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ラ・オステラクの香り
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◇
疲れていた上に決裁が山のように溜まっていたというのに、ブルボナ伯爵はその日の夜に別邸に姿を現した。サブリナはラファの部屋の前をセバスチャンに預けて、伯爵を出迎えると書斎へと二人で入って行った。双方とも若干顔色が宜しくない。
「アレク様、此度の失態は私の責任で御座います。それとイゼラ、ルチルへの勝手な仕置きも含め、いかような処罰もお受けいたします」
深く腰を折り、真っ先にそれを告げた。解雇した者達は罰を与えたことになる、それはそれとして誰かが責任を取る必要があった。被害を受けた者が存在するのだから。
「ブルボナ家で起こる全ての責任は私に帰する、それを忘れて貰っては困るよ。別邸でのラファ嬢付侍女として権限を預けたのだから、判断を追認する。終わったことよりもこれからについて考えを聞きたい」
伯爵の意思の代理人。権限を委譲された者は伯爵がどう考えるかを想像して、判断を下す必要がある。一度目ははっきりと命じなかった主の責任、二度目は意思に背いた配下の責任だ。良かれと思い行動して三度目を招けば、それは能力の不足ということになる。
「僭越ながら申し上げます。アレク様とラファ様の親睦を深め、すれ違いを解消するのが最大の効果を発揮するでしょう」
「ふむ。会話が足りていないのは自覚している、時間が取れないと漏らすのは無能者の証拠だ。執務があり行き来が手間というならば、本館にラファ嬢の居場所を移して貰うのが良いだろうな」
少し話をするためだけに準備と往復で一時間二時間掛かってしまっては大変で、機会を失ってしまう。別邸に住んでいるのはブルボナ伯爵の指示であり、幾らでも変えることが出来る。
「宜しいのではないでしょうか。でしたらその考えを、ご自身の口からラファ様へとお伝えして頂ければと存じます」
「そうだな、誰かを介するよりも自分で伝えるべきだろう。夕食の時間は過ぎている、茶にでも誘うとしよう。サブリナ、令嬢に良ければ一緒に話がしたいと伝えてくれ。私はここで待っている」
「畏まりました。それでは行ってまいります」
書斎を出るとメイドを呼び、茶の準備をしておくようにと言いつける。ラファの部屋の前に来るとセバスチャンに「明日お嬢様が本館へお移りになりますので、その準備を行ってください」これから決まる事柄を、決定事項として伝えた。彼は彼で何一つ質問することも無く、引き受けると階下へと去っていった。
「サブリナです。こちらに伯爵さまがお出でです。お嬢様とお茶をと申し出ておりますが、いかがいたしましょうか」
部屋に入ると椅子に座り窓から外を眺めていたラファにそう問いかける。決して強要するつもりはない、体調が悪いとかで断りたいならば意志を尊重するつもりで。
「喜んでご一緒しますとお伝えしてください。あの、この格好はおかしくないでしょうか?」
にこやかに是と返答してから、自分の姿を気にする。何故ならば殆ど着たこともないドレスだからと、姿を指摘してくれる侍女が不在だから。サブリナが近づきぐるりと回って確かめ「お綺麗です、心配御座いません」笑顔を浮かべる。
「では行きましょ……あ」
「どうかなさいましたか?」
立ち上がり直ぐに動こうとして視線を伏せて止まってしまった。何か不都合でも思い出したのかと、静かに問う。すると少しだけ逡巡してから「イゼラに、淑女は準備に時間がかかるのだから、直ぐに動くだなんてはしたないと言われて」心に残っていた言葉を吐き出す。
ピクリと眉を僅かに動かし、サブリナはまた後悔の念を感じた。気づいていればこんな不快な思いをさせずにすんだのに、と。そしてブルボナ伯爵の言葉も思い出す、これからについてが大切だと。
「伯爵さまが首を長くして待っておられますので、少しでも早ければお喜びになられるでしょう。お嬢様は思った通りに行動されれば宜しいです」
「そうですか、ならばそうしましょう」
「はい。こちらです」
二階にある書斎、サブリナに連れられて二人で部屋に入る。そこにはブルボナ伯爵が待っていて、立ち上がりラファを出迎える。優雅な仕草に柔和な笑顔、幼き日より培われてきた立ち振る舞いが自然と現れる。
「ラファ嬢、ご機嫌麗しく」
「ブルボナ伯爵さま、お招きいただきありがとうございます」
口角をあげて微笑すると軽く膝を曲げてスカートの両端を摘む。本来は王に謁見する際に行われていた挨拶の仕方だったが、今では令嬢が行う一般的な礼儀作法になっていた。着席を勧めると二人が向かい合って座る。キャスター付きの給仕台をメイドから受け取ったサブリナが紅茶を注ぐ。
「素晴らしい香りですわね」
「マリアージュルレーフのラ・オステラクで御座います。お嬢様のお口に合えば良いですが」
王国産の老舗、それも他国への輸出用にラ・オステラク港向けに選りすぐった茶葉を、ブルボナ伯爵独自の流通網から抜き取った最高級品。信じられないかも知れないが、片手に乗るだけの茶葉で平民家族が三カ月は暮らせる位の値が付いている。
「まあ! 芳醇でフルーティーな香りが一杯に広がるわ。これが口に合わないはずがないですわね」
右手で口元を押さえて驚くラファ、このようなものを口にしたのは初めてだ。サブリナは畏まって軽くお辞儀をしただけで控えている。
「喜んでくれて私も嬉しいよ」そう言ってから表情を引き締めると「重ね重ねの不適切な事態を招いたことを、アレクサンダー・ブルボナが謝罪させて頂きます」
