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遠望侯爵という人

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「神殿は南地区にある。まだ入城したばかりだというのに急ぎか?」

 全く関心が無いような表情でそんなこと言われても。きたばかりでも居づらいのよここは。

「私は神殿に在るべきなので」

 あの静かさは他にないわ、誰も来ないし最高なのよね。数日だれとも会わずに済んだ上に、文句も言われない聖域よ。おじさんは目を細めて「案内をつけてやる」右手を少しだけあげて手のひらをちょちょいと振ると、遠くから若い男の人が走って来る。

「お待たせいたしました!」

「こいつを神殿へ送れ。余計なことは喋るな、以上だ」

「ははっ!」

 若い人がこちらに目配せをしてついてくるようにって前を歩く。喋らせないのはもしかして私への配慮? まさかね、会って直ぐにそこまでお見通しとかだったら恐ろしいわよ。なんて思っていたら。

「明日案件を持っていく、拒否は許さんぞオプファーの元聖女」

 不穏な一言だけ残しておじさんが行ってしまう。なによこっちのこと全部知ってるんじゃない、ってか聖女って。正直ドン引きよ、めんどくさ。あー! だからか、余計なことを喋るなって、相当手ごわいわねあの人。

 随分と歩いて神殿前にやって来たわ、そこから先は司祭に先導されて自由にしていいって言われた。完全に根回し済みじゃない、なるようになるわ。誰も居ない静かな神殿、そこには何故か寝泊まり出来る一式と、食糧なんかが片隅に置いてある。しかも、しかもよ、私の好物がそれとなくあれこれ混ざってる!

「んもう、あのおじさん、私をどうしたいのかしら」

 生かすも殺すも自由に出来るって警告の類よね、貧乏で荒れ果てたこの国で光る才能とかってやつ? 明日来るって言ってたわよね、それまできっと誰一人ここに近づきもしないわよね。もし誰か来たら文句言ってやろっと。静寂に包まれた神殿で神への祈りを捧げる、どこにいてもやることは変わらないわ。

「人々の心に静寂を与え、この地に平穏をもたらしたまえ」

 あらゆる災厄から生けるものを護り、幸福を分かち合えるようになれと願う。全ての雑念を払い、ただ純粋にそれだけを。トランス状態、無防備極まりないこの時に、かすかな物音でもあれば現実に引き戻されてしまう。けれども祈りは長く長く続けられた。

 部屋の中央で力尽きるまで長い祈りを捧げられたのは久しぶり、気づいた時には時間すら忘れていたほどに。片隅にある水場で顔を洗って一口だけ水を飲む。水滴が落ちる音だけが響いたわ。

「最高の環境ね、これなら遠くへまで加護が届きそう」

 そういえばと思い出してお菓子を手にする。甘いもので芯に食感が良い焼生地が入ってるもの、一口食べると止まらず二度三度と。食べ過ぎは良くないのでそれだけにして、部屋の中央に戻る。さあどうしましょう、次は精霊でも……って思ったところで足音が聞こえて来たわ。

 こんなタイミングまで絶妙なんて本当に恐ろしいわね。一カ所しかない出入り口をじっと見ていると、あの人が入って来た。私が気づいていることに気づいていた顔で。

「いらっしゃい。歓迎はしないけど、拒否もしないわ」

「ああ、それで構わん」

 お互い素っ気無いけれども、まあそれはそれで構わないわよね。服につけてるその家紋て確かマケンガ家の、多分この人が当主ね。誰かの下であんな態度ってのも想像できないでしょ?

