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第23話 はじめまして、伯爵。
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しおりを挟むたっぷり長い時間の後で、彼は口を開いた。
「あ……えと……我が家で……ごゆっくり、お過ごし、ください……」
夫人が手にしていた扇を取り落とした。
「ディオン?」
夫人が声をかけると、ディオン様はびくりと肩を揺らして縮こまってしまった。
顔も背けてしまったけれど、こちらを気にしているのは明らかだ。私は口を開こうとする夫人を抑えて、ディオン様に語りかけた。
「伯爵様。私共、お庭で池を造っておりますの。よろしければ、ご一緒に庭に行きませんか?」
ディオン様が驚いた様子でこちらを見た。
やはり、ディオン様は内に閉じこもって外界を拒絶している訳ではないようだ。きっかけさえあれば、外に出られるはず。
私はにっこり微笑んでディオン様に向かって手を差し伸べた。
「お天気も良くて気持ちいいですよ。少しでいいから、私達の造った池を見ていただけませんか?」
ディオン様は私の手をみつめてごくっと喉を鳴らした。長い沈黙が続くが、拒絶している感じではなく逡巡している雰囲気を感じる。
ここは根気よく待つべきと判断して、微笑みを維持する。
ディオン様は少し苦しそうな顔をしていたが、やがてぎゅっと目をつぶってそろそろと足を踏み出した。
非常にゆっくりした足取りではあったが、自ら部屋の外に踏み出したディオン様の姿を見て、夫人はぶるぶる震えていた。
廊下に出ると、ディオン様は大きく呼吸をして背筋を伸ばした。
「……アカリア嬢。あの、金魚というものは、ゴールドフィッシュ男爵領で穫れるものなのかい?」
先ほどよりもしっかりした口調で、ディオン様が尋ねてくる。
「ええ。気に入られましたか?」
「……赤くて綺麗だ。見ていると、心が安らぐような気がする」
「そうですか。それは……」
「お待ちくださいっ!」
「うるさいわね!お下がりっ!」
つい先日も聞いたやかましい声と足音が響いてきて、ごてごてと趣味の悪いドレスのおばはんが乗り込んでくるのが見えた。
「あら!ディオンじゃないの!」
おばはんはディオン様を見つけて目をらんらんとと輝かせた。獲物をみつけたみたいな表情だ。
「ようやく会えたわね!元気そうで嬉しいわ!心配していたのよ、可愛い甥が病気と聞いて!」
「……御義姉様、ディオンはまだ……」
「まあまあ!伯母である私には会わせなかった癖に、こんな貧乏くさい連中を屋敷に入れているのはどういうことかしら?」
せっかく部屋の外に出たディオン様が萎縮するのを案じてだろう、前に立っておばはんからディオン様を守ろうとした夫人だったが、おばはんは仰々しく身を捩ってこちらが非常識だと責め立てる。
夫人は口を開こうとするが、真っ当な主張は金切り声にかき消されてしまう。
「愛する弟を失った私を、どうしてディオンから遠ざけることが出来るのかしら?私は悲しみを分かち合いたかっただけだというのに、まるでレオポルドが亡くなったら赤の他人だとでも言いたげね!それだけならまだしも、こんな得体の知れない連中を近づけるだなんて……っ」
「御義姉様っ、そんな無礼な……っ」
「ゴスザマン子爵夫人」
凛とした声がきんきんと響く罵声を黙らせた。
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