせめて今俺に出来る事を全てしてあげたいんだ。君がいつかここを去る日が来るとしても、君とのつながりをそこで絶ちたいとは考えていない」
胸が締め付けられそうな気持ちのまま、サラはある一つの事をどうしても聞きたくて、声を絞り出す。
「……私がここを出て行った後も、私と会って下さるという事ですか?」
「君が…それを許してくれるなら、そのつもりだ」
キースの一言で全ての不安が溶けて消えていく瞬間を味わったサラは、無性に込み上げてくる愛しさに押されて目の前の男性を抱きしめたい衝動に駆られてしまう。それでも一度はぐっと堪えて、落ち着きを取り戻そうと考えを巡らせた。
(本当に…何もかもずるい人だわ。不器用に優しくて、時々意地悪な事もするくせに、整った顔で微笑まれたら何も言い返せなくなるし、貴族でありながら騎士としてもちゃんと周囲から認められているし…。私がそんなあなたの隣で堂々と立っていられるのは、妹のオリビア様の振りをしている間だけなのよ。もしも私が本当にどこかの貴族の養子になれたとしても、私はいつまでもあなたが会いに来てくれる日を待つだけの女になるかもしれないと言うのに……)
「……キース様が何も言わなくても、使用人達を取りまとめ、私をずっと支えていてくれた事は理解しているつもりです。昨日の夜、旦那様の屋敷に連れて行かされそうになった時、私はあなたにお礼も言えないまま一生会えなくなる事を一番に恐れていました。だけど今はもうそんな不安もありません。これからもずっとあなたの事を信じています。だからどうかお願いです。騎士団にいても大きな怪我をする事などないように、ずっと無事でいる事を約束して下さい。そうじゃないと、いつか遠くに行ってしまう私に会いたくても会いに来られなくなりますから」
複雑な想いとは裏腹に込み上げてくる幸福感で満たされていたサラは、潤んだ瞳でキースを見つめ、微笑みながらそう答えていた。
キースは皮肉交じりの冗談を含んだサラの返事に驚きながらも、目に涙を溜めながら嬉しそうに答えてくれた彼女を見て、最後は苦笑交じりに「わかった」とだけ呟いた。
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