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第一話
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「棗なつめセンパイは赤い向日葵って知ってます?」
「……なにそれ、紅ショウガでもぶっかけたの?」
「違いますよ。いや、そもそも紅ショウガが赤いのは着色料のせいですから」
仕事帰りの居酒屋は空いている店を探す方が難しい。あちこちから話し声が聞こえるが、内容は一つとして聞き取れない。それは、つまり私達が話す内容も誰にも聞こえていないという事だ。
「じゃあどうやって向日葵を赤くすんのさ。カラースプレー?」
「そりゃ赤い塗料を塗れば赤くなるでしょうが、そうじゃなくて、元々向日葵は色々な色があるって話ですよ」
「なにぃそれ、ダジャレ?そんな見た目してもうオッサン入ってんのー?アハハ」
「棗センパイ、ビール一杯で酔い過ぎでしょ!」
実際私より十歳若いが、それ以上に童顔な後輩は渋い顔で焼き秋刀魚を食べる。箸を両手に持ち、綺麗に身と骨を全部分けてから食べていた。チョイスは渋いが食べ方は可愛い。
「勘弁してくださいよ。棗センパイを毎回家まで送ってから逆方向の駅に戻るから、行きの倍時間掛かるんすよ」
「泊っていけばいいのに」
「一人暮らしの女性の家に男の俺が泊まれるわけないでしょ!」
「じゃあ、一緒に暮らす?」
「…………は?」
*********
これが恋愛感情と言えるかは今でも分からない。ペットを飼う感覚に近いと言えるかも知れない。ただ、例えペットでも『愛情』だったことは確かだ。
彼はいつも笑顔で、甘えん坊で、私の言うことなら何でも聞いた。私の方も文字通り犬可愛がりで、彼はいつも元気で、でも辛い時や落ち込んだ時は静かに慰めてくれた。
*********
「棗センパイ。また近所で火事があったらしいっすよ。これも連続放火魔の仕業なんすかね?」
「へー怖いねー」
「いや、他人事過ぎでしょ」
「だからって、どうしろってのよ」
「せめてオートロックのマンションに引っ越しましょうよ。こんな安アパートじゃ危ないですよ」
「うーん……考えとく」
*********
Marlboroの箱から最後の一本を取り出して口に咥える。それからポケットの中を弄ったがライターは見つからなかった。つい最近全て捨てた事を思い出し、仕方なく携帯ガスコンロの点火で代用した。
*********
「棗センパイ。これどうぞ!」
「何これ。ひまわり?」
「向日葵の花言葉って知ってます?」
「さあ?元気ハツラツ!とか?」
「それCMのイメージでしょ。向日葵ってのは基本的に愛を伝える花言葉なんですけど、本数によって意味が微妙に変わるんすよ。三本だと愛の告白になるんす!」
「いまさら?……でも嬉しい。ありがと」
*********
同棲をしても彼の私への呼び方は変わらなかった。距離を感じる時もあったが、それ以外の呼び方をされても違和感しか無いだろうなと思っていた。
*********
「棗センパイ。タバコ止めましょうよ」
「えー、なんでよ」
「なんでって、健康に良くないじゃないですか」
「いいよ別に。私三十で死ぬから」
「もう過ぎてるじゃないですか!それにタバコの不始末で火事って意外と多いんですよ。最近また近所で放火があったって聞きましたし」
*********
彼が私の身を心配していたのは確かだったと思う。そして彼が私を愛していたのも……。今でもそれを疑うつもりは無い。
*********
「棗センパイ。向日葵ってどう書くか知ってます?」
「ひまわり?えーと、こんな感じ?」
「それじゃ『火回り』じゃないですか!火が円を描いて回ってどうするんですか!?」
「中を飛んでくぐり抜けるとか?」
「もうそれサーカスじゃないですか!」
*********
新しい部屋には何時も向日葵が飾られていた。季節が外れても、暖かい部屋でなら大きな円い花を咲かせていた。彼は特に赤い向日葵を好んで育てていた。
*********
「棗センパイ。荷物ここで良いっすか?」
「うん、とりあえずそこ置いといて。っていうか、この部屋ってストーブ無いの?」
