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第1話
しおりを挟む「お願いします! 私と結婚してください!」
「はあ?」
勇気を振り絞ってレイチェルが口にした求婚に、かの人は琥珀色の瞳を思いきり歪ませたのだった。
***
この国にはかわいそうな公爵様がいる。
公爵様は、まだ幼い頃にその身に「蛇の呪い」をかけられた。
嘆き悲しんだ王様や王妃様はたくさんの祈祷師や魔術師を集めたが、蛇の呪いは解けなかった。
公爵様はずっと寝たきりで、誰にもお姿を見せない。でも、その身に「蛇の呪い」の証がくっきり刻まれていることは誰でも知っていた。
公爵様はもうずっと長いこと、「蛇の呪い」に蝕まれ、命を食われているのだ。
だから、国の者はいつしか、公爵様のことを「蛇に食われた生贄」の公爵——生贄公爵と呼ぶようになった。
***
救いようがないな、とレイチェルは思った。
彼らに対する期待はとうの昔に捨て去ったはずだったが、それでもまさか、ここまで愚かだったとは、と肩から力が抜けそうになる。肩から力が抜けかけたので、自然と頭も下がってしまう。
項垂れたように見えたのだろうか、はしゃいだ声がきんきんと響き渡った。
「ごめんなさい、お姉様! でも、パーシバルは私と結婚するのよ!」
「す、すまない。レイチェル……」
目の前で、レイチェルの婚約者であるサイロン伯爵家三男パーシバルの腕にぶら下がってにこにこご機嫌なのは、出来るなら信じたくないがレイチェルの実の妹のリネットだ。
とうとうやったか。
レイチェルとしては感想はそれだけだ。あと一つ付け加えるなら、「やるんじゃないかとは思っていた」。
二つ下の妹は昔からこうだ。レイチェルの持ち物を「欲しい欲しい」と羨ましがり奪っていく。おもちゃも服もアクセサリーも、すべてだ。
おかげで、レイチェルはいつもさしものリネットも欲しがらないであろう地味で時代遅れのデザインの古着を着ているしかない。
取り返そうという気力さえ失ったのはいくつの時だったか。十に満たない歳だったことは確かだ。
「安心しなさい、レイチェル。お前にはちゃんと他に嫁ぎ先をみつけてやったからな」
「ええ。喜びなさい、レイチェル」
レイチェルが気力を失った最大の原因が雁首揃えて寝言をほざいている。
妹に婚約者を奪われた娘に「安心して喜べ」とは。
頭がおかしいんじゃないだろうか。
「アーカシュア侯爵、それはあんまりに……」
婚約者——元?婚約者が眉をひそめてレイチェルの父母に顔を向ける。
悲しい哉、どうやらこの場でかろうじてまともな感性を持ち合わせているのは、レイチェルとは血の繋がっていない元婚約者だけのようだ。
最初からレイチェルに対して申し訳なさそうな顔をしているし、妹に乗り換えはしたが、彼にはまだ人間性の欠片が残っている。なので、レイチェルはパーシバルを恨むことはすまいと心に決めた。
救いようがないのは、血の繋がった両親と妹だ。
昔から、レイチェルの物を欲しがるリネットを止めないどころか、逆にレイチェルを叱りつけてくるような人達だった。気力を失ったのと同時に、レイチェルは彼らに期待するのもやめたのだ。
だが、しかし——
「レイチェル。お前のことはモルガン侯爵がもらってくださるそうだ」
「なっ!」
だがしかし、ここまでの仕打ちをされるとは、流石に予想していなかった。
「アーカシュア侯爵! 何を言っているのですっ!」
「パーシバル? きゃっ」
パーシバルがリネットを振り落とす勢いでレイチェルの父に食ってかかった。
パーシバルが顔を青くするのも無理はない
レイチェルだって青ざめるのを通り越して頭まで真っ白になりそうだ。
モルガン侯爵はレイチェルよりも40も年上で、陰で「女狂いの豚侯爵」と呼ばれる曰く付きの御仁なのだから。
「同じ侯爵家で裕福な家に嫁げるのだから、これ以上の幸福はないだろう。なあ、レイチェル」
父親の猫撫で声にぞっとした。
確かに、モルガン侯爵は経営の才能はあるらしく、国で一、二を争うほどの大金持ちだ。
だからと言って、一人目の奥方が原因不明の病死、二人目の20も年下の奥方が階段から足を滑らせて事故死している侯爵の妻になって、娘が本当に幸せになれると思っているのなら間違いなく頭がおかしい。
レイチェルは震えそうになる体を押しとどめて、きっと顔を上げた。
「……よく、わかりました」
「うむ。では早速、婚約を整えて……」
「私は、この家を出て行きます。二度と帰りません」
レイチェルがきっぱりとそう言うと、その場の空気が凍った。
「お姉様!?」
「な、何を言っている!」
「言葉の通りです。今日までお世話になりました。では、失礼致します」
軽くカーテシーをしてさっさと踵を返すと、パーシバルが慌ててレイチェルを引き留めた。
「待つんだレイチェル! これは流石に私も納得できない。君をモルガン侯爵に嫁がせたりはしないから、落ち着いて話を——」
「無駄ですよ、パーシバル様。パーシバル様は伯爵令息、国一番とも言われる資産家の侯爵家に対抗できる訳がございません」
ちらりと振り向いて言うと、パーシバルがぐっと口を引き結んだ。
優しい人なのだ。優しいからこそ、リネットと両親の押しの強さに抗えなかったのだろうけれど。
父と母が何かを喚いていたが、聞きたくもないし捕まるのは嫌なのでレイチェルは立ち止まらずに足早に部屋を出た。
「お姉様、待って!」
「放っておきなさい、リネット! どうせ、行く当てなどなくて戻ってくるに決まっている。まったく、貴族の娘ともあろう者が我が儘ばかり言いおって!」
憤然とした父の声が聞こえてくる。なんと言われようと思われようと構わない。これはレイチェルにとって最初で最後の戦いだ。
屋敷を出たレイチェルは懐に忍ばせた懐剣を服の上からそっと押さえた。
(これが駄目だったら、胸を突いて死んでみせるわ)
確固たる足取りで王城を目指したレイチェルは、辿り着いた門前で門番の兵士に懇願した。
「アーカシュア侯爵家の一女、レイチェル・アーカシュアにございます。カーリントン公爵閣下にお会いしたく参上致しました。なにとぞ、お取り次ぎをお願い申し上げます」
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