身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第三章

48、噴水広場と音楽の夜(一)

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 端から端まで歩けば十五分の距離があるリドー通りは、「バー」と総称されている飲食店がずらっと立ち並んでいる。通りを歩く人達だけでなく、外に客席を設置している店もあるので、酒を飲み食事をしながら楽しそうに過ごしている人々の姿もあって、リドー通りは夜でも明るい賑わいを見せていた。

(この通りは石畳できちんと舗装されていて、馬車も通らないように規制されているのね。こっちの世界ではお酒を提供していればバーと言われるけど、どの店も大きくてお洒落なレストランみたいだわ。派手に騒ぐ人達もいないし、身なりが酷い人もいない。貧民街でも乞食とか見かけなかったし、これが王都に住む人々なのね)

「リビ、あまり余所見をしているとぶつかるわよ」

 お忍びで出てきているサラは今、「リビ」という偽名で呼ばれている。心配と苦笑が入り混じったラウラの声を聞いて慌てて前を向くと、もっと先を歩いていたはずのキースが、いつの間にか普通の声量でも十分に聞こえる位置まで近くに来ていた。

「リドー通りを抜けると噴水がある広場に出られる。同じような広場が王都には五カ所あって、そこを基軸に交通網が王都全域に広がっているんだ」

「噴水のある広場が目印になるというわけですね」

「そうだ。迷子になったら噴水が目印だ」

「迷子だなんて…、子供に対する言い方です」

 周りが見えなくなるほど夢中になっていたことを反省しつつ、子供扱いをされたサラはついムッと頬を膨らませて言い返した。

「くくっ、すまない。君があまりにも注意散漫だから、つい余計なことを言ってしまった。だが後ろにいる彼も、さっきから君の足を踏まないように気を遣って困っているぞ」

 声を立てて笑ったキースの横顔に見とれそうになりながら、サラは振り返って後ろを歩くリックに謝った。

「リック、ごめんなさい。私のせいで警護に集中できないでしょう」

「いいえ。ここは人が多いので、近くで護衛をする必要があるというだけです。後ろの事は気にせず、見たい物を自由に御覧になって下さい」

 リックはサラに優しい言葉をかけながら、いつもの困り顔、ではなく自然な笑みを浮かべている。

 前を歩くキースと、後ろを歩くリックからも、不意を突く笑顔を見せられたサラは、十代の女性らしく素直にときめいてしまい、視線が泳いでしまう。

(リックもキースに負けないくらいのイケメンなのだから、今みたいに普通に笑ってくれた方が女性に喜ばれるはずだけど。それがなくても、彼の真面目な人柄を知れば誰だって好印象を持つはずよ。キースはなぜ私が彼のことを好きだと勘違いしたのかしら。ラウラだってきっと――、あれ?)

 ラウラを見ると、彼女は疑わしい目つきでリックを見ている。新たな疑問がまた増えてしまい、悩みながら歩いていると、キースが探していた店の前で立ち止まった。

「あぁ、あった。この店だ」

 入店してみると中はほぼ満席だが、女性の店員が笑顔ですぐにやって来て、キースと二、三言葉を交わすと、カーテンで隠されていた壁際の特別席へと案内してくれた。

 注文はキースに任せて、サラはラウラと一緒に化粧室へと向かう。歩きながら店内を見回すと、奥には段差の低いステージがあって、客の中には楽器ケースを持った人達もちらほら見かけられる。

(何か演奏が始まるのかしら。ステージ前はちょっとした空間もあるし、ここはライブハウスみたいなお店かな)

「アイゼン隊長、いえ、リックは無口な人のはずだけど、リビの前ではよく喋るのね」

 化粧室に入るなり、誰もいない事を確認したラウラが険しい顔で口を開いた。お忍びの間は「リビの姉」の振りをしているラウラだが、リックの何かが気に入らないような口振りにサラは驚いている。

「彼は必要以上に話さないだけで、質問にもちゃんと答えてくれるし、常に気を遣ってくれているわ。でも、どこか変だった?」

「我々は騎士として技能だけでなく品格を高める教育も受けています。平民出身の騎士が貴族に対して無礼を働かないようにするためです。ですがリックには最初から平民によくある粗雑な部分が少しも見当たりませんでした。裕福な家庭で育ったようですが、田舎から出てきた剣士が数年で隊長まで昇進。あまりにもできすぎて、あの人どうも胡散臭いんですよね…。リビの事をたぶらかそうとしてないかしら」

