生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
上 下
4 / 98

第4話

しおりを挟む

***


 そして今、ヴェンディグは美しい侯爵令嬢の前で間抜け面を晒していた。

「どうか、私と結婚してください!」

 逃げ出すどころか求婚しだした侯爵令嬢に、思わず懐剣を取り落としそうになってはっと我に返る。

「……何を、言っている?」
「結婚していただきたいんです! お願いします!」
「正気か?」

 思わずそう尋ねてしまったのは悪くないだろう。まさかこの「蛇に呪われた生贄公爵」に求婚してくる令嬢がいるなどと、誰が想像できるものか。

「ちょっと待て。レイチェル嬢には婚約者がいるだろう」

 冷静になろうと息を落ち着けつつ尋ねると、レイチェルは何の躊躇いもなくこう言った。

「今朝方、我が婚約者であられた御方は妹リネットの婚約者となりました」

 ヴェンディグは思わず絶句した後で、傍らに立つライリーに視線を向けた。ライリーも真顔でヴェンディグを見て、二人の目が合う。
 数瞬の間の後、ヴェンディグとライリーは同時にレイチェルに視線を戻した。

「それは……貴女の婚約者が、妹御に心変わりしたということか?」

 しばしの沈黙の後、ヴェンディグが言いづらそうに口にした。
 ここで気まずそうに目を伏せて言うヴェンディグに、レイチェルは好感を抱いた。「婚約者を妹に奪われた令嬢」を前にして、ヴェンディグからは嘲るような気配が感じられない。

「妹は以前より私の婚約者に興味を抱いておりましたので、私に驚きはありませんでした」

 レイチェルは淡々と言った。
 幼い頃から、リネットは常にレイチェルの後を追いかけてくる娘だった。レイチェルが婚約者のパーシバルと会う時でも必ず一緒にいたがった。
 リネットがレイチェルの持ち物を欲しがるのは、あの子に「自分」というものがないからだ。まるで幼子のように、身近な人が持つ物に興味を示しそれを欲する。自分で何かを選びとってくる力がない。
 レイチェルはリネットに対して腹を立ててはいるが、リネット以上に両親に対する怒りの方が大きかった。
 両親がパーシバルの婚約者をリネットに変えたのは、リネットに家に残って欲しかったからだろう。可愛げのないレイチェルではなく、自分たちの思い通りに出来るリネットに。
 それは人の親としてだけでなく、侯爵位にある者として失格だろうとレイチェルは思う。

「家族の間で何があったか知らないが、自暴自棄になってこんな呪われた生贄公爵の元へ嫁ぐ前に少し冷静になれ」

 ヴェンディグは呆れたように言って肩をすくめた。
 レイチェルはきゅっと唇を引き結んだ。本気にされないのは当然だ。相手にされない覚悟はしてきた。引き下がるつもりはない。

「頭は冷えております。結婚が無理ならば、侍女としてでもメイドとしてでもなんでも構いません。どうか、私をこの離宮に置いてください」

 理解はされないだろう。だが、レイチェルは既に家族を捨てる決意をしている、アーカシュア侯爵夫妻が結んだ縁談を受け入れないと決めた以上は、「アーカシュア侯爵令嬢」としての暮らしを享受することは出来ない。だから、もう家には戻れないのだ。

「両親は私をモルガン侯爵へ嫁がせるつもりです」

 ヴェンディグとライリーがはっと目を見張った。
 書斎の空気に張りつめた雰囲気が混じった。

「……流石にそれは酷いな。離宮の外のことを何も知らない俺でも、暇つぶしにライリーから噂話を聞くことぐらいある」

 ヴェンディグが頬を掻きながら視線を送ると、ライリーは涼しい顔で目を逸らした。

「なるほど。モルガン侯爵と秤にかけて俺の方がマシだと判断してもらえた訳だな。おお、光栄だ」

 ヴェンディグはカウチに座り直してレイチェルを見つめて目を細めた。
 レイチェルは不躾にならないよう程々に焦点が曖昧になるように気をつけながらヴェンディグの目を見返した。
 まだ短い時間向き合っただけだが、ヴェンディグからは病的な雰囲気も呪われた者の悲壮感も感じ取れない。
 彼はこの離宮でどんな暮らしをしているのか、レイチェルはふと不思議な気持ちになった。

「ならば、俺から陛下に頼んでやろう。アーカシュア侯爵夫妻を説き伏せて、レイチェル嬢にふさわしい縁談を与えるように。それならばいいだろう」
「いいえ。閣下に貰っていただけないのであれば、私はここを出て修道院へ参ります。家には帰りません」

 修道院へ行くための足もなければ寄付金も用意できないので、実際にはここを出ればレイチェルは野垂れ死ぬだけだ。紹介状がなければ働くことも出来ない。
 レイチェルは少し声を強めて訴えた。