「それでどういう御用かしらマケンガ侯爵様」

 私だって馬鹿じゃないわ、ちょっと面倒くさがりだけど。そういえば爵位に様ってつけるんだったっけ、どうでもいいや。

「まずはこれを見ろ」

 手にしていた巻物を神殿の床に広げる、何枚も。それはいいけど私が侯爵って言い当てたことに対する反応が何もないのね、このつまらなさはまるで自分を見ているよう。ピクリとしたり、良く気づいたなくらい言えばいいでしょ。

 両手両膝をついて拡げられた巻物を覗く、すぐに何かわかったけれどこれはゲベート王国の詳細地図ね。ちなみにゲベートはこっちの地方の言葉でお祈りって意味ね。オプファーは犠牲とか贄みたいなニュアンスよ。かつては宗教国家の大きな帝国があって、地域ごとの司教区にそういう名前が付けられていたのが独立していったってことみたい。

「地図の赤いバツマークで何かが起きてるわけね」

 広範囲につけられていて、左より、つまりは西方に数が多いように見える。均等に広がっているとも言えるけれど、数えるにはそこそこ時間がかかる位に沢山マークがあるわね。

「魔物の被害の報告事例だ」

「こんなに! 凄いわね、余程住みやすい環境なのね」

 魔物が活動をするのは聖なる力が弱いところ、共に集まることで魔の力が強くなり一般の動物なども凶暴になる影響があるわ。動物には人間だって含まれる、性格が徐々に荒くなっていくとか。

「ここ一年間での主要な報告だ、俺にまで届かんものも多いはずだ」

「たったの一年間でこれ?」

 随分と深刻じゃないの! 毎日びくびくして暮らしていたら、閉鎖的にもなるし生産性も悪くなる。単純に国が荒れたら弱体化していくわ。王女はそれで私を指名して同道させた? なら侯爵との間で話が通っていると考えた方が自然ね。

 確か王女は王子に強く言っておくとかも、そうなるとこの三人で今後を占っているってことか。やる気に満ち溢れた偉い人達に目をかけて貰っているのは好いけれど、その先にあるのは面倒ごと以外見えないのよ。

「魔物の力を全体的に弱くするために、ここで退魔の祈りを捧げるのがお前の役目だ。わかっているだろうが、こうなっているのは必然だ」

「はぁ」

 いつものように気のない返事をしてやりすごそうとする。神殿でそうしてる分には構わないけど、相手の思い通りに動くていうのがしゃくよねー。い・や・だ、とか言ったら侯爵はどういう反応するかしら。そうか、って最弱反応だと悔しいわね、なんか驚かせたいなあ。

「生活に必要な全てを俺が用意する。望みも叶えてやる」

 そういうの普通に嬉しいといえばそうだけど、枠に収まる自分が気に入らないわ。うーん、想定外の対応って何が良いか。無表情でじっと見つめて無言、相手のことを知らないから妙案が出てこないのよね。

 膝が痛くなってきたわね、体勢を変え……そうだ。私は地図の上を横切って、あぐらをかいて座っている侯爵の膝の上に座ってやったわ。どう、この唐突な流れは! 背を預けて後頭部を胸のあたりにね。

「む……」

 あはははは、む、だって。ま、これが役目だよって言うならするわよ、働くのは好きだから。それってこの静かな神殿にずっといれるってことと一緒の意味だから。ちょこんと膝に座っている私の背で、侯爵が困っているのがよーくわかるわ、ざまあ!

「ひ、姫と王子殿下との婚礼は近く国を挙げて執り行われる。それまでにある程度の治安を回復させ、国威高揚へと繋げるつもりだ」

 きっかけ作りをするわけね、呼び水ともいうかしら。それにしても、どもったりして動揺してる、ふーん弱点はこれなわけ。にやにやしてどうしてやろうかって次の手を考えちゃうわよ。

「そんなに早くに効果なんて出ないわよ。局地的にってなら別だけど」

 神の奇跡が状況を即座に激変させはしないわ、それって人をダメにするのと同義だから。出来ないことを実現させる意味では、やらないわけにはいかない部分と、やってはならない部分を抱えてたりもする。

