身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

文字の大きさ
上 下
51 / 89
第三章

50、マダムの来訪(一)

しおりを挟む


 騎士団の総司令官専用の執務室は今、いつも以上に張り詰めた緊張感が漂っている。その訳は、帽子もドレスも靴も、全身黒ずくめの中年の女性が突然騎士館オーベルジュに現れて、総司令官であるマティアス侯爵への謁見を求めてきたからだ。

 侯爵はその女性をすぐに追い返そうとしたが、その正体が「貧民街のマダム」だと知ると、マダムを客人として受け入れた。マダムを来客用の席に着かせても侯爵自身はデスクの椅子から離れずに、離れた位置で向かい合った二人きりの会談は、まさに今始まったばかりだ。

「先日火事のあった小屋で複数の死体が見つかったそうね。似たような事件が各地で起こっているのは、閣下ならすでにご存じのはず」

 侯爵は黙ったままだが、マダムはその冷たい態度にひるむことなく話し続ける。

「じつは別の現場で生き残った男がいたのよ。その男が何と言っていたのか、興味がある話ではないかしら?」

「……押しかけて来ておきながら、いきなり取引を持ちかけるとはどういう了見だ。聖女の力でマダムの病は完治していると聞いたぞ。それしきの情報でまだ何かを要求するつもりか?」

「その御恩は聖女様と、聖女様を寄越してくれたパウロ公爵に返すつもりよ。とにかく私がここまで来たのには理由があるの。これから誰にも聞かれたくない質問をするわ。正直に答えてくれたらさっきの情報をあげてもいいわよ」

「もったいぶった言い方だな。さっさと言ってみろ」

「――フッ。いいわ…。それじゃ、ずばり聞くわね。あなたの息子、名前はキースと言ったかしら。彼は本当にあなたの実の子なの?」

「何だと?」

 侯爵が驚いてみせたのは一瞬だけで、苛立ちに加えて怒りも露にしている。マダムは目の前にいる男の殺気を全身で感じて、鳥肌を立たせながらも問い続ける。

「あなたの息子は美しい銀の髪色をしているそうね。私は前皇帝が同じ髪色だった事を知っているのよ。それにあなたの前の奥様は臣籍降下された皇族の子孫だと聞いたわ。だとすれば、前皇帝だったともどこかで出会う機会もあったはず。私は知りたいのよ。あの男以外にも、皇族の呪われた血を受け継いだ者が他にもいるのかどうか…!」

 侯爵は立ち上がり、座っているマダムを射るような眼差しで見下ろした。

「…キースは正真正銘、亡き妻との間にできた私の実の息子だ。貴様がパウロ公爵の知り合いといえども、あらぬ噂を立ててマティアス家を愚弄する事は許さないぞ…!さっさと出ていけ。今度私の前に現れた時は問答無用で捕らえて死ぬまで牢獄に入れてやる!」

 侯爵は怒鳴り声を上げたわけではない。それでもその怒りが一番にあらわれている侯爵のブルーの瞳は、青い炎のようにぎらついている。

 ごくり、と唾を飲み込んだマダムは口元をひきつらせた笑みを浮かべながら椅子から立ち上がった。

「死にぞこないの私がこうしてすぐに生きている実感を味わえるなんて、ここまで来た甲斐があったわね。いいわ。私が知りたかった事は聞けたし、火事場から生き延びた男の話をして終わりにしましょう。その男はこう言っていたそうよ。

『他の奴隷達と一緒に薬で眠らされて、目覚めた時にはすでに周りは火の海だった。そして床には血で書かれた奇妙な文字列が書かれていて、何かの儀式で生贄にされるところだった』

――でも結局その男は路上暮らしで食事や金の施しを受ける為にこの話を吹聴していたせいで、しばらくして口封じに殺されてしまったみたいだけどね」

 マダムは言い逃げるように踵を返し、部屋を出ていこうとした。マダムが扉の取っ手に手をかけたその時、侯爵が重い口を開いた。

「待て!……なぜお前が先帝の秘密を知っている。髪色の事は一部の者しか知らないはずだ」

「秘密?私とあの男との間に秘密なんてなかったわ。だからこそ私がどんな気持ちでここに来たのかなんて、あなたには一生わからないでしょうね。他に知りたい事があればパウロ公爵を通して会いに来るといいわ。あなたは先帝ほどいい男ではないけれど、取引ならいつでも歓迎するわよ」

