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第一章 グローリア編

4、お兄様

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 王都へ向かう馬車に乗る直前、オリビアからぼそっと小声で耳打ちをされたサラは、その言葉の意味を理解できないまま返事をしていた。

「サラ。王都にいる間、私の身代わりをしなさい」

「は…?はい…」
 
 王都にいるオリビアの父、マティアス侯爵が、社交界デビューを数年後に控えた娘を王都に呼び寄せたのである。

 侯爵夫人も一緒に行くはずだったのだが、後日届いた手紙には、要約すると「遠路はるばるお前まで来る必要はない」という無情な内容が書かれていたので、ショックで食事が通らなくなり、寝込んでしまった。

 オリビアは母の体調不良を言い訳にしてこの話を断れないか思案していたが、わざわざ王都から迎えの馬車が来るとまで聞かされると、渋々受け入れるしかなかった。

 マティアス侯爵に愛されたいと願う母のためにもオリビアは我慢しなくてはいけない。しかし、あの無情で冷徹な父に気に入られる自信もない。オリビアは王都へサラを連れて行くと言い出した。

 本来であれば、メイドとしてきちんと教育されていないサラを連れていく必要はないのだが、久しぶりに我儘を言いだしたオリビアお嬢様は、侯爵夫人から「仕方ないわね」のお小言だけを頂いて黙らせた。一人で王都に行かせることになった娘を不憫に想ったかもしれないが、オリビアの考えは別にあった。

 サラとメイド一人を引き連れて馬車に乗り込んだオリビアは、中の様子が見えないようにカーテンを閉めて、胸に秘めていた計画を打ち明けた。

「サラ。馬車が動き出したら、入れ替わるわよ」

「え!?」

「いいから、早く!あなたもぼーっとしてないで、手を貸しなさい!」

 オリビアの声は、サラとその横に座るメイドにしか聞こえないほどの声量であったが、逆らう事は許さないと言わんばかりに殺気立っていた。小さな密室の中で、オリビアの変貌に慣れていないメイドが顔面蒼白で固まっている。サラはそのメイドの手を握り、オリビアに向かってしっかりと答えた。

「わかりました…気づかれる前に急ぎましょう」


※  ※  ※


 王都の中心地から離れた小高い丘にある屋敷で、一人書斎の窓辺に立つ少年の姿があった。彼こそ、あのオリビア令嬢の腹違いの兄、キース・マティアスである。

「最後に会ったのは、九年前だったかな。父上も面倒なものを押し付けてきたものだ…」

 キースは剣術、学業、貴族との交流など普段から忙しい身なのだが、この屋敷にしばらく滞在する妹のための準備に追われて、少し疲れていた。その苛立ちもあって、愚痴がこぼれている。

「キース様、よろしければ紅茶をご用意しますか?」

「頼むよ、ギルバート」

 十八歳のキースは年齢に似合わない口調と落ち着いた大人の雰囲気を漂わしている。四十歳になったばかりの執事が淹れる紅茶を飲みながら、束の間の休憩を取ることにした。 
 
 マティアス家は代々ブロンドの髪質が遺伝で受け継がれているが、キースは銀髪に近く、目だけが父親と同じブルーの色であった。王都で一番冷酷な貴族だと言われているマティアス家ではあるが、その容姿もまた王族に引けを取らない美しさを受け継いでいるだけあって、憂いに沈む顔さえも美しい。

「あと一刻ほどで、到着される予定です」

「そうだな。ああ、気が重い。面倒だと思うが、相手をしてやってくれ」

「承知いたしました」

 キースにとって、今回の妹の王都への招聘は面白い話ではなかった。野心家である父が何を考えているのかは知らないが、有名でもない家名を持つ貴族令嬢に生ませた娘がどれほど使える駒に成長したのか、見定めるためであろうとしか考えられなかった。

 それよりも最近、教会が何やらざわついていることも気になっている。宰相でもある父親が、家族のために時間を割くような男であるなどと想像もできなかった。案の定、マティアス侯爵は息子であるキースに対し、妹が王都にいる間面倒をみるようにと手紙を寄越してきたのだ。同じ王都にいても、父と子のコミュニケーション手段は常に手紙だ。

 キースが初めて継母と腹違いの妹に出会ったのは、キースが九歳、オリビアが五歳の頃。まだまともに話すこともできず、ずっと母親の影に隠れ我儘を言う姿は、甘やかされて育てられていることが一目瞭然であった。亡き侯爵夫人はキースに物心がつく前に病死しているため、母と娘の光景に苛立ちと嫌悪感を抱いたことを覚えている。

(ぬくぬくと田舎で育てられた妹に会うというのは、気が重いな…)

 紅茶を飲みほしたところで、執事が来客の到着を告げにやって来た。キースはやれやれ、というように書斎を後にした。

 馬車は到着しているが、カーテンを閉めているせいで中の様子を伺うことができない。キースが近くにいることにも気づかず、ずっと待機している馬車に最初に近づいたのはギルバートである。彼は丁寧に扉をノックした。ガタっと中でぶつかる音が聞こえた気がしたが、それを無視して優しく声をかける。

「オリビア・マティアス様。執事のギルバードでございます。キース様もこちらにいらしていますので、どうぞ、おいでください」

 しばし間が空いたが、扉が静かに開き、先にメイド姿の女が二人、護衛の手を借りてゆっくりと降りてきた。最後に立派なドレスに身を包んだ令嬢が顔を出したので、護衛がエスコートの手を差し出す。令嬢は一瞬ためらったが、護衛から顔をそらすような姿勢のまま手を取り降りてきた。護衛は一瞬首を傾げたが、整った顔立ちの令嬢が耳まで赤くなっている横顔を見てドキリと心を震わし、気のせいだと気持ちを落ち着かせながら、キースの元へと令嬢をエスコートした。

 その様子を初めから見ていたキースは、馬車から天使が降りてきたような錯覚にとらわれた。二人が近くまで来てはっと我に返ると、令嬢の美しい雰囲気に呑まれ鼻の下を伸ばしている護衛を一睨みする。睨まれた護衛は姿勢を正し、オリビアの手をそっと手放した。

「…オリビア、か。久しぶりだな」

 オリビアに扮したサラは、キースの表情から思考を読み取ろうとした。キースは何やら感じ取っているようで、こちらの反応を伺っている。

「お兄様も、お元気そうで、何よりです…」

 疑われていないか探るつもりで見ていたのに、整った顔立ちのキースに見つめられていると気づいて、思わず顔が熱くなってしまった。

 マティアス家の血を引く者として、顔立ちがいいのは不思議なことでもなんでもないのだが、頬を染めて伏し目で挨拶を返す妹が、十年前と同じ少女だということがキースには信じられなかった。

 ドレスの裾に気を付けながら、キースが無遠慮に顔を近づけると、少女はびくっと肩を震わせ顔を上げた。次の瞬間、キースの冷たいブルーの瞳と、少女のピンクと茶色が混じったような甘色の瞳がぶつかる。その一瞬でキースの心は捕らわれ、体は電流が駆け巡った感覚を味わい、しばらく動けなくなってしまった。その呪縛を解いたのは、執事の一言である。

「キース様…?」

「あ…いや。すまない。久しぶりだったから、顔を忘れてしまったようだ…」

 困ったような、戸惑いを隠しきれないキースの反応に、どこか少し安心した様子で、少女は再び挨拶の言葉を述べた。

「一週間、お世話になります。よろしくお願いします」
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