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本編 1

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 北の端にあるイーリヤ公爵領は砂漠地帯に面している北の境と、海に面している東、王国に接している南にグロック侯爵領に接している西といった立地にあった。南部の境界線で警備兵に「お嬢様のご帰還だよ、伝令を出しておいてくれるかな」とアンリが言うと、狼煙が焚かれてそれが中継されていった。なるほど馬で走るよりも早い。

「ここまで来たんだから家まで送って行くよ」

 物凄く簡単に近所に行くかのような物言い、ところが普通ならば越境してのことは面倒ごとが多いので好まれない。好きでも嫌いでも行くと言えば行く性格なのはマリアも知っているが。

「お世話になったしおもてなしはさせてもわうわ。ようこそイーリヤ公爵領へ、歓迎するわアンリ」

「はは、お邪魔するよ」

 武装した騎兵が居れば通常かなりの詮議をされてしまうが、令嬢の護衛だと言われると「お疲れ様です!」と挨拶をされてしまう。彼ら自体は何も変わりはしないけれど、環境でいくらでも扱いは違ってくるものだ。

 主要な街道を直線的に進もうとすると、各所で検問所が置かれていたが、やはり全てをあっさりと抜けてしまった。そのうち公都から出迎えの騎兵団がやって来ると、全員が眼前で下馬して片膝をついて礼をする。

「お嬢様、ご帰還をお祝い申し上げます!」

 隊長が代表して声をかけると「今戻りました」短く返事をする。

「アンリ様、お嬢様の護衛ありがとうございます!」

「サイードも元気そうだね。後ろをつけてきている奴らも居なかったようだから、一応ね」
 
 騎兵団が護衛任務を引き継ぐことになり、グロック家の騎兵はアンリの後ろに並んで警戒度を引き下げた。
 
 騎士長のサイードはイーリヤ公爵の護衛隊長でもある。常に身辺警護のことを考え、それ専門の部隊を指揮していた、だが彼はこのあたりの人種ではない外国人。当初はなぜそんな人物を身の周りに置くのかと疑問視されたが。公爵の「信頼できるから命を預けているだけだ」との一言で全てが収まってしまった。

 今となればあの一言で忠誠無比な人材を手に入れたのだから、イーリヤ公爵もただものではない。妻に先立たれてから後妻を迎えるもまた死別、三人目の妻との間に出来た子がマリア。それはもう可愛くて仕方がない。当然サイードの忠誠心は娘である彼女にも向けられていた。

「王都での話は聞いています。閣下が是非ともアンリ様とお話がしたいと申しております」

「まあそうなるよね。俺もそのつもりで来てるからさ」

 こういうことは早い方がいい、到着したその日にでも謁見しておこうと考えていたのでお互いの利害が一致する。いま余程のことが起ころうとしている、どうするつもりか隣の領地の考えを知っておきたい。

 そこから先は検問も城門も全てフリーパス、サイードが先頭になって進んでいるからだ。公爵がどこに行くときも常に傍で護衛をしている騎士、顔を知らないのは下っ端だけ。かといって偉そうにすることはない。

 公爵の居城は要塞都市、フォートスターと呼ばれる城郭で覆われた戦闘用の街。東の端は港が含まれていて、北方は砂漠で見晴らしがよいどころか、恐らくサソリが若干居る位で生命の気配がない。南は地形に沿って関所や検問所を多数設置していて、西は山道が数本あって、それぞれの出入口に関所が設置されている。

 つまりは北から攻めるは困難で、海からは攻撃は出来ても占領には至らず、陸続きの場所半分だけを警戒すればよいので護り易い地形なのだ。南部には伯爵領や子爵領、王領が散らばっているが、連合しないことにはイーリヤ公爵を凌ぐことは出来ない。

 唯一の危険性は西で接しているグロック侯爵、ここが本気を出して来たらほぼ互角の争いをしなければならないのだ。ではそうなるかというと微妙、グロック侯爵はその昔にイーリヤ公爵の上官だったことがあり、今は逆。国軍の司令長官と参謀長の間柄。

