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第二章
30、自覚(一)
しおりを挟む夕刻、キースが騎士団の任務を終えて帰ってきたところを、いつも通り執事のギルバートが玄関の大広間で出迎えた。
「お帰りなさいませ」
キースは急いでいる様子で、コートと手袋を脱いでメイドに手渡しながら、足早に自室へ向かおうとしている。
「夜会に行く前に軽く食べておきたい」
「ご用意しております。お部屋にお持ちします」
「オリビアの様子はどうだ?」
以前のキースであれば、帰宅後に言うセリフは決まって「何か報告はあるか」「変わりはなかったか」など適当なものだった。それが今では本人も気づかぬうちに、このセリフは最近のキースの口癖になっている。
ギルバートはこの時を待っていましたとばかりに、背中を向けて歩き出していたキースを追いながら口早に答えた。
「はい。朝は少し寝不足でお疲れのご様子でしたが、本日も滞りなく全てのレッスンを無事に終えられました。ところでキース様、お急ぎのところ恐れ入りますが、お嬢様がご相談したいことがあるので、近いうちにお時間を頂きたいと仰っております」
すでに部屋に向かって前進していたキースだったが、ピクッと反応を示して足を止めると、ぎこちない動きでギルバートに振り返った。
「…オリビアが?」
「はい。時間は明日の朝食後でいかがでしょうか」
「―――いや、今聞こう。ダイニングに来るように伝えてくれ。食事もそこでいい」
「承知いたしました」
キースは平静を装ったまま自室に入ると、ドアを閉めて一人になったことを実感した途端に、体の内側から発する熱と、力強く波打つ鼓動に気づいてしまった。
今日の任務は、盗品が流れているという噂を追って貧民街まで出向き、調査を終えて団長への報告を手早く済ませた後は、夜会の開始時刻に間に合うように急いで帰ってきたはずだった。
この胸を打つ鼓動の原因は急いで帰ってきたからであって、体が熱く感じるのもそのせいだと決めつけて、キースはサラをダイニングルームに待たせている事を思い出し、慌てて浴室へと向かった。
ギルバートに言われた通り、サラが一人でダイニングルームで待っていると、カツカツと近づいてくる靴音に続いて扉が開かれた。そこに白のチェニックに黒のトラウザーズを合わせた格好のキースが現れると、その姿を見たサラは本当にキースなのかと思わず自分の目を疑った。
(キース様のこんな姿を見るのは初めてだわ。いつもきちんと整えている人なのに、髪もまだ濡れているし、本当はとても急いでいるんじゃないの?)
銀色の艶を放つ淡いブロンド色の髪から滴り落ちる水滴と、眉目秀麗と謳われているキースの乱れ具合に戸惑いながら、ドキドキと高鳴る心臓の音はこれから本音を言おうとしている自分を鼓舞する為のものだと信じて、サラは席から立ち上がり、キースに向かって一礼をした。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「いいんだ。これから出かける前に軽く食事をして行くつもりだが、その間でもよければと思ってここに来てもらった。何か問題があったのか」
(私から相談したいことがあると言われて、心配して時間を作ってくれたんだわ)
キースが入室の際に扉を閉めてくれたおかげで、この部屋にはサラとキースの二人しかいない。互いに席に着くと、サラは一呼吸おいて話し始めた。
「私は、オリビア様から与えられたこの『聖女の力』を、活かすべき所で活かしたいと考えています。先日のように、この力を見せるために人が傷つけられて利用されるのは嫌です」
キースはこの時、訓練場で起こった出来事だけではなく、サラの両隣にいた二人の男の事も同時に思い出して、忌々しい記憶に眉をひそめた。
「確かに言う通りだな。しかし“活かすべき所”とは、どういう意味だ?」
「はい。旦那様はマティアス家に『聖女』がいる事を世間に知らしめる機会があれば、私がこの力を人前で使う事をお許しいただけるのではないかと思っています。そこで、街の治療施設に行ってみたいのです」
「―――平民が通う治療院で、君が怪我人や病人にその奇跡の力を使うというのか?」
「はい。治療院に行けば、いろいろな患者さんに会えるはずです。この力がどこまで人の役に立てるのか、私自身も知りたいのです」
キースはサラの真剣な口振りと視線で、強い覚悟でここにいることを感じ取った。
ちょうどその時、ギルバートがノックをして、一人分の食事と水が入ったデキャンタを運んできたので、二人は自然に会話を止めた。キースはグラスに注がれた水を口にするが、グラスを持ったまま出された料理には手を出さず、何やら考え込んでいる。
ギルバートは心配そうにしながらも、ここにいては邪魔になると判断して、キースに視線を合わせて頷くと、そのまま静かに退室し扉を閉めた。
「…今夜の夜会で父に話をしてみよう。君の願いをすべて聞き入れるのは難しいが、私にも考えがある」
良案があるように語るキースに、サラは期待できるものがあると確信して、張り詰めていた空気を打ち壊してしまう勢いで、明るく返事をした。
「病気で困っている方を救えるなら私も協力を惜しみません!いい結果を残せるようにしますので、ぜひお願いします!」
本当はもっとしっかりと自分の決意を伝えたかったが、これ以上忙しいキースの邪魔をしてはいけないと考えたサラは、感謝の言葉を添えて一礼すると、嬉しい感情を隠せずに、笑顔でダイニングルームから出て行ってしまった。
一人取り残されたキースは、サラが直前に見せた素の笑顔に意表を突かれ、手にしていたグラスを強く握りしめていた。
水で冷ましてきたはずの感情が高まり、再び熱くなってしまった体を、キースはどうしようもない気持ちのまま、収まるのを待つしかなかった。
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