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第二章

36、視察(二)

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 聖ミハエル教会は初代皇帝の名に相応しく、広い敷地に、神殿、教会、交流所など、幾つもの施設が立ち並んでいて、それらを指差しであの建物は何であるという説明を受けた後、一行は人目を忍ぶような回廊を選んで歩きながら、ミハエル大司教が用意したというその部屋へ辿り着いた。

 大人が十名入っても狭さを感じさせない、ちょうどいい広さを持つ部屋の中には、棚やベッド等の家具以外の調度品もすでに備え付けられていた。中央に丸いテーブルとニ脚の椅子が置かれているのを見たサラは、ここで患者と向き合うことを想像して少し緊張している。

 女性騎士のラウラが、窓越しに外の様子を確認していることに気づき、ラウラの横から外はどうなっているのか見た途端、そこにあるのは教会を取り囲む白い壁と、その向こう側にあるのも隣の建物の高い外壁だけで、特に何もない光景に思わずがっかりとしてしまった。

 すると、ラウラが無言で指し示した先に、白い壁の色に馴染むように白い猫が眠っている事に気付かされたサラは、思わず「きゃあ」と笑顔をほころばせた。

「猫がいるわ。耳がピクピクしててかわいい。でも私きっとアレルギーがあるの。以前にくしゃみが止まらなくなったことがあるのよ」

「それでは二度とここに来ない様に、後で追い払っておきます」

「ちょっと待って、そんなつもりで言ったんじゃないの。ラウラさん、猫相手にそんなに殺気立てないで」

 女性騎士と何やら楽し気にはしゃいでいる姿に、一同はしばらくこの少女が「聖女」であることを忘れて温かく見守っていると、ミハエル大司教が窓辺にいる二人に近寄って、隣の建物が治療院本部であることを教えてくれたのだった。

「治療院と当教会は手続きの一部を簡素化するために、一か所だけつながっている回廊があるのです。そちらも後でご案内しておきましょう。もしよろしければ、その途中にある展示室も御覧になりますか?寄贈された彫刻品や絵画などがございますが、いかがでしょう」

 芸術を語れるほどの知識は持ち合わせてはいないが、サラはそれらを見た時に得られる直感的な感動を味わうことが好きだったので、大司教の提案に思わず胸を弾ませてしまった。

(どうしよう。そういうのを見て回るのは正直嫌いじゃない。教会の外壁はギリシャ式で装飾彫刻があちこちで見られるし、内装はキリスト式で天井の壁画やステンドガラスもすごく素敵に見えたわ。この世界ではゼウスという名の神様を崇めているけど、明らかにいろいろな宗教を組み込んだチグハグな感じがあって、やっぱりここは小説によって生み出された世界なんだと改めて実感しちゃうのよね。全てを現実として受け入れている私がこの世界の芸術品を見ても複雑な気持ちになるかもしれない。でもせっかくだからやっぱり見ていきたいな。視察も兼ねているんだし、いいよね…?)

 頭の中でぐるぐると悩んだ挙句、ちらりとキースを見ると、サラが一人で何やら考え込んでいたところをしっかりと見ていたキースが、苦笑気味に口角を上げて無言で頷いたのを見逃さず、サラはぱっと大司教に顔を戻し、はっきりと明るい声をあげた。

「はい!ぜひお願いします」




 教会の展示室まで来ると、扉の取っ手に巻かれていた南京錠付きの鎖が解かれ、扉がゆっくりと開かれた。するとそこが、窓が一つもない薄暗い空間であることに気づいたサラは、思わず数歩進んだだけで足を止めてしまった。

「どうしたんだ」

「その…、お兄様、私、窓のない部屋が苦手でして…」

「――これならどうだ?」

 そう言いながらキースが手を差し出してきたのでびっくりしたサラだったが、ランタンを持って準備している司教達も見ている前でその提案を断るのは申し訳ないと考え直して、その手を握った。

「これなら、大丈夫です」

 どこか恥じらいを捨てきれないサラのために、大司教が急いで部屋の中にあるランタンにも火をつけるように、他の司教達に指示をした。

「薄暗くて申し訳ないのですが、光が直接美術品に当たらないような設計になっております。上を見ていただくとおわかり頂けるように、一番高い場所に窓をつけておりますので、私共も普段は日中にしか足を踏み入れておりません」

