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ツグミ、探偵助手になる
調査開始
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つぐみはカケスの助手として張り切っていた。大学が終わった後の数時間、掃除とお茶汲みくらいしかやらせてもらっていなかったが、信用を勝ち取るには地道が一番だと思っていた。
「あら、今日もお手伝い?」
「小森さん、こんにちには」
ビルのオーナーだという小森が、掃除をする手を止め痛そうに背中をさすった。
「腰、お悪いんですか?」
「まあ、歳だからね。よいしょっと」
笑いながら、ゴミ袋を持ち上げた。
「大丈夫ですか? 運ぶなら代わりますよ」
「あら、ありがとう。そこの物置までなんだけど……」
「分かりました」
受け取ったゴミ袋を覗くと紙ごみやお菓子の包み紙に混じってタバコの吸い殻も混じっていた。
「タバコのポイ捨てなんてひどいですね」
「そうねえ。ボヤ騒ぎも前にあったし、気をつけないとねえ」
「ボヤ騒ぎですか?」
「ええ。ほら、そこの団地でね。廃品回収の新聞が燃えてね。花火の燃えかすが残っていたから子供の悪戯じゃないかって大事にはしなかったみたいだけどね」
「子供……」
「団地の人達が連日見回りをしてくれたおかげか、今のところはその一件だけみたいよ」
「そうなんですね」
「あそこは小、中と学校も近くて子供のいる家庭も多いから色々心配ね」
悠真の事が頭をよぎった。
「あら、話し過ぎたかしら。ごめんなさい、鍵開けるわね」
「あっ、はい」
「若い人と話をするなんて久しぶりでねえ」
小森は物置の鍵を開けた。
「そこに入れてくれる?」
「はい」
ゴミ袋を空き缶が入ったゴミ袋の隣に置く。
「はい、ご苦労様でした」
小森と一緒にビルに向かうと、丁度カケスが階段を降りて来たところだった。
「ツグミ、悪いな。今日は別件で出かけるんだ」
「随分と繁盛してるんじゃないか、ジェイ」
「小森さん、その呼び方やめて下さいよ」
「はいはい。じゃあ、またね」
「はい」
小森は五階にある管理室に戻って行った。
「そうだ。サッカークラブのコーチと息子の名前が分かったぞ」
「えっ。もう?」
「何て事ない。サッカークラブのホームページにコーチが載ってたからな」
「でも、息子さんの名前はさすがに書いてないでしょ? どうやって分かったの?」
「息子達は……おしゃべりな人はどこにでもいるからな」
「ふうん」
秘密の協力者がいるのかもしれない。
見せられたタブレットを覗き込むと、四十代後半の精悍な顔をした男性が笑顔で写っていた。小学校中心で活動する少年団で、名前はFC玉山といった。FCはフットボールクラブの略称、玉山は小学校名だ。チームの指導者は保護者やチームのOB、近隣住民によるボランティアで構成されている。
「佐竹恭太郎さんっていうんだ」
「ああ。息子は二人。兄の平良は中学一年、弟は圭太というようだ。平良君はどうも自宅にはいないらしい。近所にもその事は話していないのが引っかかる。ツグミ、名前が分かったからといって勝手に接触するなよ? 何かを頼むときは、ちゃんと声をかける」
「……うん。いってらっしゃい」
慌ただしくカケスは去って行った。
帰りの電車でサッカークラブのサイトを検索し、クラブ理念等にも目を通す。プロを育てるというより、サッカーを通じて仲間を信じる大切さや、困難を乗り越えられる精神と体力をつける事が目的のクラブらしい。その理念のクラブが、コーチの息子によって脅かされている。
「何をそんなに必死に読んでるんだ」
「えっ。お父さん」
「歩きながら携帯電話を見るのは危ないぞ」
「……ごめんなさい」
子供の頃は腫れ物に触るような態度だった父も、私が高校生になった頃にはよく話す様になった。お互いにどう接したらいいか距離感を計りかねていたのかもしれない。
「その人、見た事がある気がするな……だめだ、目が悪くてはっきり見えん」
家に着くとすぐにタブレットで検索し直す。
「どう? 知ってる人?」
「なあに? 二人とも、ただいまも言わずに……あら、イケメンじゃない」
「お母さん、ただいま。ね、お父さん、どうなの」
