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4.彼と出会う十歳

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 月日はあっという間に流れ、早いことで鍛錬をはじめて、およそ四年の月日が経ち──
 成長したミアは木から木へと飛び移りながら、森を駆け回っていた。

「これで、九周目、あと、一周……!」

 息を上げつつも、晴れやかな表情で駆ける。

 野暮ったく広がっていたセミロングの髪はすっきりとしたショートボブに切り揃えられていて、走るたびにふわりふわりと柔らかそうに動く。
 身体強化魔法の一環で良好になった視界のお陰で、トレードマークとも言える、彼女の凡庸さを表現させるための(はたまた作画コスト軽減のためだったのか)瓶底メガネを取っ払えば、隠れていたスカイブルーの瞳が露わになり、まるで別人のように可憐で快活な少女がそこにいた。
 否、別人ではなく、これが本来の姿だったのかもしれない。

「ゴーーール!!」

 そう声にしながらミアは湖のほとりに転がるようにして倒れ込んだ。

 自身の荒い息と自然の奏でる音だけが耳に届く、静かで広大な森の中。
 そう人が寄り付くこともないこの場所は、ミアにとって格好の訓練場だった。

 逞しく育つ愛娘に両親が戸惑っていたのも今はもう懐かしい。
 無断で髪を短くしてしまった時や、綺麗なドレスを脱ぎ捨て男のような格好で野山を駆け回り、剣術の修行に明け暮れ、こと切れたようにベッドに沈む姿を見せるたびに心配を掛けてしまっていたけれど。
 それも年単位で続けば日常と化す。

 むしろ「健康でいいね」と両親も簡単な筋トレを始めるくらいには、ミアがもたらした『力(物理)こそパワー』という精神はコレット家に馴染んでいた。
 今では彼女を咎める者などおらず、こうして一層好きなだけ鍛錬に励んでいる。(といってもまだ子ども。外出が許される日の高いうちだけ、行き先を告げることも絶対だ)

「わたし、自分を守れるくらい強くなれたかしら……」

 ひとり空に向けて呟くが、ミアは直ぐに両頬を叩いた。

「ダメダメ! 慢心はダメよミア」

 もっと強くならなければ、そう思うのと同時に、もっと強く『なりたい』と思う。
 いつの間にかミアには、自分自身を守るためという理由以外にも、単純に強さを追い求める情熱が生まれていた。

「少し休んだら……もう一回走り込み……」

 呟き、例に漏れず糸が切れたように眠り込んだ。

 そうしてくぅくぅと穏やかな寝息が聞こえ始めてから、しばらくした頃。

 一つの影が彼女へと近付き、触れようと手が伸びる。
 瞬間、パチリと瞼を持ち上げたミアは側に横たえていた剣を素早く構えた。
 自分と相手との間を剣で遮る。
 それは極めて反射的で、深く考えての行動ではなかった。

 何度か瞬きをして焦点を合わせれば、目の前には少年が、純黒の瞳を丸めてピタリと固まっていた。
 伸ばされた手はミアに届くことはなく宙ぶらりんになっている。

 瞳と同じく髪も黒く、サラサラと風に靡く様は少女のような麗しささえあった。白い肌が余計にそうさせているのかもしれない。

 見ているだけで溜め息を吐きたくなるような、ここまで良く出来た造形の人間には初めて出会ったと、ミアも同じく固まっていた。
 こんなところで人と出くわすとは、という驚きもあった。

 しかしそうしているうちに、じわじわと思考が追い付いてくる。
 つい反射的に剣を構えてしまったけれど──

「……あまりに静かで息をしているのか心配になったんだが、杞憂だったみたいだ」

「ご、ごごごごめんなさいっ! つい条件反射でっ!」

 相手がこちらに危害を加える様子ではないということは見て取れた。なにしろ小柄な少年である。
 慌てて剣を納めてぺこぺこと平謝りをする。
 見ず知らずの方相手になんてことを、ミアは自分の未熟さを呪いたくなった。
 方や少年は「条件反射……」と呆気にとられたように呟いている。

「本当に申し訳ございませんっ!」

「……いや、こっちにも非はある。それに驚きはしたが、君の身のこなしは賞賛に値する」

 少年は立ち上がり、感心したように言った。
 少年らしくまだ声は高く幼いが、物言いは姿に似合わず整然としている。
 随分と佇まいが良く、良家の育ちなのだろうと予想が付く。

 ミアも慌てて居住まいを正し、改めてその場で軽くカーテシーをした。
 淑女教育の甲斐あってであるが、動きやすいシャツとハーフパンツという格好のせいで女性らしい挨拶も台無しである。

 少年の視線が不思議そうに上から下まで巡る。

「ああ、不恰好な姿でお恥ずかしい…」

 流石のミアも、頭の先から足の先まで洗練されたような人間を前に、訓練で草臥れた姿を晒していることには恥ずかしさを覚え視線を逸らした。

 少年は落ち着いた雰囲気があり、表情は豊かな方ではない様子だが、それでも伝わってくるほどミアの存在そのものを心底不思議がっている様子だった。

「それは君の剣なのか?」

「え? ──ええ、去年の誕生祝いに強請ったもので、」

 当然危ないので持ち出し許可は出ていないのだが、父親のそんな言葉など忘れたかのように毎日振り回している。
 細く華奢なレイピアはミアにも扱いやすいものだが、当然見た目以上の重量があるため、手に馴染ませておきたいという思いもあった。
 それを無意識とはいえ、人に向けて突き付けようとしたなんて。

「ほ、本当の本当にごめんなさ「それはもう構わないと言った。そんなことより、君は女性なのに剣を握るのか?」

 少年の口ぶりにミアは一度ぽかんとしてから、直ぐにムッと唇を曲げた。
 落ち着いた雰囲気のある素敵な殿方かと思っていたが、興味のある話にだけ一直線というところは年相応というか。

 (わたしよりもおチビちゃんですし、ヒョロっこくて片手で倒せそうだわ)

 そう思うとミアも一気に気が抜け、

「ええ。悪いかしら」

 ツンとそっぽを向いて答えた。
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