愛してほしかった

こな

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25.役者不足

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「───ネ、…レネ」

「ん……」

 ヨシュア様?
 呼び声に反応して出た声は、舌足らずな上に掠れていた。

 ぼやける視界の先で彼がこちらを見つめている。
 数回瞬きをすれば、少しずつ景色がクリアになった。

「どうしてこんなところで眠っているんだ」

 彼の手が私の指先をそっと握って、「こんなに冷えて」そう小さく呟き、労わるように指の腹で撫でられる。

 そうだ、私は書斎で彼の帰りを待っていたのだ。
 彼はどんなに遅くなっても一度は書斎へ立ち寄ると聞いたから、ここにいればきっと話ができると思って、しかし待っているうちに眠ってしまったらしい。

 時計を見ると夜中の二時を回っていた。
 冬の訪れにはまだ早いけれど、この時間はもう十分肌寒く、ソファで寝入った体は冷え切っていた。

「寝るならちゃんとベッドで寝ろ」

 柔く手を引かれ立ち上がるように促される。
 その手をぎゅっと握り返し引き留めるように力を込めると、彼はほんの少し目を見開いた。

「レ、「教会での勤めを再開させてください」

 前置きなど並べる必要はないと思ったから、彼が何かを紡ぐ前に単刀直入に告げた。

 冷たさよりも、与えられるぬくもりの方を恐ろしく感じるなんて思いもしなかった。
 これに慣れてしまえば、また苦しい思いをするに決まっている。そうなる前に──

 すると彼は数拍おいてから小さく息を吐いた。

「そんな話をするために待っていたのか?」

 すっと細められた瞳がこちらを射抜くように見る。

「貴方にとっては取るに足らないような話でも、私にとっては大切な事なのです。ヨシュア様が仰ったのですよ、聖女には相応の勤めがあると。だから私も──「この話はまたにしよう」

 パッと手を離し、彼は私に背を向けた。
 立ち上がり、その背を追うように声を上げる。

「もう周囲に誤解を招くようなことは致しません…! 貴女の傍に身を置く者として相応しい振る舞いを「くどい」

 遮るように言い放たれ、肩がびくりと跳ねた。

「今、宮廷教会にはクリスティナがいる。君が出向けば厄介事が起きかねない」

 多分それは、今一番聞きたくなかったことで。
 ──もう手遅れなのかもしれない、だって、どうして、前よりもずっとずっと、痛い。

「…結局、そういうことなんですね、」

 彼には届かないほどか細い呟きが零れた。

 代用品など公の場に晒せない。本当に愛する人の心を乱したくもないから、こうして閉じ込めて、誰の目にも触れないようにしているのだ。

 離縁の後、クリスティナ様は聖女として宮廷教会に身を置いたのだろう。なら、もしかしたら二人は未だに逢瀬を続けているのかもしれない。
 離宮に引き籠っている私には、知る由もない事。

 手を伸ばし、彼の袖元を引いた。
 煩わしそうに振り返った彼の名を呼ぶ自分の声が遠く聞こえた。

「抱いてください」

 私が一方的に離縁を望んだとしてもどうせ叶わない。
 だったらさっさと役目を全うすればいい。

「どんなに嫌でも、できますよね? 務めなのですから」

「……君との関係はそういった理由で進めるつもりはない」

 眉を顰めて言う彼に、ああ…と、落胆に近い感覚を覚える。
 綺麗な言葉に包んで、結局彼は私なんて抱けないのだ。
 それとも、私を隠れ蓑にしている間にクリスティナ様との子を望めればと思っているのだろうか。
 どちらにしたって、私という存在の滑稽なこと。

 思えば最初からそうだ。中途半端な魔力を抱えて、いつまで経っても慣れない貴族社会で、恋心なんて不確かなものを頼りに過ごして。

 落として、踏まれて、すっかり汚くなったそれを性懲りもなく拾い上げようとしたばっかりに、また痛い目を見る羽目になって。

 本当に、馬鹿で、愚かで、救えない。

「、は……ぅ………はぁ…っ…」

 息が苦しい。もうずっと、まるで溺れているようなのだ。
 冷たく荒んだ冬の海に捕らわれたあの日からずっと。

「レネ、」

 縋るように握っていた彼の袖元から手を放し、整わない呼吸を鎮めるために口元に当てる。ヒュウと鳴る自身の呼吸音が、騒がしく耳に付く。

 背に回ろうとした彼の手を遠ざけ、部屋から出るために扉へと向かった。
 覚束ない足取りを見下ろす視界が、情けなさから滲んだ涙で歪んでいた。
 彼が私の名を呼びながらしつこく手を伸ばすから、今度は力いっぱい振り払った。乾いた音が嫌に響いた。

「問題、ありませんので、」

 別に、珍しいことじゃない。
 私みたいな弱い人間が身の丈に合わない環境で過ごしていれば、こうして体に出ることだってある。

 両親が私を見限ったのも頷ける。初めは厳しく指導を受けた事もあったけれど、反比例するように私はもっと駄目になってしまった。

 だからだろう、まるで私とは対極に位置するような彼に、羨望のような感情さえ抱いていたのは。

 今はこんな姿を彼の前に晒していることが、何よりも辛い。

「貴方がいないところにいきたい」

 そういって扉を潜れば、彼が追ってくるとこはなかった。




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