「ええい。焦らせるな。佐竹か、佐竹恭太郎……ああ! そうだ、思い出した!」
そう言って手を叩いた。
「やっぱり知ってる人なの?」
「彼は昔、テレビや雑誌で取り上げられるほどの天才サッカー少年だったんだ。大学で怪我さえしなければプロも夢じゃなかったって。ああ、すっきりした」
「お父さん、サッカー好きだっけ? よく、知っていたね」
「いや、会社の後輩がな。息子の習い事でサッカーをさせるって決めた時な、クラブチームが良いか少年団が良いかで随分悩んだと言うんだ」
「クラブチームか少年団? 何か違うの?」
「ああ。他にもサッカースクールっていうのもあるらしい……興味が無いからって面倒そうな顔するな。クラブチームには元プロの指導者が強豪チームやJリーグ育成を目指す組織もあり費用はかかるが、人気があって入れない事もあるそうだ。それに対して、少年団はここにも書いてある様に学校単位や周辺地域中心で活動する為に、入団しやすいらしい」
「違いは分かったけど……」
「俺も後輩と話をするのに多少なりとも知識を入れておこうと思って調べたんだよ。地元でプロサッカー選手になった人がいるかどうかとか。それで、プロを目指している大学生やサッカー選手に憧れる子を持つ親のインタビュー記事を見つけて後輩に教えたんだ。その中に、この佐竹恭太郎さんの記事もあったんだよ。確か、息子が二人いて長男にはサッカーをさせているってな」
「長男だけ?」
「ああ。数年前の記事だったからな。今はサッカーを続けているかどうかは知らん。レポートか何か知らんが、役に立つか?」
「えっ。うん、ありがとう」
「お話終わった? せっかくお父さんが早く帰って来るって言うから鍋にしたのに、お野菜クタクタに煮すぎちゃったわよ」
「お、それは悪かった。食べよう」
「うん。お腹すいた」
寝る前に佐竹コーチのインタビュー記事に目を通す。文面を読む限りは、サッカーを始めたのは平良本人の意思だった。佐竹自身が指導者だった事もあり、クラブチームではなく地元の少年団に入れたとある。
「平良君の後を追う様に圭太君も入ったのか……」
現在、家にはいないという中学一年生の平良と小学二年生の圭太がどの様な関係性なのか気になった。おそらくカケスがその辺りの事も調べるのだろう。親子関係がもし良好では無かったとしたら、その苛立ちは同じチームの友達に向かう事はないだろうか。そんな事を考えていると胸が急に苦しくなる。その苦しみが平良や圭太を思っての事なのか、はたまた悠真への心配なのか分からなくなった。
「こっそり見るだけなら……」
散歩のついでに小学校のグラウンドを眺めるくらいなら許されるだろう。そんな風に自分を納得させ、目をつむった。
次の日、午後の講義が終わりコンビニで買った珈琲を飲みながら散歩しているのを装い、小学校のグラウンドで走り回る子供達を眺めていた。グラウンド内には保護者達が寒そうに練習風景を見守っていた。ひときわ大きな声で子供達の名前を呼ぶのは佐竹コーチだろうか。遠目では子供達の表情は分からなかったが、佐竹コーチの叱咤激励する声が響いていた。試合終了の笛が鳴り、黄色と青色のビブスを付けた子供達が佐竹コーチの元へ駆け寄って行く。一人としてダラダラと歩く者はなく、皆きちんと起立した状態で話を聞いていた。時折、佐竹コーチに大きな声で返事をし、笑いが起きる事もあった。良い雰囲気だと感じた。悠真がいじめにも屈せずに通っているのは、佐竹コーチの指導や他の仲間達とはうまくやれている為なのかもしれない。子供達が解散の挨拶をするのを聞いて、そっとその場を離れた。子供達が親元に駆け寄るのを尻目に、着信音に慌てて携帯電話に出る。
「もしもし?」
『今、外か?』
それを聞いて、慌ててグラウンドから離れた。
「うん。ぶらぶらしてた」
『事務所のトイレットペーパー切れたんだ。駅前のスーパーに買いに行ってくれるか?』
「いいけど……そばのドラッグストアじゃだめなの?」
『ああ。スーパーのダブル18ロールな。花柄の一番安いやつ』
「……分かりました。あとは?」
『じゃあついでに……』
いくつかお使いを頼まれて、駅前へ歩いて行く。スーパーマーケットは小学校からも近く、十五分程の距離だ。トイレットペーパーとゴミ袋類とコーヒー豆を無人レジへ持っていく。
