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11.暴挙
しおりを挟むあの日から私は、人目を避けつつ離宮を出てセレナとお茶をしたり、好きなだけ読書に耽ったり、以前よりも少し軽くなった体で気ままに過ごしている。
ウィルとは彼の仕事の邪魔になりすぎないようにしつつ談笑を楽しんで、最近は水やりを手伝わせてもらえるようになった。
ウィルが頑なに霧吹きしか持たせてくれないことは少し不満だけれど、職人の仕事であるから文句は言えない。
それに先日は誤って植物の棘で指を切って彼の顔を真っ青にしてしまい、霧吹きまで取り上げられそうになった。
ほんの小さな傷なのに、私の手を握ってどうしようと慌てる彼は少し面白くて、魔法で治して見せたら、次は取り乱したのが恥ずかしくなったのか真っ赤になって離れて行った。
基本的にあっけらかんとしている彼の珍しい姿が見れて何だか微笑ましかったなぁ、なんて思い出しながら、今日も中庭へと足を向けた。
いつの間にか、どちらから約束したわけでもないけれど、私たちはほぼ毎日中庭で待ち合わせるようになっていた。
だから今日も、いつもと同じように何の気無しに軽い足取りで出向いたのだ。
そして、中庭に足を踏み入れた際の口癖のように彼の名を口にしようとした──
──けれどすんでのところで口を噤み、代わりに酷く瞠目した。
離宮に居るはずのない人の姿に、目を疑う。
「目当ての人物ではなくて悪かったな」
いつもの凪いだ声とは違い、身震いしそうな冷たい声音だった。
ガゼボの柱に背を預けていた彼──ヨシュア様が、かつりと石畳を鳴らし歩み寄ってくる。
逃げるように後ずさっても、彼の脚が距離を詰める方がよっぽど早くて、あっという間に目の前に辿り着いた彼に、触れるか触れないかのところで頬そっと撫でられ背筋に悪寒が走った。
「どうしてそんなに怯えている」
そんなの貴方の放つ凍てついた空気が恐ろしいからに決まっている。なのに、ヨシュア様は「疚しい事があるんだな」と小さく吐き捨てるように言った。
彼はどこまでも冷たい無表情で、私を見下ろしている。
「君が今日ここで会うつもりだった庭師だが、離宮の担当からは外れてもらった」
「ぇ……、そ、それは…どうして………」
問いかけても、ヨシュア様はじっと私を見下ろすだけで答えてはくれず、不安に駆られた心臓が嫌に騒ぎ立てる。
彼は大丈夫なのかと問いを続ければ、ヨシュア様は冷たい銀灰色の瞳を細めて口を開いた。
「見たところ彼は良い腕と感性を持っているようだから、後任を悩んでいたゼイノッド卿の背を押しておいた。これから彼には師と代わり王城の方に就いてもらう。──名誉あることだ。親しい間柄であれば君も喜ばしいだろう」
悪い理由でなかったことに小さく息を吐く。
そういうことならば、確かに私にとっても嬉しいことだ。
だけどこれまでのように頻繁に会うことはできなくなるだろうと思うと、少し寂しさを感じてしまい、自然と肩が落ちる。
「やはり素直に喜べないか。逢引きの言い訳が立たなくなるからな」
「……え?」
思い掛けない言葉に思わず目を見開いた。
「あ、逢引きなどと、誤解で「良かれと思って自由にさせていたらこれなのだから、君もなかなかやる」
彼が呆れたように言い放つので、頭がカッと熱くなった。
自由にさせていた? 保険の側室などどうでもいいくせに。
初めて彼の方から会いに来たと思えば、自分の知らぬところで気に食わないことがあったから文句を言いに来ただけだなんて。
「……彼は友人です。根拠もない関係を決めつけないでください」
「使用人から君たちの日々の逢瀬については聞き及んでいる。毎日飽きもせず男の元へ通っておきながら、根拠がないなどとよく言えたものだな」
「ただの友人とのやりとりを、どうしてそうも咎められなくてはならないのですか。私の交友関係など片手で足りるほど、それを大切に、楽しみにすることは、駄目なことなのですか…?」
「仮に誤解だとしても、君も彼も、自身の立場にそぐわない行動を取っていたことに変わりはない。それに君は先ほどから友人だと主張しているが、果たして彼の方はどうだろうな。男など腹の中では何を考えているかわからないものだ」
「私の友人を侮辱しないでくださいっ…!」
ウィルを軽んじるような言葉に思わず声を荒げれば、彼は眉を顰めて苛立たし気な表情を浮かべた。
こんな風に感情を露わにする彼を見るのは初めて、私の足は自然と後退した。しかし追うように腕を掴まれる。
力が強く、骨が軋むようだ。
痛みを訴えても力が弱まることはなく、底知れぬ瞳が射貫くように私を見つめる。
「君は俺の妻であることの自覚が無いのか」
一瞬、時が止まった心地がした。
妻として扱ったことなど一度もないくせに、縛る時だけはその言葉を使うのか。
彼の怒りの理由はよく理解できた。
仮にも王太子の側室である女が、妙な噂を立てるような行いはするなと、そういう話だ。
確かに彼の言う通り、立場を考えず軽率だったと省みる部分はある。
私は彼の側室、その事実は痛いほど理解している。
しかしだからといって、妻としての自覚なんて──
「そんなもの、あるわけないじゃないですか」
そう乾いた言葉を口にした───瞬間、凍てつくような空気が肌を刺し、まるで刃を振り下ろされたかのような音が響いた。
反射的に瞳を閉じる。
しばしの静寂の後、恐る恐る音の向かった先に目を向ければ、咲き並んでいた花々や芝が抉られ、土や砂利が飛び散っていた。
唖然とする私を放って庭へと視線を移したヨシュア様が、かざした手を軽く捻るだけで、巻き起こった風が庭を荒らしていく。
「……いや……いや、やめてください、」
無残に散る植物たちが、まるで私の居場所そのもののように思えた。思い出や希望も共に、彼の手によって、ほんの片手間に散らされてしまう。
「殿下、やめてください、お願いします…!」
「………」
「申し訳、ありませんでした…軽率な行動を取ったこと、反省いたします、…っ……だから、お願いします、殿下──…ヨシュア様、お願い、お願いですから、もう、やめてください………」
背に縋って必死に訴えれば、彼は動きを止めた。
──ごめんなさい、ごめんなさい。
涙も嗚咽も止まらないままに、ただ謝罪の言葉を吐き続けることしかできない。
きっと酷い顔をしている、それなのに振り返ったヨシュア様に顎を掴まれ顔を上げさせれられた。
ひ、と恐怖から悲鳴に近い息が漏れる。
「今後一切、離宮から出ることを禁ずる」
「ぁ……」
「君の家への援助を止めるのも、あの庭師の青年を刑罰に処すのも、俺の言葉一つで叶うのだと頭に入れたうえで、返事をしろ」
唇が震える。
ヨシュア様はいつもこうして私に答えを求める。
選択を迫るように、でもその実、選択肢なんて無いのだ。今も、これまでもそうだった。
「もう離宮から出ないと約束してくれるか」
はい。
「他の男に気を持たせるような言動は控えろ」
はい。
ただ頷く。あの日と同じように。
流れ落ちる涙がヨシュア様の指に拭われる。
頬を撫でる手のひらが優しいことが、心の底から恐ろしかった。
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