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第三章
50、マダムの来訪(一)
しおりを挟む騎士団の総司令官専用の執務室は今、いつも以上に張り詰めた緊張感が漂っている。その訳は、帽子もドレスも靴も、全身黒ずくめの中年の女性が突然騎士館に現れて、総司令官であるマティアス侯爵への謁見を求めてきたからだ。
侯爵はその女性をすぐに追い返そうとしたが、その正体が「貧民街のマダム」だと知ると、マダムを客人として受け入れた。マダムを来客用の席に着かせても侯爵自身はデスクの椅子から離れずに、離れた位置で向かい合った二人きりの会談は、まさに今始まったばかりだ。
「先日火事のあった小屋で複数の死体が見つかったそうね。似たような事件が各地で起こっているのは、閣下ならすでにご存じのはず」
侯爵は黙ったままだが、マダムはその冷たい態度にひるむことなく話し続ける。
「じつは別の現場で生き残った男がいたのよ。その男が何と言っていたのか、興味がある話ではないかしら?」
「……押しかけて来ておきながら、いきなり取引を持ちかけるとはどういう了見だ。聖女の力でマダムの病は完治していると聞いたぞ。それしきの情報でまだ何かを要求するつもりか?」
「その御恩は聖女様と、聖女様を寄越してくれたパウロ公爵に返すつもりよ。とにかく私がここまで来たのには理由があるの。これから誰にも聞かれたくない質問をするわ。正直に答えてくれたらさっきの情報をあげてもいいわよ」
「もったいぶった言い方だな。さっさと言ってみろ」
「――フッ。いいわ…。それじゃ、ずばり聞くわね。あなたの息子、名前はキースと言ったかしら。彼は本当にあなたの実の子なの?」
「何だと?」
侯爵が驚いてみせたのは一瞬だけで、苛立ちに加えて怒りも露にしている。マダムは目の前にいる男の殺気を全身で感じて、鳥肌を立たせながらも問い続ける。
「あなたの息子は美しい銀の髪色をしているそうね。私は前皇帝が同じ髪色だった事を知っているのよ。それにあなたの前の奥様は臣籍降下された皇族の子孫だと聞いたわ。だとすれば、前皇帝だったあの男ともどこかで出会う機会もあったはず。私は知りたいのよ。あの男以外にも、皇族の呪われた血を受け継いだ者が他にもいるのかどうか…!」
侯爵は立ち上がり、座っているマダムを射るような眼差しで見下ろした。
「…キースは正真正銘、亡き妻との間にできた私の実の息子だ。貴様がパウロ公爵の知り合いといえども、あらぬ噂を立ててマティアス家を愚弄する事は許さないぞ…!さっさと出ていけ。今度私の前に現れた時は問答無用で捕らえて死ぬまで牢獄に入れてやる!」
侯爵は怒鳴り声を上げたわけではない。それでもその怒りが一番にあらわれている侯爵のブルーの瞳は、青い炎のようにぎらついている。
ごくり、と唾を飲み込んだマダムは口元をひきつらせた笑みを浮かべながら椅子から立ち上がった。
「死にぞこないの私がこうしてすぐに生きている実感を味わえるなんて、ここまで来た甲斐があったわね。いいわ。私が知りたかった事は聞けたし、火事場から生き延びた男の話をして終わりにしましょう。その男はこう言っていたそうよ。
『他の奴隷達と一緒に薬で眠らされて、目覚めた時にはすでに周りは火の海だった。そして床には血で書かれた奇妙な文字列が書かれていて、何かの儀式で生贄にされるところだった』
――でも結局その男は路上暮らしで食事や金の施しを受ける為にこの話を吹聴していたせいで、しばらくして口封じに殺されてしまったみたいだけどね」
マダムは言い逃げるように踵を返し、部屋を出ていこうとした。マダムが扉の取っ手に手をかけたその時、侯爵が重い口を開いた。
「待て!……なぜお前が先帝の秘密を知っている。髪色の事は一部の者しか知らないはずだ」