 二人が争うのは右手と左手で殴り合うようなもので、分離工作をしようにもグロック参謀長が引っ掛かるわけが無かった。ではイーリヤ司令長官はというと、先のサイードの件を見ても解るように、他者を陥れるような性格ではない。その上で、それぞれの令息令嬢が仲が良いので十年単位で結束が崩れる見込みなどありえなかった。

「おや、丁度船が入港しているところだね」

 外国船が船団を組んでやってきている。海上からの物資流入はここを通して王国各地に出荷されていく、これが恐ろしい利益を生んでいるのだ。

「北方の半島国家からの船です。あちらの大使が交代の時期ですので」

 重大な情報と言えなくもない大使の存在をさらっと明かしてしまう、アンリがどれだけ信用されているかの物差しといえよう。言ってしまえば部外者でしかないのに、こうも認めらている理由のもう一つは、アンリ自身がイーリヤ公爵の部下でもあることからだ。

 こうやって絡み合っている人脈をぶった切るような婚約破棄、公爵がどうするかをアンリは興味しんしんで想像する。



 要塞の内城にある内門のところで、十人程が待っていた。ここの主であるイーリヤ公爵その人。四十代半ばで気力体力ともに男盛り、威風堂々としたその姿を見るだけで勇気づけられる。周りを囲んでいる側近らは肌の色がまちまちで、体格もバラバラだった。

「お帰りマリア」

「ただ今戻りましたお父さま」

 駆け寄ると腕の中に飛び込む、こういうところは普通の家族と何ら変わらないで微笑ましい限り。数歩前進してアンリが礼をする。

「アンリ・グロックです、寄り道の最中でして」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて面白半分そう口にする。公爵相手になんたる無礼だと怒鳴られても仕方ない態度だ。

「おう。意義ある寄り道にするためにも、一杯必要じゃないか?」

 白い歯を見せて公爵もこうやって応じてしまうものだから、日々関係が強くなる。挨拶もそこそこに中に入れと促されて、騎馬兵らは別室で歓待準備があると連れていかれてしまう。その相手が美女だったから、彼らも「隊長、超過勤務頑張ってください」などという始末だ。

 楽しみがあってこそ頑張りもする、そこは構わないとさっさといけといった感じで手を払ってやる。廊下を歩いている最中に「うちの娘が世話になった、ありがとうアンリ」これ以上ない位に直接的に謝意を示してきた。

「妹みたいなものですから、感謝されるに及びません。あ、それでも形あるお礼ならば喜んで」

 どこまで本気なのかイーリヤ公爵は小さく笑って「受け取り拒否はしないでくれよ」などと返している。部屋に入ると冷えたビールを前にしてまず一本。心の準備をすると、他者を全て外に出して真面目な顔に切り替わる。

「どこから話しましょうか」

 知り合いの息子から、部下と上司への顔にすると目を細めて話の核になる部分を指す。

「そうだな、まずは王子の事から聞こう」

 王都で諜報を担っている機関はあるが、アンリは別口でそれを行っている。自然と入って来る情報の筋や発生のレベルが違うからだ。角度は複数ある方が当然良い。

「あのボンクラは、マリアが何か謀略を巡らせて、自分の妻どころか王妃の席を狙っているという言葉に踊らされて婚約を破棄したようです」

「ふむ……」

 女として王妃の座を狙うのは後宮では普通の話だ。しかしマリアは巫女であって後宮の女官ではない、その前提が既におかしい。気づかずに行動しているのか、知っていて王子が暴挙に出ているのか。

「時間軸は前後しますが、聖別式の後に王子がマリアを国外追放する命令を出しています」

「国外追放か、そいつは穏やかじゃない」

 撤回出来る国外追放と絶対厳禁のそれがあるが、今回のは前者のようだ。許されれば処分を取り消すことができる。この違いは犯罪者として追放されるものか、国家反逆としてとられているかの違いだ。

 どこかで城を乗っ取って反乱を起こすのは普通の国外追放で、国家を転覆させようと行動すると反逆で二度と国の土を踏めなくなる。王国に弓引くのと王に対抗するのとの違いでもある。