「トイレットペーパーって、テープ必要かな」
店員を呼ぶと、無人レジ担当の店員がやって来た。
「すみません。トイレットペーパーって」
「ああ、はい。テープ貼らせて頂きますね」
店名が印字されたテープを貼ってくれた店員の名字が森崎だった。まさかとは思うが悠真の母親という事はあるだろうか。思い切って聞こうとした時には、森崎は別の客のレジに行ってしまった。常連客がプライベートな話をし始めたので、今日のところはそのまま帰る事にした。
「さむっ」
外へ出ると店内との寒暖差で鼻がむず痒くなる。
「雪降りそう……」
灰色の空を見上げると、鳥の大群が駅の周辺を列をなして飛んでいた。寝ぐらにしている木があり、夕方になるとギャアギャアと騒ぎ出す。その声に囃し立てられる様に早足で歩くと、かさかさと落ち葉を踏みしめる音が鳴った。
「買ってきたよ」
「おう。悪かったな」
「ううん」
トイレットペーパーをトイレの中に収納している間に、カケスが珈琲を入れてくれていた。コートを脱ぎ、ソファーに腰かける。
「いただきます」
珈琲に砂糖をたっぷり入れて飲むと、冷え切った身体がじんわりと温まってくる。
「悠真君は元気そうだったか?」
「遠くからだから分かんないけど、チームの雰囲気は良かったよ……あっ」
カケスがにやりと笑った。
「やっぱりな。電話の向こうで子供の声が聞こえた気がしてたんだ」
「……ごめんなさい。なんだかじっとしていられなくて。でも、本当に見ただけだよ」
「分かってるよ。そう思ってスーパーにも行ってもらったんだ。悠真君の母親には会えたか?」
森崎という名札を付けた優しそうな四十代前半の女性を思い浮かべる。
「えっ。やっぱりあの人そうだったんだ。まさか、その確認の為に私に行かせたの?」
「いや、トイレットペーパーが一番安いからだよ」
笑って自分も珈琲を飲んだ。
「そうだ、カケス。お父さんがたまたま見たって言うんだけど……」
父とのやりとりをかいつまんで話す。
「おお。さすが助手だな。そろそろちゃんとアルバイト代出さなきゃな」
パソコンを起動してインタビュー記事をモニターに出した。
「この記事は、平良君が五年生の時だな。圭太君はまだ幼稚園か保育園の年長さんだな」
母親と一緒に兄を応援する弟像が頭に浮かんだ。
「そういえば、今日も保護者の人達が練習を見てたな。そっか、悠真君のお母さんはお仕事中か」
「ああ。忙しいお母さんに心配をかけさせたくないんだろうな」
「そっかあ」
「でも、親としては何でも話して欲しいものだと思うがな」
そう言って頭を掻いた。
「……そうだよね」
「悪い。お前の事を言ったわけじゃないんだ。今はちゃんと出来てるんだろ?」
「うん。たぶん」
「たぶんか。それ飲んだら車で送るぞ」
「え? いいよ。お父さんに見られたら困るし」
「……そうか」
少しショックを受けた様なカケスを見て、思わず笑う。
「彼氏だと思われたら面倒でしょ?」
「……まあな」
カケスが機嫌を直したところで事務所を出た。事務所から徒歩五分の薬局で化粧品を見ていたら、オーナーの小森と出くわす。
「あら、今帰り? ちゃんとお給金貰わなきゃだめよ」
「こんばんは。そうですね。アルバイト代を出すと言われたんですけど……小森さんは買い物ですか?」
「そうなの。サラダ油を切らしてるの忘れていてね」
買い物袋をひょいと持ち上げた。
「ご自宅はこの辺りなんですか?」
「ええ。団地の奥に自宅が……あら、あの子達」
「え?」
道路を挟んだ向こう側に、大きなスポーツバッグを持った少年達がいた。団地の入り口にある公園に向かって歩いていた。時折大きな声で何かを言い合って、バッグで叩き合っている。
「見ての通り仲の良い三人組なんだけど、ヤンチャでね。よく、団地の備品で遊んで壊すからって物置の鍵を取り替えたばかりなのよ」
「それはいくらなんでも元気すぎですよね。三人とも団地の子なんでしょうか」
「確か、二人は団地で……一人はうちの近くに住んでるわ」
小森はため息を吐く。
「一人一人は大人しいんだけどねえ。もし何かをしでかしていたら教えてね。じゃあ、気を付けて帰ってね」
「はい、ありがとうございます」
