生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

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第49話

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「お姉様はどうして家に戻ってこないんですの……?」

 マリッカの自宅の応接室に通され、少し落ち着いたのかリネットが上目遣いで尋ねてくる。レイチェルは覚悟を決めた。リネットとはいつか話をしなければならないと思っていたからだ。

「私は家には戻らないわ。戻れるとも思わない」

 レイチェルが言うと、リネットはハンカチで押さえていた目元に新たな涙を溢れさせた。

「私が我が儘だから? お姉様の物をとるからなの?」
「違うわ。それは——」

 レイチェルはリネットに言い聞かせる言葉を探した。

「リネット……あなたが本気で私の物を手に入れたがっていたのは本当に幼い頃のことよ。それ以降の、特に最近のあなたは「言わされていた」感じだったわ」

 リネットの方がぴくんと揺れた。

 リネットがまだ幼児の頃、「お姉様のくまさん、ちょうだい」とねだられて、断って泣かれて両親に取り上げられた。あの時の「ちょうだい」は本物の欲望だった。けれども、それは幼児なら誰でも持つ欲望だ。

 幼児はたくさんの欲望を持つけれど、普通は「手に入れられない理由」を学んで成長していく。

 身の丈に合わないから駄目。持つことが危険だから駄目。他人のものだから駄目。

 そうやって我慢を覚え、理性を鍛えていくのに、リネットの欲望は両親がなんでも叶えてしまった。

「リネット。お父様とお母様はあなたに大事なことを教えなかった。だけどあなたは、自分の力で気づいたんでしょう?」

 問いかけると、リネットは俯いてしまった。
 少し離れて座るマリッカは窓の方を向いてお茶を飲んでおり、こちらを見ていない。だが、きちんと話は聞いているだろう。

「……変だなぁ、とは思っていたの」

 しばしの沈黙の後、リネットはぽつりと言った。

「小さい頃は、「ちょうだい」って言えばもらえるから嬉しかっただけなの。でも、時々私が「ちょうだい」って言っていないのに、お母様がお姉様のドレスとかアクセサリーとかを「これが欲しいの?」って言って私にくれるようになって……「欲しかったんでしょ?」って言われると「そうなのかな?」って思っちゃって」

 リネットは悲しそうな顔でぽつぽつ話し続けた。

「流石にドレスをもらったらお姉様が困るじゃない? って思うようになって……でも、その頃にはお姉様は古いドレスを直して着るようになったの。お母様は「あてつけか」とか「我が家に恥をかかせるつもり」とか怒っていたけれど、お姉様は平気そうな顔で古いドレスを着ていたわ。古いドレスは流石にお母様も「欲しいでしょ?」とは聞いてこなくて私はほっとしたの」

 やはりリネットは両親に引きずられていたのだな、と思い、レイチェルはため息を吐いた。

「もらった物は後で返そうと思って大事にしていたけれど、パーシバルから贈られたプレゼントは私が持っていちゃいけない気がして、でもお姉様に返すと同じことが起こるんじゃないかって思ったから、パーシバルに返していたの」

 それは初耳だ。パーシバルもレイチェルに渡せば同じことが起こると思ったのだろう。レイチェルもそう思う。

「それで、パーシバルと話すようになったの」
「そう」

 レイチェルはリネットのカップに新しい紅茶を注いでやった。
 大方、リネットとパーシバルがこっそり会っていることを知った両親が、リネットを焚きつけたんだろうなぁと予想する。

 しかし、次にリネットは予想外の一言を放った。

「それで、パーシバルに「結婚しよう」って言われたの」

 レイチェルは目を瞠った。リネットは鼻を赤くして俯いており、嘘を吐いているようには見えない。

「だから、私はパーシバルと結婚して平民になるの」
「ちょっと待って、リネット」

 レイチェルは咄嗟に口を挟んだ。

「平民になるって何のこと?」
「だって、パーシバルは三男だもの。継ぐ爵位がないわ」

 リネットはきょとんとして首を傾げた。何を当たり前な、とでも言いたげな顔だ。

「パーシバルは医者になりたいんだって。ご家族とも相談して、私と結婚して平民になると決めたの。お姉様の結婚相手はパーシバルのご両親が責任持って見つけるっておっしゃってたわ。侯爵家を継ぐのはお姉様なのだから、結婚相手がみつからないってことはありえないから大丈夫だって」

 レイチェルはちょっと混乱した。リネットの話によると、レイチェルとパーシバルの婚約解消はレイチェルの両親より先にパーシバルの両親が了承していたことだという。

 パーシバルの両親は極めて真っ当で誠実な人柄だ。彼らが姉との婚約を妹に乗り換えるなどという非常識を許すはずがない、普通なら。

(……ああ。普通じゃなかったわ)

 パーシバルの家族から見たレイチェルの家族が、普通ではなかったのだ。


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