身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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特別編

特別編(二)「聖女ソフィア」

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 皇帝となったミハエルは、帝国内の統治と戦災復興、そして近隣諸国との外交政策に取り掛かった。戦地を駆け回っていたこれまでとは違う忙しさに追われるようになると、戦場で一緒に過ごすことが多かったソフィアとの時間は激減した。

 全てを分かち合ってきたソフィアを一人の女性として愛するようになっていたミハエルは、彼女の眼差しと態度で好意を寄せてくれている事に気づくと、この上ない幸せを感じていた。

 しかしかつて自分がこの不思議な力を得る為に契約した者から、その正体が悪魔と呼ぶべき存在である事を告げられると「やはりそうか」とさほど驚きはしなかったものの、この力で乗り越えてきた数々の苦難を振り返ると、聖女であるソフィアに本当の事が言えず、複雑な思いを抱えていた。

 別の人間を使って復活した悪魔を封じることに成功し、人間同士の争いも減って世界が平和を取り戻していく中で、もともと平民だったソフィアが自分のもとを去っていくのではないかと恐れたミハエルは、ソフィアが聖女であることを建前にして皇后に即位させた。彼女を側に繋ぎ止めておく口実ができた事に安堵しつつ、悪魔と契約した過去を打ち明けられない後ろめたさが尾を引いて、素直な気持ちを伝える機会を見失ったままだった。

「とにかく今はこれで良かったんだ。あの悪魔はソフィアによって封じられたのだから、私の体を操ることも、この世に災いをもたらすこともないだろう。この力がある限り私は皆を守っていける。そしてこの帝国が完全にゆるぎない大国となるまで、彼女も私に力を貸してくれるはずだ」



  一方のソフィアは聖女の力を使って戦争で重症を負った人々の治療活動に奔走しながら、ミハエルに恥をかかせないように皇后としての教養と作法を身に付ける努力も怠らなかった。

 建国から数年も経つと、ソフィアの聖女としての活動は落ち着き始め、代わりに皇后として過ごす時間が増えていくと、外国の使節団を歓迎する場にも同席するようになっていった。

 相変わらず多忙で滅多に会えなくなってしまったミハエルが外国の大使と交渉を進めている姿に見とれていると、その熱い視線に気づいたミハエルから優しい眼差しで微笑み返されたソフィアは頬を薔薇色に染めた。

 交渉事そっちのけで見つめ合う二人の様子を間近で見ていた他国の大使から「鮮血の皇帝と言われる男にも、人間の血が流れていたのだな」と揶揄されてしまうほど、夫婦仲の良さは着実に知れ渡っていった。

 実際のところ、二人の会話は日々の出来事やお互いの体調を気遣う内容ばかりで、互いに愛しているという想いを言葉でさらけ出す事はなかった。

 正式な夫婦になったばかりの頃、寝室のベッドで体を重ねる時はいつもミハエルの優しい口づけから始まり、最後まで優しく抱かれて過ごす夜が多かったのだが、会えない時間が増えていくのと比例するように、ミハエルがソフィアを抱く間の行為と情熱は、ソフィアが戸惑うほどに段々と激しいものに変わっていった。

 公務中に偶然出くわした時など、そこが城の中でなくても、ミハエルは人払いをして誰もいない部屋にソフィアを引き込むと、衣服も着たままその場ですぐに抱くこともあった。

「ミ、ミハエル…、こんな場所じゃ、部屋の外にいる人達に声を聞かれてしまう…」

「――駄目だ、今すぐ君が欲しいんだ」

 普段は冷静なミハエルが余裕を失い、何かに追い詰められて助けを必要としている気がしたソフィアは、「鮮血の皇帝」と言われるミハエルもその重圧に耐えきれない瞬間があるに違いないと思うと、荒々しく抱かれている間、少しでもその苦しみを和らげようと癒しの魔法をかけながら、その熱が収まるまで身を委ねていた。

(悪魔を封じる役目を終えた私が、まだこの方の側にいられる理由が聖女であることならば……、私はミハエルのために私にできる事をしよう)