軽く手を振って信号を渡って行った。小森が未だに騒ぐ三人に声をかけると、渋々といったようにそれぞれ帰って行った。小森の話を聞いてから、花火でのボヤ騒ぎは彼らの仕業なのではないかという疑念が頭から離れなくなった。
明日にはまたカケスが新しい情報を掴んでくるかもしれない。早く、悠真の心配事を無くしてあげたい。この時の私はその一心だった。
「あら、今日もお手伝い?」
「小森さん、こんにちには」
ビルのオーナーだという小森が、掃除をする手を止め痛そうに背中をさすった。
「腰、お悪いんですか?」
「まあ、歳だからね。よいしょっと」
笑いながら、ゴミ袋を持ち上げた。
「大丈夫ですか? 運ぶなら代わりますよ」
「あら、ありがとう。そこの物置までなんだけど……」
「分かりました」
受け取ったゴミ袋を覗くと紙ごみやお菓子の包み紙に混じってタバコの吸い殻も混じっていた。
「タバコのポイ捨てなんてひどいですね」
「そうねえ。ボヤ騒ぎも前にあったし、気をつけないとねえ」
「ボヤ騒ぎですか?」
「ええ。ほら、そこの団地でね。廃品回収の新聞が燃えてね。花火の燃えかすが残っていたから子供の悪戯じゃないかって大事にはしなかったみたいだけどね」
「子供……」
「団地の人達が連日見回りをしてくれたおかげか、今のところはその一件だけみたいよ」
「そうなんですね」
「あそこは小、中と学校も近くて子供のいる家庭も多いから色々心配ね」
悠真の事が頭をよぎった。
「あら、話し過ぎたかしら。ごめんなさい、鍵開けるわね」
「あっ、はい」
「若い人と話をするなんて久しぶりでねえ」
小森は物置の鍵を開けた。
「そこに入れてくれる?」
「はい」
ゴミ袋を空き缶が入ったゴミ袋の隣に置く。
「はい、ご苦労様でした」
小森と一緒にビルに向かうと、丁度カケスが階段を降りて来たところだった。
「ツグミ、悪いな。今日は別件で出かけるんだ」
「随分と繁盛してるんじゃないか、ジェイ」
「小森さん、その呼び方やめて下さいよ」
「はいはい。じゃあ、またね」
「はい」
小森は五階にある管理室に戻って行った。
「そうだ。サッカークラブのコーチと息子の名前が分かったぞ」
「えっ。もう?」
「何て事ない。サッカークラブのホームページにコーチが載ってたからな」
「でも、息子さんの名前はさすがに書いてないでしょ? どうやって分かったの?」
「息子達は……おしゃべりな人はどこにでもいるからな」
「ふうん」
秘密の協力者がいるのかもしれない。
見せられたタブレットを覗き込むと、四十代後半の精悍な顔をした男性が笑顔で写っていた。小学校中心で活動する少年団で、名前はFC玉山といった。FCはフットボールクラブの略称、玉山は小学校名だ。チームの指導者は保護者やチームのOB、近隣住民によるボランティアで構成されている。
「佐竹恭太郎さんっていうんだ」
「ああ。息子は二人。兄の平良は中学一年、弟は圭太というようだ。平良君はどうも自宅にはいないらしい。近所にもその事は話していないのが引っかかる。ツグミ、名前が分かったからといって勝手に接触するなよ? 何かを頼むときは、ちゃんと声をかける」
「……うん。いってらっしゃい」
慌ただしくカケスは去って行った。
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「何をそんなに必死に読んでるんだ」
「えっ。お父さん」
「歩きながら携帯電話を見るのは危ないぞ」
「……ごめんなさい」
子供の頃は腫れ物に触るような態度だった父も、私が高校生になった頃にはよく話す様になった。お互いにどう接したらいいか距離感を計りかねていたのかもしれない。
「その人、見た事がある気がするな……だめだ、目が悪くてはっきり見えん」
家に着くとすぐにタブレットで検索し直す。
「どう? 知ってる人?」
「なあに? 二人とも、ただいまも言わずに……あら、イケメンじゃない」
「お母さん、ただいま。ね、お父さん、どうなの」
「ええい。焦らせるな。佐竹か、佐竹恭太郎……ああ! そうだ、思い出した!」
そう言って手を叩いた。
「やっぱり知ってる人なの?」
