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序章

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 王宮の一室、ワタクシの居場所。サロンがあるところで、ステア王国の北の護りを担っているイーリヤ公爵家の娘マリア・イーリヤ十五歳、本日婚約者にこう言われました。

「澄ました顔して実は裏で暗躍していたとはな! 俺は騙されんぞ、王妃の座を狙って親父にまで色目を使いやがって。お前みたいなやつとは婚約破棄だ!」

 何を言われているのか全く分かりません。でもきっと今は何を言っても無駄なのでしょうね、どこでどうしてこうなってしまったのか。ワタクシは何も言い訳もせずに「失礼します」とだけ残して王宮から出て行きました。城内にイーリヤ家の屋敷があるので、そこに向かうと部屋に籠もります。

 侍女がどうしたのか尋ねてきましたけど、ワタクシから言えることは何もありません。三日後の満月に聖別式があるのですけれど、それを終えたら国許へ戻ろうと思います。でもそれまでに婚約破棄の話はきっと広がりますね。

 翌朝には既に侍女が事情を知って、そっとしてくれました。屋敷の中はかなりバタバタとしているようですけれども、もうどうしよもありません。きっとお父さまのところにも大至急連絡が行っているはずです。心が動揺してしまえば皆に迷惑をかけてしまいます。

 夜にはグロック侯爵家――隣の領土の城下屋敷から、アンリが様子を見に来てくれました。ストーン伯爵アンリはグロック侯爵の長男で、次期グロック侯爵ですね。従属爵位のストーン伯爵を名乗っているんですよ。

 侍女に顔を見せるだけでもと言われて、差し向かいで座っています。相手が相手ですので無碍にも出来ず、気乗りはしませんでしたがこうなっています、きっと今凄く不機嫌な顔をしていますね。

「マリア、話は聞いたよ。とんだ濡れ衣もあったものだ、直ぐに誤解はとけるさ」

 優しくそう言ってくれるのは、子供の頃から交流があったからですよね。お父さま同士が友人の関係、良く一緒に遊んだものですわ。だって二人で遠くに行っては戦いをしていたんですもの、その間ワタクシたちは留守番。

「あそこまで頑なに言われてしまっては、最早何もこちらから言うことはありません」

 はぁ、と小さくため息。好き嫌いで嫁ぎ先を決めるつもりは何も無いですけれど、こういう形で拒絶されるとは思わなかったです。何なんでしょうね一体。直ぐに間違いだったと言ってくれるならば、ワタクシは水に流しても良いですけれども。

「そうかも知れないけど、俺は君の名誉が汚されている状態を許せないよ。聖別式はどうするつもり?」

 そう言う風にワタクシの為に怒ってくれるのは嬉しいものですね。アンリは本当に昔から変わりません。

「参加します。その後に郷に戻るつもりですけれど」

 ここに向けて準備をしてくれた方々の迷惑にならないように、儀式にだけは参加しないと。もう聖女には聖別されないでしょうけども。どうするか決めるのは神のみぞ知るですわ。

「明後日の夜だね。その後って言うけど、いつ頃の予定?」

 聖別式自体は短いですけれど、始まるのが夜中なので終わりはそれこそ日付が変わったあたりでしょうか。次の朝にと言いたいですけれど、一刻も早くここを離れたい気持ちもあります。

「その夜は城門は開いているでしょうか?」

 王都は警備が厳重で、門の一つ一つに責任者が居て、そこを通過させるかは個別の権限を持っているんですね。

「このところずっと争いもないから、完全に閉門することは暫く無かったね。多分開いてると思うけど」

「なら終わり次第出ます」

 アンリは目を閉じて小さく二度三度頷いています。ワタクシの性格を十分に承知している証拠でしょう。少しでも早くにこの場を去りたい、消えてしまいたい。けれどもやらなければならないことは投げ出すわけにはいきませんわ。

「わかったよ、マリアならそう言うと思った。でも真夜中になるから危険じゃないかい」

 良いともダメとも言わないなんて意地悪ですわね、けど私を心配してくれているのは伝わっているんですよ。ずっとそうなんです、現に今だってこうやって話を聞いてくれています。

「王子に婚約破棄されたような女がここに居ても良い声が聞こえてくるはずがないわ。目に見える危険だが全てではないもの」

 嘲笑の的になれば家にも迷惑が掛かる。私が消えてしまえばそのうち時間と共に忘れてくれるはず。人というのは興味を長いこと抱いていることが出来ない、飽きっぽい生き物なんです。

「君の意思が固いのは解ったよ。くれぐれも早まったことはしないように、俺と約束して欲しい。ダメかな」

 そんな誠実な瞳で見つめられたら、ダメなんて言えないじゃないですか。

「……解りました、必ずアンリに相談します。これでいい?」

 それもこれも全部ワタクシの為、アンリはいつもそう。もっと自分のことを優先してくれてもよいのに。

「ありがとう。夜更けに済まなかったね、いつでも声をかけてくれ」

 笑顔で部屋を出て行くと、侍女たちにも手を振ってグロックの屋敷に戻って行った。別に何も早まりなんてしませんよ、そんな風に見えているのかしら?

