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第1章 性愛神の淫紋

第5話 淫紋屋の主人

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「ん……?」

 啓二はベッドの上で目を覚ました。
 あたりを見回す。どこかの個室だ。壁は淡いピンク色をしており、内装は病院のようだった。

「気が付きましたか、鳴神さん」
「ソッド……さん」

 月色の髪に、褐色の肌の男が、入室してくる。ソッドだ。
 啓二の体は、入院着になっていた。左腕にはガーゼが貼られている。

「よく我慢されました。腕の傷は、消毒してあります」
「あ……」
「ああ、ここはヴェローナ医院です。当社傘下ですから、ご安心ください」

 ソッドがにっこり笑う。人を安心させる笑みだ。

「入院されている方の秘密は、守ります」
「……すみません、ありがとうございました」

 啓二が礼を言うと、ソッドはまたほほえむ。
 ソッドが湯呑と急須を用意する。湯呑に、薄緑色の液体を注ぐ。ふわりと嗅いだことのない香りがする。

「どうぞ、ハーブティです。落ち着きますよ」
「どうも……」

 啓二は湯呑を受け取り、口をつける。
 温かいハーブティだった。穏やかだが爽やかな風味がする。

「あの、俺は……?」
「そうですね。さすがに警察署のトイレから、遺体袋に入れて運び出すのは大変でした」

 啓二は噴き出した。何度もむせる。

「い、遺体袋って……!?」
「警察署のトイレで、みずからの体液まみれになって気絶していましたからね。状況をある程度隠すには、仕方のない処置でした」

 啓二は蒼白になった。サーッと血の気が引いて、意識が遠のく。
 ソッドが啓二の手から湯呑を取る。

「あ、掃除は当社の者が行いました。もし警察が鑑識を導入しても、なにが起こったかはわからないでしょう」
「し、死んだ……」

 啓二はつぶやいて、ベッドに突っ伏した。

「死んだーッ! 間違いなく社会的に死んだーッ!!」

 啓二は枕を殴りながら悶える。
 神聖な職場で、こともあろうに絶頂し気絶した。その事実が恥ずかしい。
 悶える啓二を見つつ、ソッドは冷静に言う。

「大丈夫ですよ。鳴神さんであるとは、誰にもわからないように処理したんですから」
「ええ……!?」
「ですが、さすがに課長さんには事情をお話ししてありますよ」
「な、なんて説明したんですか!?」
「鳴神さんが、急に体調を崩され、助けを求められたと。トイレ個室は汚染がありますので、掃除も当社が行いますから……課長さんは適当にごまかしてください、と申し上げました」

 ソッドがにっこり笑う。
 啓二の頭に、糸目の女課長の顔が浮かぶ。彼女もさぞ頭を抱えたことだろう。

「さすが捜査第一課の課長さんですね。二時間後には、入り込んだ浮浪者がトイレで体調を崩していたという話になっていました」

 啓二は、目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
 課長も事情を理解し、啓二をかばってくれたのだろう。

「鳴神さん」

 ソッドが静かに語りかけてくる。

「これからも、淫紋ある限り、同じことは起きます」
「……同じことが……ずっと、ですか?」
「はい。淫紋は、適切な管理が必要です。性愛神の淫紋とあれば、なおさら。それができうるのは、淫紋屋だけです」

 真剣な表情で、ソッドは語る。
 「できうる」ということは、「できる可能性がある」ということだ。つまり、「できない可能性もある」ということでもある。淫紋を管理できなければ、起こるのは強い発情発作だ。
 それを理解して、啓二は頭を抱えた。

「俺は……どうすれば……?」
「そうですね……」

 ソッドが手を顎に当てて、考える。

「まず淫紋の抑制薬を毎日飲んでください。それから月に一回、当院に通い……強い発作が起こったときは、お仕事を休むとか……」
「そんな、休めるような仕事じゃ……!」
「わかっています。これでも妥協した提案ですよ。できれば毎日、経過観察をしたいくらいなんです」

 毎日の経過観察――まるで重病患者だ。
 啓二は頭がクラクラするのを感じた。

「どうして……どうして、俺なんだ……?」

 なぜ、性愛神は啓二を選んだのか。
 啓二の疑問に、ソッドは首を横に振った。

「わかりません」
「この淫紋を、取る方法は……?」
「現状、ありません」

 啓二にとって、絶望的な言葉だった。
 魔法で描かれた淫紋は、たとえ皮膚を除去しても効果が残るのだという。性愛神の淫紋ともなれば、超一級の魔法だ。すでに効果は全身に及んでいる。

 これからも発作的に発情する体になってしまったのだ。仕事にも支障が出る。いずれ周囲にも知られることだろう。発情する刑事など、誰が頼りにしてくれるというのか。ただ好奇と好色な目で見られるだけだ。
 刑事としてのプライドとキャリアが、ガラガラと崩れていく音がする。

 性愛神かみに巡り合ったというだけでも不条理だ。
 そして選ばれてしまったことも不条理だ。

 啓二は、不安と不条理に押しつぶされそうだった。

「……すみません、ひとりにしてもらえませんか?」

 啓二はソッドに願った。
 ソッドはうなずき、個室から出ていく。
 ひとりになった啓二は、煩悶を繰り返し――ひとつだけ、結論を出した。
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