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第三章

55、図書室の秘密(二)

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 小さなドアの前に行き着くと、そのドアを開けたキースは後ろにいたサラを先に部屋の中へと歩み進ませた。そこで不思議な空間を目にしたサラは、その光景に目を輝かせる。

 隠し部屋の中央には高級絨毯が敷かれていて、その上にはクッションが並べられた横長のソファとサイドテーブルが置かれている。部屋を取り囲む四方の壁は、出入り口のドアと飾り棚がある場所以外は全てカーテン付きの書棚で埋め尽くされていて、天井にはこの部屋の半分の大きさ程度の天窓が取り付けられている。

 見上げた天窓の遥か彼方では夜空に浮かぶ月と星々がキラキラと輝いていて、それだけでも十分素晴らしいと言えるのだが、天窓の形に切り取られた月明かりがスポットライトのように部屋の中央を照らしていて、この部屋全体を幻想的な空間に演出して仕上げている。そこはまさに小さな別世界で、この場所こそが異世界ではないかと思えるほどにサラは感動していた。

 定期的に清掃がされているのか目立った埃もなく、この部屋の造りに感動したサラが上下左右きょろきょろと観察している間に、キースはどこからか蝋燭と燭台を取り出し、サラが持っていたランタンの火を蝋燭に分け与えると、飾り棚に燭台を置いて書棚のカーテンをめくって本を探し始めた。

「君が探しているものだが、初代皇帝に関する逸話を記録に残す事は帝国法で禁止されている。だからその類いの書籍は存在しない事になっているんだ」

「そうだったんですね。お伽噺のように聞いていたので、てっきりあるものと勘違いしておりました」

「初代皇帝の伝記は侵略時代から始まり、帝国樹立後間もなくして戦いの後遺症で急逝したという内容で終わっているものばかりだ。帝国を築いたのはあくまで初代皇帝ミハエル個人の力によるもので、皇族は聖女の関与を認めてはいない。逸話を書き残そうともしないのは、教会の権力を抑制するためだとも言われている」

「大司教様が初代皇后様は聖女だったかもしれないと仰っていましたが、それも記録には残されていないのでしょうか」

「あれは俺も初耳だったな。初代皇后については皇帝が愛した唯一の女性だったという一文を読んだ記憶があるくらいだ。皇后と聖女との関連性は不明だが、聖女に対する民衆の憧れは口伝となって根強く語り継がれるようになった。そしてこの本は禁忌を破った者が書いた子供向けの絵本で、すべて処分される前に先祖が密かに残してくれたものだ」

 キースが書棚から二冊の薄い本を取り出し、そのうち一冊をサラに差し出す。

「これはさすがに持ち出しできないが、長い物語でもないから座って読んでいけばいい」

 サラが頷いて本を受け取ると、キースはソファの端に腰を下ろし、持っていた本を開くと同時に軽く息を吐いた。

 サラもキースと一人分の距離を空けてソファに座ったのだが、横目で見てもキースが手にしている本を読む振りをして集中していないことが分かってしまい、どうしても気になって声をかけた。

「キース様、今夜は普段よりもお疲れのようですね」

「ん、あぁ…。最近面倒な奴がいて、扱いに困っているんだ」

「騎士団の方ですか?でもその言い方だと、その部下を可愛がっているように聞こえますね」

「…いや、よしてくれ!相手はあのルアンだぞ」

「ルアン?彼がどうしたのですか」

「任務中でもパウロ公爵に呼ばれるとすぐにいなくなってしまうくせに、俺が一人になると突然現れて、『二人で探したほうが早い』と言って俺の後をついてこようとするんだ。今後オリビアが戻ってきた時の事を考えると、彼をこの件に関わらせたくはないんだが…。おかげでオリビアを探すことが余計困難になってしまった」

(……それってつまり、ルアンがキースと一緒にオリビア様を探そうとしてくれているの?でも私はルアンじゃなくて、マダムにお願いしたつもりだったんだけど…)

「きっと私のせいですね…。私がマダムに相談した時、ルアンも一緒に話を聞いていたので協力しようとしてくれているんだと思います」

「それはあの日何があったのか君の話を聞いていたから、俺達がを探している事をルアンが知っていても驚きはしなかった。だが問題はルアンがこの話に何か裏があると勘づいている様子なんだ。マダムをここに勝手に連れてきた事を謝罪しながら、もっと詳しい話を聞きたいから君に会わせてくれと、あいつは堂々とそう言ってきたんだぞ」

「え?もしかして、ルアンがまた来ていたのですか?」

「…来ていたぞ。だがすぐに帰した。夜も遅かったし、君も休んでいたからな」

「そこまで彼が協力的だなんて…。考えてみれば、訓練場で腕の怪我を治したり、マダムの病気も治したので、私に恩を返そうとしているのかもしれません。でも本当の事を言う訳にはいかないし……。ルアンの友人でもあるリックに相談してみるのはどうでしょうか」

 サラは彼女なりに必死に解決策を模索して提案したつもりだったが、キースはまた軽いため息を漏らしている。

「まったく、君はどうしてそんなに鈍いんだ…。とにかく、ルアンは先日からリックの第三分隊に転属している。リックによると、父からルアンの行動に制限をかけるなと釘をさされているらしい。騎士団の規律を重んじるあの人にそこまで言わせるとは、どう考えてもルアンは怪しい点が多すぎる。下手に出ればかえって彼の好奇心を刺激してしまいそうな、どうも苦手な男だ」

 ルアンの対処に困っていると言うキースは、眉をひそめて険しい顔つきになっている。

(マダムからはまだ何も連絡はないし、ルアンは協力的だけどそれが仇となって結局キース困らせているようだわ。今夜は帰りも遅かったのに、今だって私のために時間を割いてくれているのだから、早くこの本を読んでお返しした方がいいわね…)

 本を開いたサラは子供向けの絵本とは思えないほど芸術的に描かれている挿絵に見惚れながら、絵の中にある奇妙な羅列が文字である事に気がついて思わず唸ってしまった。

「…んん?」

「どうした?」

「あの、これって…何語ですか?」

 聖女に関する手掛かりが得られると思った矢先、書かれている文字が全く読めないと落ち込んでいると、その本をサラから受け取ったキースが「あぁ、そうか」と呟いた。

「そういえば君に旧ヴェーダ語がわかる教師をつけていなかったな。俺が訳しながら読もう」

「え?キース様に読ませるなんて、そんな事させる訳にはいきません!」

「だが君はこの本に出てくる聖女の事を知りたいんじゃなかったのか?」

(うっ。そうだけど…。キースの読み聞かせてなんて、どんな顔で聞けばいいの!?)


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