 上を見上げると、たしかに天井付近だけが一段と明るくなっている。そこに自然の光がある事にほっとしたサラは、キースの手を握っていた力を思わず緩めた。すると、意外にもキースのほうがしっかりとサラの手を握ってくれていたことに気づいてしまった。

 今更この手を離すことも出来ず、キースが先導して歩き出したので、ドキドキと胸の高鳴りを感じながら、仕方なくこのままついて行こうと決めたサラだった。


 
 展示室の中央には、ガラスケースに納められた彫刻品や宝飾品が飾られ、壁にはギリシャ神話やキリスト教を連想させる数々の絵画がサラの期待を裏切らず十分に楽しませてくれるのだが、その中の一枚がサラの目を止めた。

 その絵には女神のような女性がいて、その脚を一人の男性が両手で抱えて持ち上げるように支えている。そこに描かれているのが美しい女神とその男性だけであれば良かったのだが、絵の下には誰が見てもそれが何かわかるほど、黒い山羊のような頭をした悪魔も描かれているせいで、サラは得体の知れない不安をこの絵に抱いてしまった。

「こちらの絵が気になりますか」

 いつの間にか手を握っているキースも引き留めて、その絵の前で立ち止まってしまったサラに大司教が話しかけてきたので、素直に「はい」と答えた。

「この男性は、初代皇帝のミハエル様です」

「え?じゃあ、この女性は?」

「聖女であり、初代皇后と同一人物であったとも言われております」

 大司教の言葉に、サラは驚いて目を見開いた。

「初代皇后は聖女だったのですか!?それでは悪魔を倒したというお話は、両陛下が力を合わせて建国時の帝国を支えたという例え話だったという事ですか?」

「まぁ、そうとも受け取れますね。ですが、我々はあなたという『本物の聖女』に出会えたわけですから、初代皇帝と皇后が悪魔を倒したという話は逸話ではなかったと、そう思えて仕方ありません」

 大司教は絵を見つめながら真実を知りたくて想いを馳せている。その一方でサラは釈然としない気持ちに行き当たっていた。

(初代皇后が聖女だったなんて知らなかった…。小説には初代皇帝の話も出てこなかったし、大司教様の話を聞いても明確な情報がないような口振りだったわ。どうして初代皇族のことなのに、こんなに情報が少なすぎるの?)

「…この絵はいつ書かれたものですか?」

「それはわかっていませんが、若くして亡くなった画家が残したものだそうです。この教会は昔は別の所にありましたが、もともと初代皇帝の名の下で建てられた教会でしたので、ここに教会が移設され、それからこの辺りもミハエル地区と呼ばれるようになり、帝国の発展と共に栄えてきたのです」

「そうなんですね…」

 サラは説明を聞きながら、もう一度、描かれている聖女を観察し始めた。聖女は長い金髪をなびかせ、肌は白く、頬はピンクに染められ、その美しさを最大限に表現していることがわかる。その右手には剣先を上にした長い剣が握られていて、白と黄色の絵具で剣は光を放つように描かれている。

 初代皇帝ミハエルの顔はあまり見えず、白をベースに黒と青の線を織り混ぜた変わった髪色が印象的なだけで、対して悪魔の方は人と同じような体しており、その上には恐ろしい角をはやした山羊のような頭がしっかりと描かれている。だがその目は動物ではなく人間のような目をしており、嫉妬と憤怒にまみれた表情と赤い瞳が、頭上にある聖女を睨みつけている。

 ぞくっと背筋に悪寒が走る気配を感じた瞬間、聖女を見上げていたはずの赤い目が、いつの間にかサラの視線を捉えていた。

『お前は私のものだ』

(え、なに…?)

「あっ…」

 全身が痺れるような甘い声がサラの体中を駆け巡り、ビクンと体が跳ねるような衝撃をくらった。そして急に世界が反転したように目が回ったと思った瞬間、サラは意識を失い、その場で崩れ落ちるように倒れた。


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