マヨヒガ

荒瀬ヤヒロ

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九十四、

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「さて、これからどうする?」

 広隆が二人の肩を叩いて言った。

「あたしは、晴の里には帰らないわ」

 真っ先に秘色がきっぱりとした口調で答えた。意外な言葉に広也と広隆は驚いたが、秘色はどこか吹っ切れた表情で言った。

「これから先どうなるのかわからないけれど、もうあたしのときわの巫女としての役目は終わったの。あたしが死んだ後、またあたしの魂はときわの巫女として生まれ変わるかもしれない。でも、それはあたしじゃない。あたしは自分の務めを果たした。だから、この先は好きに生きるわ」

 秘色は広隆に向かっていたずらを思いついた子供のような笑顔を向けた。

「あたしはときわの巫女の資格を失ったんじゃなくて、ときわの巫女から解放されたのよ」

 そう言って、秘色は自分を誇るように胸を反らした。その姿は晴れ晴れとしていて、秘色らしい明るい生命力に満ちていた。見ているだけで思わず顔がほころんでしまいそうになる。

「里に帰らずに、どこに行くの?」

 広也が尋ねると、秘色は少し考える様子を見せてから答えた。

「ぐえるげるの神殿に行こうと思うの。あそこはとても神聖な場所なのに、守る者がいなくて荒れていた。だから、あそこをきれいにしたいの。ぐえるげるにお願いしてみる」

 秘色がそう言った途端、空から獣が吠えるような声が轟いた。
 驚いて身を硬くした三人が空を見上げると、青空の向こうからキラキラ光る何かが飛んでくるのが目に入った。
 とっさに刀に手を掛けた広也と広隆だったが、だんだん近付いてくるものを目を凝らして見た広也はあっと声を上げた。透き通った体に青空を映して見えにくいが、それは一匹の透明な龍だった。
 おそらくは龍となって飛び去ったぐえるげるの泉の水に違いない。だが、広也が見たときよりも水の透明度が増し、日の光を受けて宝石のようにきらきらと輝いているように見えた。
 龍は身をくねらせていななくと、悠然と三人の目の前に舞い降りた。そして、鼻先を甘えるように秘色に近付けた。

「大丈夫。これはぐえるげるの使いだよ」

 脅えて後ずさる秘色を安心させようと、広也は龍に駆け寄った。だが、広也が触れようとすると龍は首を振り上げて唸り声を上げた。

「ああ、そうか。僕が触ったら濁っちゃうんだったね」

 広也は慌てて手を引っ込めた。龍は秘色に向かって前足を上げ、鼻先で己の背を示して見せた。

「乗れって言ってるみたいだ」

 広隆が呟いた。

「きっと秘色を迎えに来たんだ」

 広也がそう言うと、龍は肯定するようにいなないた。
 当の秘色は突然現れた龍の姿に脅えていたが、広也が怖がっていないのを見ると恐る恐る近寄ってきた。広也はこの龍がぐえるげるの泉の水であることを簡単に説明した。

「この世界のものでないものが泉の水に触れると水は濁ってしまうんだって。でも、秘色はこの世界の住人だから触れても大丈夫だよ」
「本当?」

 秘色はそろそろと手を伸ばして龍の鼻先を撫でた。思った通り、龍は大人しく秘色の手のひらに顔を擦り付ける。秘色はほっと体の力を抜いた。

「あたしを迎えに来てくれたの?」

 龍は答えるように鳴いた。
 秘色は広也と広隆を振り返って尋ねた。

「二人はどうするの?」

 広也と広隆は顔を見合わせた。元の世界に帰るためにはぐえるげるの泉に行く必要がある。だが、ここで秘色と一緒にぐえるげるの元へ戻ったとしても、まだ元の世界には帰れない。トハノスメラミコトをみつけていないからだ。
 広也は思った。

(帰ろうと思えばすぐにでも帰ることが出来る。でも、僕はトハノスメラミコトを見つけてやりたい)

 トハノスメラミコトはこの世界を幻のようにさまよっているのだという。誰にも見つけてもらえないままずっと長い間迷い続けているのだ。

「僕は、トハノスメラミコトを見つけてやりたい」

 広也が決意を込めてそう言うと、広隆もおう、と同意の声を上げた。

「元の世界に帰るのは、迷子を見つけてからだ」

 広隆も自分と同じように、一人でさまよっているトハノスメラミコトを放っておけないのだろうと広也は思った。それを聞くと、秘色は寂しそうに笑った。

「じゃあ、ここでお別れなのね」

 今度こそ、本当の秘色との別れだった。名残惜しい気持ちはある。だが、今ならちゃんと秘色と別れられると広也は思った。今の自分なら、秘色も安心して送り出してくれるだろうと。

「さようなら、秘色」

 広也は切ない気持ちを抑えて微笑んだ。秘色は龍の背に跨り、二人に向かって手を振った。

「さようなら、広也と広隆」

  秘色を乗せた龍が前脚を高く上げ、後ろ脚で力強く地を蹴って飛び上がった。背に腕を回してしがみつく秘色を乗せ、高く舞い上がった龍の全身が日の光を受けてキラキラ光った。
 広也は目を細めてそれを見上げた。龍は一度広也と広隆の頭上をぐるりと回って、青い空を全身に映して飛び去っていった。その姿が空の向こうに見えなくなるまで、広也と広隆は見送り続けた。



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