「閣下、私は両親が思いもつかないことをしてやりたいのです」

 リネットに「欲しい欲しい」とねだられ、両親がそれ咎めないどころか焚き付けていることに気づいた時、レイチェルは新しいドレスを作ることをやめた。使用人に頼んで古い服を探してきてもらってそれを身につけた。両親は烈火のごとく怒ったが無視した。

「両親は、私に泣いたり悲しんだりして欲しかったのだと思います。自分ではどうしようも出来ないと思い知って、両親に頼ることを期待されていたのだと思います」

 両親が、そうやって常に子供達より優位に立っていたい、優位であることを確認したいのだと、レイチェルが気づいたのは侯爵家を継ぐための勉強を始めてしばらく経った頃だった。
 家庭教師がレイチェルを「優秀だ」と褒めそやすのを両親は喜ばず、その頃からレイチェルよりリネットを優先するようになった。
 リネットは気に入らないことがあるとすぐに泣き出す子だった。「あらあら、仕方がないわねぇ」「リネットは泣き虫だなぁ」と、上から押さえつけるようにリネットの頭を撫でる両親の姿にレイチェルは違和感を覚え、まるで両親がリネットの泣き虫を直さないようにしているように思えた。
 子供に立派に育って欲しいのではなく、いつまでも何も出来ないままでいて欲しいと望んでいるように見えたのだ。

「今回も私が泣いて頼んで許しを請うことを期待しているのでしょう。ですが、私はその期待に応えたくありません」

 レイチェルはアーカシュア侯爵夫妻が求める「可愛い娘」ではなかったし、そうなろうとしなかった。

「ですから、両親が思いもつかない方法でこの目論見を潰してやりたいのです」

 そんな自分が愛されなかったのは、自業自得なのかもしれない。けれど、レイチェルは自分が間違っているとは思えないのだ。
 これが借金を返すためとか、商売で優遇してもらうためとかいった理由のための婚約なら我慢できた。だが、今のアーカシュア侯爵家にどうしてもモルガン侯爵の助けを借りたい理由など存在しない。
 つまり、これはただただレイチェルを屈服させたいがための婚約なのだ。貴族令嬢として、家族と領民を守るための婚約ならば受け入れることが出来ただろうが、単なる嫌がらせで結ばれる婚約には我慢ならない。

「わかった」

 しばしの沈黙の後、ヴェンディグがふっと息を吐いてレイチェルに告げた。

「貴女が自分の両親を説得できたなら、望みを叶えよう」

 ヴェンディグはそう言って、ライリーにアーカシュア侯爵夫妻を呼ぶように国王陛下へ伝えるように言いつけた。
 レイチェルは肩をふるっと震わせた。今さら喉が渇いてきて、ごくりと唾を飲み込んで拳をぎゅっと握り締めた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢に転生したのに、あれ? 話が違うよ?

ノデミチ
ファンタジー
広井アリス、18歳。 日曜日、剣道部部活の帰り、居眠り運転のトラックに轢かれて死亡。気が付いたら公爵令嬢。 って、これ、やってたRPGの世界の悪役令嬢?ヒロインを虐めるはずなのに、あれ? ヒロインどこですか? イベント、話が違うよ? ゲームの世界より複雑な世界? 裏設定ってこうだったのか? せっかくだから人生やり直し。ひたむきに頑張る公爵令嬢の物語。 アルファポリスonly

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

【完結】悪役令嬢と言われている私が殿下に婚約解消をお願いした結果、幸せになりました。

月空ゆうい
ファンタジー
「婚約を解消してほしいです」  公爵令嬢のガーベラは、虚偽の噂が広まってしまい「悪役令嬢」と言われている。こんな私と婚約しては殿下は幸せになれないと思った彼女は、婚約者であるルーカス殿下に婚約解消をお願いした。そこから始まる、ざまぁありのハッピーエンド。 一応、R15にしました。本編は全5話です。 番外編を不定期更新する予定です!

『絶対に許さないわ』 嵌められた公爵令嬢は自らの力を使って陰湿に復讐を遂げる

黒木  鳴
ファンタジー
タイトルそのまんまです。殿下の婚約者だった公爵令嬢がありがち展開で冤罪での断罪を受けたところからお話しスタート。将来王族の一員となる者として清く正しく生きてきたのに悪役令嬢呼ばわりされ、復讐を決意して行動した結果悲劇の令嬢扱いされるお話し。

【完結】拾ったおじさんが何やら普通ではありませんでした…

三園 七詩
ファンタジー
カノンは祖母と食堂を切り盛りする普通の女の子…そんなカノンがいつものように店を閉めようとすると…物音が…そこには倒れている人が…拾った人はおじさんだった…それもかなりのイケおじだった! 次の話(グレイ視点)にて完結になります。 お読みいただきありがとうございました。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

処理中です...