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淡々忠勇
土方・5
しおりを挟むありったけの力を振り絞って、後ろの男に肘を撃ちつけた。ぐらり、揺らいだ。後ろ足で蹴る。怯んだ隙に、男から逃げ出し、廊下を走った。誰かいないのか、声をかけるが、すぐ傍の部屋の一番隊は巡察中、監察方は全員出てしまっている。頼みの綱は、副長室の斎藤だ。刀を貸してくれるだけでもいい。男は、どすどすと猪のように猛進してきた。
月が顔を出している。振り返ると、男の手には刀が握られていた。斬られる、そう思った。体が硬直する。隊務で命を落とすのは構わない。だが、こんな奴に斬られるのは許せない。そう思えば思うほど、体は硬くなっていくのだ。
立ち止まった俺に、男の片手が伸びてきた。首を掴まれる。喉仏の辺りに、男の親指がかかった。潰される。固く目を閉じた瞬間、血の匂いが鼻につき、喉にかかった力が消えた。
「大丈夫ですか!」
斎藤の声だった。目を開けると、倒れた男の背中から斎藤が刀を引き抜いているところだった。腰が抜ける。新撰組の副長がそんな事で、と思うが、久しぶりに恐怖を味わった。理屈では無いのだ。刀を持った大勢の浪士に一人で向かっていくのは平気でも、自分に異常な執着を見せる丸腰の男は怖いと思う。男が持っていたのは、竹光だった。
「しっかりしてくださいよ、どうしたんですかいつもの男気は」
血まみれの斎藤が、俺の傍に腰を下ろす。男の血のついた手が、俺の頬をぬるりと撫でた。
「…………無理だ。おめぇには一生わからねぇだろうよ」
体の震えが止まらない。笑った。笑い声も震えている。隣からは溜息が聞こえてきた。手ぬぐいで乱暴に顔を拭われる。
「無事でよかった」
「……うん」
数人の足音が聞こえてくる。こんな姿を見られてはいけない、しかし、うまく立ち上がれなかった。隊士達の声が聞こえてくると、流石に慌てて立ち上がろうとしたが、初めて立った赤子のようによろよろしている俺の腹に腕を回し、斎藤がそのまま荷物のように小脇に抱えた。おい、やめろふざけんな。頭が冷えて冷静な声が出たが、もう遅かった。
「騒ぎが聞こえたのですが、何かありましたか!」
灯りを持った隊士達がやって来る。血まみれの斎藤と、抱えこまれた俺、既に屍となっている不審者を見つけて、あッ、と声を出す。
「門番は、何をしていた!」
斎藤が大きな声で怒鳴った。全員が、直立不動になる。
「……いいよ、斎藤、そんな怒る事ねぇじゃねぇか。こいつらぁ何も悪い事してねぇんだし……」
「あんた自分が今、どれだけ怖い思いしたのか、もう忘れたのか? どれだけ隊士に優しくすれば気が……ッ! 何を笑ってるんですか!」
「ん? いやあ、随分怒ってるな、と思って」
「馬鹿にしてるんですか! それだけ余裕があるなら、もう平気ですね」
斎藤が俺を乱暴に離した。床に落されて強かに膝を打った俺を、三番隊の隊士達が心配そうに見守っている。懐紙を放り投げた斎藤に手ぬぐいを渡そうとした隊士が、冷たく断られていた。斎藤はそのまま俺達に背を向けて、廊下の向こうに消えて行った。昂る気持ちがわからないでもない。斎藤は、俺に友愛を感じているのだ。上司というよりも、親友だ。それがわかって、口角があがってしまう。
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