「先輩みたいなガサツな人は火を消し忘れたりとか危ないから、床暖房とヒーター完備のとこ探したんすよ!」
「電気代かかりそー」
「じゃあ先ずタバコ代節約しましょうよ!」
*********
今思えば、彼は私に伝えたかったのかもしれない。ただ、当時の私は何も気付こうとしなかった。そのメッセージを聞こうとしなかった。怠惰に過ごす二人の時間を、堕落の快楽として酔いしれていた。聞いた所でどうにかなっていたとも思えないけれど。
*********
「棗センパイ。お別れっすね!」
「…………なんで?」
「んー……なんででしょう?自分でも分かんねーっす!」
「分からないって、おかしいでしょそんなの!!」
「そーなんす。俺、おかしいんすよ。気に入った物を見つけると燃やさずにいられないんです!」
「…………」
「棗センパイが初めてっす!燃やしたくないって思ったのは。でもこのままだといつか燃やしちゃうかもしれないって思って……じゃ、お元気で!」
*********
連続放火犯は彼だった。二人で住み始めた新居に在った物は全て何の価値も無い黒い物体になった。火を点けた後自分で警察に連絡したらしい。
彼は今、取り調べで過去の罪を全て自供しているらしい。その中には交際中の女性を生きたまま燃やしたという供述もあったそうだ。
そして私は今、再び狭いアパートで独り暮らしをしている。
部屋の窓際には大きな鉢植えに赤い向日葵が一輪だけ植えてある。
向日葵の花言葉は『私はあなただけを見つめます』や『憧れ』だそうだ。
ただ、これが赤い向日葵となると、一転『悲哀』になるという事を最近知った。
赤い向日葵に向かって紫煙を吐き出し、灰皿に火のついたタバコを押し付ける。
タバコはもう無い。今後吸う気も無い。後は燻っているこの気持ちさえ灰になれば、それで全部終わる。それがいつになるかは分からないけれど。
「火回り、か……」
煙はゆっくりと花弁に沿って上に登っていき、窓から差し込む夕焼けが赤い花輪を更に紅く染める。その光景は、まるで花全体が輪になって燃えているようにも見えた。
「……なにそれ、紅ショウガでもぶっかけたの?」
「違いますよ。いや、そもそも紅ショウガが赤いのは着色料のせいですから」
仕事帰りの居酒屋は空いている店を探す方が難しい。あちこちから話し声が聞こえるが、内容は一つとして聞き取れない。それは、つまり私達が話す内容も誰にも聞こえていないという事だ。
「じゃあどうやって向日葵を赤くすんのさ。カラースプレー?」
「そりゃ赤い塗料を塗れば赤くなるでしょうが、そうじゃなくて、元々向日葵は色々な色があるって話ですよ」
「なにぃそれ、ダジャレ?そんな見た目してもうオッサン入ってんのー?アハハ」
「棗センパイ、ビール一杯で酔い過ぎでしょ!」
実際私より十歳若いが、それ以上に童顔な後輩は渋い顔で焼き秋刀魚を食べる。箸を両手に持ち、綺麗に身と骨を全部分けてから食べていた。チョイスは渋いが食べ方は可愛い。
「勘弁してくださいよ。棗センパイを毎回家まで送ってから逆方向の駅に戻るから、行きの倍時間掛かるんすよ」
「泊っていけばいいのに」
「一人暮らしの女性の家に男の俺が泊まれるわけないでしょ!」
「じゃあ、一緒に暮らす?」
「…………は?」
*********
これが恋愛感情と言えるかは今でも分からない。ペットを飼う感覚に近いと言えるかも知れない。ただ、例えペットでも『愛情』だったことは確かだ。
彼はいつも笑顔で、甘えん坊で、私の言うことなら何でも聞いた。私の方も文字通り犬可愛がりで、彼はいつも元気で、でも辛い時や落ち込んだ時は静かに慰めてくれた。
*********
「棗センパイ。また近所で火事があったらしいっすよ。これも連続放火魔の仕業なんすかね?」
「へー怖いねー」
「いや、他人事過ぎでしょ」
「だからって、どうしろってのよ」
「せめてオートロックのマンションに引っ越しましょうよ。こんな安アパートじゃ危ないですよ」
「うーん……考えとく」
*********
Marlboroの箱から最後の一本を取り出して口に咥える。それからポケットの中を弄ったがライターは見つからなかった。つい最近全て捨てた事を思い出し、仕方なく携帯ガスコンロの点火で代用した。
