メタモルフォーゼ

あとさわいずも

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2.ポ・ラ・キヤ狂騒曲

ポラドル

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 翌朝襲った『異変』は、ある意味、これまでで最大の驚きを俺にもたらした。
 目覚めてみれば妙に大きなベッドにいたとか、部屋の様子が変わっているということは、今の俺にとっては驚くに値しない些細な異変と言えよう。その程度のことで動揺していては、もはや生活ができない。
 でも、知らないうちに女性とベッドを共にしていたのでは、いくらなんでも驚愕せざるを得ない。
「わっ」
 と言いながら俺が慌ててベッドから飛び出すと、その女性も目を覚まし、ムクリと上体を起こしながら眠そうな眼を俺の方にむけた。
 佐川優利子だった。
「どうしたの」
 あくび混じりにそう言った彼女は、胸のところまで布団に隠れてはいるが、明らかに半裸もしくは全裸と思われた。しかも意図的に胸の部分を俺から隠そうとしているという訳でもなさそうで、偶然、布団が重なっている様子だ。
「いや、あの」うろたえながら俺は言った。「おはよう」
「うん、おはよう」
 彼女は半分瞳を閉じた状態で微笑むと、再び上半身を倒した。
 こういう場合「なぜここに?」とか「昨夜俺と君の間に何があった?」と言ったことを本人に問いただすのが通常の反応なのだろうが、そこは『異変』慣れしている俺だ、余計な言葉は口にしなかった。この状況でそんな質問をすれば彼女を怒らせることが容易に想像がつくし、仮に怒らないとしても、気味が悪いと思うか不審に思うに違いないのだ。
 俺はふと肌寒さを感じ、そこで初めて自分の着衣がトランクスのみということに気づいた。
 これはどういうことだ? 全く記憶に無いぞ。取り敢えず俺は服を着るべく寝室を後にした。元々2DKだったはずのマンションが知らないうちに3LDKに変化しており、どこに衣類がしまってあるか俄かには判らなかったが、とりあえず風呂に向った。脱衣場に行けば下着くらいはあるだろうという想定は正しく、俺はTシャツと、自宅用のズボンを着た。
 泥酔した翌朝、ホテルで見知らぬ女(あるいは全く関心の無かった女)とベッドを共にしていたという友人が何人かいるが、こんな気分だったのかもしれない。しかし昨夜の俺は自分を失うほど酔っていたわけではない。『幼虫』から帰宅するとシャワーを浴び、寝床に入ったのを明確に俺は覚えている。その記憶に澱みはないのだ。
 俺は、やたらに広くなったリビングで、見覚えの無い食卓に腰掛けた。
 一体何から考えていけばいいのか、俺の脳みその中でクエスチョン・マークが不規則に渦巻いている。
 さしあたっての疑問は、昨夜俺は彼女とセックスをしたのかどうかということだった。全裸ではなかったということは、何もなかったか、行為の終わった後にトランクスを履いたということになるが、今までの俺なら……あれ、どうだったっけ? 明確に思いだせない。ついに俺も異変の影響を受け始めたのだろうか。いや、それは考え過ぎだろう。セックスの後全裸のまま寝るかどうかなど、ケースバイケースだ。
 まあ、いわゆるパンツ一丁の状態で半裸もしくは全裸の女性と寝ていたのだから、何も無かったことはあるまい。元々そんな関係を俺は望んでいた訳だし。
 そういう結論に達した俺は、何かとてつもなく損をした気分のまま、キッチンへ行きコーヒーを淹れることにした。初見のキッチンなのに、何となくコーヒー豆や、カップをしまってある場所が判ったのは、とりもなおさず過去にそれらの物を俺自身が片付けたからに他ならなかった。
 少し熱めのコーヒーが、訳もなく俺の心を落ち着かせた。
 佐川優利子とは一体、どういう関係なのか。一口にベッドを共にする関係と言っても、いろいろある。単なる彼女なのか、あるいは妻なのか。
 落ち着け。そう自分に言い聞かせた。落ち着いてみると、この状況が今の俺がいくら考えても結論が出ないということに気がついた。
 そこでとりあえず、俺はテレビをつけた。世の中がどう変わっているのか情報収集する必要があるからだ。それにはニュースが一番だ。テレビとインターネットのチェックは今の俺には欠かせない朝の行事になっている。
 テレビの電源を入れると、そこには当たり前の様にポラキャの姿が映し出されていた。
 ニュースというより各地のホットな話題や芸能ニュースを流すタイミングゆえか、ポラキャの話題でもちきりだ。子ども達と戯れるポラキャ、孤独な老人を癒やすポラキャ、愛のキューピッドとして若いカップルの成立を貢献しているというポラキャ……。
 何かが流行ると、集中してそればかりを扱うのがマスコミだ。ポラキャが朝のテレビを独占していても何の不思議もない。
 でも待てよ。会社の連中の話だと、ポラキャの流行は最近始まった訳じゃないと言うことだったが……。
 その時、画面に佐川優利子が大写しになった。
「今朝はゲストとして最近ポラドルとして人気急上昇中の、佐川優利子さんにスタジオにお越しいただきました」
 テレビに優利子が映ってること自体、驚くことではないが、それにしてもポラドルって……。それが何の略称なのかは容易に想像がついた。
 多分、ポラキャ・アイドルだ。
 かつてバラエティーもこなすアイドルのことをバラエティー・アイドル、略してバラドルと呼んだのと同じ乗りだろう。何でもかんでも、略すのはやめろ! そう言いたいね。
「おはようございまーす」と、妙に軽いノリで優利子があいさつをした。「みなさんのポラキャも、今朝も元気ですかぁ」
