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第三章

67. 波乱の余韻

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 屋敷に帰ってきたサラ達を出迎えたのは、執事のギルバート、侍女頭のエレナと複数のメイド達、そして屋敷の警備を任されている騎士のオスカーとその部下達だ。

 彼らは皆、今夜のデビュタントで華々しく社交界デビューを果たしたはずの、優しくて美しい侯爵令嬢の微笑みがどこかぎこちなく、そのうえ泣いた痕まである事に動揺している。

 キースはいちいち足を止める事なく、サラを部屋までエスコートしながら、後ろからついて来る侍女頭のエレナに指示を飛ばす。

「エレナ、すぐに妹を休ませてやってくれ。微熱があるかもしれない。薬も用意してくれ」

「承知しました」

 キースの無言の圧に従ってサラも黙って歩いていたのだが、護衛でついてきていたはずのリックの姿が見当たらない事に気付き、キースの腕を寄せて引き留めた。

「待って下さい」

「どうした?」

(他の騎士の前でリックの体調が悪そうだとは言えなかったけれど、それを今になって思い出すなんて。彼が明日もここに来るとは限らないわ。せめて次にいつ会えるかだけでも聞いておかなくちゃ)

「リックは何処ですか?話をする約束をしていたのですが」

 サラの口から護衛騎士の男の名前が出た途端、キースは眉をひそめてしまう。

「リックなら屋敷に着いてすぐ、オスカーと護衛の引継ぎをして帰ったはずだ」

「そうですか。それじゃあ―――」

 サラが後ろにいるオスカーにリックの事を尋ねようとした時、キースが「こら」と小さく叱りつけて、サラの体を横に持ち上げた。

「ふあっ!?」

 キースがいくら体を鍛えているとはいえ、ドレスを着ている成人女性一人を抱えて歩くのは容易な事ではない。サラの無意識に恐怖を感じて、反射的にキースにしがみついてしまう。

(なっ、何で!?どうして抱っこするの!?しかもこれって、お姫様抱っこじゃない!)

「あのッ、待って、待って下さい!自分で歩けます!私も大人です。重たいってわかっています!ドレスの形だって崩れてしまうわ!降ろして下さい!」

「確かにこのドレスは君にとても似合っているが、君を持ち抱えて歩くのは一苦労だ。これ以上騒がれてしまうと、バランスを崩して二人で派手に転んでしまうぞ。しっかりつかまっていてくれ」

「~~~!!」

 キースの後からついて来る使用人達と護衛達に、赤面している顔を見られないように、サラは目をつぶりキースの胸元に顔を埋めて、言われた通り大人しくなった。

 部屋の前でやっと解放されたサラは強く鳴り打つ心臓の音を聞きながら、ここまで運んできてくれたキースにまずお礼を言うべきなのか、それとも他の事から言うべきなのかがわからなくなり、その場の雰囲気に出遅れた。

 先にキースの「お休み」と言う言葉で我に戻ったサラは、思わずキースの袖口を掴んでいた。

「待って!あなたにも話があるの!」

「…俺もそのつもりだったが、君は今日、相当無理をして疲れているはずだ。早く休んだほうがいい」

「イヤです!だって、次があるのかなんてわからないもの!」

 普段のサラはここまで感情など剥き出しにする事はないのだが、今は必死の形相でキースに何かを訴えようとしている。キースは震えているサラの手の甲に自分の手を重ねた。

「わかった。それじゃあこうしよう。私も着替えて落ち着いたら君の部屋に使いを寄越す。その時に君がまだ起きていれば話をしよう」

(……それもそうだわ。彼もこのまま正装姿でいるのは大変よね。すぐにでも着替えたいはず。私ってば、落ち着いて、冷静にならなくちゃ…)

 冷静になれ、と自分に言い聞かせているサラだが、なかなか自分の想いを声に出せない分、込み上げてくる感情が涙に変わっていってしまう。

「大丈夫。心配いらない。君を守っているのは俺だけじゃない。ここにいる皆も、君の味方だ」

 周囲の人の視線に気付かされたサラは、恥ずかしいと思う気持ちとその言葉に救われたような気がして、こくんと一度頷いて、キースの袖口を掴んでいた手の力を緩めた。

 部屋に入るなり、エレナと二人のメイドの三人が、サラの体からアクセサリー類とドレスを外し、綺麗にまとめていた髪型も解きほぐし、サラはシュミーズ一枚を着ているだけの状態になっていく。

 そしてエレナと二人、浴室に入ったサラはシュミーズも脱いで、お湯が張られた浴槽に身を沈めた。その温かさに癒されつつ、浴室の鏡にうつる自分の姿を見てしまったサラは、背中の傷がある事をエバニエル皇子に知られている恐怖を思い出して再び落ち込んでしまった。

(どうしてエバニエルは背中に傷跡があるのを知っていたの?それに、キースは第一皇子のロシエルに似ているっていうだけで命を狙われているなんて!あぁ、彼に何と話せばいいの…!?)

