王子と姫の恋愛攻防

香月しを

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姫・五

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「大丈夫だよ、姫野。大丈夫だ」

 耳元で、王子が囁く。大きな手が、俺の頭を撫でてくれている。シャツを握り締める俺の手をゆっくりと外し、王子は身体を離そうとした。
「お、王……ッ」
「窓を閉めるだけだから。ちょっと待ってて」
 王子は、怯えている俺を落ち着かせるように、穏やかな声を出すと、ゆっくりと俺の頬を手で擦った。一郎に殴られた場所だ。殴られたところも痛いが、頬が動いたせいで、切れた口の端もピリっと痛む。眉間に皺を寄せた俺に、王子は笑った。そのまま俺から離れて行く。
 カラリと窓が閉められた。戻ってきた王子が、俺の手を取り、エスコートするように、もう片方の手で腰を支えてくれる。
「王子…………」
「稲光が見えるだけでも恐怖なんだろ? 危なっかしいから、部屋までエスコートするよ」
「……俺は女子じゃねぇぞ」
「うーん、女子でも、こんなにカミナリを怖がる子は、いないんじゃないの?」
「うっせ……」
 すぐ近くに落ちた。落雷をここまで近くで感じたのは、初めての事だった。膝がガクガクしてしまい、思うように動けない。すぐにでも窓のある部屋から移動したいが、なかなか一歩が進めない。震えている情けない俺を見て、王子は、なるほどと呟いた。
「姫野、少しだけ我慢しろ」
「え……うお! ちょ、なんだよ!」
 俗にいう、お姫様抱っこで、俺は王子に抱き上げられていた。あまりの衝撃に、口では文句を言いつつも、体はまったく抵抗できなかった。男の俺を抱き上げての移動だというのに、重さを感じている事など微塵も出さず、王子はそのまま俺の部屋に移動する。ベッドの上におろされ、見上げると、ニコリと笑って俺に背を向けた。
「じゃ、俺は自分の部屋に戻るから。何かあったら呼んで」
 そのまま出て行こうとするので、慌ててシャツの裾を掴んだ。
「待て!」
「え、どうした?」
「何かあった! 何かあっただろ!」
「は?」
「いいから! 戻ってこい! こっち座れ!」
「こっちって……もしかして、ベッドか?」
「そうだよ、俺の隣に座れっての!」 
 なかなか動こうとしない王子の裾を強く引く。俺の剣幕に困惑しながら、王子は何も言わずに隣に腰掛けた。
「はい、座ったよ」
「頭を撫でろ」
「はぁ?」
「はやく!」
 頭に大きな手が乗った瞬間、ひどく安心した。ああ、好きなんだなと思った。誰かに惚れるのに、理屈など必要ない。相手が自分を好きだから、自分も相手を好きになるわけではない。つまり、相手が自分を絶対に好きにならなくても、自分は相手を好きになってしまう事もある。それを不毛な事だとあっさり気持ちを諦めてしまえるほど、人間は単純ではないのだ。一郎や受側の人間以外に触れられるのは嫌だった筈なのに、王子だけは攻側だと思っていても平気だったのは、俺自身が、王子に触れられたいと思っていたからだ。王子の体温を感じている場所から、じわじわと胸に熱が迫ってくる。自分の心を認めてしまったら、もう駄目だった。
「もう満足したか?」
 王子が手を離した。
「満足しねぇ。今度は、ギュってしろ」
「ギュって……」
「抱き締めろって言ってんの!」
 上目使いに、広げた両手。昨日と同じポーズをとった。顔が熱いので、きっと真っ赤になっている事だろう。それでも、俺は引かない。もっと王子と触れ合いたい。
「…………何言ってんの?」
 呆れたような声を出しつつも、王子は俺を抱き締めてくれた。少し苦しいぐらいの力で。小さな雷鳴が聞こえる。王子の胸に顔を押し付ける俺は、もう、そんなものには怯えていなかった。

 雷に怯えるようになったのは、あの温泉の件からだ。それまでは、なんとも思っていなかった。あの日、ゴロゴロと音が鳴る中で、俺は身体を触られた。悲鳴をあげた時、雷鳴でかき消されずに済んで、本当によかったと思う。雷とあの行為は、俺の中でセットになっている。だから、雷が鳴り出すと、あの日受けた卑猥な行為を思いだし、体の震えが止まらなくなるのだ。