「彼は昔、テレビや雑誌で取り上げられるほどの天才サッカー少年だったんだ。大学で怪我さえしなければプロも夢じゃなかったって。ああ、すっきりした」
「お父さん、サッカー好きだっけ? よく、知っていたね」
「いや、会社の後輩がな。息子の習い事でサッカーをさせるって決めた時な、クラブチームが良いか少年団が良いかで随分悩んだと言うんだ」
「クラブチームか少年団? 何か違うの?」
「ああ。他にもサッカースクールっていうのもあるらしい……興味が無いからって面倒そうな顔するな。クラブチームには元プロの指導者が強豪チームやJリーグ育成を目指す組織もあり費用はかかるが、人気があって入れない事もあるそうだ。それに対して、少年団はここにも書いてある様に学校単位や周辺地域中心で活動する為に、入団しやすいらしい」
「違いは分かったけど……」
「俺も後輩と話をするのに多少なりとも知識を入れておこうと思って調べたんだよ。地元でプロサッカー選手になった人がいるかどうかとか。それで、プロを目指している大学生やサッカー選手に憧れる子を持つ親のインタビュー記事を見つけて後輩に教えたんだ。その中に、この佐竹恭太郎さんの記事もあったんだよ。確か、息子が二人いて長男にはサッカーをさせているってな」
「長男だけ?」
「ああ。数年前の記事だったからな。今はサッカーを続けているかどうかは知らん。レポートか何か知らんが、役に立つか?」
「えっ。うん、ありがとう」
「お話終わった? せっかくお父さんが早く帰って来るって言うから鍋にしたのに、お野菜クタクタに煮すぎちゃったわよ」
「お、それは悪かった。食べよう」
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「平良君の後を追う様に圭太君も入ったのか……」
現在、家にはいないという中学一年生の平良と小学二年生の圭太がどの様な関係性なのか気になった。おそらくカケスがその辺りの事も調べるのだろう。親子関係がもし良好では無かったとしたら、その苛立ちは同じチームの友達に向かう事はないだろうか。そんな事を考えていると胸が急に苦しくなる。その苦しみが平良や圭太を思っての事なのか、はたまた悠真への心配なのか分からなくなった。
「こっそり見るだけなら……」
散歩のついでに小学校のグラウンドを眺めるくらいなら許されるだろう。そんな風に自分を納得させ、目をつむった。
次の日、午後の講義が終わりコンビニで買った珈琲を飲みながら散歩しているのを装い、小学校のグラウンドで走り回る子供達を眺めていた。グラウンド内には保護者達が寒そうに練習風景を見守っていた。ひときわ大きな声で子供達の名前を呼ぶのは佐竹コーチだろうか。遠目では子供達の表情は分からなかったが、佐竹コーチの叱咤激励する声が響いていた。試合終了の笛が鳴り、黄色と青色のビブスを付けた子供達が佐竹コーチの元へ駆け寄って行く。一人としてダラダラと歩く者はなく、皆きちんと起立した状態で話を聞いていた。時折、佐竹コーチに大きな声で返事をし、笑いが起きる事もあった。良い雰囲気だと感じた。悠真がいじめにも屈せずに通っているのは、佐竹コーチの指導や他の仲間達とはうまくやれている為なのかもしれない。子供達が解散の挨拶をするのを聞いて、そっとその場を離れた。子供達が親元に駆け寄るのを尻目に、着信音に慌てて携帯電話に出る。
「もしもし?」
『今、外か?』
それを聞いて、慌ててグラウンドから離れた。
「うん。ぶらぶらしてた」
『事務所のトイレットペーパー切れたんだ。駅前のスーパーに買いに行ってくれるか?』
「いいけど……そばのドラッグストアじゃだめなの?」
『ああ。スーパーのダブル18ロールな。花柄の一番安いやつ』
「……分かりました。あとは?」
『じゃあついでに……』
いくつかお使いを頼まれて、駅前へ歩いて行く。スーパーマーケットは小学校からも近く、十五分程の距離だ。トイレットペーパーとゴミ袋類とコーヒー豆を無人レジへ持っていく。
「トイレットペーパーって、テープ必要かな」
店員を呼ぶと、無人レジ担当の店員がやって来た。
「すみません。トイレットペーパーって」
「ああ、はい。テープ貼らせて頂きますね」
