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第46話
しおりを挟むレイチェルはきょとんとした。ヴェンディグは何を言っているのだろう。いつの間にかライリーの姿がなくなっていたが、話に集中しているヴェンディグは気づいていないようだ。
「お前のせいで俺は欲深くなっちまったようだ。俺はお前が思うような立派な人間じゃない。このままでは、お前がここにいたくないと思っても、縛り付けちまうかもしれない。ここから逃げたいと言うお前を」
「私はここにいたいです!」
レイチェルは思わず身を乗り出した。
「私がここから逃げたいと思うなどあり得ませんっ! ……でも、私は何も出来なくて……閣下がシャリージャーラを探し続けるのを、見ていることしか出来ない……」
レイチェルはへにゃりと眉を下げて目を潤ませた。ヴェンディグはそんなレイチェルを見て寂しげに笑った。
「今はそうでも、すぐに逃げたくなるさ」
「なりません!」
「なる。絶対」
「なりません、絶対!」
「こんな蛇の痣がある男なんて嫌だろ」
「嫌な訳がありませんっ!」
レイチェルはついテーブルを拳で叩いてしまった。令嬢にあるまじき態度だが、今はそれどころではなかった。
「でも俺は、お前を夜会に連れて行ってやることも出来ないし、離宮にお友達を招いて茶会を開かせてやることも出来ない。俺は令嬢の婚約者としては何も出来ない役立たずなんだよ」
「そんなことっ……」
レイチェルは言葉に詰まった。「何も出来ない役立たず」とは、レイチェルの台詞であって、ヴェンディグがそんな風に思う必要はない。
けれど、ヴェンディグは飄々と言ってのける。
「お前が何と言おうと、俺は王侯貴族の男としては役目を果たせない役立たずなんだよ」
レイチェルは唇を噛んだ、ヴェンディグに自分を役立たずだなどと言ってほしくない。だって、レイチェルにとってのヴェンディグは、誰より立派で勇敢な人なのに。
「……私にとっては、閣下は素晴らしい御方です」
「そうか。俺にとっても、お前は素晴らしい令嬢だがな」
ヴェンディグがニヤッと笑った。
「お互いに自分を役立たずと思っていて、お互いに相手を素晴らしいと思っているんだ。おあいこだろう」
「あっ……」
レイチェルは目をぱちぱち瞬いた。何だか全部ヴェンディグの手のひらの上だったような気がして、声が出てこなかった。
「では、役立たず同士、素晴らしい相手に感謝して過ごしてはどうだろう?」
したり顔で提案するヴェンディグに、レイチェルは体の力が抜けてへなへなと椅子に沈み込んだ。
レイチェルが自分を役立たずと卑下するなら、自分も自分を役立たずだと言う。ヴェンディグはそう告げているのだ。おあいこだと。けれど、レイチェルとヴェンディグでは絶対におあいこではない。そう思うのに、言い返す上手い言葉が見つからない。
なんだかちょっとだけ悔しい気持ちがすると思いながら、レイチェルは今さら恥ずかしくなって顔を伏せて手で覆った。
***
天井の高い広間の柱に施された浮き彫りは今では手に入らない素材と技術が使われている。ワインを振る舞うのに使われているグラスも最高級のものだ。ぱっと見ただけでも、どこもかしこも金がかかっていることがわかるが、決して下品ではない。
悪い噂は数々聞くが、資金力とセンスの良さは並ぶ者がない。
「気は進まないが、我が国有数の侯爵家だ。挨拶をしたらすぐに帰るつもりだが……」
「ええ。わかっておりますわ」
気遣うようなカーライルに、ヘンリエッタは微笑んでみせた。
モルガン侯爵邸で開かれる夜会は、王族といえど無視するわけにはいかない。王太子カーライルはヘンリエッタ妃を伴って会場へ入った。王都中の貴族が全員招待されているのかと思うほどの人数にも関わらず、混み合っている感じはしない。庭も解放されているとはいえ、もしかしたら王宮の広間より広いかもしれない。
「侯爵を探すのも骨が折れるな……」
うんざりした口調で呟いたカーライルは、ヘンリエッタの肩を抱いて客の間を通り抜けた。顔を合わせた貴族に声をかけ挨拶を受けを繰り返し、しばらくすると、大柄な男がにこやかな笑顔で近寄ってきた。
「これは王太子殿下。妃殿下も。ようこそいらっしゃいました」
「モルガン侯爵、お招きに預かり感謝する」
「素晴らしい夜会ですわね」
カーライルが告げ、ヘンリエッタも声を掛ける。モルガン侯爵は愛想よく応対した。
「是非ともお楽しみください。……ああ、そうそう、実はご紹介したい者がおりまして」
モルガン侯爵がそう言って、後ろを向いて声をかけた。何人か固まって談笑していた中の一人が、ゆっくりとこちらを向いた。
「クレメラ子爵家のパメラ嬢です。最近、王都へ出てきたばかりで何も知らないそうで、夜会にも慣れていないとか」
ゆったりと歩いてきた少女が、カーライルの前でふわっと微笑んだ。
「お初にお目にかかります。王太子殿下」
パメラの緑の瞳がキラリと光った。
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