「それは承知だ。各地から使者が派遣されて来る、それらが通る街道沿いと王都周辺だけで良い」

 四方の街道は国の大動脈で、普段から警備が居るでしょうね。王都周辺は一番治安が良いはず、つまり自力で何とかなると。全体的に魔物を弱らせるって言ってたものね。

「ふーん。ところで、これだけなら侯爵がわざわざ来ること無かったと思うけど」

 頭を後ろに反らせて真上を見るような体勢になる。侯爵の胸に頭頂部をつけて、真下から顎を見てる感じ。そうしておけって話を伝えるだけで充分な内容なのよね。

「相手をよりよく知るためには話をするのが最適だからな。今後もお前には国の為に働いてもらわねばならん」

 国でも人でも良いけど、働きはするわよ。自分で自分を支えられなくなったら、その時こそが一番大変な思いをすることになるんだから。手駒を効率的に動かす下準備の一環なわけか。

「またまた、そんなこといって、実は私に会いたかったんでしょ?」

 茶化しておこっと、この神殿は侯爵の影響を受けてるみたいだし。王女に黙って出てきてるけど、この分なら問題なさそうね。エスメラルダあたりは予定があるなら言えって迫ってきそうだから近づかないほうがいいわ。

 ところで、何で無言なのよ。え、もしかして本当に私に会いに来たとか? 身体を起こして後ろを振り返ったら、への字口になって目を閉じている人が居たわ。なに瞑想してるのよ。

「……置いてあったものは口に合ったか」

 必死に無関係の話題を振って来たわね、まあいいわ。心の鍛錬が足りていないようね。

「ええ、あのお菓子美味しかったわね、焼生地が入ってるの。今度買いに行くからどこのお店か教えて貰えるかしら」

 凄く良い出来栄えだったのよね、結構お高いんでしょ? 上流階級の間では普通に流行りそう。

「また持って来てやる」

「いいわよそのくらい自分で買いに行くから」

 どうせどこかで一度は街にも出ないといけないし、その時ついでに買いこみましょう! ここの神殿にツケで、侯爵に請求してって言えばどうとでも処理してくれるわよね。どうせ一々請求の細かい内容まで見てないだろうから。

「あれは売り物ではない」

 表情を殺してそんな風に言うのね、売り物じゃないのを手に入れるのがステータスってのもあるわよ。そんな意味は含まれてるような気はしなかったけど。

「え、そうなの? 特注品とか、侯爵の家の料理人が作ったのかしら。あれは絶品だったわ、お礼を言っておいて頂戴」

 かなりの腕前だって思うわ、独立開店してもあれなら買い手がつくはずよ。それこそ婚姻の儀とやらで振る舞えば名前も知られるようになるわよ。

「あれを作ったのは俺だ」

 真面目な顔で他にどうにも解釈できないような一言。数瞬の沈黙と思考停止、作ったのは俺だ。そうか……俺か。俺、オレ? 

「えーーーーーっ!」

 本人目の前にして超驚いたわ。何人も殺してるような顔してるくせに侯爵で、そのうえお菓子作りとかキャラどうなってるのよ! 神殿に変な声が響いちゃったじゃない!

「そんなに意外だったか」

 目で人を殺せそうな表情で言わないの。そして意外かって質問。

「意外だったわ」

 即答。だって考えてもこういう人の場合、普段は事務処理してるけど、実は剣も凄かったんですよみたいのがテンプレじゃない。お菓子作りがプロ級ってどういうことよ、絶対に間違ってる。

「あれは妻が趣味で作っていたのを良く手伝わされたから覚えたものだ」

「奥さんの趣味? まあそれならギリギリ納得できるわ。次はロールケーキを手伝うようにさせてって伝えてくれるかしら」

 良いわよねロールケーキって美味しい、大好き。なんなら毎食後に出てきても私は許す。というか出て来い。

「それは出来ん」

「侯爵のくせにケチケチしないの」

 そのくらい好いじゃないねー、貴族がお召し上がりになるアレコレの費用の極々僅かじゃないの。奥さんが大変だって言うかもだけど、趣味ならそんなことないでしょ。

「そうではない、妻はもう他界しているのでな。それにアレを覚えたのはまだ侯爵になり家を継ぐ前の事だ」

「あ……ごめんなさい」

 嬉しい楽しい思い出に泥を塗るような真似は素直に私の非よ。他人が踏み込んはいけない領分、人には必ずそういうのがあるの。

「構わん。ロールケーキは次に来る時に持って来てやる」

 実はそれも作れるのね、極悪人っぽい見た目のキャラはどこへいった。それにしてもこの人の奥さんだった人か、どんなだったのかな。同じようなゴリゴリの傭兵みたいな人? それとも何を言われても意志を見せないような貝殻の奥底に引きこもったような?

