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第二章
31、自覚(二)
しおりを挟む初めてサラの笑顔を見たキースは、その後すっかり調子を狂わせてしまい、支度にも手間取ったせいで、予定していた時刻よりも遅れて夜会の会場に到着してしまった。
人混みの中から父親のマティアス侯爵を見つけて近づいて行くと、何故かそこに第二皇子のエバニエルと、夜会を主催するロクサーヌ公爵家の愛娘エリザベスも一緒にいることに気づき、キースは二人に対して先に挨拶をした。
「ユスティヌス帝国第二の星にご挨拶申し上げます。公女様におかれましても、今宵お会い出来て光栄です」
すると、エバニエルの方から弾んだ声が返ってきた。
「やぁ、キース。ちょうど君の妹君についてマティアス卿から話を聞こうとしていたところだよ。陛下との謁見の後、訓練中に怪我をした騎士を魔法のような光で治したそうじゃないか!」
「まぁ!素晴らしいですわね!私もぜひ『聖女』様にお会いしてみたいですわ。そう言えば、まだお茶会にもお誘いしてませんでしたわね」
エリザベスは口ではそう言うが、その眼差しは冷たい。マティアス侯爵はそんなことなど気にも留めず、はっきりとその誘いを断った。
「娘はまだ社交界デビューもしておりません。残念ですが、今はお言葉だけありがたく頂戴します」
「そう…、残念です。本物の『聖女』かどうか、私も気になっていたのです。デビューが待ち遠しいですわね。ねぇ、エバニエル殿下」
「そうだね」
エバニエルは少し棘を含んだ言い方をするエリザベスに、同調するふうでもなく、いつもの作り笑顔でごまかした。
エバニエルには兄のロシエルがいるが、兄の方は病弱で滅多に人前にも出ないため、第二皇子の彼が次期皇帝になるだろうと言われている。そして、この帝国の宰相である父親を持つエリザベスは、エバニエルの婚約者の最有力候補であった。
そんな中、教会が予言した「聖女」が本当に現れてしまったことで、もし聖女が病弱なロシエルを救えるなら、次期皇帝の座が一転してロシエルのものになってしまう可能性もあるわけで、社交界では色々な憶測と噂が飛び交っている。
しかし肝心のエバニエルはと言うと、そんな事よりも「聖女」の存在に興味を寄せているのは明らかで、未来の皇后になるために厳しい教育を受けてきたエリザベスにとっては、「エバニエルの婚約者」としての地位さえも奪われかねない状況に、苛立ちを隠しきれない。
エリザベスは気を取り直して、今度はキースに向かって丁寧に話しかけた。
「キース様、今からレイバーン公爵家のヘレン様がいらっしゃるのですが、ご一緒にいかがですか」
公爵家の令嬢に失礼な言動は控えるべきだが、キースはあまり女性を紹介されることを望んではいない。これまで自分に近づこうとする女性達の中に、既婚未婚を問わず体を使ってまで誘惑しようとする強者達がいたせいで、相手の機嫌を損ねないように上手くその場から逃げる必要に迫られた経験が何度もあったせいだ。
一歩間違えれば「体を穢された」と言われて婚約か結婚を迫られかねない。社交界の裏側でよく聞く男女間のもつれ話を耳にしても、どうせあと数年も経てば政略結婚で相手も決まるのだから、不要な感情は邪魔になるだけだと、そういった話題への興味は常に切り捨てていた。
「大変申し訳ございませんが、先日の例の一件で、至急総司令官にご報告があります。この場で話せる内容ではありませんので、恐縮ですが一度失礼をしてもよろしいでしょうか」
エリザベスは無言で扇を広げると、不機嫌で歪めてしまう口元を覆い隠した。その隣でこうなることを予測していたエバニエルが、キースの冷たい反応を面白がって笑みを浮かべている。
「大事な話なら、私に用意された客室を使えばいいよ。今はまだ使わないしね。エリザベスが案内をしてくれるだろう」
エバニエルから頼んでもいない助け船を出してもらえたのは良かったが、エリザベスは「どうぞ、こちらです」と一瞬微笑んだだけで、その後はつんとすました顔で客室まで案内をしてくれたのだった。
客室に着くなり、エリザベスはエバニエルのことが気がかりなようで、会場へそそくさと戻っていった。それでも念には念を入れて、中に誰もいないことを確認してドアに鍵をかけると、二人はソファに座って対峙した。
「何かあったのか?」
「はい。じつは、オリビアが…、あの娘が、先日の訓練場での一件で精神的に参っているようで、疲れてしまったと、何度も愚痴をこぼしているところを使用人達が見ているようです」
「それがどうした。体は回復しているのだろう。あの娘は情にもろい。目の前で血を見せれば、相手が誰でも助けようとするだろう」
「グローリアでもその力を実証させたと言っていましたね。野犬を使って試したと」
「そうだ。結局生きたまま放してやったぞ」
明らかに何か含んだ言い方をしている気がしたが、キースは敢えて言及せずに、本題に入る事に集中した。
「ですが、彼女は父上を恐れてばかりで、あのままでは精神的にいつまでもつかわかりません。今後も我々の監視下だけで強制的に『力』を使わせ続ける事は、危険なのではないでしょうか」
「…どうやら、あの娘の自尊心をうまく保たせる方法があると言いたいようだな」
「はい。聖女を取り込む事に失敗し、歯がゆい思いをしているであろう教会をここで利用するのはどうでしょうか」
