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「ディオン!」

 鈴を転がすような声で名を呼ばれて振り向くと、見知らぬ少女が顔を輝かせて駆け寄ってきた。

「やっと会えた!」
「……何?」

 親しげに話しかけてくる少女に、ディオンは眉をひそめた。
 新入生の一人らしいが、ディオンには見覚えがない。まっすぐな黒髪を肩口で切り揃えた小柄な少女だ。

「誰だ?お前」
「忘れちゃったの?」

 少女は悲しそうに眉を下げて、くりっと首を傾げた。

「昔、約束したでしょ? 絶対にこの学園に入るって」

 ディオンは目を見開いた。その約束をした相手は可愛い弟分だ。
 平民居住区で出会った男の子、エイブリー・コット。
 ぼさぼさの短い黒髪に焦げ茶色の目の……

「お前、名前は?」
「やっぱり忘れちゃったんだ。ひどいなあ」

 少女は苦笑いを浮かべて焦げ茶色の丸い目を瞬かせた。

「私の名前はアプリコットだよ。アプリコット・クラウン」

 おわかりいただけただろうか。

 初めて出会った時、名前を聞かれたアプリコットはこう名乗った。「……ぇぁぷりー、こっと……」
 直前まで泣いていた上に、幼い子供なので舌足らずだった。本人は「アプリコット」と言ったつもりだった。

 これを「エイブリー・コット」と聞き間違えたディオンは、アプリコットの髪が短くズボンをはいているのを見て「男の子」だと思い込んだ。

 その後、「エイブリー」と何度も呼んだが一度も訂正されなかったため、それが正しい名前だと疑わなかった。

 では、アプリコットは何故間違いを指摘しなかったのか。

 アプリコットは平民である。貧乏人の子沢山という言葉があるように、下町には子供が溢れている。周りの大人達はだいたいどこの子がどこの家の子かは覚えていても、正確な名前までは覚えていないことが多い。
 そして、子供達はたいてい愛称で呼び合う。アプリコットは周りの子供達からは「アプリー」と呼ばれていたし、隣に住んでいたお婆さんは何度教えても「エイプリル」と間違えて呼ぶので正確に「アプリコット」と呼ばれる方が珍しかったのである。

 なので、ディオンから「エイブリー」と呼ばれていても大して気にしていなかった。「アプリー」と呼ばれるのとそれほど違わなかったから。
 ちなみに男の子の格好をしていたのは、貧乏なので兄のお下がりを着ていただけである。

 ディオンがいくら平民居住区で「エイブリー・コットという名前の少年」を探しても見つからなかった訳である。

 長年の勘違いに気づいたディオンの心境はいかばかりか。
 可愛い弟分で親友だと思っていた相手が、実は女の子だった。

 己の早とちりを恥じて笑い話にしていればなんてことはなかったのだが、長年の信頼を裏切られた気分になったディオンは思わず目の前の少女を怒鳴りつけていた。

「騙しやがったな!!」

 騙されていた。裏切られた。信じていたのに。嘘つきめ。平民の分際で公爵家に取り入るつもりだったのか。

 ほとんど頭空っぽのままに、ディオンはありとあらゆる罵詈雑言をアプリコットに浴びせていた。
 衝撃の事実、からの、激昂タイムが終わって、ふと我に返ったディオンが見たのは、真っ青な顔で鞄を抱きしめてぶるぶる震える少女の姿だった。


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