百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
上 下
43 / 104
第二話「鏡の顔」

しおりを挟む




「なんだ師匠。雑用なんて、言ってくれれば俺も手伝ったのに」

 大きな世界地図を抱えて戻ってきた稔に、文司が不満そうに言う。
 この男、図書室の一件以来気取った態度が崩れっぱなしだ。気さくになったといえば聞こえはいいが、はたからは「おかしくなった」と言われていることの方が多い。

「樫塚、師匠の動向には常に注目していなければ、すごいものを見逃すことになるぞ」

 大透が余計なことを言う。稔は無言で大透を蹴りつけた。
 ちょうどその時、教師が入ってきたので、大透の抗議は聞かずにすんだ。

(やれやれ)

 稔は頬杖をついて窓の外に目をやった。世界史は定年間近の老教諭が一人で喋るだけだから、教室はほとんどの生徒が睡魔と戦う戦場と化す。稔もいつもは机に突っ伏す誘惑と戦うのだが、今日はなんとなく窓の方に目がいく。

 よく晴れた、のどかな日だ。

 その明るい風景に似つかわしくないものが、窓を横切った。しかも、一つではない。
 ぼんやりした影のようなものが、四方八方から集まってきて、南校舎の壁に吸い込まれていく。

 稔は顔をひきつらせた。

(……見なかったことにしよう)

 窓から目を逸らして、世界地図と教師の話に耳を傾ける。老教諭のとつとつとした語りに集中するうち、稔は浅い眠りに引き込まれていった。




 稔は廊下を歩いていた。
 ひどく静かだ。なのに、どこかざわざわと落ち着かない。

(ここにいちゃだめだ)

 稔はびっしょり汗をかいていた。動悸が早まる。何かが、何かが後をついてくる。

(いやだ。俺に構わないでくれ)

 うまく息が出来ない。暑くて苦しくて、目の前の景色が歪む。
 稔は目をつぶって頭を振り、しっかりしろと自分に言い聞かせた。そして再び目を開ける。誰かが経っていた。こちらに背を向けて。

「宮城」

 ほっとすると思いきや、自分でも驚いたことにこみ上げてきたのは強い恐怖だった。足が震えそうになる。
 気を取り直して一歩踏み出し、大透の方に手を置こうとしたが、寸前で手が止まる。稔の中で警告音が鳴り響いていた。だめだ。逃げろ。逃げろ。

 ゆっくりと、大透が振り向いた。

 稔は目を閉じて駆け出した。見てはいけない。
 廊下の曲がり角まで来た時、誰かとぶつかった。中等部の制服。とても背が高い。
 ああ、樫塚だ。と、顔も見ていないのに、稔にはわかった。

 顔。

 どくん、と、心臓が跳ねた。だめだ。

 ぐっと腕を掴まれる。
 稔は悲鳴を上げてその手を振り払った。そして、近くの扉に逃げ込んだ。
 そこは男子便所だった。先客がいた。稔の視界には少年の足元から肩までが見える。洗面台に向かっている。

 これ以上、視線を上げてはいけない。顔を、見てはいけない。

 見えないはずなのに、稔には少年が食い入るように鏡を見つめているのがわかった。

(そんなふうに鏡を見ちゃいけない)

 その時、少年がゆっくりとこちらを振り向いた。稔は頭を抱えてぎゅっと目を閉じた。

(いやだっ!見たくないっ!)