「秘密?私とあの男との間に秘密なんてなかったわ。だからこそ私がどんな気持ちでここに来たのかなんて、あなたには一生わからないでしょうね。他に知りたい事があればパウロ公爵を通して会いに来るといいわ。あなたは先帝ほどいい男ではないけれど、取引ならいつでも歓迎するわよ」
執務室を出たマダムを待っていたのは、会談が始まる前に廊下に締め出された副司令官のベンダルだ。彼は待機させていた部下にマダムを出口まで連れていくように命じた。だがマダムは手を前に出して「待った」という意思を示す。
「見送りは結構よ。ちゃんと出口の門番に入館証を返して、正々堂々と出て行くわ」
そうは言っても一人の騎士が後をつけてくることは承知の上で、マダムはそれを無視して階段を降りて一階のフロアまでやってきた。
廊下を曲がり不自然に扉が開いたままの小部屋を通り過ぎたところで、マダムは誰かにいきなり腕を掴まれてその部屋に引きずり込まれた。
自分を引きずり込んだ男の顔を見たマダムは、明るい声でその騎士の名を呼んだ。
「あら、ルアン。ずっと待っていてくれたの」
「これでも心配していたんだぞ」
「ふん、よくもそんな事が言えるわね。あんな危険な男の所に行かせるなんて、これじゃ命が幾つあっても足りないじゃないか」
閉められた扉の向こうで人の足音が近づき、そのまま遠ざかっていったことを耳で確認すると、マダムは今得たばかりの情報をルアンにも共有した。
「結論から言うと、キース公子はマティアス侯爵と前妻との間にできた実の子だそうよ。先帝のことを『あの男』呼ばわりしてもそれには触れず、先帝と亡くなった奥様の不義を疑われて、かなり怒らせてしまったみたい。今度会った時は一生牢獄に入れてやるって脅されたんだから。それにしても、キース公子の髪は本当に銀髪なの?」
「そうか…。まぁ確かに、よく見れば銀髪じゃなくて金髪だしな。母親は侯爵と同じ生粋のブロンドだったようだが、皇族の子孫である事に間違いない。かつて親族婚を繰り返していたマティアス家の血のせいで、突然変異で現れた色だと考えるのが妥当なのか……いてッ!」
マダムの質問にまともに答えず、独り言を続けるルアンの鼻先をマダムが指で強く弾いた。ルアンが赤くなった鼻先をおさえていると、
「ここまで来たついでに聖女様にも会わせなさいよ。私と話をしたがっていたんでしょ?」
そう言ってにやりと不敵な笑みを浮かべるマダムとは対照的に、ルアンは困り果てた顔で天井を見上げた。
※ ※ ※
「お嬢様!お約束のないお客様が突然いらしているのですが…」
執事のギルバートの焦り具合を見たサラは、マティアス侯爵か第二皇子のエバニエルが来たのかと不安になった。だがそこへ護衛騎士のラウラが現れて、うんざりした様子で客人の正体を明かしてくれた。
「お嬢様、誠に申し訳ございません。ルアンが例のマダムを連れてきて、挨拶がしたいと申しております」
「え?マダムって、あのマダム!?」
サラはつい数日前、「貧民街のマダム」と呼ばれている女性を訪ね、治療を拒んだマダムの病を「聖女の力」で強引に治して帰ってきた日の出来事を思い出して身構えた。
(本人がわざわざ来たという事は、私に何か言いたいことがあるのよね。どうしよう。キースが帰ってくるまで、私一人でうまく対処できるかしら…。でも貧民街のマダムと呼ばれている人なら、もしかしたらオリビア様に関する情報を持っているかもしれない)
「……ギルバート、急で申し訳ないけれど応接室を使ってもいいかしら」
「はい、問題ございません」
「それではお客様をそこへ御案内して。私はラウラと先に行って待っています。お兄様が帰ってきたらお客様が来ていると伝えてね」
「…承知いたしました」
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