 ソフィアはそう考えながらも、どうしても拭いきれない虚しさは、一方的に与えられる快感と熱で満たしていくしかなかった。

 ミハエルが自分に向ける感情が愛なのか、それとも聖女の癒しだけを求めているのか、本音を聞く勇気が持てないまま、とにかくミハエルにとって安らげる日が一日でも早く訪れることを願うばかりだった。




 ※   ※   ※
 



 微妙にすれ違ったままの二人の関係性は変わらないものの、それ以外の物事が順調に進んでいく中で、ガーレン王国の使節団に同行してきた第一王子のナジェフが美しい顔立ちのソフィアに一目惚れをした。

 ナジェフ王子は「またお会いしましょう」と意味ありげな言葉を残して帰国すると、その後も使節団に同行し頻繁に帝国を訪問するようになった。そしてソフィアにばかり話しかけ、無下な態度に出ることもできずにいると、視察と称してソフィアの跡を追い回す王子の行動は目に余るようになっていった。

 ミハエルもナジェフ王子の大胆な行動に苦慮するが、ガーレン国王が長引く交渉の中で急に柔軟な姿勢を見せてきた手前、事を荒立てぬようにしばらく外出を控えた方がいいとしか言えなかった。

「ガーレン王国は珍しい鉱物の輸出で富を築いた国で、関税に対する姿勢は強気なんだ。だがここで重要なのは、王国の向こうにある海に面した大国だ。その大国の輸出品を入手するにはガーレン王国を経由するのが一番いいルートなんだ。高すぎる関税率を下げてもいいと言い出してきたのには何か理由があるようだが、もうしばらく堪えてくれないか」

「わかりました。ですがこれから治療院を開設するにあたり、教会の理解を得られたばかりです。私がその話し合いの場に全く参加しないわけにはいきません。今後は目立つ行動は避けて、予定は公表せず、内々に関係各所と連絡を取り合うなどの対策を取ってみます」

「……帝国の為に奔走してくれているというのに、面倒な事になって申し訳ない。私もガーレン国王の意図を探って、早く解決できるように尽力しよう」

 それからソフィアはナジェフ王子から視察への同行を頼まれても、やんわりと断って別の案内人を立てて行かせたり、外出する時は側近にしかその事を知らせないようにしていた。しかしどれほど気をつけていても、ソフィアの行動と外出先が限定されていくと王子と鉢合わせする事が度々起こってしまい、雑談の内容が医療や福祉の話になれば仕方なくそのまま会話せざるを得ない状況に追い込まれていった。どんなに目をそらしていても、ソフィアの性格はナジェフ王子に見抜かれているようで、彼女の不安は増す一方だった。



 ある日ソフィアが外出先から帰ってきて、ほっと一息をつきながら寝室へ入った途端、城の内通者と通じて侵入していたナジェフ王子が突然背後に現れて、ソフィアはあっと言う間にベッドの上に押し倒された。

「ナジェフ王子、やめて下さい!人を呼びますよ!」

「あぁ、ソフィア!私はあなたの美しさに惹かれてここまで来てしまいました。どんなに拒んでいるように見せても、あなたはすぐに私の下で美しい声を泣いてきかせてくれるでしょう」

 王子の目が常軌を逸していることに気づいたソフィアは背筋が凍りつき、この状況がかなり危険であることを改めて思い知った。

「ガーレン王国には、金と宝石が取れる鉱山が幾つもあります。私の国に来て下さればあなたをもっと美しく輝かせ、何不自由のない生活を送らせてあげることもできます。どうですか、私と一緒にこの国を出ませんか?」

「ばッ、馬鹿な事を言わないで!この手を放して!」

 頭の上で掴まれている両手首をはずそうとソフィアが必死にあがいていると、ソフィアの上にまたがる王子が片手で取り出した短剣をソフィアの胸元につきつけた。ビクっと硬直した肌の上を、王子は刃先でなぞるように這わせていく。

「父上は私が聖女を連れて帰ることができたなら、すぐにガーレン国王の座を譲ると約束してくれました。この城の中も、国境にもすでに国軍を配置しています。あとはあなたが今この場で、私のものになると言えばいいだけだ」