店名が印字されたテープを貼ってくれた店員の名字が森崎だった。まさかとは思うが悠真の母親という事はあるだろうか。思い切って聞こうとした時には、森崎は別の客のレジに行ってしまった。常連客がプライベートな話をし始めたので、今日のところはそのまま帰る事にした。
「さむっ」
外へ出ると店内との寒暖差で鼻がむず痒くなる。
「雪降りそう……」
灰色の空を見上げると、鳥の大群が駅の周辺を列をなして飛んでいた。寝ぐらにしている木があり、夕方になるとギャアギャアと騒ぎ出す。その声に囃し立てられる様に早足で歩くと、かさかさと落ち葉を踏みしめる音が鳴った。
「買ってきたよ」
「おう。悪かったな」
「ううん」
トイレットペーパーをトイレの中に収納している間に、カケスが珈琲を入れてくれていた。コートを脱ぎ、ソファーに腰かける。
「いただきます」
珈琲に砂糖をたっぷり入れて飲むと、冷え切った身体がじんわりと温まってくる。
「悠真君は元気そうだったか?」
「遠くからだから分かんないけど、チームの雰囲気は良かったよ……あっ」
カケスがにやりと笑った。
「やっぱりな。電話の向こうで子供の声が聞こえた気がしてたんだ」
「……ごめんなさい。なんだかじっとしていられなくて。でも、本当に見ただけだよ」
「分かってるよ。そう思ってスーパーにも行ってもらったんだ。悠真君の母親には会えたか?」
森崎という名札を付けた優しそうな四十代前半の女性を思い浮かべる。
「えっ。やっぱりあの人そうだったんだ。まさか、その確認の為に私に行かせたの?」
「いや、トイレットペーパーが一番安いからだよ」
笑って自分も珈琲を飲んだ。
「そうだ、カケス。お父さんがたまたま見たって言うんだけど……」
父とのやりとりをかいつまんで話す。
「おお。さすが助手だな。そろそろちゃんとアルバイト代出さなきゃな」
パソコンを起動してインタビュー記事をモニターに出した。
「この記事は、平良君が五年生の時だな。圭太君はまだ幼稚園か保育園の年長さんだな」
母親と一緒に兄を応援する弟像が頭に浮かんだ。
「そういえば、今日も保護者の人達が練習を見てたな。そっか、悠真君のお母さんはお仕事中か」
「ああ。忙しいお母さんに心配をかけさせたくないんだろうな」
「そっかあ」
「でも、親としては何でも話して欲しいものだと思うがな」
そう言って頭を掻いた。
「……そうだよね」
「悪い。お前の事を言ったわけじゃないんだ。今はちゃんと出来てるんだろ?」
「うん。たぶん」
「たぶんか。それ飲んだら車で送るぞ」
「え? いいよ。お父さんに見られたら困るし」
「……そうか」
少しショックを受けた様なカケスを見て、思わず笑う。
「彼氏だと思われたら面倒でしょ?」
「……まあな」
カケスが機嫌を直したところで事務所を出た。事務所から徒歩五分の薬局で化粧品を見ていたら、オーナーの小森と出くわす。
「あら、今帰り? ちゃんとお給金貰わなきゃだめよ」
「こんばんは。そうですね。アルバイト代を出すと言われたんですけど……小森さんは買い物ですか?」
「そうなの。サラダ油を切らしてるの忘れていてね」
買い物袋をひょいと持ち上げた。
「ご自宅はこの辺りなんですか?」
「ええ。団地の奥に自宅が……あら、あの子達」
「え?」
道路を挟んだ向こう側に、大きなスポーツバッグを持った少年達がいた。団地の入り口にある公園に向かって歩いていた。時折大きな声で何かを言い合って、バッグで叩き合っている。
「見ての通り仲の良い三人組なんだけど、ヤンチャでね。よく、団地の備品で遊んで壊すからって物置の鍵を取り替えたばかりなのよ」
「それはいくらなんでも元気すぎですよね。三人とも団地の子なんでしょうか」
「確か、二人は団地で……一人はうちの近くに住んでるわ」
小森はため息を吐く。
「一人一人は大人しいんだけどねえ。もし何かをしでかしていたら教えてね。じゃあ、気を付けて帰ってね」
「はい、ありがとうございます」
軽く手を振って信号を渡って行った。小森が未だに騒ぐ三人に声をかけると、渋々といったようにそれぞれ帰って行った。小森の話を聞いてから、花火でのボヤ騒ぎは彼らの仕業なのではないかという疑念が頭から離れなくなった。
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