 自分を責める位なら、道理が無い王子を責める方なんですけどね。今は聖別式に向けて精神を穏やかにしないと。前と違って随分と心が軽くなっているのは、やっぱりアンリのお陰なのかな?

 寝つきが良かったのだけは覚えていたけど、直ぐに意識がなくなってしまいました。誰とも会わずに聖別式の夜まで過ごすと、大神殿へ向かいます。東の区域にある大神殿、神が降りる場所として聖地の丘の上に建てられているらしいです。

 そこを囲うようにして城壁が延長されているのか、それともここを囲うようにして街が発展したのかまではわかりませんけど。白地に青の線が入ったローブに身を包んで、単身大神殿へ入りました。

 多くの聖職者が居て、言われるがまま他の方々と共に、月明かりが差し込む場所に並びます。ここに居るのは五人、全て巫女として働いていた者。私は魔よけを行う弦打巫女、弓の弦を打ち鳴らして魔物を退けるのが役目です。一人は占いをする巫女、一人は依り代として神託を受ける巫女、二人は神事で踊る舞姫。

 皆が別の役割を持っていて、それでいて望む未来は同じ、即ち神の意思を皆に伝えること。

 大司教の進行で聖別式が行われて、つつがなく終わろうとしたときに異変が起こります。月の光が集束して私だけを照らしました。

「こ、これは神が認めし聖女の印! なんと素晴らしき事か、今宵聖女が誕生した!」

 えーと、どういうことでしょうか、よりによってどうして? こういうのって真っ新な巫女が選ばれるものですよね、ワタクシで良いんですか?

 今さらもうどうでも良いですけれど、こうやって聖別されたと解るとやっぱり神様は見てくれているんだなって思ったりもします。巫女やっててよかったって感じでしょうか。大司教が涙を流して祈りを捧げています、こうやって聖女が選ばれるのは数回に一回だって話だったので、今年は当たりだったんですね。

 月が雲で隠れてしまいました。聖別式の結果は、日の出と共に王宮に伝達されるらしいです。巫女達はこれでお勤め終了、明日また頑張ってねって。じゃあ私もおしまいにしましょうって、大神殿を出たらですよ特使ってなのるおじさんが来ました。

「告、マリア・イーリヤ。汝をステア王国より追放するものとする!」

 わお、このタイミングで? もう驚きませんよ、それも王子の命令なんですよね。よく王子と一緒にいた方ですよねあなたは。命令書を手渡すとどこかに行ってしまいました。巻物片手に屋敷に戻って「出発しますよ」と皆に報せる。準備は整っているみたいですけど、五人の供回りが夜明けになってからでもと言ってきました。

「はいこれ、追放令ですって」

 巻物を侍女に手渡したら顔面蒼白で回し読みをする。ここに居ても何一つ良いことなんて起きないんですよ、解りましたか。完全に諦めて馬車が北門へ向けて進みます、真夜中なのに出て行こうとするけれども巻物を見せると通れと門番が応じました。

 面倒ごとに巻き込まれたくないですものね、好いんですよそれで。月明かりしかない夜道の街道を進もうとしたら、城門の外で呼び止められます。まだ何か?

「マリア、どうだったんだい」

 不意に声をかけられたわ。

「あらアンリじゃない、どうしたのよこんなところで」

 正直普通に驚き、まさかここで待っているなんて。城門の内側じゃなくて外ってのもちょっと意外ね。一度出てしまったら日の出までは入れないものよ。逆は……今日は大丈夫だったみたいですけれども。

「君が言ったんだろ、聖別式が終わったらすぐに出るって」

 確かにそう言いましたけれど、どうしてここに居るのかというのと何の関係もないじゃないですか。

「え、そうですけど……それって質問の答えになっていませんわ」

 なっていないですよね? 何をしにこんな夜更けにここに居るのでしょうか。

「そうかな? だって郷に戻るんだろ、ならここで待ってないとダメだろ」

 凄く不思議な顔をされていますけど、それはこちらがしたい表情ですよ。月明かりに照らされているだけでも随分と細かく見えるものですわ。

「もしかしてアンリも行くつもりだったりする?」

 まさかそんなはずないですよね、だってアンリには関係がないことですもの。

「当たり前じゃないか、こんな真夜中に出る上に遠く移動するのにマリアだけで行かせられるわけないだろ!」

「あ……ごめんなさい……」

 怒られちゃった。そうやって一緒に行ってくれるのを当たり前って、アンリはどこまでワタクシに甘いのよ。本当よまったく。それにしても怒られたのに全然嫌な気分じゃないわね。

「それに護衛も無しで行くつもりだったの?」

 執事と、侍女が四人です。帰るだけならいつもこんな感じでしたよ、おかしいかしら?

