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第61話
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眠るヴェンディグを傍らで見守っていたレイチェルは、ふとライリーの帰りが遅いことに気づいた。
(そろそろ帰ってらっしゃる頃だと思うけれど……)
少し外の様子を見に行こうかと立ち上がったレイチェルだが、部屋を出る前にヴェンディグが小さく呻き声をあげて目を覚ました。
「閣下!」
ヴェンディグが寝台に上半身を起こしたので、レイチェルは慌てて駆け寄って体を支えた。
「……ライリーは?」
部屋の中に視線を走らせて、ヴェンディグが尋ねる。
「お薬を買いに行かれました。そろそろお戻りになられるはずです」
「……そうか」
ヴェンディグはふーっと息を吐いた。
「閣下、お加減は」
「ああ。大分いい」
言葉の通り、ヴェンディグの顔色はだいぶ良くなっていた。レイチェルはほっとした。
「では、お食事を召し上がられますか?」
「いや……——レイチェル」
食事を運んでこようとするレイチェルを止めて、ヴェンディグは部屋の隅を指差した。
「そこのチェストの、二番目の引き出しを開けてくれるか」
レイチェルは素直に従った。
「そこに入っている赤い箱を取ってくれ」
手のひらに納まる赤い小箱を持って寝台の横に戻ると、ヴェンディグはレイチェルに開けるように命じた。
箱に入っていたのは、王家の紋が刻まれた真鍮のペンダントだった。直径3センチくらいの円形で少し厚みがあり、表面に紋章を取り囲むようにして細かい紋様が彫られている。
金や宝石は使われておらず高価な物には見えないが、古くから王家に伝わるもののように見えた。
「代々、王族の男児に与えられるものだ」
案の定、ヴェンディグはそう言った。
「レイチェル。初代国王の名前を知っているか?」
脈絡もなく尋ねられて、レイチェルは目を白黒させた。
「初代……ガルロフ王です」
「そうだ。王宮の地下には初代国王を祀る廟がある。それから、アルテステラ教会の庭とクレヴェル広場の真ん中に祠が建っているだろう。あれと同じ祠が昔はここにあったらしい。先々代が愛妾に強請られて離宮を建てる時に祠は壊して、中にあった初代国王の銅像は王宮の地下に移動しちまったそうだ」
ヴェンディグは天井を仰いで言葉を続けた。
「罰当たりだと思わないか? 初代からずっとそこにあったものを、自分の欲望のために無くして、先祖にも子孫にも申し訳ないと思わなかったのか……」
ヴェンディグは少しの沈黙の後でぽつりと漏らした。
「先祖から受け継いだものさえどうでもよくなるぐらい、「欲」っていうのは強いものなんだな……」
レイチェルは何も言えずに話を聞いていた。ヴェンディグが何故こんな話を始めたのかわからない。
ややあって、レイチェルに目を戻したヴェンディグは、彼女の持つペンダントを指して言った。
「それはお前が持っていろ」
レイチェルは目を丸くした。
「肌身離さずな」
「え……でも」
レイチェルは戸惑って、ヴェンディグの顔をみつめた。
「私などが、そんな大切なものを」
王族の男児に与えられるということは、国王から王子へ贈られるものということだ。レイチェルが持っていていい訳がない。
だが、ヴェンディグはなんてことないように笑った。
「俺はお前の大切なものを持っているぞ」
そう言うと、ヴェンディグは枕の下の手を入れ、隠していた懐剣を取り出して見せた。
初めて会った日に、レイチェルが捧げた懐剣だ。
「これをお前に返す時に、そっちも返してもらう。これで平等だろう」
レイチェルは目を瞬いた。平等ではない。一貴族の娘が持つ懐剣と、王位継承者が所有するペンダントを同列にしていい訳がない。
「いいから持っていろ。困った時に役に立つかもしれんぞ」
愉快そうにそう言って、ヴェンディグはレイチェルを手招いた。近寄ると、ヴェンディグがペンダントを手に取り、レイチェルを引き寄せた。
「……俺が側にいない時に、これがあることを思い出せ」
ヴェンディグの手で首に掛けられたペンダントが、しゃらりとレイチェルの胸元で揺れた。
レイチェルはヴェンディグの瞳をみつめた。自分が側にいない時、とは、どういう意味なのだろうか。夜、ヴェンディグとナドガが捜索を行っている時か。それとも、レイチェルが離宮の外に出かけている時か。
(何故、そんなことを言うのだろう……)
レイチェルは胸に不安が込み上げてくるのを感じた。
だが、ヴェンディグに何かを問おうと開きかけた口は、ノックの音に遮られた。
「ただいま戻りました。ヴェンディグ様」
ライリーが部屋に入ってくる前に、ヴェンディグはペンダントをさっとレイチェルの襟の中に入れた。レイチェルも、思わず胸元に手をやって隠してしまった。
ライリーに見られないようにすると言うことは、やはりこれはレイチェルが預かっていいようなものではないのではないかと、レイチェルは重大さに胸がドキドキした。
「ライリー、王宮の方はどうなっている。カーライルは?」
ヴェンディグが真剣な顔つきでライリーに尋ねる。パメラが王太子カーライルにどれくらい接近しているのかを知る必要がある。もしも、王太子を足掛かりにしてパメラが王宮深くにまで入り込んでいたとしたら一大事だ。宮廷貴族達を意のままに操られたら国全体がシャリージャーラの餌場となってしまう。
「王宮の侍女の話だと、王太子殿下はいつもとお変わりなく過ごされているようです。例の子爵令嬢と顔を合わせなければ大丈夫でしょう」
ライリーはゆっくりと息を吐きながら言った。
「子爵令嬢が宮廷に入り込んでいる様子もありませんでした。ヴェンディグ様に見つけられたから、逃げたのかもしれませんよ」
「いや、あの女はわざわざナドガに見つかるために貴族の令嬢に取り憑いたんだろう。逃げるのはやめたということだ」
ヴェンディグは難しい顔で首を振った。
「これまでずっと、こちらが追う側だった。だけど、この先は——」
ヴェンディグは途中で言葉を切り、短い沈黙の後でライリーの顔を見た。
「とにかく、王宮の様子に気をつけてくれ。いつもと違うことがあったらすぐに教えろ」
「かしこまりました」
ライリーがすっと目を伏せて頭を下げた。
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