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6.貴方にとってのわたし
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来訪はマリー様でもアイリーン様でもカミラ様でもなく、オリヴィア様でした。
「いつ来ても素敵なお庭ですわね」
細い水路から流れる水音と風が樹木を揺らす音だけが耳心地よく響く静謐なるガゼボに、凛とした声が通る。
わたしは茶菓子をワゴンからテーブルへと移し、淹れたての紅茶を二人の前へと並べた後、少し離れた場所で控える。
本当は早々に下がりたいのだけれど、『いろ』との命令が下っているので、二人の優雅なお茶会の邪魔にならないよう、出来る限り存在感を消すことに努めるしかない。
美男美女による茶会、なんて光景を前にしていると自然とわたしの存在なんて、葉の裏に潜む虫くらいのもになっていくので、そう難しくはない。
それでも令嬢方からの『邪魔だ』という圧は凄い。
特にオリヴィア様はわたしのような出所のわからない人間がアロイス様の側にいることをよく思っていないようで、剥き出しの視線が恐ろしいったらない。
もっと出来た使用人の方を置けばいいのに、わたしが嫌がっていることを察しているからだろう、来客時のこの仕事はアロイス様直々の命によって、いつもわたしだ。
こういう細かい嫌がらせ地味に効くんだよなぁ、と心の中だけで嘆息する。
「美しい──ですが少し、地味なようにも感じます。アロイス様がお住まいになる場所には、もっと華々しいものの方がお似合いだと私は思いますわ」
例えばあそこの小さな花より大輪の薔薇の方が、貴方の高潔さに相応しい。
そうオリヴィア様はすいと細めた視線を近くのアリッサムへと向けて言う。
たしかに今季の花は庭師の方から許可をもらって、わたしが選ばせてもらったもので、全体の印象はやや控え目だ。
ただアロイス様は庭園で落ち着かれることも多いので、少しでも安らぎを届けられるようにと思いながら植えたもので、何よりわたしは、彼には絢爛豪華な花も勿論だけれど、静かに彩る花だって、可憐で似合うと思っている。
オリヴィア様の言葉にはギクリとしたが、『俺、こういう小さい花って可愛くて好きなんだ』と昔アロイス様は笑って言ったのだ。
だからきっと──
「たしかに、オリヴィア様を迎えるには些か不十分ですね」
わたしに向けられた言葉ではないけれど、鉛を飲まされたような気になった。
「とんでもないですわ! ただわたしは、敬愛するアロイス様に最も似合うものを、選び続けて欲しいだけなのです」
ほんの一瞬だけオリヴィア様の視線がこちらに向けられ、息が詰まる。
「ありがとうございます。そうですね、私も華やかなものの方が気持ちが明るくなって好きなので、貴女の仰る通りにさせましょう」
「ええ、ええ! やっぱり、私たちとても好みが合いますわね」
彼女の弾んだ声が、どこか遠く聞こえるように思えた。
体の内側が冷えていく。
それと同時に、どこか恥ずかしささえ覚えた。
わたしだけが、過去の些細な言葉を、まるで縋るようにずっと覚えているなんて、馬鹿みたいだ。
胸の奥がキリキリと痛む。
ああ、もう、嫌だな。早くお開きにならないだろうか。
「……ねぇ、アロイス様。私、二人だけでお話しがしたいわ」
「今がまさに、二人きりではないですか?」
「いいえ、だって……」
オリヴィア様の視線がはっきりと刺さり、体が飛び上がりそうになった。
わたしは、どうしたらいいのだろう。空気を読んで姿を消すべきなのか。
しかし言いつけに順ずる体は、新たな言いつけがなければ動き出そうとしない。
ぎちり、と軋むようにしてアロイス様を見る。
わたしは主人である彼の言葉を訊かなければ、
「ああ、アレは気にしないでください」
アロイス様はちらりとこちらを一瞥しただけで、その後心の底からどうでも良さそうに言った。
「いてもいなくても、関係ないので」
いつも通りの柔らかな声だけれど、わたしにとっては鈍器で殴られたような衝撃だった。
生まれてこの方、誰にも必要とされたことがなかったから、あの時アロイス様が差し伸べてくれた手が、泣きたくなるくらいに嬉しかった。
ここにいてもいいと、初めて許されたような気がして。
だけど彼にとってわたしは、きっとあの頃から、どこまでも取るに足らないものでしかないのだ。
『ずっと一緒にいようね』
この庭園で、二人きりでこっそりと小さな指を絡ませた約束は、子どもらしいままごと。
それをいつまで経っても鵜呑みにしているわたしは馬鹿だ。
割り切らないと。
これは仕事で、生きるために必要なこと。
急速に心が冷えていく。
わたしに無駄な感情があったから、その下心を察して、アロイス様も煩わしく感じたのかもしれない。
──いらないものは、ちゃんと捨てなきゃ。