 執務室を出たマダムを待っていたのは、会談が始まる前に廊下に締め出された副司令官のベンダルだ。彼は待機させていた部下にマダムを出口まで連れていくように命じた。だがマダムは手を前に出して「待った」という意思を示す。

「見送りは結構よ。ちゃんと出口の門番に入館証を返して、正々堂々と出て行くわ」

 そうは言っても一人の騎士が後をつけてくることは承知の上で、マダムはそれを無視して階段を降りて一階のフロアまでやってきた。

 廊下を曲がり不自然に扉が開いたままの小部屋を通り過ぎたところで、マダムは誰かにいきなり腕を掴まれてその部屋に引きずり込まれた。

 自分を引きずり込んだ男の顔を見たマダムは、明るい声でその騎士の名を呼んだ。

「あら、ルアン。ずっと待っていてくれたの」

「これでも心配していたんだぞ」

「ふん、よくもそんな事が言えるわね。あんな危険な男の所に行かせるなんて、これじゃ命が幾つあっても足りないじゃないか」

 閉められた扉の向こうで人の足音が近づき、そのまま遠ざかっていったことを耳で確認すると、マダムは今得たばかりの情報をルアンにも共有した。

「結論から言うと、キース公子はマティアス侯爵と前妻との間にできた実の子だそうよ。先帝のことを『あの男』呼ばわりしてもそれには触れず、先帝と亡くなった奥様の不義を疑われて、かなり怒らせてしまったみたい。今度会った時は一生牢獄に入れてやるって脅されたんだから。それにしても、キース公子の髪は本当に銀髪なの?」

「そうか…。まぁ確かに、よく見れば銀髪じゃなくて金髪だしな。母親は侯爵と同じ生粋のブロンドだったようだが、皇族の子孫である事に間違いない。かつて親族婚を繰り返していたマティアス家の血のせいで、突然変異で現れた色だと考えるのが妥当なのか……いてッ!」

 マダムの質問にまともに答えず、独り言を続けるルアンの鼻先をマダムが指で強く弾いた。ルアンが赤くなった鼻先をおさえていると、

「ここまで来たついでに聖女様にも会わせなさいよ。私と話をしたがっていたんでしょ?」

そう言ってにやりと不敵な笑みを浮かべるマダムとは対照的に、ルアンは困り果てた顔で天井を見上げた。




 ※   ※   ※




「お嬢様!お約束のないお客様が突然いらしているのですが…」

 執事のギルバートの焦り具合を見たサラは、マティアス侯爵か第二皇子のエバニエルが来たのかと不安になった。だがそこへ護衛騎士のラウラが現れて、うんざりした様子で客人の正体を明かしてくれた。

「お嬢様、誠に申し訳ございません。ルアンがマダムを連れてきて、挨拶がしたいと申しております」

「え?マダムって、あのマダム!?」

 サラはつい数日前、「貧民街のマダム」と呼ばれている女性を訪ね、治療を拒んだマダムの病を「聖女の力」で強引に治して帰ってきた日の出来事を思い出して身構えた。

(本人がわざわざ来たという事は、私に何か言いたいことがあるのよね。どうしよう。キースが帰ってくるまで、私一人でうまく対処できるかしら…。でも貧民街のマダムと呼ばれている人なら、もしかしたらオリビア様に関する情報を持っているかもしれない)

「……ギルバート、急で申し訳ないけれど応接室を使ってもいいかしら」

「はい、問題ございません」

「それではお客様をそこへ御案内して。私はラウラと先に行って待っています。お兄様が帰ってきたらお客様が来ていると伝えてね」

「…承知いたしました」



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

聖女召喚

胸の轟
ファンタジー
召喚は不幸しか生まないので止めましょう。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

元聖女だった少女は我が道を往く

春の小径
ファンタジー
突然入ってきた王子や取り巻きたちに聖室を荒らされた。 彼らは先代聖女様の棺を蹴り倒し、聖石まで蹴り倒した。 「聖女は必要がない」と言われた新たな聖女になるはずだったわたし。 その言葉は取り返しのつかない事態を招く。 でも、もうわたしには関係ない。 だって神に見捨てられたこの世界に聖女は二度と現れない。 わたしが聖女となることもない。 ─── それは誓約だったから ☆これは聖女物ではありません ☆他社でも公開はじめました

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...