「この命令ですが、どうやら事前に出されていたもののようで、マリアの聖別式が終わって直ぐに布告されてようです」

「というと」

「マリアが聖女に選ばれました、それなのに国外追放っていうのも変な話でして。その晩に直ぐ王都を抜け出してきたので、取り消しが間に合わなかったのでしょう」

 イーリヤ公爵は目を細めて事実関係を咀嚼した。王子の独断で行われているのは明らかの様子、ではどこにその糸が繋がっているのかを想像する。帰郷するまでに追いついてこれなかった、そのあたりにもヒントがありそうに思える。

「そうか。娘の為と思って王子との婚約を取りつけたんだが、うまく行かんものだな」

 親心でそうしたけれど、こんなことならやめておけばよかったとすら思えてくる。若干うなだれて大きく息を吐いた、自分のことならばどうとでもしたが、娘が悲しむのは耐えられない。

「もう二度と王都には戻らないって言っていましたよ。そりゃそうだとも思いますがね」

 ここまでされて戻れとも言えない、自分ならば絶対に言えない、二人ともそう信じている。世の常識は幾つもあるというが。

「わかった、こちらで調査をしてみるよ。ここまで送ってくれてとても助かった、本当にありがとうアンリ」

「だからそれはイイってことで」

 困り顔で頭を下げて来るイーリヤ公爵の顔をあげようとする。こんな絵面はたとえ二人だけしか居なくてもあってはならないのだ。上下の区別はつけられるべき、それこそが序列を保つ絶対のルール。

「いや、今回のことで本当に解った。形あるお礼の件だが、マリアを妻にしてやってくれないか」

「えっ、ちょ、マリアをですか!?」

 いつも飄々として冷静なアンリが、今は意表をつかれて動揺してしまった。嫌いではない、むしろ好きだし幸せにすることだって自分ならば出来ると確信を持っていた。だが大問題がある。

「それをすると王家を敵に回す可能性があります」

 大貴族同士が婚姻で深いつながりを持つのは許されない、そういう婚姻には王の許可が必要なのだ。そうでなければ貴族の力が強くなりすぎて王国の秩序が乱れる。

「だとしてもだ。グロックと俺のところならば、王国全軍を相手にしたって負けはしない。ま、考えておいてくれよ」

 軽く肩を叩くとイーリヤ公爵は部屋を出て行ってしまった。ビールを一本あおって「まったく、親父と良いボスと良い俺をどうしたいんだか」軍営にある時に呼ぶ名で公爵をボスと呼び、未来を想像してしまうアンリだった。



 フォートスターに王都から使者がやって来た。それを謁見の間に通すと、イーリヤ公爵が段下の絨毯の前で控えて、使者が段上の座の前に立った。王の代理人であるならばこの瞬間だけ文字通り立場が入れ替わる。

「イーリヤ公爵へ告げるものとする。令嬢であるマリア・イーリヤへの国外追放の令を解く。同時に王都へ戻るように命じるものである」

 ある意味で想定通りのことではあったが、はいそうですかと頷くわけにはいかなかった。ここで使者相手に駆け引きをしても仕方ないのは解っているが、言わずにも居られない。

「勅令確かにお聞かせいただきました。ですがマリアはここには居りませんが」

 まさかの返答に使者も困惑した、当人に伝えようにも不在。前提が大きく音を立てて崩れてしまっているので、使者にはどうにも出来ない。

「連絡は取れないのですか?」

 あまりに想定外の事態がおき、つい代理人であることを忘れて敬語で語る。実のところは要塞に居るがそんなことを教えてやる義理など無い。

「異なことを仰りますが、娘は王子殿下の婚約者として王都に居るはずですが」

 全てを知っているくせにここで説明をさせる、イーリヤ公爵は伊達や幸運でこの座についているわけではない。相応しい能力や経験があって務めているのだ。事実などというものは作ることが出来る、世にある真実などは求められてはいない。