「もしよければ奥さんのこと聞いても良いですか?」

 一度大きく息を吸ってから、神殿の天井を見上げて気持ちを落ち着ける。侯爵であることが板についてるんだから、結構昔のことになるのかな?

「アレとの馴れ初めは家同士の婚姻政策、政略結婚だった。十歳も下の世間知らずの貴族の娘と初めて顔を合わせて、これが妻だと言われた。それは良い、貴族とはそういうものだ。だがアレはどう思ったか」

 この険しい見た目は若いころはもっと鋭かったんでしょうから、顔を蒼くしてたでしょうね。なんとなく気持ちがわかるわよ。

「今思えば家庭的な性格だったのだろう、メイドらに全てやらせても良いことを自分でやっていた。俺と違い家人に信頼されていた。身体が弱く外に出られないことが多くてな、それもあって料理を好んでしていたのだ」

 程なくして数年で他界してしまったと、目を閉じて語る。大切に想っていたし、そうしてきたんですね。

「それで、奥さんってどんな感じの人だったんですか」

「うむ……」

 言い籠もると、目を開けて正面を向く。まあこっちを見たわけよね、その後神殿の壁に視線を向けてしまった。

「小柄でな、真っすぐの長い黒髪をしていて、夫をからかうのが好きで、自ら進んで働こうとするくせに他人に言われると面倒がって……そういうやつだった」

 それって私とそっくりじゃないの! いや、まさかね。もう、嘘と言ってよ。というかどうしてこっちを見てサラッと言えないのよ、物凄くきまずいじゃない。変に意識してこっちが顔熱くなってきたわ。

「あ、えーと、侯爵も暇じゃないんだから、ここで遊んでる時間はないはずよ。言われなくても祈りはするから問題はないわ、でも魔物で困ったら相談して。少ない箇所なら直接的に力になれるから」

「……直接的に?」

 妙な発言に気づいて繰り返す。この雰囲気を壊す為に今は乗りましょう、それがいいわ。

「私の精霊召喚で魔物を撃退します。ごく一部にしか影響させられないけれども、神頼みじゃなくて確実です」

「なんと、お前は精霊を使えたのか」

 あら、知らなかったんですね。それも調べられてるかと思っていたわ、何でも知っていそうな感じだったから。あまりあちこちに言いふらすわけじゃないけど、隠しもしないわ。王女は知ってるけど、侯爵は知らされていなかった。そういう部分にまだ溝はあるのね。

「お前じゃなくてアリアスよ」

 お前呼ばわりはあまり好きじゃないのよ。威圧的だし、誰のことを言ってるのよってね。人にはみな、名前があるんだから。

「む。アリアスは精霊を使えるのだな」

「氷の精霊フラウ、アイスロードが盟友よ」

 目を細めてその異常さに感付いたわね、アイスロードは上級精霊。だからとその後何も言わないあたりがこの人よ。膝の上から立ち上がって、数歩離れると振り向いて指さしてやる。

「ほら、お仕事してきなさい侯爵。私はいつでもここに居るから」

「アレクサンデル・マケンガだ。言われんでもそうするつもりだろうが、買い物でもなんでも勝手にこちらに請求させておけ」

 立ち上がって踵を返すと外へと歩いていく、その後ろ姿に「アレク、次はお菓子忘れないでよね!」呼びかけたやったわ。一瞬だけ歩みを止めて、返事をせずに去って行った。意外過ぎる出来事に、暫く私はぼーっとしていた気がする。
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