 がくん、と体が揺れた。



「おい、倉井」

 大透と文司が、稔を見下ろしていた。そこは教室だった。生徒達が興奮した様子で騒いでいる。

「やっと起きたか」

 大透が呆れたように言う。

「夢……か」

 稔はほーっと息を吐いた。制服が汗で濡れている。授業はとっくに終わって、放課後になっていた。

「なんで、みんな帰ってないんだ?」

 教室の中にはほとんどの生徒が残っている。大透が興奮した様子で稔の頭を叩いた。

「お前が寝てる間にすごいことがあったんだよ。殺人事件」
「死んじゃいないよ」

 文司が冷静に突っ込む。

「高等部の生徒が体育倉庫で血まみれになっていたのを、バスケ部の連中が見つけたそうです」
「寝起きから嫌な話を聞かせてくれるな」

 稔は二人を睨みつけた。せっかく怖い夢から逃れてきたのに、現実でもそんな物騒な事件が起こっていたとは。

「それがさ、体育倉庫の鏡に何度も頭を打ちつけられたみたいなんだって」
「鏡……」

 稔の胸がざわついた。

「それで、今日は急きょ部活停止。生徒は速やかに完全下校」
「ま、みんな帰ってませんけどね」

 生徒達は突然起こった怪事件に興奮しっぱなしのようだ。誰ひとり、下校する気配を見せない。

「でも、外部から人が入ってきたとは思えませんよね。うちの学校、門は簡単に乗り越えられない高さだし、高等部の体育館に行くまでには中等部の職員室の前を通らなくちゃいけないし」

 文司が首を捻りながら言う通り、中等部と高等部の校舎をぐるりと囲む塀は上部に鉄柵が付いており、外部からの侵入を拒むつくりになっている。

「じゃあ、内部の人間の犯行か」

 ふむ、と大透が頷く。

「……調べよう、とか言うなよ」
「言わねぇよ。霊じゃなくて生きた人間相手じゃ危ねぇじゃん。殺されたり怪我したら大変だろ」

 稔の言葉に、大透はあっさりとそう言う。
 オカルトマニアで稔になんだかんだと絡んでくる割には、こういう冷静なところがあるからよくわからない。稔が霊感で活躍するところは見たいが、稔を危ない目に遭わせてまでは見たいわけではないらしい。

「お前ら!いつまで残ってる!帰りなさい!」

 見まわりをしているのだろう、生活指導の勝俣が教室の戸を開けるなり怒鳴った。

「なるべく一人で帰らないように!ほら、校門まではクラス全員で行きなさい!」

 学校一の迫力ボイスで追い立てられてはこれ以上粘るわけにはいかない。皆、慌てて鞄を手に持って教室を出た。最後の一人が教室を出るまで勝俣は睨みを聞かせていた。おそらく、他の教室もすべてあの調子で見まわるのだろう。

 文司は石森に駆け寄って一緒に教室を出ていった。稔も大透と肩を並べて玄関へ向かう。
 嫌な夢を見たことは、稔の頭からすっかり忘れ去られていた。


しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

奇怪未解世界

五月 病
ホラー
突如大勢の人間が消えるという事件が起きた。 学内にいた人間の中で唯一生存した女子高生そよぎは自身に降りかかる怪異を退け、消えた友人たちを取り戻すために「怪人アンサー」に助けを求める。 奇妙な契約関係になった怪人アンサーとそよぎは学校の人間が消えた理由を見つけ出すため夕刻から深夜にかけて調査を進めていく。 その過程で様々な怪異に遭遇していくことになっていくが……。

禊(みそぎ)

宮田歩
ホラー
車にはねられて自分の葬式を見てしまった、浮遊霊となった私。神社に願掛けに行くが——。

岡●県にある●●村の●●に関する話

ちょこち。
ホラー
岡●県の、とある村について少しでも情報や、知ってる事がある方が居れば、何卒、教えて頂けると幸いです。

リューズ

宮田歩
ホラー
アンティークの機械式の手に入れた平田。ふとした事でリューズをいじってみると、時間が飛んだ。しかも飛ばした記憶ははっきりとしている。平田は「嫌な時間を飛ばす」と言う夢の様な生活を手に入れた…。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

『忌み地・元霧原村の怪』

潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。 渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。 《主人公は和也(語り部)となります》

『倒し屋』〜10年後はお前もホームレスだからな!〜

まだらすかる
ホラー
将来の目標が特にない新社会人の小谷啓介の前に現れた謎のホームレス。 そのホームレスは10年後の未来から来た小谷自身だと言う。 初めは信じることが出来なかった小谷だが、そのホームレスとのトラブルから次第に事態は悪化していき、ホームレスの話が現実味を帯びてくる。

白い扉

宮田歩
ホラー
病院の片隅にある開かずの白い扉。その扉は瀟洒な洋館を思わせ、どこか異世界に通じている様に思えた。ある夜勤の夜「白い扉が開いている」と先輩看護師の美月から聞いた春香はついにその扉を開けるが——。

処理中です...