「ご、ご存知ない?」

「暫く娘にはあって居りませんので。何かあったのでしょうか」

 鋭く射貫くような視線を送る、使者も馬鹿ではないこの態度の裏に隠されている大事が透けて見えた。懇切丁寧に説明しようとも、知らないと言われてはそれまで。

「公爵の令嬢は国外追放の命令を受けて所在が不明だ」

「ほう、それは初耳。何故王子殿下はそれを擁護されなかったのでしょうか。婚約者が国外追放とは並大抵のことではありませんが」

 無表情でそのようにつつく、何とも返答しづらいことではあるが、それがゆえに敢えてそのように言う。

「そ、それは……王子は既に公爵の令嬢と婚約を破棄しているのだ」

 イーリヤ公爵は目を細めてじっと使者を睨み付ける。貴族の、それも高位の貴族の婚約は家同士のこと。ならば当主である公爵が知らぬところでそのようなことが起こっているのはいかがなものか。

「理由をお聞かせいただけるでしょうか」

「明らかにはされておらぬが、公爵の名誉を傷つけぬ為じゃ」

 とってつけたような物言いに、内心呆れつつも慇懃無礼に応じる。

「そのようなお気遣いをしていただきありがとうございます。イーリヤが陛下に感謝していたとお伝えください」

 押しに押されて使者がたじたじになっている。どうすれば役目を果たせるのか、ここでじっくりと考えているような時間は与えられない。

「して、私に何をお求めでしょうか」

 使者をいじめるのはこの位にしておいて、本題を進めに掛かる。

「令嬢との連絡をつけるよう最善の努力をし、その後は王都へ戻るよう伝えよ」

「畏まりました。時に何故王都へ? 娘は婚約を破棄され恐らく傷心のはず、私でよろしければ代わりに伺いますが」

 家を通して行えとここでも強調した、本心はマリアに負担をかけたくない一心ではあるが。

「それは公爵には関係ない故明かせぬことじゃ。もうよい」

 イーリヤ公爵は一礼して数歩引き下がった、段上から使者が降りてくる。明らかに顔色が悪い。

「さて使者殿、今宵は歓迎の晩餐を用意してありますので是非ご参加ください。陛下からの使いをそのまま返すなどということがあれば、陛下に対して失礼。使者が歓待を受けなかったとなれば、陛下も尊厳を傷つけられたとお嘆きになるでしょう」

「……ありがたく」

 言葉も少なく応じる、本当は逃げ帰りたいだろうことははっきりとしている。針の筵とはこれだろう。

「アロヨ、使者をお部屋へお通ししろ」

 三十歳手前の男が脇からでてきて「こちらへ」あえて親指をむけて案内する。そんなやりかたが普通なわけがない、使者は諦めて従い広間を出て行く。

 椅子に座ると「王都への召喚か」一人で呟いた。何ごとも無かったかのようにして元通り、などに出来るはずがない。それでも帰還を求めるといえば聖女の件しかないだろう。今回は王子からではなく王からの使者、ならば王子は一件から外された可能性が高い。

「退くに退けないところにきているわけか。陛下、あまり悪戯が過ぎると手痛い返しがあるとお知りになるべきでしょう」

 顎に指をあてて暫し考えると、マリーを呼ぶようにと下僕に命じる。すると三十分とせずに眼前に公爵家私兵司令官であるジャン・マリーが姿を現す。

「ボス、お呼びで」

「陛下から最善の努力でマリアと連絡をつけろと言われた。軍備を整えておけ」

 勅令の曲解もここまで来れば大したものだ、だが公爵は至って本気。また命じられたマリーも態度は軽くても常に本気だ。

「ほうマリアと連絡をね。何やら愉快な催しが始まりそうな予感がしますが」

「さあな、俺は穏便に済ませたいんだが」

 目を閉じてすまし顔をする。だがどうだろうか、マリーは少し考えて「姐さんが黙っちゃいないでしょう」イーリヤ夫人について言及する。

「そう思うか?」

「ええ、激しく」

「そうか、実は同感だ」

 やれやれと肩をすくめる。マリアを溺愛しているのは父も母も同じではあるが、彼女を守るために父はそれこそ保護をしようとし、母は敵を殲滅しようとする。そういう性格の違いがあるといえばあった。

「ま、自分は楽しければそれで良いので。クァトロを招集しておきます、では」

 踵を返して先ほどのアロヨより少しだけ年上の男がにやにやして出て行く。この先どうしたものかと公爵は一人その場で思案することにした。
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