 それにしても彼女のあの衣装は何だろう。コスプレとまでは言わないが、普通に着る服とも言い難い。何処かポラキャを思わせるファッションだ。
 軽いトークを少しばかり交わした後、司会者が本題と思しき話題に切り替えた。
「佐川さんは、このたび政府が推し進める『ポラキャライズ・ジャパン』の民間特命委員長に任命されたとのことですが、これについてお話しいただけますか」
「はい」画面の向こう側で優利子が魅惑的な笑顔を浮かべ、妙に甘ったるく軽いノリで言い始めた。「推進委員長なんて呼ばれると、とっても照れちゃうんてすけど、今度、総務省が日本の全家庭にポラキャを普及させることを目標に、キャンペーンを始めたことをみなさんご存知ですか?」
 知らんぞ、そんなこと。
 これもまた『異変』のひとつか。
「ほう。どうしてまた、国がそういう施策を打ち出したのでしょうか」
 司会者が白々しく驚いた口調で言った。打ち合わせ通りといったところか。
「はい」これまた打ち合わせ通りの口調で優利子が応じる。「まず第一に、青少年の健全育成です。こんなデータがあります。ポラキャのいる家庭といない家庭では、お子様が非行に走る率が非常に少ないんです」
 番組スタッフがすかさずフリップを映し出した。そこには非行に走る子どものことばかりではなく、ポラキャ連れてくる事を認めた学校ではイジメがほとんど見られないとか、犯罪歴がある者がポラキャを飼うと再犯に至るケースがほとんど無いとか、そもそもポラキャを飼っている人が犯罪に手を染める率は非常に低い、そんな事柄が数値化されて記されていた。
 ほんまかいな?
 それが俺の率直な感想だった。とはいえ、曲がりなりにも政府が公表しているデータというから、それなりの根拠があるのだろう。
 優利子はいう。
「他にも、癌患者さんをはじめとする、重病患者さんの病状が改善に向かうというデータもあるんです」
 それについての具体的なデータは示されなかったが、俺は前にテレビか何かで聞いた話を思い出していた。
 医療技術では回復の望めない重病患者に舞台喜劇を定期的に観劇させたところ、病状が改善に向かって行ったという。人は「笑う」ことにより免疫力がアップするからだ。確かそんな話題だった。
 それと同じような効果がポラキャにもあるということか?
 ポラキャを連れて歩いている人がゲラゲラ笑っている、などという光景は見なかったが、確かに険しい表情の人もいなかった気がする。
 ポラキャには人の心に安らぎを与える効果があるのかもしれない。
 精神の安らぎ……。ペットにそういう効果があるのは、何もポラキャに限ったことでは無い。犬でも猫でも、愛玩動物には概ねそういう効果があると以前に聞いたことがある。未成年の非行もそうだ。いや、不安定な精神が非行や犯罪を生み出すとも言えるのだから、強ち否定もできないだろう。
 でもだからと言って、ペットがいるから非行や犯罪が無くなるというものでもあるまい。小学生のとき親しかった同級生に、中学入学後とんでもない非行少年になり疎遠になった奴がいるが、彼の家では三匹くらい猫を飼っていたはずだ。それとも中学に入って飼うのをやめたのか。
 何れにせよ、今まで政府がそういう効果を期待して、日本中の家庭にペットを飼わせようとしたことはない。少なくとも俺の知る限り無いはずだ。
 つまりポラキャには日本政府をも突き動かす何かがあるということになる。
 ふと、俺の脳裏に「陰謀」という言葉かよぎった。
 精神の安定というが、それは本当は精神力の低下では無いのか? 疑問を持つ力を失い、全て素直に受け入れる。要するに人はそうなると案外、精神的には安定するのではなかろうか。
 政府がポラキャを普及させるという。何か恣意的なものを感じるのは考え過ぎだろうか。
(いやぁそれは無い)
 俺は内心苦笑した。そんなことが出来れば、世界に沢山ある独裁国家がやっていないはずはない。それにポラキャを使って人の心をコントロールするなんて、そんな技術が現代の日本――いや、地球上といって良いだろう――あるはずは無いのだ。
 しかし待てよ。一方で警鐘を鳴らす俺がいた。常識で判断する事は本当に正しいことのか。次から次へと『異変』に見舞われているというのに……。
 そのとき俺の背後から優利子が抱きついて来た。少なからず動揺した俺だったが、どうリアクションしていいかわからず、何もしないでいると、それがかえって自然だったのかもしれない。彼女は何も疑問を感じてないようだった。
「観てたんだ?」テレビの画面に向いて優利子が言った。そして、すぐに俺の耳元で、少し寂しそうに囁いた。「これで、また会う回数が減ってしまいそう」
「仕方ないさ……。忙しくなるのはいい事だ」
「もう!」
 優利子が軽く俺の背中を突き飛ばした。すかさず、俺の前に回り、今度は前から両手を俺の首に絡めてきた。
「もっと寂しがってよ。私と会う時間が減るんだよ」
 その愛おしそうな眼差しに俺の視線も釘付けになる。
「うん」
 そう反応するのが精一杯だった。
「でもね、今日一日は、ずっと一緒いれるよ」
 今まで聞いたことのない彼女の甘えた声だった。
 そして次の瞬間には彼女の唇が俺のそれに重ねられる。夢にまで見た佐川優利子とのディープキスだった。
 でも、これは後で考えると我ながら不思議だったのだか、俺はその彼女の行動を意外とは思わなかった。いや、むしろ安堵感すら抱いていたのだ。
 多分、現在の俺はこのような状況が当然な世界にいるのだろう。
 ここから先はあえて詳しくは語るまい。彼女が望んだとおり、そして俺が望んだとおりに、その日一日、二人で濃密な時間を過ごしたとだけ、記しておく。
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