「たぶらかすって…。彼に騎士としての素質が十分に備わっていただけじゃないのかしら。それよりもラウラ、騎士でいる時の口調が時々出てきているわ」

「あら、いけない。リビには気を付けるように注意しておきながら、うっかりしてしまったわ。でもね、逆玉を狙って貴族のご令嬢を誘惑する腹黒い騎士もいるから、リビも気をつけるのよ」

「ふふ、リックはそんな人じゃないと思うけど、わかりました、覚えておきます。私はてっきり、ラウラ姉さんがリックに興味があるのかと思ったわ」

「…それはないわ。私は何を考えているのかわからない無口な男は苦手なのよ」

 二人が化粧室を出て席に戻ろうとすると、店員ではない見知らぬ綺麗な女性がキースとリックに声をかけている。奥の席に座るキースは何もせず、通路側にいたリックが一人で対応を迫られているようだ。初めて逆ナンを目にしたサラは、思ったことをそのまま口に出してしまった。

「ふ、二人がナンパされてる…!」

「リビ、ナンって何?」

「え?えっと、ほら、二人が今女性から声を掛けられているでしょう。ナンパって言わない?」

「私は聞いたことないわ。リビはヴェーダ語以外の言語も勉強しているのね」

「と、とにかく、どうしよう。リックが困っているみたい」

「そのようね。あの程度の事も上手くあしらえないなんて、さっきの心配は不要だったわね」

 ラウラが先に席に近づいて姿を見せると、長身美女の登場に驚いた女性は悔しそうに立ち去って行った。ラウラの後ろにいたサラはほっとして、促されるまま奥の席について、足が棒になったように疲れていることを実感していると、横に座ったラウラが向かいに座るキースとリックに言い放った。

「ナンと言うらしいですよ」

「ん、何のことだ?」

「女性の方から誘われることです。キースはともかく、リックはこんな時も相手を気遣って優しく断ろうなんて曖昧な態度は見せない方がいいですよ」

 キースは聞いた事のない単語に頭を悩ませ、リックは本当に困った顔をしている。

 まさかラウラが「ナンパ」という日本語の単語を二人に教えるとは思ってなかったサラは、見ていたこともばれて恥ずかしくなり、発音を訂正する気にもなれず、しばらく口をつぐむことに決めたのだった。




 キースが注文した酒と水だけが入ったグラスがそれぞれ三つずつ、それからオレンジジュースが一つと山盛りのフライドポテトがテーブルに並べられると、ラウラが酒の入ったグラスを見て呟いた。

「まさか、本当に飲みませんよね」

「だから水も頼んであるだろう。そういえばラウラは訓練中でも酔わなかった酒豪だったな」

「え?訓練中にお酒?」

 辻褄の合わない会話に思わず首を傾げてしまったサラに、リックがすぐに説明をしてくれる。

「我々は不利な状況下で戦う事を想定した訓練も行います。ラウラはその訓練中、酒をどれだけ飲ませても酔わなかったせいで、仲間内でちょっと有名になっているんです」

「私だって酔っていましたよ。二人もさほど酔ってはいなかったじゃないですか」

「酔った状態で相手を組み敷いたまま、ずっと押さえつけていられたのはラウラだけだったじゃないか」

「コツがあるんですよ。一度押さえてしまえば男でも簡単に抜け出せません」

「……ラウラって、どれくらい強いの?」

「剣術はまだまだだけど、素手による組手で負けることはあまりないわね。私は人体の急所を狙う攻撃法を習ったことがあるの。それを応用して些細な力で効果を十分に発揮する方法も研究しているの。だから私がリビを抱きかかえて部屋まで運んだ時だって、全然苦じゃなかったわ」

「え?それっていつの話?」

「あなたがキースの怪我を治療しながら、疲れてそのまま眠ってしまった日のことよ」

 サラが「そうだったの…」とラウラの強さに驚く一方で、キースとリックは互いに気まずそうな顔をしている。

 ラウラはその表情を見逃してはいなかったが、敢えて気づかない振りをして、まだ温かいフライドポテトに手を伸ばした。


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