疲れていた上に決裁が山のように溜まっていたというのに、ブルボナ伯爵はその日の夜に別邸に姿を現した。サブリナはラファの部屋の前をセバスチャンに預けて、伯爵を出迎えると書斎へと二人で入って行った。双方とも若干顔色が宜しくない。
「アレク様、此度の失態は私の責任で御座います。それとイゼラ、ルチルへの勝手な仕置きも含め、いかような処罰もお受けいたします」
深く腰を折り、真っ先にそれを告げた。解雇した者達は罰を与えたことになる、それはそれとして誰かが責任を取る必要があった。被害を受けた者が存在するのだから。
「ブルボナ家で起こる全ての責任は私に帰する、それを忘れて貰っては困るよ。別邸でのラファ嬢付侍女として権限を預けたのだから、判断を追認する。終わったことよりもこれからについて考えを聞きたい」
伯爵の意思の代理人。権限を委譲された者は伯爵がどう考えるかを想像して、判断を下す必要がある。一度目ははっきりと命じなかった主の責任、二度目は意思に背いた配下の責任だ。良かれと思い行動して三度目を招けば、それは能力の不足ということになる。
「僭越ながら申し上げます。アレク様とラファ様の親睦を深め、すれ違いを解消するのが最大の効果を発揮するでしょう」
「ふむ。会話が足りていないのは自覚している、時間が取れないと漏らすのは無能者の証拠だ。執務があり行き来が手間というならば、本館にラファ嬢の居場所を移して貰うのが良いだろうな」
少し話をするためだけに準備と往復で一時間二時間掛かってしまっては大変で、機会を失ってしまう。別邸に住んでいるのはブルボナ伯爵の指示であり、幾らでも変えることが出来る。
「宜しいのではないでしょうか。でしたらその考えを、ご自身の口からラファ様へとお伝えして頂ければと存じます」
「そうだな、誰かを介するよりも自分で伝えるべきだろう。夕食の時間は過ぎている、茶にでも誘うとしよう。サブリナ、令嬢に良ければ一緒に話がしたいと伝えてくれ。私はここで待っている」
「畏まりました。それでは行ってまいります」
書斎を出るとメイドを呼び、茶の準備をしておくようにと言いつける。ラファの部屋の前に来るとセバスチャンに「明日お嬢様が本館へお移りになりますので、その準備を行ってください」これから決まる事柄を、決定事項として伝えた。彼は彼で何一つ質問することも無く、引き受けると階下へと去っていった。
「サブリナです。こちらに伯爵さまがお出でです。お嬢様とお茶をと申し出ておりますが、いかがいたしましょうか」
部屋に入ると椅子に座り窓から外を眺めていたラファにそう問いかける。決して強要するつもりはない、体調が悪いとかで断りたいならば意志を尊重するつもりで。
「喜んでご一緒しますとお伝えしてください。あの、この格好はおかしくないでしょうか?」
にこやかに是と返答してから、自分の姿を気にする。何故ならば殆ど着たこともないドレスだからと、姿を指摘してくれる侍女が不在だから。サブリナが近づきぐるりと回って確かめ「お綺麗です、心配御座いません」笑顔を浮かべる。
「では行きましょ……あ」
「どうかなさいましたか?」
立ち上がり直ぐに動こうとして視線を伏せて止まってしまった。何か不都合でも思い出したのかと、静かに問う。すると少しだけ逡巡してから「イゼラに、淑女は準備に時間がかかるのだから、直ぐに動くだなんてはしたないと言われて」心に残っていた言葉を吐き出す。
ピクリと眉を僅かに動かし、サブリナはまた後悔の念を感じた。気づいていればこんな不快な思いをさせずにすんだのに、と。そしてブルボナ伯爵の言葉も思い出す、これからについてが大切だと。
「伯爵さまが首を長くして待っておられますので、少しでも早ければお喜びになられるでしょう。お嬢様は思った通りに行動されれば宜しいです」
「そうですか、ならばそうしましょう」
「はい。こちらです」
二階にある書斎、サブリナに連れられて二人で部屋に入る。そこにはブルボナ伯爵が待っていて、立ち上がりラファを出迎える。優雅な仕草に柔和な笑顔、幼き日より培われてきた立ち振る舞いが自然と現れる。
「ラファ嬢、ご機嫌麗しく」
「ブルボナ伯爵さま、お招きいただきありがとうございます」
口角をあげて微笑すると軽く膝を曲げてスカートの両端を摘む。本来は王に謁見する際に行われていた挨拶の仕方だったが、今では令嬢が行う一般的な礼儀作法になっていた。着席を勧めると二人が向かい合って座る。キャスター付きの給仕台をメイドから受け取ったサブリナが紅茶を注ぐ。
「素晴らしい香りですわね」
「マリアージュルレーフのラ・オステラクで御座います。お嬢様のお口に合えば良いですが」
王国産の老舗、それも他国への輸出用にラ・オステラク港向けに選りすぐった茶葉を、ブルボナ伯爵独自の流通網から抜き取った最高級品。信じられないかも知れないが、片手に乗るだけの茶葉で平民家族が三カ月は暮らせる位の値が付いている。
「まあ! 芳醇でフルーティーな香りが一杯に広がるわ。これが口に合わないはずがないですわね」
右手で口元を押さえて驚くラファ、このようなものを口にしたのは初めてだ。サブリナは畏まって軽くお辞儀をしただけで控えている。
「喜んでくれて私も嬉しいよ」そう言ってから表情を引き締めると「重ね重ねの不適切な事態を招いたことを、アレクサンダー・ブルボナが謝罪させて頂きます」
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