「雷が鳴る時は、一郎でも駄目なんだ。一人で震えてやり過ごすしかない」
 背中を撫でてくれている王子に説明すると、肩を押され、距離をあけられた。
「え、じゃあ、今のコレは、駄目なんじゃないのか?」
「駄目じゃねぇんだよ。俺が抱き締めろって言ったんだろ。まだ離れていいなんて言ってねぇぞ」
 そう言って、王子の胸の中に戻る。戸惑うように、背中に手が回された。ああ、安心する。このまま、添い寝してくれないだろうか。そこまで考えて、ハっとした。王子は、男に言い寄られるのを気持ち悪がっていたではないか。もしや、嫌がっていたりするのだろうか。慌てて王子の胸を押し、距離をとった。
「おお、何? 今度は、何があった?」
 嫌そうな顔はしていない。ただ、急に動いた俺に、驚いているようだ。目を丸くしている。
「いや、悪い。お前、男は気持ち悪いんだったよな」
「…………」
「なんか、さっきからベタベタして甘えて……悪かった」
「……いや、気にするな。姫野は、特別だ。気持ち悪いなんて、絶対に思う筈がない。寧ろ、甘えてもらえると、嬉しい」
「え……」
 甘酸っぱい気持ちになる。奇跡でも起きて、王子も俺と同じ気持ちを持ってくれているのでは、と期待する。
「それに、特待生の条件が変わった。姫野との日常的なものを、日誌として理事長に報告する事になった。ラブラブすればラブラブするほど、喜ばれる」
「な……ッ! あのババア、何言ってやがんだ!」
 顔から火が出るかと思った。ベッドから立ち上がろうとした途端、強く抱き締められた。わけがわからなくなり、身を捩って暴れてみるが、体は自由にならない。
「姫野、お前じゃ、あの強かなおばさんには勝てないぞ」
「うるっせ! わかってるよ! でも、文句ぐらいは言えるだろ!」
「どこまで俺達の事をチェックしているのか呆れたが、報告して特待生としての身分を継続させてもらえるなら、俺はその方が簡単で嬉しい。今までみたいに王子様のように振る舞う必要がなくなるわけだから……」
「…………無駄に誤解させて、告白されまくる事はなくなるわけか」
 誰にでも優しくて紳士的、爽やかな笑顔を振りまく必要がないなら、自分だけに優しくしてくれるなどと勘違いする生徒は減るわけだ。多分、王子は、キャラを作らなければ、極端に素っ気無い男なのだと思う。自慰を覗いてしまった時のあの冷たい目を、生涯俺は忘れない。
「楽しくないのに微笑んでる必要もなくなるしね」
「それはそれで、新しいファンを増やしそうだけどな」
「そうか?」
 素の王子は、わりと気さくで話しやすい。不機嫌な顔をしても、それはそれでキリっと見えて格好いい。王子様というよりは、騎士のようだ。今までが今までだったので、ギャップ萌えなども考えられる。ライバルが増えるのは不安だ。しかし、俺は、とりあえず他の生徒よりも一歩先を歩いている。今なら王子に手を取られたら、顔を赤くする自信があるが、少し前の王子の事を何とも思っていなかった自分に拍手を送りたい。あれがあったから、今の俺がある。素晴らしい。
「なあ、王子、俺がお前に甘えると嬉しいか?」
「ああ、嬉しいよ」
「じゃあ、添い寝してくれ」
「は?」
「添い寝! 一緒に寝てくれって言ってんの!」
「え、いいけど…………大丈夫かな」
「大丈夫、とは?」
「いやいや、こっちの話」
 そう言って、タオルケットをめくり、ベッドの奥に俺を転がしてくる。自分も隣に寝転んできた。顔が近い。二人で見つめ合い、ふふっと笑う。そうしていると、枕元のスマホが鳴りだした。叔母からの着信だ。
「へい」
『あッ、しずかちゃん? 今、どこにいるの?』
「自室のベッドの上だけど?」
『王子君、部屋に帰ってるかしら。何度電話しても出ないのよー』
「王子? 王子なら、俺の横で寝転んでるけど」
『はッ!?』
「俺が雷怖いから、添い寝を頼んだんだ。王子に用事? 代わる?」
『えッ、いやッ、いいの、いいのよッ、そう、そうなの、一緒のベッドに……添い寝! ああ…………ゴフゥ!』
 通話はその直後に切れてしまった。どうやら、萌えすぎて血を噴いたようだ。
「理事長、なんだって?」
「うん、なんか、萌えてた。あの人、生粋の腐女子だから。今頃、妄想の世界に旅立ってる」
「…………そうか」
「……なあ、胸んとこ潜ってもいいか?」
「…………よろしければどうぞ」
「サンキュ、おやすみ」
 俺の方を向いている王子の胸の辺りに潜り込んだ。胸板に顔をくっつけ、匂いを吸い込む。どこの変態だと思われようが、俺は我が道をゆく。王子が許してくれる範囲で、ベタベタ甘えてやる。こいつは、それが嬉しいと言ってのけたのだ。エアコンはガンガンにきかせているので、くっついて寝ても暑くはないだろう。ニヤニヤしていると、頭を撫でられた。ゆっくりと、何度も撫でてくれる手に、段々と眠気がやってくる。そんな中、まるで吐息のように、優しい声で囁かれた。
「可愛いなぁ……おやすみ、しずかタン」
 俺は、可愛いんじゃなくて、綺麗なんだぞ。しずかタンという呼び方は、ちょっとどうかと思う。眠すぎてはっきりとした発音が出来なかったからなのか、王子が、俺の口に耳を寄せてくる気配がした。眠りの邪魔をするんじゃない。そう、もにゅもにゅと呟きながら、すぐ前にある耳に口付けた。次の瞬間には、唇が、何か柔らかいものに塞がれた。どこからどこまでが夢だったのか、深く沈んでいく意識の中、俺は気持ち良さにふにゃふにゃと笑っていた。こうして、少しずつ距離を縮めていき、初恋を成就させたい。そんな事を心の奥底で考えていたようにも思う。
 俺は、まだ知らなかったのだ。その数日後に、めぐタンそっくりの転入生が現れる事など。そして、自分が、嫉妬などという醜い感情を他人に持つようになる事など。俺は、その時まだ考えてもいなかった。


(つづく)
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