身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第一章 グローリア編

20、キースとの再会

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 マティアス侯爵家の長男であり、オリビアの腹違いの兄であるキースは、半年前に第一騎士団の団長補佐に就任して以降も相変わらず多忙な日々を送っていた。そんな中、騎士団の総司令官でもあるマティアス侯爵から緊急の伝令を受けて王都からすぐに出発し、田舎のグローリアの屋敷へとやって来たのだった。

 キースの耳にも妹のオリビアが誘拐されて無事に戻ってきたという知らせは立て続けに入ってきていたが、伝令の内容が「大至急グローリアへ来るように」と切迫したものだった為、一抹の不安を抱きつつ、約二年ぶりにオリビアに会うことを想像して、緊張したまま馬車から降り立った。

 出迎えの者を少し待つ間に周囲を見回してみると、屋敷の外観はそれほど悪くないはずだが、しばらく手入れがされていないのか少しみすぼらしい雰囲気が漂っている。それ以外にもただならぬ気配が屋敷全体を覆い尽くしているように感じられ、キースの嫌な予感は増すばかりだった。

「キース様。ご無沙汰しております」

 声をかけられたキースは、出迎えに来た執事のアーノルドと挨拶を交わした。

「ギルバートからよろしく伝えてくれと言われている。妹の件では苦労をかけたな」

「気にかけていただきありがとうございます。キース様も第一騎士団の副団長に就任されたと聞きました。おめでとうございます。……早速ですが、中で旦那様がお待ちです」

 キースの執事のギルバートと同世代とは思えないほどにやつれてしまったアーノルドに同情しつつ、彼に案内された部屋に入ると、そこには父親であるマティアス侯爵と、騎士団で見覚えのある一人の男がいた。

(彼はたしか第三分隊の隊長だ。指揮官として同行させたと聞いているが、この男も疲れ切っているようだな…)

「旦那様、キース様が到着されました」

「あぁ。よく来てくれた。座りなさい」

 深刻な表情で何かの書類を見ていた侯爵が、珍しくキースを労わるような言葉をかけたので、意表を突かれて戸惑いながら向かい合ったソファに座った。それから侯爵は、キースに紅茶を出したアーノルドを引き留めてこう言った。

「この書類は私が預かる。他に関連するものが残っていれば処分しておくように」

「…承知いたしました。では、失礼いたします」

「アーノルド」

「はい」

「この屋敷と後の事は頼んだぞ。何かあれば領地の管理代行人に相談し、解決できなければ私に連絡をしろ」

「はい。承知いたしました」

 侯爵と執事のやり取りを見ていたキースは、これはやはり何か尋常ではないことが起きているとみて緊張感を高めた。

「オリビアは無事に戻ったと聞いていますが、問題が起きているのですか?」

「無事ではあるが、さて、あれで無事と言えるのか…」

 珍しく言葉を詰まらせる侯爵にキースは目を見張る。

「まぁ。だからこそお前を呼んだのだ。アイゼン隊長、あの娘を呼んで来い」

「はい」

 後ろに控えていたリック・アイゼンが指示を受けて部屋を出ていくのを確認した侯爵は、この数日で起こった出来事をキースに語り始めた。内容は簡潔に要約されていたが、キースの頭脳をもってしてもやはり理解しがたいことが起こっていた。

「父上…、つまり、その娘を王都へ連れていくと言うのですか?」
 
 キースは拳を握りしめ強い不快感を示した。侯爵がキースの質問に無言で何も言わないということは、その通りだという事を暗示していた。

「ですが、その娘が力を使ったところを他の者にも見られたのではないのですか?眠ったままのオリビアはどうされるのですか」

「オリビアも一緒に王都に連れていって、向こうで意識を取り戻したことにすればいい。幸いにして、オリビアが自分によく似た孤児を見つけていたおかげでこんな計画が成り立つんだ。オリビアさえ見つからないようにすれば、誰が本物かを証明するのは私とお前二人だけで十分だ」

 キースはこの時ばかりは強く反対したい気持ちでいっぱいだった。たしかに妹が『聖女』であると認められればそれなりの地位を得られ、一族もその恩恵を受けることができるはずだが、他人にその妹の身代わりをさせるという計画にはまったく賛同できない。

「その娘はオリビアが目覚めない今でも、まだ『聖女の力』を使えているのですか?」

「最初は出し惜しみしていたが、試しに目の前で野犬を斬りつけたらすぐに治療した。憶測ではあるがオリビアが死なない限りあの『力』を使えるとも考えられる。何より、あの娘の性格ならオリビアが目覚めるまで贖罪の意識から簡単に逃げようとは思わないだろう」

「―――もしもの話ですが、オリビアとは関係なく、その娘が力を発揮できなくなれば…」

「その時はその時だ。今から考える必要はない。『聖女の力』がなくなってもオリビアとして生かす価値があるなら使うまでだ」

 侯爵との会話の後、キースはしばらく無言のまま目の前の冷めていく紅茶を見つめていた。

(我が父親ながら、このやり取りはうんざりするな。これ以上は何を言っても無駄か…)

 その時、扉をノックする音が二人の沈黙を破った。

「入りなさい」

 侯爵の合図の後、先ほど出ていったリックが入室し、開けた扉をそのまま抑えて連れてきた少女を部屋の中へと引き入れた。
 
 飾り気のないシンプルなドレスを着た、セミロングの金髪を持つ少女の顔を見たキースは目を疑った。

「この娘も王都へつれていく」

「…よろしくお願いします」

 侯爵に促されたように少女はキースに挨拶をした。キースはこの光景に見覚えがあった。
 
(そんなまさか…この娘はオリビアとして王都に来ていたはずだ…。彼女が妹でないとすれば、あの時から俺は騙されていたのか!?)