 刃の先端が心臓がある上の位置までくると、ソフィアは顔を強張らせて助けを乞おうとするが、王子は先手を打つように彼女の耳元で囁いた。

「知っていますよ。あなたはその奇跡のような力で自分の傷もすぐに癒してしまうそうですね。この美しい顔も、体も、すべて神からの賜物でしょう。どんな宝石や金もあなたにかなうものなどない」

 ソフィアは確かに奇跡の力と称される聖女の力で悪魔を封じることはできたが、まったく無傷で済んだという訳ではない。受けた傷の痛みは治るまでずっと続くし、悪魔を封じた後は自己回復力も効かないほど体力を消耗し、数日間はベッドから出られない生活を送っていた。その事実を知らない者はその力を単純にうらやむだけで、苦痛は苦痛である事に変わりなく、ソフィアは恐怖で動けなくなった。

 耳から首筋にかけて王子の唇と舌先でなぞられながら、ソフィアはミハイル以外の者が体に触れているという不快感に耐え切れず、目をつぶって泣きながら助けを求めた。

「いや、やめて…ッ!」

 その時、細長い剣が王子の体を貫いて、ソフィアの腹部も貫いた。何が起きたのかわからないまま目を開くと、自分を襲おうとしていた男がソフィアを見下ろし、その口からは血が出ている。男と目が合ったソフィアが「あ…」と呟くより先に刺された剣が引き抜かれると、その激痛で自分の腹部にも男と同じ傷があることを認識した。

 剣が引き抜かれるのと同時に後方に引っ張られた男の体は、ソフィアから強制的に引き剥がされた。ソフィアはやっと動かせるようになった体を横にして、込み上げてきた自分の血を咳込むように吐き出した。

「ゴホッ、ゴホッ!!」

「ソフィア!」

 そこにいたのは、ソフィアが愛するミハイルだった。

「ミハエル…」

 出血をする自分のお腹に手を当てて治療を施しつつ、ミハイルにもう片方の手を伸ばした。しかしミハイルはソフィアが差し出した手には気づかず、投げ飛ばした男がまだ生きていることに激高している。

「貴様ッ!隣国の正妃に手を出すとはどういうつもりだ!!戦争をするつもりか!?」

「は、はは…ッ。さすが…、『鮮血の皇帝』だ。愛する者が血にまみれようとも、治るとわかっていれば人質にされても関係ない、か……だがこの城はすでに私の部下達によって取り囲まれている!!聖女は私のものだ…!」

 廊下ではミハエルが引き連れていた護衛の騎士達が、急に現れた複数の襲撃者達と剣を交える金属音が鳴り響いている。

「それがガーレン国王の本心だったのか…友好的な協定を結ぼうなどと言いながら息子の為に時間稼ぎをしていた訳だ。辺境に怪しい影があるという報告があったのも、これが答えか!!」

 ふらりと立ち上がったナジェフ王子は手にしていた短剣を振りかざすが、ミハエルが迷わず王子の体を切り裂くと、王子は床の上に倒れてすぐに息絶えた。

「ミハエル…!」

 ソフィアは自分を見ようとしないミハエルの背中を見つめて名前を呼んだ。

 ソフィアの不安気な声を聞いて肩を震わせたミハエルは、軽く一瞥しただけで、またソフィアに背を向けてしまった。

「ゆっくり静養していろ。私はガーレン国王と決着をつけてくる」

 そう言って、不穏なオーラを身にまとったまま、ミハエルは剣についた血を振り払って部屋を出て行ってしまった。

 一人残されたソフィアは呆然とベッドの上で座り込んだまま、呟いた。

「ミハエル、どうして…、どうしてそんな目で私を見るの…?」

 ミハエルが一度だけ振り向いたその刹那、常に優しい眼差しをしていた金の瞳が何故か赤く見えた気がした。それはいつかソフィアが冷たい暗闇の中で見たことのある、ぎらついた悪魔の赤い目を思い出させていた。

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