「お嬢様、湯加減はいかがですか」

「えッ?あ、お湯…?うん、大丈夫よ」

 サラの裸を見る事が許されているメイドは、今のところ侍女頭のエレナだけだ。長い髪を洗って乾かす事以外は一人でも出来てしまうので、サラは誰かが浴室にいる雰囲気がずっと苦手だったはずだが、今日ばかりは至れり尽くせりの環境に感謝して甘えている。

「―――お嬢様、申し訳ございませんでした」

「…どうしてエレナが謝るの?」

「体調を崩されたと聞きましたが、ドレスに違和感があったり、髪をきつく縛り上げ過ぎてしまったり、負担をかけてしまったのではないかと思い至りました」

 サラは誤解をしているエレナにどうにか説明をしようとするが、言葉がうまく出てこない事に気付き、心の傷が開くのを感じている。

「違うわ。……そうじゃないの」

「私共に気を遣う必要は―――」

「違うって言ってるじゃない!」

(いやだわ…!今日は、本当に!今まで我慢していた感情が溢れてしまう…!)

「ごめんなさい!エレナのせいじゃないのに、八つ当たりしてしまった…!皆が準備してくれたものは全部文句のつけようもないくらい、どれもとても素敵だったわ。それなのに…今更こんな事を言っても、私がそれを台無しにしたようなものよ。本当に情けないわ…」

 自分の不甲斐なさを自嘲して微笑むサラを見たエレナが、厳しい表情に変わった。

「お嬢様…どうしても忘れられない辛い事があれば、時にその感情を涙で流す必要があると、私はそう思います。それに貴方様が本当の意味で一人になれる場所はここしかないのですから、私は外でお待ちしております。終わりましたらお声かけ下さい」

 エレナの眼差しは真っすぐにサラを見つめて、サラの返事を待っている。この時サラは、エレナも誰にも言えない悲しみを抱えているのだとわかった気がした。

「…ひっ、ひっく…、うッ、……エレナ、……私、どうして、あんな、あんな男にッ…!」

 サラは泣きながら、デビュタントの会場でエバニエルに言われた事の全てを打ち明けた。エレナは浴槽の中から手を伸ばしてエレナの腕の中で泣き出したサラの体をしっかりと抱きしめていた。





「―――という事があったようです。その事をキース様にどう伝えたらいいのかわからず、悩まれていたようです」

「そうか…。それで、今は眠っているのか?」

「はい。言いつけ通り、微熱を抑える薬だと言って、用意した眠り薬を飲んで頂きました。しばらく起きていらしたのですが、騎士のラウラ様がお部屋に到着されたので、安心したのか横になってそのままお眠りになりました。ラウラ様には明日の朝、キース様がお嬢様をお迎えに行かれる事も、伝言で残して参りました」

「ご苦労だった。わかっているだろうが、最初の件は他言無用だ」

「はい。それでは失礼します」

 エレナが執務室から出ていった後、ギルバートを呼び出したキースは、唐突にグローリアにいる執事のアーノルドに会ってこいと言い出した。

「アーノルドに何かあったのですか?」

 執事として精神誠意仕えてきたつもりのギルバートの頭には、いきなり休めと言われたせいで、解雇か、または引退を命じられるのではないかという余計な不安を抱いている。

「いいや、そうじゃない。考えてみれば、しばらく休みを取っていなかっただろう?幼馴染のアーノルドとも長いこと会っていないはずだ。五日間休暇を取って、グローリアで静養してきたらいい。だがそのついでで申し訳ないが、使いを頼みたい。この件については筆談は禁止だ。アーノルドに会ってこう言えば、彼ならすぐにわかるはずだ」

 キースはメモを取らせることなく、ギルバートに対して覚えてもらうべき質問事項を、丁寧に言い述べた。 

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