*********
「棗センパイ。これどうぞ!」
「何これ。ひまわり?」
「向日葵の花言葉って知ってます?」
「さあ?元気ハツラツ!とか?」
「それCMのイメージでしょ。向日葵ってのは基本的に愛を伝える花言葉なんですけど、本数によって意味が微妙に変わるんすよ。三本だと愛の告白になるんす!」
「いまさら?……でも嬉しい。ありがと」
*********
同棲をしても彼の私への呼び方は変わらなかった。距離を感じる時もあったが、それ以外の呼び方をされても違和感しか無いだろうなと思っていた。
*********
「棗センパイ。タバコ止めましょうよ」
「えー、なんでよ」
「なんでって、健康に良くないじゃないですか」
「いいよ別に。私三十で死ぬから」
「もう過ぎてるじゃないですか!それにタバコの不始末で火事って意外と多いんですよ。最近また近所で放火があったって聞きましたし」
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彼が私の身を心配していたのは確かだったと思う。そして彼が私を愛していたのも……。今でもそれを疑うつもりは無い。
*********
「棗センパイ。向日葵ってどう書くか知ってます?」
「ひまわり?えーと、こんな感じ?」
「それじゃ『火回り』じゃないですか!火が円を描いて回ってどうするんですか!?」
「中を飛んでくぐり抜けるとか?」
「もうそれサーカスじゃないですか!」
*********
新しい部屋には何時も向日葵が飾られていた。季節が外れても、暖かい部屋でなら大きな円い花を咲かせていた。彼は特に赤い向日葵を好んで育てていた。
*********
「棗センパイ。荷物ここで良いっすか?」
「うん、とりあえずそこ置いといて。っていうか、この部屋ってストーブ無いの?」
「先輩みたいなガサツな人は火を消し忘れたりとか危ないから、床暖房とヒーター完備のとこ探したんすよ!」
「電気代かかりそー」
「じゃあ先ずタバコ代節約しましょうよ!」
*********
今思えば、彼は私に伝えたかったのかもしれない。ただ、当時の私は何も気付こうとしなかった。そのメッセージを聞こうとしなかった。怠惰に過ごす二人の時間を、堕落の快楽として酔いしれていた。聞いた所でどうにかなっていたとも思えないけれど。
*********
「棗センパイ。お別れっすね!」
「…………なんで?」
「んー……なんででしょう?自分でも分かんねーっす!」
「分からないって、おかしいでしょそんなの!!」
「そーなんす。俺、おかしいんすよ。気に入った物を見つけると燃やさずにいられないんです!」
「…………」
「棗センパイが初めてっす!燃やしたくないって思ったのは。でもこのままだといつか燃やしちゃうかもしれないって思って……じゃ、お元気で!」
*********
連続放火犯は彼だった。二人で住み始めた新居に在った物は全て何の価値も無い黒い物体になった。火を点けた後自分で警察に連絡したらしい。
彼は今、取り調べで過去の罪を全て自供しているらしい。その中には交際中の女性を生きたまま燃やしたという供述もあったそうだ。
そして私は今、再び狭いアパートで独り暮らしをしている。
部屋の窓際には大きな鉢植えに赤い向日葵が一輪だけ植えてある。
向日葵の花言葉は『私はあなただけを見つめます』や『憧れ』だそうだ。
ただ、これが赤い向日葵となると、一転『悲哀』になるという事を最近知った。
赤い向日葵に向かって紫煙を吐き出し、灰皿に火のついたタバコを押し付ける。
タバコはもう無い。今後吸う気も無い。後は燻っているこの気持ちさえ灰になれば、それで全部終わる。それがいつになるかは分からないけれど。
「火回り、か……」
煙はゆっくりと花弁に沿って上に登っていき、窓から差し込む夕焼けが赤い花輪を更に紅く染める。その光景は、まるで花全体が輪になって燃えているようにも見えた。
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