「どうした。キース」

 呆然としているキースを不思議に思った侯爵が呼びかけると、キースははっと我に返って侯爵に向き直った。

「い、いいえ…!」

 キースは少女から顔を背け、紅茶を一口飲んで気持ちを落ち着かせようとした。普段は人前で動揺を見せない息子の異変に侯爵は眉をひそめたが、連日の堪えない心労でさすがに疲れを感じ、サラを連れてきたリックに再び別の指示を出した。

「アイゼン隊長。眠り続けているオリビアも王都に連れていって向こうの医者に診せることになった。我々と共に連れていくので手配してくれ。これは内密に頼むぞ。わかったら下がって準備を進めてくれ」

 命じられたリックは無言のまま一礼をして静かに出ていった。そして部屋に残った三人の間には、何とも例えようのない緊張感が漂っている。
 
「さて、キース。これからはお前がここにいる『オリビア』の監視役だ。責任を持って面倒をみろ」

「は!?なぜ俺が―」

 思いがけない命令に面食らったキースは素の自分を出してしまった。ここで侯爵が言った『オリビア』とは、間違いなく妹の身代わりをさせるあの少女のことを示していたからだ。
 逆らおうとする息子を侯爵は軽く叱責した。

「私は王都に戻って『聖女オリビア』の存在を公にする。せっかく与えられた好機を逃す手はない。お前も覚悟をしておくことだ」

 野心家である父の危険な計画に巻き込んでほしくないと思うキースだが、命令に逆らえるはずもなく、紅茶を飲み干しながら反論する言葉も一緒に飲み込むしかなかった。

 ちらりと入り口近くに立つ少女を横目で見ると、生気のない表情で暗い影を落としているのがわかる。

(今の状況で落ち込むのもわかるが…、あんな顔だったか…?)

 王都で見た彼女はもう少し感情表現が豊かだったはずだと考え込んでしまう自分に気づいたキースは、迷いを捨てて、いつ出発するのかと侯爵に尋ねた。

「今日の午後には出発だ。ここにいるとに泣きつかれてばかりで息が詰まる」

 侯爵が「アレ」と呼んだのは侯爵夫人のことであり、キースはどことなく苦手な存在感を放つ義理の母親の姿を思い浮かべた。そして彼自身もなるべく会うのを避けたかったので、グローリアに着いたばかりであっても出発は早いほうがいいと頷いていた。
 
 やっと今後の方針が立てられた事に安堵した侯爵は深くため息をついた。しかしキースはこの空間に耐えきれず、立ち上がって一礼をすると、無言のまま部屋の出口へと向かって歩き出した。
 少女の横を通り過ぎようとした時、明らかに向こうが緊張感を漂わせたことに気づいたが、敢えて目も合わさずにそのまま出ていってしまった。

「お前も部屋に戻って準備をしなさい。他の使用人に罪を着せたくなければ、逃げようなどと思うなよ」

「…はい。承知しました」

 礼儀正しく部屋を出ていくサラを見届けた侯爵は、伏せていた書類を手に取って再び眺め始めた。そしていつの間にか震え出した利き手が一枚のその紙を強く握りしめていたことに気づき、力を緩めた。

 彼にとって今の状況はまだ単なる序章に過ぎず、最大の好機を得た瞬間であり、そして危険な賭けの始まりであることは明白であった。



※   ※   ※



 オリビアの部屋に荷造りを手伝うために戻ってきたサラは、そこで侍女頭のイージーと、メイドのジェーンの姿を見つけると、何と言っていいかわからずに立ちつくしていた。いつの間にかサラがいることに気づいた二人も寂しそうな顔をして見せたので、表情を硬くしていたサラの頬にも自然と涙が流れていた。

「サラ。一緒に行けないけどずっと忘れないわ。アーノルドさんもそう思っているわよ」

「もしお嬢様にまた何かされて耐え切れなくなったらこっそり逃げるのよ。王都ならいくらでも方法が見つかるかもしれないわ」

 励ましの言葉をもらっても、サラは自分がお嬢様の身代わりをする為に王都へ行くのだと、本当の事を二人に言うわけにはいかなかった。それを知っているのは、侯爵と息子のキース、執事のアーノルド、そして恐らくはアイゼン隊長と呼ばれていた無口な騎士だけだ。

 ずっと陰で見守ってきてくれたイージーと、無視しながらも見放すことなく接してくれたジェーンに近づいて、サラは小さな手で二人の手を握りしめた。

 それはまるで、母と姉との別れを惜しむ少女のように見えて、ドアの隙間の向こうでは、胸を痛めながら静かに見守るアーノルドの姿があった。

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