そうして見えない壁一枚隔てた先にいるような二人の仲睦まじい姿から、そっと目を逸らした。
「いつ来ても素敵なお庭ですわね」
細い水路から流れる水音と風が樹木を揺らす音だけが耳心地よく響く静謐なるガゼボに、凛とした声が通る。
わたしは茶菓子をワゴンからテーブルへと移し、淹れたての紅茶を二人の前へと並べた後、少し離れた場所で控える。
本当は早々に下がりたいのだけれど、『いろ』との命令が下っているので、二人の優雅なお茶会の邪魔にならないよう、出来る限り存在感を消すことに努めるしかない。
美男美女による茶会、なんて光景を前にしていると自然とわたしの存在なんて、葉の裏に潜む虫くらいのもになっていくので、そう難しくはない。
それでも令嬢方からの『邪魔だ』という圧は凄い。
特にオリヴィア様はわたしのような出所のわからない人間がアロイス様の側にいることをよく思っていないようで、剥き出しの視線が恐ろしいったらない。
もっと出来た使用人の方を置けばいいのに、わたしが嫌がっていることを察しているからだろう、来客時のこの仕事はアロイス様直々の命によって、いつもわたしだ。
こういう細かい嫌がらせ地味に効くんだよなぁ、と心の中だけで嘆息する。
「美しい──ですが少し、地味なようにも感じます。アロイス様がお住まいになる場所には、もっと華々しいものの方がお似合いだと私は思いますわ」
例えばあそこの小さな花より大輪の薔薇の方が、貴方の高潔さに相応しい。
そうオリヴィア様はすいと細めた視線を近くのアリッサムへと向けて言う。
たしかに今季の花は庭師の方から許可をもらって、わたしが選ばせてもらったもので、全体の印象はやや控え目だ。
ただアロイス様は庭園で落ち着かれることも多いので、少しでも安らぎを届けられるようにと思いながら植えたもので、何よりわたしは、彼には絢爛豪華な花も勿論だけれど、静かに彩る花だって、可憐で似合うと思っている。
オリヴィア様の言葉にはギクリとしたが、『俺、こういう小さい花って可愛くて好きなんだ』と昔アロイス様は笑って言ったのだ。
だからきっと──
「たしかに、オリヴィア様を迎えるには些か不十分ですね」
わたしに向けられた言葉ではないけれど、鉛を飲まされたような気になった。
「とんでもないですわ! ただわたしは、敬愛するアロイス様に最も似合うものを、選び続けて欲しいだけなのです」
ほんの一瞬だけオリヴィア様の視線がこちらに向けられ、息が詰まる。
「ありがとうございます。そうですね、私も華やかなものの方が気持ちが明るくなって好きなので、貴女の仰る通りにさせましょう」
「ええ、ええ! やっぱり、私たちとても好みが合いますわね」
彼女の弾んだ声が、どこか遠く聞こえるように思えた。
体の内側が冷えていく。
それと同時に、どこか恥ずかしささえ覚えた。
わたしだけが、過去の些細な言葉を、まるで縋るようにずっと覚えているなんて、馬鹿みたいだ。
胸の奥がキリキリと痛む。
ああ、もう、嫌だな。早くお開きにならないだろうか。
「……ねぇ、アロイス様。私、二人だけでお話しがしたいわ」
「今がまさに、二人きりではないですか?」
「いいえ、だって……」
オリヴィア様の視線がはっきりと刺さり、体が飛び上がりそうになった。
わたしは、どうしたらいいのだろう。空気を読んで姿を消すべきなのか。
しかし言いつけに順ずる体は、新たな言いつけがなければ動き出そうとしない。
ぎちり、と軋むようにしてアロイス様を見る。
わたしは主人である彼の言葉を訊かなければ、
「ああ、アレは気にしないでください」
アロイス様はちらりとこちらを一瞥しただけで、その後心の底からどうでも良さそうに言った。
「いてもいなくても、関係ないので」
いつも通りの柔らかな声だけれど、わたしにとっては鈍器で殴られたような衝撃だった。
生まれてこの方、誰にも必要とされたことがなかったから、あの時アロイス様が差し伸べてくれた手が、泣きたくなるくらいに嬉しかった。
ここにいてもいいと、初めて許されたような気がして。
だけど彼にとってわたしは、きっとあの頃から、どこまでも取るに足らないものでしかないのだ。
『ずっと一緒にいようね』
この庭園で、二人きりでこっそりと小さな指を絡ませた約束は、子どもらしいままごと。
それをいつまで経っても鵜呑みにしているわたしは馬鹿だ。
割り切らないと。
これは仕事で、生きるために必要なこと。
急速に心が冷えていく。
わたしに無駄な感情があったから、その下心を察して、アロイス様も煩わしく感じたのかもしれない。
──いらないものは、ちゃんと捨てなきゃ。
そうして見えない壁一枚隔てた先にいるような二人の仲睦まじい姿から、そっと目を逸らした。
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