「そうですけれど?」

 アンリは小刻みに二度三度頭を振る。

「満月の夜には野生動物も魔物も活発になる、君はどこまで危なっかしいんだ。まあでも、心配しないでも俺がついてくから。じゃあ行こうか」

 騎馬した男の人たちが十人もアンリの後ろからついてきます、グロック家の兵隊さんですね。

「あの、アンリ」

「なんだい?」

 馬車の隣を馬に乗って進んでいる彼に遠慮がちに一言「ありがとう」それだけ伝えると逃げるように中に顔を引っ込めてしまう。その時にどんな顔になっていたのかは、お互いに知りません。



 結局朝までずっと進み続けて、小さな宿場町にやって来たわ。夜に出ると解っていたからですよね、アンリ達は特に眠そうな感じはしていないです。侍女はうつらうつらとして馬車で船をこいでいます、ふふ。

「マリア、ここで一休みして朝食をとってかないか?」

「そうですわね、大勢ですけれど大丈夫かしら」

 十数人も一度にやって来て食事をするとなれば調理場は大変。急いでいるわけではないので、順番に出していただければよいですけど。お店に入ると最初に私とアンリの身なりに驚かれて、次に人数に驚かれました。

「人数分の朝食を頼むよ。急がないからゆっくりでいい、飲み物だけでも先にあるとありがたいかな」

「は、はい!」

 こういう物言いって他の貴族ではあまりいないのよね、丁寧だけど自分の意思をしっかりと相手に伝える。時に相手に押し付けるってやつ。私は儀式用のローブで、アンリは旅装だけれども貴族としての格式を備えている格好ね。

 帽子を置いて差し向かいで座るアンリが一口水を飲んでこちらをじっと見て来る。

「なんですか」

「いや、昨日というか夜の続き。聖別式どうだったかなって」

 そういえば結果を伝えていませんでしたね、落ち付いたところでとかじゃなくて、単純に話しの流れでそのままでしたよ。

「ワタクシが聖女に選ばれました。これといって変わりは無いですけれど」

「おぉ、そうなんだ。おめでとうマリア」

 祝ってくれるのは嬉しいですけど、王都の大神殿にはもう行きませんからね。どういう扱いになるやら、そんなことはあちらで都合よくしてくれるんでしょうけれど。

「そのうえで国外追放ですって、どうかしてるわよ」

 肩をすくめて意味わからないと呟く。帰郷してもまだ国内ではあるのだけれども。

「ひどい話だよね。馬車で十日も行けば領地につくから、その先のことはイーリヤ公爵と話をしてきめたらいいさ。俺も協力するよ」

 意外と聖女の話には喰いついてきませんでしたね、当事者じゃないと解らないことばかりだから? それともワタクシに興味がない……ことはないわよね、こんなところまで一緒に来てるんだから。

「どうやって何を協力してくれるつもりなんですか」

 ちょっと意地悪な物言いですね、これは流石に自己嫌悪かも。同道してくれるだけで充分協力してくれているのに。

「なんだってするさ。君には幸せになってもらいたいからね」

 ところがこうも軽く受け流されてしまう、この人はまったく。あ、お料理ができましたね。人数が前後しても良いようなシチューとかサラダの類です。パンはスライスのが二枚ずつ。

「あの王子と一緒になっていたらですけど、私は幸せになれていたのでしょうか?」

 家柄を考えたらこれ以上ないのはわかりますけど、安定と幸せは似て非なるものですよ。

「なってみないとわからないのが人生だからね。少なくとも生きていれば王子はいずれ王になるわけだから、その妻も王妃ってことにはなるよ」

 偉いとか、尊敬されるとか、そういうことに幸せを感じるならばここが栄達点ってことですね。でも公爵の娘って言うのだけでも、その点は凄く高位ですよ。グロック侯爵嫡男ストーン伯爵アンリですけれども、伯爵よりも侯爵の子という方が上位ですから。

「王妃が幸せな人生を終えたってお話は、どうしてかあまり聞きませんけれどね」

「王妃であるうちは後継者の問題があるし、それが解決したら王妃じゃなくなっているってやつだね。ま、難しいところだ」

 にこにこしてこれも受け流してしまう、アンリのスルー能力は随分とレベルが高いですね。

「ここの会計はイーリヤ家で持ちますわ。携帯食料の補充は問題ないかしら?」

 同道してくれていることへの感謝の一部ということで、特に突っ掛からずに向こうも承知してくれました。

「準備に一日あったから万全だよ。それでもこうやって暖かい食事がとれるならそうするけど」

 そこに異論はありませんわ、常に宿場町があるように出来ているのは徒歩でのスピードですからね。雨が降ったりで動けない時もあるはずです。

「それでは暑くなる前に動きましょうか。お昼は少し長めにお休みしましょう」

「昼寝は気持ちいいからね」

 こうして衝撃の婚約破棄からの国外追放という、マリア・イーリヤの受難は手を繋いで一気にやってきました。国許に辿り着くまで、一人でまた色々と考えてしまったのも無理はないと自分で思っています。
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