キースの提案は、教会に「聖女」を派遣するというものだった。教会の中に特別な部屋を用意させて、そこに来る患者は政府直轄の治療院が発行する推薦状を持つ者だけに限定すれば、予め身元の確認も出来て、誰を治療するか選ぶことさえ可能となる。実際のところ、患者を選ぶ特権は皇帝とマティアス家さえ持っていればいいのだ。
この件で教会から違う不満が出てくる可能性はあるが、教会と治療院はこれまでも互いに協力的な姿勢でいい関係を築いてきているのだから、大事に騒がれるとは考えにくい。
皇帝の権威が及ぶ治療院と、国民から厚い信頼を得ている教会に、この提案は双方に対して十分に受け入れられるだろうという算段だった。
「そうだな…。陛下と教会の幹部に会って話をしておこう。聖女の『目覚め』はまだ起きていないなどと言い出した教会をしばらく無視するつもりだったが、まぁ、いいだろう」
「それから、聖女の派遣先は聖ミハエル教会に限定することが望ましいと考えております」
「……たしかに、あそこは初代皇帝の名を持つ教会であり、治療院の本部も隣接しているから陛下の許可も得やすいはずだ。いい提案だ、キース」
めずらしく息子を褒める父親の言葉を聞きながら、キースは昔であれば案外素直に喜んでいたかもしれないな、と冷静に聞き流している自己意識の変化に驚いていた。
何か別のことに気を取られている息子の異変には、侯爵もすでに気づき始めている。
「キース」
「はい」
「今日の夜会に遅れた理由はそれか?」
「…それとは?」
キースは内心、核心を突かれた気がして、わざとらしく否定するような目つきで侯爵に返事をした。侯爵はしばらく黙っていたが、酷く冷めた雰囲気になり、苦言する。
「あの娘を『聖女』として利用する価値は非常に高い。あのエバニエル殿下も一度しか会っていないのにも関わらず、この私に執拗に話しかけてくるほどに興味があるようだ。今回のお前の提案は教会へ恩を売る目的で受け入れよう。だが、あの娘が『力』を利用して我々を操ることができないわけではない。それこそ『魔女のアブラヘル』にもなれる存在だということを覚えておくんだ」
「……『悪魔崇拝三部作』の歌劇に出て来るサキュバスですか」
劇中に出て来るアブラヘルという魔女は、ある男をそそのかし、息子を殺させた後、我に返った男が苦しんでいるところへ再び現れると、自分への愛を誓うなら息子を生き返らせてやろうと騙し、息子の幻覚を見せて男を意のままに操っていた。
原作は二コラ・レミという作家が書いたもので、これを題材にした歌劇鑑賞が貴族の間で最近の流行の一つになっている。
「…わかっていますよ。オリビアの『聖女』としての運命を奪ってしまった彼女が本物であるわけがありません。あの美しさも儚さも全てがまやかしだと承知のうえで、こちらも上手く利用していかなくてはいけないのでしょう」
「わかっていればいい。だがお前の手に余るようであれば、その時は監視役を別の者に委ねるぞ。話は以上か」
「はい」
客室を出て行く侯爵を立ち上がって見送った後も、キースはその場から動けずにいた。
オリビアと名乗らせている少女と出会ってから、キースはずっと自分の感情が振り回されている認識はあった。最初は慣れない感情に戸惑うばかりで、違う言い訳を見つけては自分をごまかし続けてきた。
初対面では完璧な天使に見えた少女が、マティアス侯爵を恐れながら必死に言葉を返す姿を見てからは、ごく普通の人間であることがわかって妙に安心してしまった。だが、早い段階でそう思い込んでしまったのがいけなかったのだ。
彼女を思い出せば胸の内が熱くなるのと同時に切なくなり、実の妹ではないとわかった日からは、毎日見守るうちにその感情は強くなっていくばかりだった。恐れている者に立ち向かおうとする姿は強烈な庇護欲を掻き立てられ、そして今日、自然とほころばせた笑顔を見てしまった瞬間、遂に自分が彼女に恋い焦がれていることを自覚してしまった。
(俺は彼女の持つ聖女の力に惑わされているだけではないのか…?こんな事を考えている余裕などないはずだ)
自分の髪が珍しい髪色をしていることに気づいた時は、本当に父の実の子かと疑っていたが、侯爵家の過去を調べているうちに、この変異はかつて親族婚を繰り返してきた一族のせいではないかと考えられるようになった。
それよりも最も重要だったのは、マティアス一族は冨と権威を手にしても、最後は悲惨な死を迎えることが多いことを知った時、自分の身にも起こり得る悲劇を想像し恐怖したことだ。
産みの母親も早くに亡くなっていて、どんな女性だったのかも教えてはもらえず、物心がついた頃にはすでに父親とは別の屋敷で育てられていた。父の無情さも冷酷さも、その血筋が原因ではないかと思うと、その存在を超えれば呪われた一族の呪縛から解放されるのではないかと信じてきた。だが今の自分はまだまだ未熟者で、目標としている父親と肩を並べられるほどの力を得てはいない。
(俺自身も、彼女を利用すると決めたはずだ…)
本音ではあの少女を勝手に巻き込んでおきながら、アブラヘルというサキュバスに例えた父を殴ってやりたい衝動に駆られた。しかし結局は父親の言う通り、まだ本当の名前を直接聞く勇気もないほど、その魅力に強烈に惹かれていることを自覚しつつ、早く気づくことが出来た自分はまだ引き返せるはずだと信じて、キースは客室を後にした。
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